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【完結】Fairy Cage ~妖精の住まうビオトーブ~  作者: 敷知遠江守


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第21話 Black Night

 一緒に住み始めて半年ほどが過ぎた。

年も改まったが、変わらずアパートは二人の生活の場として機能している。


 変わった事といえば、二人の仲が恋仲から徐々にだが家族のようなものに変わったことくらいだろうか。

一緒にいられる非日常が、一緒にいられる日常に変わっていった。


 真智さんは毎晩執筆活動に勤しんでいるし、僕はそれを極力邪魔しないようにと早めに床に入る。

休みには小説の取材だといって二人でどこかに出かけ楽しい時を過ごす。


 この半年で真智さんは何作かの小説を書き上げて賞に送っている。

だが、これまでこれといった成果は無い。

結果発表のたびに酷く落ち込む真智さんをその都度優しく慰める。

一番を決めるというのはそういうものだから、選者の好みや気分で選ばれるものが変わるのだから、だからめげずに続けてみようと言って。

時には泣き出してしまう事もあるのが、翌日には気持ちを切り替えて各種賞に応募するためキーボードを打鍵し続けている。


 そのせいで恋人同士の同棲のような甘い行為はほとんどない。

だが毎晩真剣にパソコンに向き合う姿は自然と応援したくなってしまう。



 フェアリー・ケージではカスタリアが大人になった。

明らかに四肢が伸び、体つきもどことなく大人のそれになっている。

体つきだけでなく仕草も大人のそれで、これまでは元気にケージ内を飛び跳ねていたが、最近ではおしとやかにカエルノザに腰掛けて足で水を跳ねている仕草をよく見る。

ケージをコンコンと叩くと幼体の頃のままの人懐っこい笑顔で微笑み、小さく手を振ってくれる。

実に美しい。


 相変わらずカスタリアの姿は真智さんには見えないらしい。

カスタリアは大人になるにつれ会話をしてくれなくなったのだが、それでも挨拶はしてくれる。

おはようと言えばおはようと返してくれるし、おやすみと言えばおやすみと返してくれる。

その声も真智さんには聞こえないらしい。


 ただ、ここに妖精がいるという事は、徐々にだが信じてくれるようにはなってきている。

何も無いのに水面に波紋が広がるのを何度か見たらしい。

ケージの中に手を入れ、何か風が指に当たるような感覚があったらしい。



 そんなある日の事だった。

ケージ内に新たな妖精が誕生した。

『ドロセア』と名付けられた幼体は、カスタリアの手でシシガシラの上に寝かされ、カスタリアの隣ですやすやと眠りに付いている。

実に可愛い。


 新たな妖精が誕生したと真智さんに告げると、真智さんはケージを見に来てくれた。

だがケージ内を見渡して実に残念そうな顔をする。

もしかしたら自分にも新たな妖精が見えるのかもと淡い期待を抱いて見に来たらしい。

だが、やはり妖精の姿は見えないのだそうだ。

昨日は伸びていたシシガシラの葉が不自然に丸まっているだけ。

何で私には見えないのだろうと真智さんは悲しい顔で呟いた。




 その翌日の出来事だった。

ドロセアが可愛い寝息を立てて僕を待っている。

弾む足取りでアパートに帰って来た。


 アパートの部屋の窓が開いている。

どうやら来客がいるらしい。

少し低い声ではあるがどうやら女性、恐らくは真智さんの友人と思われる。


「え? 妖精? きっしょ! その男マジで言ってんの? きっしょ! よくあんたそんなのと一緒にいれるね。キモくない? こんな雑草なんか育てて、マジきしょい! そんなの絶対早く別れた方が良いよ、うちに来なよ」


 例えそう思ったとしても、僕なら心の中にしまって口には出さないだろう。

どうして世の中にはこうやって思った事をそのまま口に出してしまう人がいるのだろう。

それもわざわざ人が傷つく様な言い方で。


 真智さんは凄く良い人なんだと必死にフォローしてくれている。

それでもなお友人女性は僕の事をキモい、キショいと罵倒しまくっている。

そんなキモい男とつるむあんたもキモいと。

真智さんがそんな風に言わないでとお願いするのだが、あんたはその男に騙されているんだと言い出した。

真智さんは、なぜかそれに反論してくれなかった。


 禍福は糾える縄の如し。

今にして思えば、真智さんと二人の生活が始まってここまでの僕はいくらなんでも福に振れ過ぎていた。

心のどこかでそろそろとんでもない禍がやってくるのではないかと毎日不安で一杯だった。

でもアパートに帰ると真智さんがいてくれる。

それだけで僕の中ではまだ大丈夫という安堵感が生まれていた。


 だけど真智さんは、同じように思っていてくれたわけじゃなかったのだろう。

思っていた人と違うと感じていたのだろう。

真智さんの思う立派な社会人じゃなく、会社のお荷物社員だという事に薄々感づいたのだろう。

僕が誠実じゃなかったから……


 足音を立てないように、僕はそっとアパートを離れた。



 そうはいっても行く場所があるわけではない。

とぼとぼと来た道を戻る。

あの友人女性が帰る頃まで駅近くの喫茶店で時間を潰すことにした。


 あの部屋は僕の部屋なのに。

どうして帰る事ができないのだろう。

僕の部屋で僕が趣味でフェアリー・ケージを作っている事の何が悪いというのだろう。

どうしてあんな風に蔑まれ、罵倒されなければならないのだろう。


 これまでの真智さんとの生活で、心にできていた無数の切り傷が徐々に癒されていたのを感じていた。

かさぶたとなって剥がれた傷すらあった。

僕を見てくれる人がいる。

僕の存在を肯定してくれる人がいる。

それだけで、会社で何を言われても、でも僕には真智さんがいるからと受け流す事ができていた。

それなのに……


 グアテマラがとてつもなく苦いものに感じる。

店内に流れているディープパープルの『ブラックナイト』が、何故だか大ボリュームに感じる。


 窓の外は夕焼けから徐々に漆黒の闇夜へと移り変わっている。

ただ一杯のグアテマラをちびりちびりとまるで日本酒をお猪口で飲むように飲む。

その苦みが口に広がる都度、きっと真智さんとの楽しかった日々は今日で終わったのだろうという予感が沸き上がった。


 これまで二人で取材だと言ってあちこちに行った思い出が紙芝居を見るように思い起こされる。

水族館でイルカに水をかけられたなとか、お祭りで二人でりんご飴を舐めたなとか、博物館で恐竜を見て凄い迫力だとはしゃいだなとか。

その全てが紙芝居として額にしまわれ思い出として倉庫にしまわれてしまうのだなと思うと、思わず涙が零れそうになる。



 グアテマラを飲み終え、喫茶店を出て部屋に帰ると、電気も点いておらず真っ暗であった。

真智さんの靴が無い。

当然友人女性のものと思しき靴も無い。

どうやら二人でどこかに出かけたらしい。


 靴を脱ぎ部屋に入ると、机の上に真智さんが執筆活動で使っているパソコンが無い事に気が付いた。

旅行鞄も無い。

クローゼットが開いてる。

真智さんの服は一着も入っていなかった。


 ああ、やはり真智さんは僕を捨てて出ていってしまんだ。

そんな消沈した僕の目に、信じたくないものがちらりと映る。



「うわぁぁぁぁ……」


 あまりの絶望的な光景に思わず声が漏れた。

自然と瞳から涙がボロボロと流れ出た。


 あれだけ大切にしていたフェアリー・ケージの植物が全て引き抜かれていたのだった。

カスタリアもドロセアもいない。

ケージの外に捨てられている植物をケージの中に戻してはみたが、カエルノザ以外は茎が折られてしまっていて修復は不可能だろう。


 出ていくなら黙って消えるようにいなくなってくれれば良いのに。

僕がこのケージをどれだけ大切にしているか知っているはずなのに。

どうしてこんな事ができるのだろう。



 翌朝ケージを見ると案の定ほとんどの植物は萎れていた。




 そんな失意のまま出社した僕を更なる悲劇が待ち受けていた。


 出社するとすぐに直属の上司が慌てて僕の手を引いた。

パーティションの区切られた簡易会議室では無く、ちゃんとした会議室に連れて行かれる。

その時点で恐らく自分が何かしら取返しの付かない失敗をしでかしたのだという事を察した。


 これに見覚えはあるかと一枚のプリントされた紙を差し出される。

それは商品の発注一覧で、昨日自分が発注した分であった。


「どうしてくれるんだ、これ。どう考えたって、普段の発注数からして変だという事くらいわかるだろう? それとも何か? いつか会社に多大な損害を与えてやろうとか考えていて、それを昨日実行したのか?」


 申し訳ありませんでしたと頭を下げるのだが、上司は無表情でこちらをじっと見続けている。

絶望的な顔でうつむいていると、会議室に部長が入室してきた。

その手には大きな茶封筒を持っている。


 席に着いた部長は深刻そうな顔で僕の顔を見た。

そして言った。

俺から案内できるのはこれだけだと。


 差し出された茶封筒を開け、そこにちらりと見えた文字に急速に呼吸が苦しくなるのを感じた。

空気が薄い。

頭の中にちかちかと星が瞬く。

急に周囲の景色が真っ白になっていくのを感じる。



 そこに書かれていた文字、それは『辞職願』であった。

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