第15話 青い花の花嫁
求婚を受けてから七日後。家同士の見栄で日を延ばす必要のない小さな式だからこそ、私は、迷いを義務へ変えてしまう前にこの日を選んだ。
婚礼の日、私は白い花を一輪も持たなかった。
青薔薇はまだ蕾だったので、庭師は矢車菊とデルフィニウム、淡い紫の鐘形草を集めてくれた。花束を結ぶのは、市で買った青い布の余り。衣装も白ではなく、朝の空に似た薄青だった。
「よくお似合いですわ」
背中の釦を留め終えたカミーユが、鏡越しに笑う。
「花嫁らしくないと、言われませんか」
「言う方はいるでしょうね」
「否定してくださらないのですね」
「兄上もわたくしも、嘘が苦手ですの。それに、言われたらどうなさいます?」
鏡の中の私は、昔より華やかになったわけではない。灰褐色の髪も、青灰の目も同じだ。ただ、妹が欲しがらない色ではなく、自分が着たい色をまとっている。
「このまま参ります」
「では、何の問題もございません」
招待客は多くない。カミーユと公爵家の近しい親族、青薔薇館の法律家夫妻、館で働く者たち。ベルフォール家へは日時だけ知らせ、招待状を送らなかった。
父からは、家族を恥じて排除するのかという手紙が届いた。継母からは、フローラの婚礼前に姉が結婚すれば妹が傷つくと責められた。
二通とも、返事はしていない。
「お父様に腕を取っていただかなくて、本当によいのですか」
扉の前で、カミーユがもう一度尋ねた。
父と歩く花嫁を夢見た時期はあった。幼い私は、母の青石の首飾りをつけ、父にきれいだと言ってもらうつもりだった。
けれど今、父がここにいれば、私の耳元で家の名誉を守れ、妹へ謝れと言うだろう。
「一人で歩きます。あの方のところまで、自分で行きたいのです」
扉が開いた。
公爵邸の中庭に敷かれた短い道の先で、アレクシス様が待っていた。黒い礼装の胸元に、私の花束と同じ青い花が一輪ある。
客たちが立ち上がる。視線が集まり、足が一瞬すくんだ。
彼は迎えに来なかった。私が助けを求めるまでは、待つと決めたのだろう。ただ、目を逸らさずにこちらを見ている。
一歩ずつ進んだ。
妹の婚約者を奪われた哀れな姉としてではない。公爵に救われた幸運な女としてでもない。
私が選んだ人のもとへ、私の足で歩いた。
隣へ立つと、アレクシス様が小さな声で言った。
「美しい」
「青だからですか」
「あなたが、嬉しそうだからです」
その言葉で、固かった頬がほどけた。
司祭の問いに答え、指輪を交換する。アレクシス様は私の左手を取り、客へ聞かせるためではなく、私へ渡すように誓いを述べた。
「役に立つ日も、何もしない日も、健やかな日も、私を煩わしく思う日も、あなたと生きたい。あなたの望みを聞き、私の望みも隠さず、間違えた時には言葉を尽くすと誓います」
私の誓詞には、愛しているという言葉がない。
昨夜まで何度も書き足そうとした。妻になるのに同じ言葉を返せないのは、欠けた贈り物を渡すようで恥ずかしかった。
けれど、嘘の愛を書けば、妹の恋文を代筆していた頃と同じになる。
「私は、自分の望みを消さずにあなたへ伝えます。あなたの望みも、勝手に決めずに聞きます。嬉しい日も、怖い日も、あなたの隣へ帰ることを、自分で選び続けます」
アレクシス様は、満ち足りた顔で頷いた。
誓いの口づけは、唇ではなく額だった。式の前に、今はそれがよいと私が頼んだから。
祝宴の料理にも、私の希望が入っていた。香辛料の利いた肉の煮込み、苦い茶、梨のジャムを添えた焼き菓子。辛い物が苦手な客のため別の鍋も用意したが、私の好きな料理を食卓から消しはしなかった。
アレクシス様は煮込みをほんの一匙だけ試し、すぐ水へ手を伸ばした。
「婚礼の日くらい、無理をなさらなくても」
「妻の好物を知る努力です」
「もう知っておいででしょう」
「では、妻がどれほど辛さに強いか確認する努力でした」
カミーユが横から水差しを寄せる。
「兄上、結婚初日から強がるのはおやめなさいませ」
客たちが笑い、私も笑った。誰かの失敗を隠すためではなく、ただ楽しくて口元が緩む。
年配の夫人が私へ近づき、「公爵様に選ばれるとは、お幸せね」と言った。
悪意のない祝いだ。それでも、以前なら笑って頷いただろう。
「はい。私も、あの方を選べて幸せです」
言い直すと、少し離れた席にいたアレクシス様がこちらを見た。聞こえていたらしい。濃い青の目が、辛い煮込みを口にした時より潤んで見えた。
祝いの品を受け取る時間には、カミーユが青い革表紙の小さな帳面をくれた。
「欲しいものを書き留める帳面ですわ」
「公爵夫人の仕事ではなく?」
「仕事の帳面なら、執事が棚いっぱい用意しています。こちらには、明日食べたい菓子や、行きたい場所、兄上にしてほしいことを」
最初の頁を開き、困っていると、アレクシス様が横から覗こうとした。
「まだ見てはいけません」
咄嗟に帳面を胸へ隠す。
「失礼しました」
彼はすぐ顔を背けた。夫婦になった今も、私の書いたものが当然に彼のものになるわけではないらしい。
私は頁の一行目へ、『明日の朝も、辛くない方の煮込みを夫に選んでほしい』と書いた。二行目は少し迷い、『いつか二人で雨の日の書庫へ』。三行目は、夜になってから決めることにした。
祝宴が終わる頃、侍女長が翌日の予定を確認しに来た。
「朝食は九時、以後は何も入れておりません」
「公爵夫人として、最初に確認すべき帳簿があるのでは?」
「三日後に、一時間だけご説明する予定です。お疲れでしたら先へ延ばします」
「三日も何もせずに?」
不安が声へ出た。侍女長は私ではなく、アレクシス様を見た。助けを求めたのではない。夫婦で決めてほしいという視線だった。
「明日の予定を決めるのは、エレノアです」
彼はそう言った。
「では……朝食の後、庭を歩きたいです」
「ほかには?」
「今は、思いつきません」
「それで十分です」
何もしない一日を予定へ入れることが、私には婚礼の誓いより難しく思えた。
夜、最後の客を見送ると、私たちは東翼の寝室へ戻った。
私が選んだ部屋には、青い寝台掛けと、雨音を聞ける窓辺の椅子がある。隣室へ続く扉の鍵も、約束どおり内側についていた。
侍女が退出し、二人きりになる。
静寂が急に重くなった。
継母から、花嫁の最初の務めは夫を満足させることだと教えられていた。愛されなくても、妻として正しく応じれば居場所は守れる。そういうものだと思っていた。
「着替えますので、少しお待ちください」
背中へ手を回し、釦を外そうとする。手が震えて、一つ目にも届かない。
「エレノア」
アレクシス様が私の手首をつかみかけ、途中で止めた。
「止めてもよいですか」
「ですが、今夜は」
「婚礼の夜です。あなたが嫌なことを断れなくなる夜ではありません」
「私を、欲しくないのですか」
口にした途端、また誰かの欲望で自分の価値を測っていると気づいた。
彼はごまかさなかった。
「欲しいです」
低くなった声に、頬が熱くなる。
「触れたいし、口づけたい。けれど、私が欲しいことと、あなたが応じる義務は別です。怯えているあなたから受け取れば、明日の私は自分を許せない」
「いつまで、待てますか」
「あなたが望むまで。もし望まないままでも、結婚したことを後悔はしません」
私のために欲望がないふりをするのでも、欲望を理由に奪うのでもない。彼の望みと私の望みを、二つとも同じ場所へ置いてくれた。
「今夜、何をしたいですか」
問われ、寝台を見た。一人で眠れば安全だ。隣室へ帰ってもらえば、何も怖くない。
それでも婚礼の朝、彼の向かいで目覚めたいと思った。
「同じ寝台で、眠りたいです」
「分かりました」
「それから、手をつないでいただけますか」
アレクシス様は笑わなかった。大げさに感動もせず、一番大切な願いを扱う顔で頷いた。
「喜んで」
互いに夜着へ替え、寝台の左右へ横になった。真ん中には、人一人が眠れそうな距離がある。彼が掌を上へ向けて差し出し、私は自分の手を重ねた。
握る強さは、私に任された。
灯りが消える。外では風が木々を揺らしている。
「おやすみなさい、エレノア」
「おやすみなさいませ、アレクシス様」
「もう夫ですから、敬称はなくても」
「練習いたします」
「期限はありません」
暗闇で笑った。
夜中、昔の部屋へ戻った夢を見て目が覚めた。扉の外で鍵が回り、フローラが私の名を呼んでいる。
息を詰めて身を起こしかけた時、右手に温かなものがあった。
アレクシス様の手は、まだそこにあった。眠って力が緩んでも、離れていない。
私は指を絡め直し、今度はこちらから握った。




