第22話 Take Me Home, Country Roads
※注意:一部少しリアルなトラウマ表現があります。
精神に病をお持ちの方は、この先をお読みにならずに申し訳ないのですがブラウザバックをお願いします。
真智さん、妖精たち、仕事、生活の支えになっていたものを一気に失った僕は、業者を呼んで家の物のほとんどを処分してもらい、アパートを引き払って、わずかな荷物と共に電車に乗り込んだのだった――
◇◇◇
普恩寺さん夫妻と共に朝食を取っていると、いるかいと言って近所のおじさんがやってきた。
勝手に玄関を開けて、勝手に上がりこんでくる。
そういえば祖父も誰かの家に行く時はそうであったし、祖父の家に来る人も皆そうであった。
普恩寺さんはそのおじさんに、この子が名越の爺さんの孫だと僕を紹介した。
『名越の爺さん』
それだけで村の人たちには祖父の事がわかる。
それだけで身元がわかるから、それだけでどんな人かわかるから、安心して玄関の鍵をかけずにいられる。
不審者がいればすぐに村人全員に情報が入り警戒する。
隣に住む人の顔も知らない都会では、絶対にできない万全のセキュリティであろう。
今日は重労働だぞとおじさんは僕を見て良い笑顔を浮かべた。
実際おじさんが言うように、井戸の清掃は本当に重労働だった。
人一人がやっと入れる井戸に梯子をかけ、蜘蛛の巣の張った暗い井戸の中を懐中電灯の灯りを頼りに降りて行かないといけない。
季節は秋も終わりかけている。
水はひんやりとしてきており井戸の中は肌寒い。
しかも無数の虫やトカゲが這いまわっている。
井戸の壁には恐らくイモリのものと思われる爬虫類の卵の殻がそこかしこに付いている。
そんな壁のゴミを高圧洗浄機のホースを伸ばして掃除していくのだ。
昔はこれを梯子に乗った状態でデッキブラシで行っていたのだそうだ。
今は何でも便利になったとおじさんは普恩寺さんと井戸の上で笑い合っている。
井戸の壁の掃除が終わったら今度は井戸の底の掃除である。
長年使ってなかった井戸には、枯れ葉や生き物の死骸がヘドロと共に溜まっている。
一度水を汚水用のポンプで全て汲み上げた際にある程度は一緒に汲み上げている。
本当にこの水を使っても大丈夫なのかと不安になるレベルの泥水であった。
だが、はっきり言ってそんなのは一部でしかなかった。
底に降りて、まずその匂いに吐きそうになった。
匂いは完全にどぶのそれ。
高圧洗浄機を井戸の中に吊るし、ポンプで汚水を排出しながら掃除していく。
井戸の壁面を掃除している時も思ったのだが、この高圧洗浄機で汚れが落ちる様というのは非常に気持ちが良い。
またもこういうゲームがあったのを思い出す。
当時は何が面白いのだろうと思っていたが、今ならあのゲームの良さが理解できるかもしれない。
最後に大きなゴミを拾ってバケツで井戸の外に出して掃除は完了した。
わずか半日の作業で服はどろどろ。
一旦普恩寺さんの家に帰ってシャワーを浴びさせてもらう事にした。
電線に絡まっていた蔦も取り除いた事だし、そろそろ家に電気を引いた方がいいかもしれない。
普恩寺さんはそうアドバイスしてくれた。
何をするにしても電気は重要だ。
少なくとも今の井戸は電気が通ってないと汲み上げができない。
逆に汲み上げができれば、風呂にも入れるようになるし、洗濯もできるようになる。
ただし長年使って無かった家である。
長年使って無かった家電である。
電気が来た瞬間に発火する危険性がある。
なので家電製品は全てコンセントから外してから。
家の中はほとんど手つかずなので、どこに家電製品があるかわからない。
それらを探り出す事を考えると、まだ電気を引けるような段階ではない。
だけど、あと一歩、あと一歩のところまで来たという気がする。
ここまで半月以上を費やしたが、いよいよあの家に住める。
そんな実感がひしひしと湧いてくる。
それと共に、えもいわれぬ充実感が沸き起こってくるのを感じるのだった。
結果から言えば、家にあった電化製品はものの見事に全て機能しなかった。
掃除機はスイッチを入れてもガリガリという音がするだけで何も吸い込まない。
洗濯機に至っては電源すら入らない。
テレビは電源は入るものの何も映らない。
炊飯器も電子レンジも液晶に何も表示しない。
部屋の照明すら蛍光灯や電球が切れているのか点かない。
生きていたのは井戸の汲み上げポンプのみ。
それすらも長年使っていなかったせいで動いたり止まったりを繰り返している。
もしかしたら屋内の配線が、例えば小動物に齧られて駄目になったりしているのかもと思った。
電力会社の方がテスターをコンセントに差し込むと針は右に振れる。
どこのコンセントも同様である。
つまりは電気は来ているが家電製品が壊れているという事になる。
あまりの状況に普恩寺さんも思わず大爆笑であった。
まだ暫くはうちからの通いだなと僕の肩を叩いて笑い続けている。
とりあえず今から家電量販店に行こう、そこで最低限の家電を買おう。
井戸のポンプも買い直そう。
普恩寺さんはそう言って僕を軽トラックに乗せた。
「何かこれからやって行く事は考えた? ここまでの蓄えだけで生活していくには限界があるでしょ?」
軽トラックを運転しながら普恩寺さんはそう聞いてきた。
実はこの村に来た時からやりたい事はあった。
あの卵かけご飯を食べた時からずっと考えていた事が。
「実は、あの卵を使ってパンを焼こうと思っているんですがどう思いますか?」
固いパン、果実の入ったパン、それを切ったサンドイッチ、そして耳を揚げたラスク。
それらの作り方を動画にアップして、動画サイトから当面は収入を得ていく。
畑では野菜を育て、それも動画で紹介していく。
本来捨てるべきところを使って野菜を育てるという動画が人気があるというから、最初はそれが良いかもしれない。
ある程度落ち着いたら庭の一角にブロックを詰んで石釜を作ろうと思う。
薪は裏の山の間伐材を使う。
一斗缶を加工して、チップ化した木片で燻製なんてやれたら面白いかもしれない。
最終的にはどうしたら美味しいパンが焼けるか研究してそれを売ろうと思う。
別に大金が欲しいわけじゃないから。
日々生活に困らない収入があればそれで。
楽しそうに話す僕に普恩寺さんは、いちいちうんうんと頷いてくれる。
それは美味しそうだ、それは楽しそうだといちいち相槌を打ってくれる。
「村でやっていくことが思いつくならそれで良いよ。村は退屈だと言って逃げていく人が多いからね」
そう言って微笑んだ普恩寺さんの顔はどこか寂し気であった。
逃げていく人が多い……
普恩寺さんはいったい今日までにどれだけの人が村から離れるのを見てきたのだろうか。
ある人は都会へ就職、ある人は近隣の町に嫁ぎ、そしてそれと同じくらいの人たちが青空へ旅立っていくのを見送った。
一方で村に来る人なんてほとんどいなかった。
いても詐欺師や空き巣、野菜泥棒といった悪意のある人たちばかり。
僕のように村に縁を感じて戻ってくれる人なんて、これまで本当にいなかったのだろう。
普恩寺さんは無言で軽トラックのハンドルを握っている。
どうやら軽トラックは開けた場所に来たようで、突然カーラジオの音声が聞こえてきた。
ジョン・デンバーの『テイク・ミー・ホーム カントリー・ロード』。
アニメ映画でおなじみのゆったりとした曲だ。
この村に来た時に通った道を、軽トラックは来た時とは逆の方角に走っている。
駅と家を結ぶ山道を。
少しだけ開かれた窓から忍び込んで来るひんやりとした風が心地良い。
風は、もうすぐ村に長く厳しい季節が到来する事を教えてくれている。
一日でも早く家を住める状態にしないと。
そして一日でも早くフェアリー・ケージを作り直さないと。
軽トラックは僕と普恩寺さんが再開した駅前を通り過ぎて、家電量販店に向かってひた走った。
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