第12話 同情ではありませんか
「私との交際を、終わりにしてください」
翌朝、私は青薔薇館の庭でアレクシス様へ告げた。
夜の間に雨が降り、土は濃い色をしていた。庭師が残してくれた青薔薇の枯れ枝には、丸い雫が連なっている。あの日、切らずに残したいと自分で選んだ枝だった。
アレクシス様は驚いた顔をした。けれど、理由も聞かず承知するような優しさは見せなかった。
「終わりにしたいのですか。それとも、終わりにしなければならないと思っていますか」
「同じことではありませんか」
「違います。前者なら私は受け入れます。後者なら、そう思う理由を聞かせてほしい」
逃げ道を塞がれたのではない。二つの道を示され、自分でどちらなのかを問われている。
「私は、あなた様の善意を利用しています」
握った両手のうち、右にはまだ薄い包帯が巻かれていた。
「家から出していただき、法律家を手配していただき、食事も、医師も、皿まで。何も返せておりません。それなのに、あなた様がいなくなるのが怖くて、交際をお受けしました」
「返礼が欲しくてしたことではないと、お伝えしたはずです」
「だからこそです。あなた様は、傷ついた人を放っておけないのでしょう。カミーユ様を守られたように、私を守ってくださっている。それを恋だと取り違えては、いつかお互いに不幸になります」
口にするほど、ジュリアンの言葉が私自身の声へ変わっていく。
「私には、愛していただくようなものがありません。見た目も地味で、楽しい話もできず、家族から離れただけで何度も吐くような人間です。妻として役に立つことなら学べますが、それを望まないと言われたら、差し出せるものが何も――」
「エレノア」
名を呼ばれて、息を止めた。
「あなたを哀れに思う気持ちが、まったくないとは言いません」
予想していなかった答えに、顔を上げる。
「傷ついている人を見て心が痛む。それ自体を否定すれば嘘になります。ですが、同情するすべての人と朝食を食べたいとは思わない。何年後の顔を知りたいとも、私以外の男に笑いかけたら面白くないとも思いません」
「面白く、ないのですか」
「かなり」
厳格な公爵の口から出た言葉が、ひどく人間らしかった。
「もちろん、その感情を理由にあなたの交友を制限する気はありません。私の中に、行儀のよくない独占欲もあるという話です」
彼は私へ近づきすぎない距離で立っていた。風が黒髪を少し乱している。
「私は、あなたが誰にも気づかれない使用人へ椅子を譲った話を聞いて、あなたを知りたいと思いました。実際に会って、何でもよいと言いながら辛い煮込みを選び、その辛さへ腹を立てて泣くあなたを見た」
「腹を立ててはおりません」
「匙を握る手が、料理人にではなく、十五年分の我慢に怒っていました」
言い返せず、唇を噛んだ。
「枯れた枝を切らないと決めた時の頑固な顔も、皿をもう一枚割ろうかと冗談を言った時も、市で私が辛さに負けたのを笑った声も好きです。苦い茶を飲むと左の眉が少し下がるのも。あなたは、ご自分で思うほど空っぽではありません」
そんなところまで見られていた。
役に立った行いではない。整った微笑みでもない。私自身さえ見落としていた、小さく不格好な私ばかりだった。
「もし私の傷がすべて治ったら、あなた様は困りませんか。守る相手でなくなります」
「喜びます。そして、治ったあなたに叱られる新しい理由を見つけるでしょう」
「なぜ叱られる前提なのです」
「庭師によれば、私は青薔薇の剪定について口を出しすぎだそうです。あなたも同じ目をしていました」
見抜かれていたらしい。
彼は視線を枯れ枝へ移した。
「私が分けたいのは、救出の一場面ではありません。朝食の向かいにあなたがいて、雨の日には同じ書庫で別の本を読み、時々、庭のことで意見を違える。公務で帰りが遅ければ、眠っていてよいと言ったのに待っていたと文句を言いたい。あなたが何もしたくない日は、本当に何もしない姿を知りたい」
「あまり、立派な生活ではありませんね」
「暮らすとは、たいてい立派でない時間の連続です。私はそれを、あなたと分けたい」
華やかな愛の言葉よりも、その光景が深く刺さった。
ジュリアンとの結婚を考えた時、思い浮かべたのは、彼に満足してもらえる食卓や夜会ばかりだった。私はいつも立って働いていて、彼の向かいに座ってはいなかった。
「それでも、私があなた様を愛せなかったら?」
「その時は、悲しみます」
アレクシス様は迷わず言った。
「私は聖人ではありません。望んだ返事を得られなければ傷つく。ですが、傷ついた責任をあなたへ負わせるつもりはない。青薔薇館はもともとあなたのものですし、法律家も引き上げません。あなたが私を選ばないことへの罰は、何一つありません」
「では、なぜそこまで」
「愛しているからです」
初めて、はっきりと言われた。
胸の内側に張りつめていた何かが、一度大きく揺れた。嬉しいと言えば、同じ言葉を返さなければならない気がする。黙れば、彼を傷つける。いつものように相手が欲しい答えを探そうとして、私は首を振った。
「今は、同じ言葉を返せません」
「承知しています」
「でも……あなた様がいなくなるのは、嫌です」
これも愛なのか、救われた者の執着なのかは分からない。分からないまま、今の望みだけを口にした。
アレクシス様の目元が和らぐ。
「それなら、交際を続けても?」
「はい。続けたいです」
答えた途端、朝の空気が肺の奥まで入った。
「昨日、何もおっしゃらなかったのは、そのためですか」
「何のことでしょう」
「ジュリアン様が、あなた様を侮辱した時です。怒っていらしたでしょう」
彼の眉がわずかに動く。
「よく分かりましたね」
「拳が白くなっていました」
「庭の池へ投げ込みたい程度には、腹が立っていました」
想像して、目を瞬いた。彼なら本当に持ち上げられそうだ。
「なさらなかったのですね」
「あなたが面会を終えると決めたからです。私が怒りを晴らせば、彼はあなたではなく私と争い始める。あなたがご自分で閉めた扉を、私が開け直すことになります」
ただ我慢したのではない。私が言った「何も言えなくなった時だけ助けてほしい」を覚え、その通りにしてくれた。
「もし、私が助けを求められなかったら?」
「危険があれば止めます。そうでなければ、後から、助けが必要だったかを尋ねます。正解を外すこともあるでしょう」
「あなた様でも?」
「頻繁に。カミーユには、心配している時の私は扉より邪魔だと言われます」
完璧に私を扱える人ではないのだ。間違うかもしれないと認め、その時には聞き直そうとする人だった。
「私も、欲しいことをすぐには言えないと思います」
「では、言えるまで待ちます。待ちきれずに尋ねすぎたら、黙れと言ってください」
「そんなことを公爵様へ言えるでしょうか」
「練習が必要ですね。今、試しますか」
彼は急に、青薔薇の植え替え時期について説明を始めた。春の土温から肥料の割合まで、わざとらしく言葉を重ねる。
「あの、アレクシス様」
「はい」
「少し、黙ってくださいませ」
彼はぴたりと口を閉じた。怒りもせず、満足そうに頷く。
「お上手です」
「子ども扱いをなさらないでください」
「失礼しました」
私の口元が緩んだ。愛が何かはまだ分からない。それでもこの人となら、分からないことを分からないまま話せる気がした。
彼は私の左手へ視線を落とした。右手の傷を避けたのだと分かる。
「手へ口づけてもよいでしょうか」
婚約者だった頃、ジュリアンは挨拶として何度も私の手を取った。私が手袋をしているか、指先が針で裂けているかなど見もしなかった。
目の前の人は、触れる前に待っている。
「お願いします」
私から手を差し出した。
長い指が手のひらを下から支え、唇が指の付け根へ触れる。ほんの一瞬だったのに、触れられた場所から腕へ熱が駆け上がった。
離れた後も手を引けずにいると、彼も握り込まず、私が動くまで支え続けた。
「もう一つ、受け取っていただきたい物があります」
アレクシス様は上着の内側から、濃紺の封筒を出した。ヴァレール公爵家の封蝋がある。
「正式な求婚状です。今日、返事を求めるためではありません。私が同情ではなく、将来を望んでいるという証として、お預けします」
「いつまでに、お返事を?」
「期限はありません。断る時にも、理由は要りません」
受け取った封筒は、恋文の束よりずっと薄かった。けれど、私が妹のために書いたどんな愛の言葉より重く感じられた。
交際を終わらせるために出てきた庭で、私は返答期限のない求婚状を胸へ抱いていた。




