第20話 妹から夫へ届いた手紙
妹から夫へ届いた手紙を、アレクシスは私より先に開いた。
当たり前だ。封筒には彼の名だけが書かれている。
それでも、朝食の卓で封蝋が割れる音を聞いた瞬間、昨夜まであった幸福が細い亀裂から漏れていくように感じた。
フローラの封蝋は、緑の小鳥。
ジュリアンへ送っていた恋文と同じものだった。
アレクシスは一頁目へ目を通し、二頁目を開かなかった。眉間へ皺を寄せ、便箋を卓上へ伏せる。
「エレノア。読んでほしい」
「私信では?」
「私の妻について書かれている。君に隠したまま返事をしたくない」
差し出された手紙を、すぐには取れなかった。
昨夜、私はこの手でアレクシスへ触れた。愛していると言い、愛していると返してもらった。今朝になれば、その手さえ妹へ譲るために差し出そうとしている。
「お読みになった範囲で、何が書かれていましたか」
「君が今もジュリアンを愛している、と」
私は思わず顔を上げた。
「違います」
「分かっている」
即答だった。
「君が誰を愛しているかは、君から聞いた。他人の手紙で書き換えはしない」
私はようやく便箋を取った。
『親愛なるヴァレール公爵閣下。
姉を妻として迎えてくださった寛大なお心へ、妹として感謝いたします。ただ、姉の本心を知らないままでは、閣下もお気の毒だと思い、筆を取りました。
姉は昔から、自分の望みを言えない人です。ジュリアン様との婚約解消も、決して望んだことではありません。今も彼のお名前を聞けば顔を曇らせます。閣下へ従っているのも、同情で救ってくださった恩を返そうとしているからでしょう。
姉は丈夫で実務には向きますが、華やかな公爵夫人の暮らしを心から楽しめる人ではありません。姉が閣下を利用する形になっていることを、どうかお許しください。
もし姉の本当の気持ちと、貴族の妻が負うべき喜びについてお知りになりたければ、私が直接お話しできます。夫には心配をかけたくありませんので、二人だけでお会いできれば幸いです』
末尾には、王都で借りた家の住所と、アレクシスの予定に合わせるという一文。
読み終える頃には、指が冷えていた。
「丈夫で、実務に向く……」
私のことを褒めているようで、家族が私を使う時と同じ言葉だ。
「二人だけで会うおつもりですか」
聞いてから、自分を嫌いになった。アレクシスは昨日まで一度も疑う理由を与えていない。それなのに妹の美しさを思い出しただけで、彼を選択のできない物のように扱っている。
「ない」
アレクシスは言った。
「だが、この手紙を処分するか、返事をするかは、君と話して決めたい」
「あなたに届いた手紙です」
「私たちの結婚を使って君を傷つける手紙だ。私一人の問題ではない」
私は便箋を畳もうとした。指先が震え、角が合わない。
「フローラは私より美しいです」
「それが?」
「社交も上手です。笑顔も明るくて。公爵夫人として、人前へ出るなら妹の方が――」
「エレノア」
名を呼ばれ、口を閉じた。
アレクシスは怒鳴らなかった。けれど、昨夜より真剣な目で私を見ている。
「君は今、何をしようとしている?」
「あなたに、もっとふさわしい方を」
「私が欲しい人を、君が決めるのか」
その問いは、柔らかくはなかった。
胸が痛む。けれど、父に責められた時のように縮こまる痛みではない。自分がアレクシスの意思を見ていなかったと知る痛みだ。
「違います。ごめんなさい」
「謝って終わりにしてほしいのではない。君の本心を聞きたい」
彼は卓の向こうで待った。
「フローラへ私を譲りたい?」
想像してしまった。
妹がこの席へ座る。私が選んだ青い縁取りの皿を使い、アレクシスに辛い菓子を食べさせて笑う。夜には同じ本を読み、彼の胸へ額を預ける。
息が詰まった。
以前なら、その苦しさこそ我慢すべきものだと思っただろう。妹が欲しがり、家族が喜び、相手にとっても妹の方がよいなら、私の心は数に入れなくていい。
けれど私は昨夜、この人を欲しいと思った。
「嫌です」
小さすぎた。
もう一度、言い直す。
「あなたを妹に譲りたくありません」
アレクシスの喉が動いた。
「私は、あなたの妻でいたい。フローラが私より綺麗でも、上手に笑えても。あなたに選ばれたいです」
「もう選んでいる」
彼は椅子を離れ、私の前へ膝をついた。
「君が譲ると言っても、私は移らない。人は首飾りでも部屋でもない。私の意思は私のものだ」
「はい」
「だが、君が私を欲しいと言ってくれたことは、嬉しい」
彼の両手が、私の冷えた指を包んだ。
「喜んでも、よいのですか」
「大いに喜びたい。ただし今笑うと、君に怒られそうなので我慢している」
真面目な顔のまま言うので、私は泣きながら笑った。
アレクシスは親指で私の涙を拭った。
「私も、まったく平気だったわけではない」
「あなたも?」
「君が今もジュリアンを愛している、という一文を読んだ時は腹が立った。彼にではなく、確かめようとする自分に」
「どうして確かめなかったのですか」
「昨夜、君から聞いた言葉を、今朝届いた紙より軽く扱いたくなかった」
私は妹の便箋を見た。
フローラが欲しがった時、父はいつも私に尋ねた。妹を悲しませたいのか、と。私が何を望むかではなく、断れば誰が泣くかだけを。
「今までは、譲ると言えば話が終わりました。首飾りも、部屋も、舞踏も。相手が本当にそれを欲しいか、考えたことがありませんでした」
「私は自分で欲しいものを言える。君が私を守るために、先回りして諦める必要はない」
「はい。けれど、あなたがフローラを選ばないと聞いて安心した私は、意地悪でしょうか」
「それなら、私も相当意地が悪い。君がジュリアンを愛していないと聞いて安心した」
彼は私の手を持ち上げ、結婚指輪の上へ唇を触れた。
「嫉妬した時は、譲る代わりに私へ言ってほしい。私も言う」
「あなたも、嫉妬なさるのですか」
「昨夜君を抱いた男が、翌朝ほかの男を褒める手紙を読んで、何も感じないと思う?」
顔が熱くなった。アレクシスはようやく、我慢していた笑みを見せる。
妹の手紙が、私たちの間へ入る隙間はなかった。
◇
返事は、二人で書いた。
アレクシスが最初に用意した文面は、三行だった。
『妻についての記述は事実に反します。私的な面会には応じません。今後の連絡は夫婦双方へ送付してください』
「短すぎませんか」
「長い手紙を書く相手ではない」
「でも、これではフローラが、私に命じられて書いたと思うかもしれません」
「では私が、君に命じられていないと一筆加える」
「それも、私が加えさせたと思います」
アレクシスは羽根ペンを置いた。
「何を書いても都合よく受け取る相手なら、三行でよいのでは?」
その通りだった。
それでも私は、自分の言葉を一つ入れたかった。
「『私は夫を愛しています』と書いても?」
「私としては歓迎するが、書かなければ信じられないものではない」
「分かっています。妹へ証明するためではありません。私が書きたいのです」
私は二枚目へ自分で記した。
『フローラへ。
私はジュリアン様との婚約へ戻る意思はありません。アレクシス様を利用してもいません。私は夫を愛し、夫と暮らすことを自分で選びました。
あなたが夫へ二人だけの面会を求めたことを、私は悲しく思います。今後、夫婦のどちらか一方だけへ、このような手紙を送らないでください』
最後に、エレノア・ヴァレールと署名した。
アレクシスも隣へ名を書き、二人の印を同じ封蝋へ押す。
「これでよい?」
「はい」
封をした後も、妹へ奪われる恐怖がすべて消えたわけではない。
けれど恐怖を隠して譲る代わりに、私は夫へ見せた。夫はそれを弱さとして数えず、自分の意思で私の隣へ署名した。
手紙を使者へ渡した後、私は朝食の席へ戻った。
アレクシスの向かいではなく、隣の椅子へ座る。
「今朝の紅茶は、少し冷めてしまいましたね」
「温め直させようか」
「いいえ。今日は、このまま一緒に飲みたいです」
彼がカップを上げ、私も同じように上げた。
妹へ返したのは夫ではない。
私たち二人で選んだ、面会を断る手紙だった。




