第15話 Love
※注意:一部少しリアルなトラウマ表現があります。
精神に病をお持ちの方は、この先をお読みにならずに申し訳ないのですがブラウザバックをお願いします。
その日の夜、携帯電話で何か音楽を聴こうとホーム画面を表示させた。
着信履歴と電子メールがかなり溜まっている。
半数は一人の人物からのもの。
中にはここに来る電車の中で着信拒否にした電話番号もある。
それにしても一月たらずでこんなにというのは、色々な人に自分が失踪した情報が行きわたったという事なのだろう。
届いているメールと着信履歴の多くを削除し、ジョン・レノンの『ラブ』をかける。
静かなピアノの伴奏に合わせてジョンが呟くように、囁くように歌う。
愛とは何か。
ジョンは歌詞の中で何度もそれを説明する。
その一つ一つが僕の心には全く響かない。
ささくれ立った今の僕の心には。
静かな静かなメロディーが家の雑草除去で疲れた体に染み込んでいく。
歌詞は全く染み込んでいかなくとも。
徐々に周囲は暗くなっていき、僕は静かに夢の世界へと旅立った――
◇◇◇
最初の妖精『アイグレ』に消えられてしまってから、暫くはケージに何の変化も起こらなかった。
原因をあれこれと考えた。
もしゲームの状況と同じだとしたら、恐らくはケージの中の精霊力が弱かったのだと思う。
現にアイグレの現れた水槽は熱帯魚屋からいただいたシバアオイの植えられた方ではなく、野芝と竜胆を植えた方のケージだった。
もしそうだとしたら、ケージ内の植物を増やしていけばケージ内の精霊力が上がって妖精がちゃんと育つようになるのかも。
それと、ゲーム内には『シシガシラ』という植物も出てきた。
たしかゲーム内の説明では、このシシガシラという植物に妖精はくるまって寝るという話だったはず。
生まれたばかりのアイグレは、もしかしたら寝床になる植物が無くて消えてしまったのかもしれない。
もしそうなら、いくら植物を増やしても幼体のままアイグレのように消えてしまうかもしれない。
もうアイグレの悲劇は二度と引き起こしてはならない。
もっと良いケージを作らないと。
妖精たちが快適に暮らせる良い環境を。
再度図書館に向かい、シシガシラという植物がどんな植物か調べる事にした。
そもそもシシガシラという植物が存在するのか、まずはそこからである。
植物図鑑を棚から持って来て目次を調べるとシシガシラという名前はあった。
少なくとも存在する植物ではあるらしい。
ページをめくりシシガシラのページを開く。
正直、驚きだった。
こんな草、ちょっと手入れのされていない場所ならどこでも生えている草じゃないか。
恐らく多くの人がもっとも目にしているポピュラーなシダ植物がこれだろう。
ただ、その中の一文にちょっとした疑問を抱いた。
このシシガシラは日本の固有種らしいのだ。
もしそれが本当ならば、妖精を呼び出す事ができるのは日本だけという事になってしまう。
それを聞くと近似の植物で代用すれば良いと思うのだろうが、実はそれができるのかどうかはわからない。
以前、ヒンジモとカエルノザ双方をケージに入れてみている。
カエルノザは問題無くケージに受け入れられたのだがヒンジモはダメだったのだ。
妖精というとよくイギリスなんかが有名なのだが、もしかしたらイギリスに生えているシシガシラに似た植物だけが代用できるということなのかもしれない。
シシガシラが何かわかったところで、ではシシガシラを採取しようと思い周囲をキョロキョロとしながら最寄り駅まで向かった。
ところが不思議なもので、いざ探すとなるとこれがなかなか見つからない。
細い路地や小さな公園、目についたシシガシラが生えていそうなところを片っ端から探すのだが、結局見つからなかった。
”ボーナスってのは賞与の事だぞ? お前何か賞に値するような事ってしたの? してないなら返却しろよ”
ケージをこのままにしておいて仮に新たな妖精が生まれてしまったら、またアイグレのようになってしまう。
シシガシラが見つかるまでは、とりあえず中の植物たちは一旦ケージから出して栽培用の水槽へと移し替える事にしたのだった。
そこから毎日のようにシシガシラを探すのだが、全く見つからない。
普段あちこちで目にしている気がするのに。
そんなこんなで捜索範囲は徐々に広がって行った。
休日になると家を出て、あちこちに出歩く。
その中でもしかしたら妖精力があるんじゃないかという植物をいくつか見つけている。
だが、シシガシラだけは一向に見つからなかったのだった。
かなり遠出をしてしまった。
そんな土曜日の夕刻の事だった。
その日、ついにうちの最寄り駅からは三つ向こうの駅まで捜索範囲を広げる事になった。
河原から駅前の繁華街に出て駅へと向かう路地を歩いていた。
河原を離れた時点でもう陽は赤々としており、繁華街に辿り着いた時には外は真っ暗であった。
そこで大学生と思しき男性が、同じく大学生と思しき女性と関係を終わらせようという場面に遭遇してしまったのだった。
男性はいかにもモテそうな感じで、髪を茶色に染め、四肢も長く、細身ながら筋肉質。
もしかしたら夜にはそういう店でバイトをしているのかもしれない。
指には幅広の銀の指輪をいくつも付けている。
女性の方は後ろ姿のためこちからではよくわからないが、判を押したような大学生という感じで、フレアスカートに無地のシアートップス、髪も緩い茶色でセミロング。
「店に来んなって言ってるだろうが! 俺とお前はもう終わったんだよ!」
あんまりしつこくするとストーカーで警察に突き出すと男性は脅している。
ぱっと見で男性の方が一方的に女性との関係を終わらせようとしているように見える。
「ふざけないでよ! 諦められるわけないでしょ!」
女性の方は男性に捨てられまいと必死にすがり付いている。
涙声が悲痛さをさらに増している。
「単なる金づるだったんだよ、お前はよ! こっちは遊びのつもりだったのに彼女面して付きまといやがってよ!」
人生で一度くらいはそういうセリフを吐いてみたいものだなどと思っていると、女性の方が驚くことを口にした。
貸していたお金を返せというのだ。
あれは私が必死に稼いだお金なんだから、貸してというから貸したんだからと。
「お前が俺に貢いだ金だろ? なんで返さなきゃいけねえんだよ! マジで警察突き出すぞ!」
男性は逆上した女性に頬を叩かれた。
まあここまでの流れからして、それくらいはされるだろうななどと思っていた。
すると男性は、何しやがるんだコイツと言って女性の首を絞め始めたのだ。
これはさすがにまずいんじゃないかと思い、足を止め周囲をキョロキョロとしたのだが、皆関わり合いになりたく無いという感じで足早にその場を立ち去ろうとしている。
確かにそれが賢明な判断だと僕も思った。
仮に目を付けられてからまれでもしたら、しなくても良い怪我をするかもしれないし、最悪の場合逆恨みをされるかもしれない。
怪我をして出社したら上司に何を言われるかわかったものではない。
そう考えてその場から去ろうとした。
横目でちらりと男性を見ると、思わず目が合ってしまった。
男性はそれで少し冷静さを取り戻したのか、女性の首から手を離して去って行った。
女性はこほこほと咳込んでいる。
可哀そうに。
そう心の中で呟いた。
だけど同情という感じでは無い。
転んだ子に痛かったねと言う母親と同じようなものである。
商店街を駅に向かう道の先での出来事であり、これまでずっと女性の後ろ姿しか見えていなかった。
これからその女性の横を通り過ぎようという所であった。
見覚えのあるその姿に僕の足は動かなくなってしまったのだった。
女性も自分の斜め前で立ち止まっている僕に気が付いたらしい。
大泣きして化粧がぐちゃぐちゃになっている顔を上に持ち上げた。
女性はゆっくりと立ち上がると思い切り僕に抱き着いて泣き出した。
どうしてあげたら良いかわからず、僕はその女性――常盤さんの背中をそっと撫でた。
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