第2話 お姉様は何でも持っている
家族会議は、夜会の最後の客が帰るより先に始まった。
父の書斎には火が勢いよく燃えている。私は暖炉から最も遠い椅子へ座り、膝の上で傷ついた指を握った。向かいの長椅子には、継母とフローラが寄り添っている。ジュリアンは当然のように妹の隣に立っていた。
「まず、外聞を整えなくてはならない」
父は夜会で使った笑顔を消し、机の上で両手を組んだ。
「婚約中の令息が妹へ心変わりしたとなれば、フローラまで軽率な娘と思われる。エレノア、お前から婚約解消を申し出たことにしよう」
「私から、ですか」
「妹の思いを知り、身を引いた。姉妹愛の美談にすれば、誰も傷つかないわ」
継母が優しく言った。今夜傷つかなかった人だけを数えれば、そのとおりなのだろう。
「だが、エレノアに非があるような発表は困る」
ジュリアンが口を挟んだので、思わず彼を見た。
「彼女には今後もフローラの姉として働いてもらう。立場を悪くしすぎては、侯爵家へ出入りさせにくい」
私を庇ったのではなかった。妹が嫁いだ後も使いやすいよう、傷を浅くしておきたいだけだ。
「お姉様は、いつもそうしてくださったわ」
フローラが私へ微笑んだ。泣き腫らしたはずの目元は、継母が直した白粉で明るく見える。
「私が頼まなくても、自分から譲ってくださるの。ねえ、お姉様?」
「……ええ」
「だから今回も、私が奪ったのではないのよ。お姉様がくださるのでしょう?」
誰が最初に欲しいと言ったかではなく、最後に私が差し出したかどうかだけが、この家では真実になる。
「お姉様は何でも持っているもの」
妹は少し羨ましそうに首を傾げた。
「丈夫な身体も、お父様から教わった領地のことも、お母様の思い出も。私は身体が弱くて、幼い頃から我慢ばかりだったわ」
七歳まで母と過ごした時間を持っていることさえ、妹に対する不公平になるらしい。
フローラがこの家へ来た最初の冬、私には母が使っていた南向きの部屋が与えられていた。大きな窓と暖炉があり、雨の日には母と二人で本を読んだ部屋だ。
『フローラは身体が弱い。お前は丈夫だから、北の部屋でも平気だろう』
父にそう言われ、私は鍵を妹へ渡した。四歳のフローラは暖炉の前で私の人形を抱き、「お姉様、大好き」と笑った。
今も私が眠る北の部屋には暖炉がない。
「公表は明日の昼だ」
父の声で現在へ戻る。
「エレノアはモンテーニュ侯爵家へ出向き、自分の口で説明しなさい。ジュリアン殿とフローラの真実の愛を祝福する、と」
「急すぎませんか。せめて、エレノアの次の縁談が決まるまで」
ジュリアンの言葉に、一瞬だけ感謝しかけた。
「不幸な姉がそばにいては、フローラが結婚を喜べない」
彼が心配しているのは、やはり妹だった。
「私は大丈夫です」
そう言うと、全員の顔から緊張が消えた。
「さすが、お前は立派な姉だ」
父が褒めてくれた。遠い机越しで、もう頭を撫でてはくれなかった。
「公表文には、エレノアもフローラの恋を以前から知っていたと書きましょう」
継母が紙へ項目を並べる。
「それなら不義を黙認したように聞こえませんか」
「家族の気持ちを温かく見守っていた、とするのよ」
「私は、昨夜まで知りませんでした」
四人がこちらを見た。ジュリアンは不愉快そうに息を吐く。
「だから今、知っただろう。過去の表現を一日ずらす程度で、誰が困る?」
困る者がいないなら、事実は直してよい。私が書かされてきた手紙も、そうして少しずつフローラの心になったのだろう。
「……承知しました」
父の顔が和らぐ。私はまた、正しい答えを選んだ。
十五歳の誕生日にも、同じ言葉を聞いたことがある。
その朝、亡き母の青石を使った髪飾りが私の枕元に置かれていた。母方の祖母が贈ってくれた、深い湖のような青だった。
昼にはフローラが泣き出した。
『私には、お母様から受け継ぐものが何もないの。お姉様だけずるいわ』
継母は困った顔をし、父は黙った。私は髪飾りを外して妹につけた。父は「立派な姉だ」と言い、フローラの美しさを褒めた。
髪飾りはそのまま妹の宝石箱へ入り、返ってこなかった。
「では、決まりね」
継母は銀の呼び鈴を鳴らし、使用人に紙とインクを運ばせた。
「婚約解消の発表が済んだら、すぐ婚礼の案内を始めなくては。エレノア、フローラらしい招待状の文面を考えてちょうだい」
「今夜、でしょうか」
「喜ばしい知らせは早い方がいいわ。恋文と同じ書き方なら、ジュリアン様もお気に召すでしょう」
ジュリアンが妹を見る。
「君の手紙は、いつも私が欲しい言葉をくれた」
フローラは頬を染めた。私と視線が合うと、ほんの少しだけ唇を噛んだ。
最初は、一通だけのはずだった。
一年前、フローラがジュリアンへ礼状を書けず、継母が私を呼んだ。
『妹の気持ちを整えてあげるのも姉の役目でしょう』
私は妹が話した三つの言葉を文章にした。次は季節の挨拶、その次は観劇の感想。やがてフローラは白紙だけを私の机へ置き、「お姉様なら分かるでしょう」と言うようになった。
過去一年にジュリアンが受け取ったフローラ名義の手紙は二十七通。最初の一通はフローラが書いた。その後の二十五通を私が書き、最後の一通も綴りを直した。
「かしこまりました」
私は新しい白紙を受け取った。
初めてジュリアンと舞踏会へ出た夜も、私は妹へ何かを譲った。
婚約者同士の最初の曲が始まる寸前、フローラが足を挫いたと訴えたのだ。ジュリアンは彼女を休憩室まで運び、付き添った。私は一人で広間の壁際に立った。
翌日、妹は庭を走っていた。私が驚くと、彼女は笑った。
『お姉様はこれから何度でも踊れるでしょう? 私は一度だけ、婚約者のいる気分を知りたかったの』
結局、ジュリアンと私が最初の一曲を踊る日は来なかった。
「今夜のところは以上だ」
父が立ち上がった。暖炉のそばにいた全員が、夕食の残りを取るため食堂へ向かう。
「お父様」
私も席を立ちかけて呼び止めた。
「私の夕食は……」
書斎が静まった。口にしてから、ひどく浅ましいことを言った気がした。
継母は困ったように眉を下げた。
「夜会で食べなかったの? もう片づけさせたわ。厨房の者も休ませてあげなくては」
「そうですね。申し訳ありません」
フローラが皿の焼き菓子を一つ取った。
「これをあげましょうか?」
私が答える前に、ジュリアンがその手首を押し戻した。
「君は夕食をほとんど取っていないだろう。身体を大切にしなくては」
妹は嬉しそうに菓子を口へ入れた。
私は白紙とインクを抱え、北の部屋へ戻った。
燭台の蝋燭は、昨夜の残りが指二本分しかない。火を小さくし、机の引き出しから昼のパンを取り出した。固く冷えていたが、湯へ浸す炭もないので少しずつ齧る。
婚礼の招待状には、どんな言葉がふさわしいのだろう。
運命に導かれた二人。
長い友情が愛へ変わった二人。
姉の婚約中に交わした二十七通の手紙を、真実の愛と呼ぶ二人。
紙の上にインクが一滴落ち、黒い染みになった。
腹が鳴った。誰にも聞かれていないのに、私は「申し訳ありません」と呟いた。
冷えたパンを水で流し込み、針傷へ古い布を巻く。宴で使った白い薔薇が一本、紙束の上に置かれていた。給仕が捨てる前に継母が拾い、「招待状の意匠を考える参考に」と持たせたものだ。花弁の縁はすでに茶色く、甘い香りより蝋の匂いがした。
私は薔薇を窓辺へ移した。自分の誕生日から残ったものを、せめて一晩だけ自分のそばへ置きたかった。
扉が二度、軽く叩かれた。
「お姉様、まだ起きている?」
フローラは返事を待たずに入ってきた。暖かな寝衣の上へ毛皮の肩掛けを羽織り、私の冷えた部屋で身震いする。
「まあ、寒い。よく平気ね」
「慣れているから」
「やっぱり、お姉様は丈夫なのね」
妹は机の白紙を覗き、満足そうに頷いた。
「お願いがあるの。婚礼の日、お姉様の青石の首飾りを貸してくださらない?」
髪飾りとは違う。青石の首飾りは、母が亡くなる前日まで身につけていたものだ。今は母方の信託箱に保管され、私が結婚する日に受け取ることになっている。
「あれは、お母様の形見なの」
「知っているわ。だから素敵なのよ。お姉様は結婚しなくなったのでしょう?」
フローラは何の悪意もない顔で笑った。
「使う予定がないなら、私に譲ってくださるわよね?」




