複数の糸(2)
巳の国は穏やかな風が吹いている。
今回の問題はどちらかというと陽国というより本国のみで巻き起こっているという印象だった。
というのも、遠い昔に西で起きた戦争の様に方国は直接的な被害を見ていない。
一番「戦争」という言葉にぴんと来る西の人間も、当時の戦争に関しては陰国という存在が引き起こしたものではなかったから、今回の事に関してはいまいち感じるものがないのかもしれなかった。
陰国と陽国という関係はそれぞれの国民にとっては「敵対」ではないのかもしれない。
陽国においては天照に、陰国に関しては胤の作った法律に基づいて決められただけの”印象”でしかないのだ。
国民同士はその印象を基に、互いに危害に加える事は今までなかった。
陰国が動きを見せ始めてから”犠牲”になったのは本国、或いは本国に関わりのある人間だけだ。
国民にとっては国同士という形を借りただけのごく小規模な戦争に思えていた。
あながち、それは間違いでもなかったのだが。
店先のカーテンはずっと閉められたまま。
広いとはいえない裏庭に生えた木の根元には数え切れない程の針が刺さっている。
心枢は深く息をつき己の指先を見つめる。
「他人の神経を繋ぐ…か」
豊富とはいえないものの、義胡や智功の調査の元、相手の情報は”標的”とされる闘王達へ伝えられていた。
もちろん心枢には双子の情報が伝達されている。
他の3組とは違い、心枢と双子の接点は殆ど無い。
四方八方手を尽くしたが、どこの誰だという情報は見つけ出せなかった。
たまたま胤に拾われたただの双子。
その胤、いや嵐萄を父と思い、中性を誓う双子。
普通の感覚なら哀れに思い、痛めつけはするが止めを刺す事は躊躇うかもしれない。
不自然なまでに自分と接点の無い相手に、他の3組の様に「情」を持たせ、それを利用するつもりだろう。
医者という職業において、自分が命の尊さを理解していると。
そして、幼い頃に亡くした身内に重ね合わせるだろうと。
心枢という人間が火遁に一番近いという状況が、陰国にとっては不運だったかもしれない。
心枢は礼薫に返したように、この双子の命を助けようとは思っていなった。
命の尊さをわかっているからこそ、陰国が奪った”明雀”という存在の大きさがある。
火遁とも、水杵ともまた違う感情がそこにあるのだ。
「針を自分の手足の様に操れるとなると厄介…。血管に入る細さに、陰国の毒を使うとなると、読みを誤ると危険だな…」
以前、智功が食らった毒から、ある程度の威力の毒を自由に入手できる環境にいると推測していた。
あれは様子見という事になると、はるかに強い毒物があると考えた方が自然だ。
血管内に入れば、どんな兵も一瞬にして終わりだろう。
「赤凋という娘の方から潰した方が早そうだ」
智功から聞いた容姿から、細かな攻撃方法まで推測できていた。
細い腕は抵抗を受けない。
スピードに関しては自分が勝てる速さではないだろう。
だが、筋力がなければ、針を遠くまで飛ばせない。
つなげられる神経の長さにも限界がある。
「いくら胤が事細かに攻撃の作戦を練っても、子供の脳で理解できる範囲はそう多くない」
トン。
耳を澄まさなければ聞こえないような小さな音が鳴る。
少し間を置いて、木の根元から赤黒い煙と鼻をつく嫌な臭いが湧き上がる。
「私が出来る”良心”は、せめて苦しまないように逝かせてあげるだけの事」
或いは。
長い間”父の面影”に囚われて生きている存在を…。
□□□□
家についてゆっくりしている時間などは殆ど無かった。
智功から届く便りには、事細かな逐磨の情報が記されている。
だが、義胡はその資料には目を通さなかった。
逐磨は頭がいい。
勉強で得た知識ではなく、本能的に動く力がだ。
両親や兄弟を殺した事においても、逐磨にとっては最良の選択だったのかもしれない。
西のあの場所で長く生きられる”家族”はいなかった。
親に殺される子供、または子供に殺される親。
臓器や奴隷目的に浚われる人間。
金を目的に行き着く先をわかっていながら、子供を売る親。
自分が生きる為、生き残る為。
そして身内の崩れた思考や、無残な死に様を見るより自分の手で。
こんな辛い世界を生きて行くのは自分だけでよかった。
不幸な時間だけだったわけではない。
自分が生まれて、その時まで生きてこれたのは、愛されていたからこそ。
好きだったからこそだ。
おそらく、両親が幼い子供に、簡単に殺されたのも”解っていたから”。
けれど、自分がその道を行く力も気力も無かった。
できれば、自分が楽にさせてやりたかった。
それすらも出来ない場所。
逐磨にとって、義胡に守られた先は肉体が生きていくには楽な場所だろう。
だが、精神にとっては楽な場所ではない。
逐磨にとって、自分で選んだ道が否定される場所であるという事は、義胡には痛い位わかっていた。
陰国という場所は肯定されない。
いつまで生きても、いつ死んでもいい。
逐磨が嵐萄の言葉に歩んで行った、道は理解できた。
死ぬまでの間、その道が間違いじゃなかったと意味を与える更なる道。
だからこそ、義胡は逐磨を救いたかったのだ。
お前が歩けるのは、その道だけじゃないと。
逐磨との闘いの終着点がどこであろうとも、それが義胡にとっての答えだ。
通路に置かれた姿見に映った自分の姿を見て、義胡は静かに言葉を漏らす。
「俺は、闘王失格だ…金樺。この闘いは陽国の為じゃない。俺の…自分の為だけの戦いだ」
もうすぐ床に着きそうな真紅の髪は少し痛んでいた。
「もうすぐ、答えが出るといいな…」
答えが出れば、この髪を切り落とすつもりだ。
それが、長い間、義胡がこの髪に願い続けた答え。
□□□□
暗い闇にぼんやりと赤い光が2つ、見えていた。
光はつかず離れず一定の距離を保って首を上に傾けないと辛い位置に浮かんでいる。
その光の少し下にすっと細い線状の光が増えた。
線はゆっくりと湾曲を描き、ゆっくりと、中心からふくらみを帯びていく。
それと同時に身体の周りから、何かを砕くような耳障りな音が響いてくる。
まるでにやけている様な顔に見えた。
光が分裂して、形が認識できない。
目を眩ますほどの光の渦だ。
思わず、目を閉じた。
身体が熱い。
パンッ。と何かが弾ける様な音が響いた。
眼球が捉えたのは薄暗い天上。
首元を伝う嫌な汗。少し呼吸が乱れていた。
随分と久し振りに見る夢だった。
智功は体を起こすと、体中に吹き出た汗をぬぐう。
あの事件からもう十五年以上。
数年で見なくなったはずのあの記憶がまた現れてきた。
燵紅の情報が入る度、智功は何より絶対的な”力”の差に驚愕した。
燵紅が賞金首を狩り始めたのは十六歳。
自分と手合わせした時、燵紅は二十歳。
四年という時間の間に、狩った首は七百。
それも、拳一つで。だ。
嵐萄は燵紅の事を”天性の才能”と賞賛していたという。
確かに、どんなに鍛錬を積んでも、年に百五十以上の首を拳だけで狩れる者等、そうはいないだろう。
しかも、今現在の記録によれば、燵紅の狩った首は一千と九百を超え、まもなく二千となろうとしていた。
あの頃以上に力が上がっていても、下がっているという可能性は低そうだ。
今の自分があの頃の燵紅にどれだけ近づけているのだろう。
あの頃の燵紅の力は超えてはいない。
それは自分で痛い位に実感できた。
超えているのなら、今の悪夢を見る事は消してなかった。
「くそったれ…」
たった一人の存在で己の存在が無に帰す。
自分が今まで精一杯の力でやってきた事は生温い子供の遊びでしかない。
少しでも強く。
あの男と再び顔を合わせる時に、少しでも近く”対等の場所”にある為に。
□□□□
小さな桐箪笥の上にかざされた一枚の写真。
幼い頃の自分と両親。そして無邪気に笑う弟。
いつから、弟は笑わなくなったのだろう。
剣舞を習いだしたのは十になる頃。
少しづつ先を歩き出し、自分の生きる道を見つけ始めた頃、弟の顔にはもう笑みはなかった。
同じ屋根の下にいるのに、顔を合わせる時間の方が短い。
この写真の頃は何処に行くにも一緒だったはずだ。
「どうしたの、李戒」
「蘭兎…いや」
写真を元の位置に戻して、李戒は小さく笑みを浮かべた。
その笑みはとても悲しく、暗い影を落とす。
「槞枅君は、変わってしまったのね」
「…そうだな…」
李戒と蘭兎が知り合ったのは槞枅がこの家から出て行った数年後。
あの日、李戒は蘭兎と槞枅が顔を合わせる前に家を連れ出した為、一度も会っていない事になる。
「あいつが、いつ変わったのか俺にはわからないよ。
俺の記憶の中では、いつの間にかあの時と変わらない、何を見ているか解らない目をしてたんだ」
「…ご両親と何か?」
李戒は首を横に振る。
「両親は、俺と槞枅を区別なんてしなかった。でも、なんでも平均に扱ったわけでもない。武道に優れた槞枅はその事を褒めたし、剣舞を身につけ、本の知識を蓄えた俺はそのことを褒められた。
僅かな差はあっても、どちらかが特別扱いされるなんて事は無かったんだ。
でも、俺から見れば槞枅の方が何に関しても優れていた。だから、あいつの方が褒められても別にいいと思ってたんだ」
「…同じ様に褒められるのは槞枅君にとっては不満があった。という事?」
少しの間を挟んで、李戒はまた首を横に振る。
「多少はあったかもしれない。でも…そんな事で”陽国”を目の敵にするとは思えないだろ?
少なくとも、俺達は小さい頃、両親に本国に関する仕事をする誇りや、闘王という存在の素晴らしさを教えられてきた身だからね」
今度は、少しの長めの間が空いた。
妙な空気だ。
会った事がないとは言え、蘭兎にとっても身内の事だ。
「…だとしたら”闘王”に関係が」
蘭兎が小さくもらした声に、李戒が顔を上げる。
「え?」
「武道に優れ、本国と疎通していた両親がいた。闘王に選ばれる可能性は十分に揃っていた…。
槞枅君が闘王に憧れ、なりたいとおもっていてもおかしくはないと思うけど」
「しかし、俺が闘王になったのは22だ。あいつはもうその頃ここにいない」
「闘王になる直前に候補が決まるわけではないのでしょう?」
確かに、智功の様にかなり早期で候補としてあがっている場合もある。
しかし、その情報が、まったくの部外者に漏れるとは考えられなかった。
「何らかの形で槞枅君の耳にに李戒が候補に選ばれたと入ったとしたら?」
「…まさか、そんな理由で…」
「…闘王という存在は、思ったより凄い物よ、李戒。非力な私達にとっては、神様達ほど遠くはないけれど、同じ国民よりは遠い、身近な英雄達。
そこに憧れるものは数多いけれど、選ばれるのはたった十二人、そして方国一人だけ。
もちろん、身内にその存在がなれば、より近くに感じられて誇りも高くなるでしょう。
でも、同じ志を持ち、憧れたとなれば、身内が選ばれるのは、とてつもない”絶望感”でしょうね…」
李戒の唇が震えていた。
「…何故、俺にそう言わなかった…?」
「…闘王の事を何より理解していたのよ…。選ばれる人間は神が決める」
「あいつの気持ちがわかっていれば…俺は…闘王の申し出を受け入れなかった…」
声が涙交じりで詰まる。
誰かが悪いわけじゃない。
望んでなれるものではないと、解っていた。
誰よりも解っていた。
だから憎みたくても、憎めなかった。
この場所を去らなければいけなかったのは、自分の考えと違うどうしようもない現実に疲れた時、誰かを傷つけるのが怖かったから。
「…俺さえ…いなければ…」
「…李戒…」
蘭兎は優しく李戒の身体を抱き込んだ。
「誰も悪くない…。これが、この世界に生きている運命であるから…。私達はこの世界に生まれた事を祝福され、嬉しく思った…。
誰も悪くないのよ、李戒。存在がいらない存在なんていないの…。
向き合えるのは貴方しかいないわ、李戒。東国、”虎ノ国闘王”であり、槞枅の兄である、”槞泗”であり貴方だけよ」
しばらくの間、また沈黙が流れる。
しかし、空気は穏やかだった。
再び開かれた目が見つめる先は一つだ。
□□□□
月が綺麗だ。
壁の隙間に上手く手足をかければ、長屋の屋根に上るのは簡単なことだった。
中央塔の上に登ることは出来なかったが、あの上まで上ればあの綺麗な月がもっと間近で見ることが出来るだろう。
だが、居間はこの場所でいい。あの月に近づくには、眩し過ぎる。
何かを守る為に人間は変われる。
あるいは神、それに近い存在も。
自分の全てを犠牲にしても守りたい存在。
そんなものが、自分にあっただろうか。
「…何してんだ闇臣」
「…逐磨」
あの国を出てから、闇臣は殆ど人と触れ会わなかった。
今もあまり触れ合う事は少ないが、この長屋の人間は別だった。
逐磨にとっても、この長屋の人間は別だ。
以前より距離も縮まったし、話をすることも増えた。
他愛も無い話、これからの話。
けれど、燵紅と胤を除いては誰も「過去」の話はしなかった。
胤の話に比べれば、自分達の過去などとてもちっぽけなものに思えたせいかもしれない。
「今日は、月が綺麗だな」
「…そうだな」
言葉が長く続かない。
虫の音だけが静かな風景に溶けていく。
「…なあ、闇臣」
「ん?」
「お前はさ、こっちに来てから何か変わったって思ったか?」
「…そうだな…。変わったのは表面的なこと…だけだろうな」
「ここに来たら、何かが変わるとおもった?」
少し難しい質問な気がした。
そう思うといえばそうだし、違うといえば違う。
何かを求めてきたのかもしれないし、何も求めてなかったのかもしれない。
「どこにいても同じ。だったんだろうな」
「…同じ?」
「この国は元は1つだ。どの場所に居てもこの世界だった。名前だけで区切られているだけで、どこにいようが一緒だったんだよ」
「…やっぱりそうだよな」
逐磨が小さく笑いを漏らした。
「この闘いは、俺達全員の終着点だと思うよ」
「…全員?」
「俺達は皆弱かったんだ。精神的にね。それを認めたくなかった。
向き合う相手がいる事が戸惑いになっている。今まで避けてきた相手が、真っ向からぶつかってこようとしているから」
「でも、そこにぶつかっていったのは俺達からだろ?」
「ああ。それが胤の力なんだよ。でも燵紅にはそれがなかった」
「…じゃあ、こないだの一件って」
少し間を挟んで、闇臣は小さく笑いを漏らす。
「まさか、胤がああも簡単に殴られるとは思わなかったけどね」
「じゃあ、双子は?」
「…本来なら、胤はあの子達を死なせる予定はなかったんだろう。だが、相手が悪すぎた」
その言葉に逐磨が眉を潜めた。
「…そんなにやばい奴なのか、心枢って」
「…そうだな。俺は闘王という存在を良く知ってる。今の十二国土闘王は命をかけて神を守る精神はある。だが、心枢はちょっと毛色が違うんだ。
人間として神を守る闘王じゃなく、あいつは”鬼”になる」
「…鬼?」
「少しでも良心があるとすれば、多分、始まって数秒で即死にさせる。
で、なれれば、きっと”明雀”と同じ殺し方を”毒をもって”するだろう。陰国、胤に対する見せしめとしてな」
その名前は聞き覚えがある。
”嵐萄”が殺した火遁の母親。
たしか、幻術で作った魔物に…。
逐磨は思わず生唾を飲む。
「毒をもってって事は…即死させないって事か?」
「おそらく。毒の恐ろしさを身をもって知っている男だ。死なず生き半端な状態で、こちらに送り返してくる事くらいはするだろう」
その様子を想像しようとして、逐磨は途中で首を振る。
いくら”仲間意識”はなくても、今現在生活を共にする人物を廃人のような姿に変換するには現実味がありすぎる。
「…残念だけど、あの子達は確実に死ぬ事になる。こちらに送り返されたとしても…」
「…俺達は?」
「胤がいない世界で生きられれば。な」
意味深な言葉だった。
でも、逐磨にとっては、その言葉の意味はよく解る。
次の道を照らす人物はいない。
「…でも、お前は生きていけそうな気がするぜ、逐磨」
「へ?何で?」
「なんとなくだ。きっと俺は死ぬけどな」
闇臣のいうその意味は、なんとなくわかった。
「…じゃあさ、契約しねえか?」
「契約?」
「この戦争が終わって互いに生きてたら、俺達”親友”になろうぜ」
「…親友?」
「お前とは、うまくやれそうな気がするから」
そういって逐磨が零した笑みは、歳相応に見えた。
こんな立場にいなれば、いつもこんな笑顔を見せる子供だったのだろう。
「…悪くは無いな」
「じゃあ、契約成立だな。…死ぬなよ、闇臣。お前が死んだら、きっと俺も…」
「言うなよ、逐磨…わかってる」
ほん少し、ほんのひと時だけ、幼かったあの頃に戻れた気がした。
情を持つな。
口先ではいくらでも言える。
でも、情を持っていたからこの場所にいる。
自分に嘘をつけなかったから。




