第27話 Les Champs-Elysees
『本当にごめんなさい。今はただただそれしか言葉が見つかりません』
エッセイの冒頭はその一文から始まっていた。
――
A子は大学時代の友人で、同じ文芸サークルに所属していました。
大学では一番の親友といっても良い存在ではあったのですが、とにかく口が悪く、素行も悪く、おまけにヒステリックと正直言って付き合いづらい人と感じていました。
だけど、どういうわけか向こうからは非常に懐かれていて、一緒に買い物に行ったり、食事に行ったり、飲みにいったりとしていました。
当時住んでいた部屋に、彼女は酔っぱらった状態で何度も泊まりにきていました。
その都度、別の男性と一緒に。
そのA子が連れて来た男性の一人B君と私は仲良くなりました。
髪は茶髪というより金髪、毎日柄物のシャツを着て、首には金属のネックレスを付け、耳にピアスをはめ、見た目はまるでいかがわしいお店の客引きのよう。
いかにもA子の趣味という感じの男性。
ですが話を聞けばかなりの苦学生という事で、何となく応援しているうちに意気投合するようになっていったのです。
異性の友人の一人だったはずが、徐々に深い関係になっていき、気が付いたら一線を越えた付き合いをするようになっていました。
A子はその事について特に怒るといった事もなく、逆に上手くいくようにと応援してくれました。
ある時、B君は学費を少し使ってしまったから貸して欲しいと言ってきました。
人生で初めてできた恋人、そんな相手が悩んでいる。
その程度のお金を貸す事など何の問題もないと、私は言われるままにお金を貸してしまいました。
些細な事とその時は思っていたんです。
ところが翌月も、その翌月もB君は私にお金を借りに来ました。
最初は些細な金額だったのです。
ですがどんどん金額は上がってき、気付いた時には結構な額に。
それでも私は言われるがままにお金を貸しました。
一方で私は生活の水準を落としてまで、B君の為にアルバイトでお金を稼いぐという生活を強いられていました。
小説の執筆活動の時間を確保するためには、アルバイトを増やすわけにいかず、生活水準を落とすしか無かったのです。
このままでは、いづれ私の生活は破綻してしまう。
そんな不安の中、毎日を過ごしていました。
そんな頃でした、あの人に出会ったのは。
小説を書く為の調べ物をしようと図書館に行き、偶然あの人を見かけました。
正直言って好みからは大きくかけ離れていました。
真面目そうではあるけど、少なくともイケメンではない。
服装一つ見ても、どう見ても非モテ系。
最初に興味をそそられたのはあの人ではなく、あの人が調べようとしていたものでした。
この変な文字は何なのだろう?
あの人が別の本を取りに行った時、好機だと思いじっとその変な文字を見続けていました。
当時、書いていた小説を書き終えて、次の小説のプロットを作成していた頃で、この変な文字を使って小説のプロットを作ってみたらどうなるだろうなんて考えていたんです。
すると、あの人が帰る前に、通りかかりの人が、あの人の傘を持って行くのを見てしまいました。
あっと思ったのですが、非常にタイミングの悪い事に、そこにあの人が戻って来てしまいました。
ここで騒いだら面倒な事になるかも、正義感よりもそちらの方が勝ってしまい、私は無関係を装う事にしました。
席に戻ったあの人は、傘が無い事に気付かず、本当に真面目に調べ物をしていました。
隣に座っていた私は、どうしても文字が気になってちらちらと見てしまう。
するとあの人に気付かれてしまいました。
私は気が動転してしまい、ごめんなさいと謝ってその場から逃げ出してしまいました。
その出来事が私の中ではずっと引っかかっていました。
もしかしたら私が傘を盗んだと勘違いされたかもしれない。
誤解を解いておきたいと考えたのです。
恐らく社会人だろうから、もし来るなら土曜日か日曜日だろう。
そう思って土曜日に図書館に向かうと、はたしてあの人はいました。
正直、その時あの人と何を話したかなんてほとんど何も覚えていません。
自分から男性に声をかけるという事を意識しすぎてしまい、完全に舞い上がってしまっていたのです。
B君と付き合っていながら今さらと思うかもしれませんけど、主導権を握ってもらいながら深い仲の人と話す会話と、こちらが主導権を握りながら浅い仲の人と話す会話では、難易度が全然違うというものなのです。
何を口走っているのか自分でもわからない。
だけどそれをあの人は嬉しそうに聞いてくれる。
その状況がなんだか異常に恥ずかしくなってきてしまいました。
今すぐ消えてしまいたい。
私は耐えきれず、その場から逃げ出すようにあの人と別れました。
その時の私には付き合っているB君がいましたし、あの人の事は知り合いの一人程度に感じていたはずなんです。
だけど、ある時にふっと気付いてしまったんです。
B君とどこかに行く。
女性の扱いに慣れた人と一緒にいるのはそれ自体楽しい事だし、会話も上手で面白い。
だけど毎回とても気疲れする。
二言目にはしようと言われるし、すぐにあっちこち触って来る。
その上最近ではお金まで巻き上げられる。
それに比べるとあの人の反応は初々しく、一挙手一投足が何だか微笑ましい。
高校時代に戻ったような、そんな甘酸っぱい気分に誘われる。
どこか心にじんわり温かいものが沁み出てくるのを感じる。
いつしか私は、もう一度あの人に会いたいと思うようになっていました。
でも連絡先も知らなければ名前すら知らない。
偶然めぐり合える奇跡にかけるしかない。
そう思い、毎週末図書館に通うようになっていました。
たぶんこの時点で、私の中ではもうB君に対しての熱は完全に冷めてしまっていたのだと思います。
一方で新たに開拓しようと書き始めた長編小説は読者から何のリアクションもありませんでした。
アクセス回数は驚くほど伸びず、今まで読んでくれていた人はどこに行ってしまったのと思うくらい読んでもらえませんでした。
執筆活動を始めて、ここまで読者の反応が無かったことは無く、どうしたものだろうと悩んでいました。
悩めば悩むほどにアルバイトでもミスする事が増えてしまい、怒られる事もしばしば。
あまりにも色々な事が上手くいかない。
そうなるとどうしても気分が落ち込んでしまう。
そこにB君がお金の無心に来るものだから、どうしても苛々してしまう。
B君とは喧嘩する事が増えてしまっていました。
そんな時でした。
あの人と再度めぐり合ったのは。
奇跡ってあるんだ。
今なら神様がいるって信じられるし、運命というものがあるという事を信じられる。
そう感じていました。
あの人は今度は真面目に植物の図鑑を借りて何やら調べ物をしていたのです。
本当に真面目な人なんだなって感心しました。
よく人は見た目じゃないというけれど、こういう事なのかもしれないと思いました。
思い切って声をかけると、あの人は昼間に幽霊でも見たように驚いた顔をしました。
その反応を見た私は心の中に沁みる温かいものを感じ、何となくですが田舎の祖父母の家に行ったような、懐かしいような緩いような、そんな気分になりました。
するとあの人は言うのです。
何か飲みに行きませんか?と。
あの人の方から誘われたんです。
しかもB君みたいにある意味手慣れた感じ、悪く言えば粗雑な誘い方じゃない。
まるでガラス工芸品でも手に取るかのように繊細かつ丁寧。
二人で歩くカフェまでの道は、まるでダニエル・ビダルが歌う『レ・シャンゼリゼ』の景色そのものでした。
私たちは今、エトワール広場を出て、コンコルド広場に向かっているんだ。
二人で腕を組んで歩きたい気分。
でもふと横を見たらあの人がいません。
少し後ろをついて来るのです。
これがこの人の歩む速度なんだと思うと、何だか自分が恥ずかしくなりました。
焦っては駄目、この人と歩調を合わせないと。
私はウィンナーコーヒーを注文し、あの人はキリマンジャロを注文。
そこで初めてお互いの名を名乗り合いました。
あの人に会うのはもう三度目なのに、やっと名前が知れた。
そう思うと、あまりの仲の進展の遅さに何だか無性に可笑しくなりました。
その後は正直何を喋ったかあまり覚えていません。
だけど、突然あの人が言った一言が胸の奥に付き刺さり突然涙が零れそうになってしまったんです。
その時の言葉はきっと一生忘れないと思うのです。
「やっぱり何事も楽しんでやらないと良い結果なんて出ませんよね」
このまま話し続けたら、きっと私は泣いてしまう。
そんな姿を見てもらいたくない。
そう思った私は、その場から逃げ出してしまいました。
ちょっとしてはっと気が付いたんです。
私は自分の事ばかり気にして、何て失礼な事をしてしまったのだろうって。
もしかしたら気分を害されてしまったのかもしれません。
そんな失礼な私への天からの罰なのでしょうか。
そこからあの人とは会えなくなってしまったのでした。
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