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【完結】Fairy Cage ~妖精の住まうビオトーブ~  作者: 敷知遠江守


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第14話 Daydream Believer

※注意:一部少しリアルなトラウマ表現があります。

精神に病をお持ちの方は、この先をお読みにならずに申し訳ないのですがブラウザバックをお願いします。

「この生えてきたばかりの麦をカニ歩きで軽く踏んで行くんだよ」


 こんな感じだと麦畑のおじさん――伊具(いぐ)さんは見本を見せてくれた。

こんな感じですかとそれを真似ると伊具さんは、良い感じだからそのままペースアップして一列こなしてくれと良い笑顔を向けて来た。


 ただカニ歩きで麦を踏んでいくだけなのに、これが意外と重労働なのだ。

ただ単に芝生の上を歩いているのと同じなのに。



”丁寧な作業っていうのはな、だらだら作業するって意味じゃねえんだぞ? わかってんのか?”



 半分ほど終わった所で伊具さんは上手いもんじゃないかと褒めてくれた。

だが普恩寺(ふおんじ)さんは、そんなペースじゃ日が暮れるぞと言って大笑いしている。

見れば二人とも僕の倍は麦を踏み終えている。


 ただ麦の苗の上を踏んで歩いているだけなのに、じっとりと汗をかいてくる。

徐々に息もあがってくる。

これほど効果的な有酸素運動もないであろう。


 陽が昇ったところでお昼休憩をしようという事になり、麦畑のあぜ道にござを敷いた。

握り飯とたくわん、焼き味噌が手渡された。

おにぎりを頬張りながら、普恩寺さんが意外ときつい労働だろうと言って笑い出した。


「きついのはきついですけど、その前に植物を踏みつける事にもの凄く背徳感がありますね」


 伊具さんと普恩寺さんは確かに最初はそういうのはあるかもしれないと笑い合った。


 だけど、これは麦の栽培にとっては非常に重要な作業なのだそうだ。

これを行う事によって麦は生きる力を付けなければと思うようになり、根張りが良くなって、さらに芽も出て、冬を越すだけの体力が付く事になる。


「昔からよく言われるんだけど、人間と一緒なんだよ。辛い経験ってのを味合わないと麦ってのは強く育たないんだよ」


 だからと言って毎週のように踏めば良いかと言えばそうではない。

そんな事をしたら簡単に枯れてしまう。

頻繁に叱責を受ける子が徐々に心が壊れていってしまうのと似ていると伊具さんは言った。



 先ほどから気になっているのだが、この焼き味噌が非常に美味しい。

ネギの苦味と相まっておにぎりに付けて食べるととても美味しく感じる。


「それはうちの隣の家の婆さんが、この畑で採れた大豆を使って仕込んだもんだ。ちゃんと樽で仕込んでちゃんとしたやり方で作ればそうやって旨い味噌ができるんだよ」


 工場で大量に作るのは、あんなのは味噌とは言えない。

『味噌らしい何か』だと伊具さんは言う。

大体、味噌というのは調味料ではあるのだが、それ以前に保存料でもある。

工場の味噌は着色料を入れたり甘味料を入れたり保存料を入れたりと、むちゃくちゃな作り方をしている。

そもそも大豆を麹で発酵させたものが味噌なのに、そこに防カビ剤を入れる意味がわからない。

それでは味噌を味噌にしている麹菌まで死んでしまうではないか。


「たくわんだってそうだよ。大根をぬか床で発酵させたものがたくわんなんだよ? たくわんの甘さは大根と麹の甘さなんだ。それに何で防カビ剤と甘味料が必要なんだよ」


 都会の人たちはちゃんとした物が食べられなくて可哀そうだと伊具さんは言った。


 正直、都会に住んでいた時には自分たちが食に関して可哀そうなどと思った事は全く無かった。

むしろ田舎ではこんなに美味しいものは味わえないだろうくらいに思っていた。


 だが実際はどうだ。

都会で食べていたサンドイッチの味は今は全く思い出せない。

逆にこちらに来て最初に食べた卵かけご飯の味は今でも鮮明に思い出せる。

普恩寺さんはこの卵を食べたらスーパーの卵なんて食べられないと言っていたが、正しくその通りだと思う。


 いつか僕も本物を作ってここでしか味わえない何かを提供できたら。




 翌日からまた家の草むしりが始まった。


 既に家の前面はほぼ草をむしり終えている。

絡みついていた蔦も取り除いた。

なので、門から家を見ると、玄関が見え、濡縁(ぬれえん)が見え、庭が見えと言う状況で、草むしりが終わったかのようにも見える。


 実際にはそう見えるというだけで、ちょっと右を見れば恐らく物置小屋と思われるところがまだ草に覆われて緑の丘となっている。

さらに家の玄関から奥は未だに草むらの状況である。

小屋などは後回しとして、せめて家の周囲だけでも草をむしってしまわないと。

でないといつまでたっても家の中の作業にとりかかれない。

家の中に手を付けられないと、いつまでたってもこの家に住む事はできないのだ。


 初日に普恩寺さんからいただいた軍手は、毎日洗ってはいるのだが、もう全く泥汚れが落ちなくなっている。

だけど軍手が汚れていく度に自分が頑張ったんだという実感は湧く。

充実感がほんの少しづつだが募って行く。


 今日もイヤホンから軽快な音楽を流しながら、そのリズムに合わせてただ黙々と作業を行っていく。

今日の気分はザ・モンキーズの『デイドゥリーム・ビリーバー』


 もうこの村に来て何日にもなるというに、まだどこか実感がわかない。

どこか夢の中というか非日常というか。

ここに来る前の監獄生活のような日常と比べたら、ここでの生活はまるで桃源郷のよう。

時間の流れがそもそも違っている。



 秋の陽気に誘われて、アキアカネがむしった草の山をあっちにこっちにと飛んでいる。

聞いた話によるとトンボは人間にとって不快な虫を食べてくれる存在らしい。

僕の目には見えないが、きっとあの草の山には彼らの餌になるような小さな虫がいたりするのだろう。


 草むしりをしているとゲームのボーナスアイテムかのように草の中に眠っていたものが出てくる事がある。

その多くは祖父母の生活していた痕跡なのだが、中には不可思議な物も出てくる。

どう考えても祖母のものではない女性物の服とか。

ただそのくらいであればきっと風に飛ばされて来て、あまりの雑草に持ち主も捜索を諦めてしまったのだろうという予想は付く。

一番意味がわからなかったのは道路標識。

それもどこの道路標識かわからないもの。

何をどうしたらこんなところにそんな物が舞いこんでくるのやら。



「おお! やっと井戸が出て来たのか。じゃあ明日ポンプを貸すから井戸を一回空にして掃除もしないとな。昔そういうのをやってた人がいるから、明日にでも話をしておいてやるよ」


 井戸水が使えそうなくらい綺麗になれば家の掃除ができるようになる。

布団も何度か干して寝れるようにしないと。

掃除が終わったら除虫の煙を何度か焚いて家の奥にいる虫をいぶり出さないと。

まだまだ住めるようになるには道のりは遠いぞと普恩寺さんは大笑いした。


 普恩寺さんは、ふと空を見上げた。

どんよりと厚い雲が山の向こうに見える。


「何にしても本格的に雪が降り出す前に色々な事を何とかしないとな。雪が降り始めたらもう外の事はほとんどできなくなってしまうからね」


 暖を取る手段も考えないといけない。

家の事が終われば今度は裏山の手入れが待っている。

そちらも何年も手付かずだったから早急に何とかしないと。

このまま手を入れずに放置する大惨事になるかもしれない。


「君の両親も手放すなら手放すで手続きしてくれれば良かったんだよ。それをこんな風に荒れされるだけ荒れさせて放置したら周囲の人が苦労する事になるんだよ。人の土地には勝手に手出しができないからね」


 ご迷惑をおかけしましたと謝ると、普恩寺さんはそんなつもりで言ったわけじゃなかったと少しバツの悪い顔をした。


 普恩寺さんは近くに見える山に視線を移した。

その山は一部の木が切り倒され、一画がぽかりと山肌が見えてしまっている。

聞いた話によると山を管理していた近くの村の老夫婦が亡くなったらしい。

息子夫妻は老夫婦が大切にしていた山をあっさりと売却。

どうやらそこは太陽光の畑になるらしい。

こんな雪深いところに太陽光の畑なんて作っても冬は全く役に立たないだろうに。

どんな間抜けな業者の発案なのやら。


 この名越さんの山だって同じように売られてしまって、木を切り倒され、山肌を露出されて太陽光畑にされていたらと考えたらぞっとする。

当然、そんな事をすれば洪水や地滑りの元になる。


 売る方は良いだろう、手元に金が手に入り山の管理から開放されるのだから。

だが、その地区にはまだ住んでいる人がいるのだ。

それが原因で土砂崩れが起き、残された自分たちが犠牲になるかもしれないのだ。


 業者は住民がどうなろうがお構いなしで小銭稼ぎの方が大事だという態度だ。

もちろん死者が出ても自分たちのせいではないという態度を貫く。

だからそんな風にされるくらいなら手付かずでいてくれた方が万倍マシというものなんだと普恩寺さんは軽トラックを運転しながら愚痴ったのだった。

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