複数の糸(1)
しばらくの間、これといって目立った動きはなかったように思える。
胤となった嵐萄も、見た目と呼び方が変わった以外は、困る様な変わり方をしなかったせいかもしれない。
時折、燵紅が”嵐萄”と呼びかけても、胤は嫌な顔をする事無く、普通に返事をしていた。
「で。いつ動くんだよ、胤」
痺れを最初に切らせたのは燵紅だった。
「そう、急ぐな。時期に動かねばならない事になる」
「そうはいっても、俺達はお前の計画の詳細はわかんねぇし、いつどういう風に動くのか位は教えてくれてもいいだろ?」
「……それは私にも解らないな」
「はぁ?」
胤の返答に燵紅は眉を潜めた。
この戦を考えたのは胤だ。
今まですべての事を胤が考え、指揮してきた。
物事が進むにつれ内容が明らかに成り、段々と全貌が見えてくるといった流れだったのだから、その答えは不自然に思えた。
「これからこの計画は自然が導くものとなる。私、そして私達が決められることじゃないんだ。最初に誰が動くか。それとも全員が動くか。その時が来れば解る事」
燵紅は眉を潜めて斜向かいに座る闇臣へ目線を投げる。
今まで闇臣は胤の行動をすぐに把握していた。
闇臣であれば何かしろ解っている事があるだろうという燵紅の行動だった。
「わかり易く言えば、陽国がどう動くかによる。という事かな」
「全然、わかり易くねぇんだけど」
「俺や逐磨の時がいい例だ。陽国がどう動くかで、ことが運ぶ。例えば、義胡が最初に動きを見せれば、最初に動くのは逐磨。全員が動けば我々も全員という事になるだろうね」
闇臣は納得がいかないと言いたげな燵紅の表情に小さな笑いを漏らした。
「この闘いは頭で動くものじゃないんだ」
「じゃあ、何故「準備」という言葉を?」
「精神的なものと捉えればいい。迷いがあれば断ち切れ。とね」
「わかんねぇなぁ」
燵紅は渋い顔をしたまま机に突っ伏す。
この場所にいる自分以外の人間は今の状況を全て把握しきっている。
何故、自分だけがこうも納得できないのか。
その事自体が燵紅には納得がいかなかった。
条件でいえば皆が五分五分のはずなのに、どうして自分だけ、蚊帳の外にいるような気持ちになるのだろう。
”嵐萄”に対する感情が捨てきれていないからだろうか。
嵐萄が胤に姿を変えた時、その感情は切り捨てると決めたはずだ。
この戦いの最中においては。
人間的な感情があれば、口にせずともどこかにしろ引っ掛かりを持つはず。
闇臣ならまだしも、子供にそこまで感情がコントロールできるものか。
「闇臣、少し席を外してもらえるか」
闇臣は胤の言葉に黙って席を立つ。それとほぼ同時に燵紅が顔をあげた。
「迷っているね、燵紅」
「え?」
「その迷いの答えを教えてやろう」
「……」
燵紅は黙ったまま胤を見つめる。
胤には何がわかるというのか。
「皆が私の考えを理解できるのは、私の力が入っているからだ」
「…力?」
「正確には”嵐萄”のがね。少し考えれば意味が解るだろう」
燵紅は頭の中に浮かんだ名前を1人づつ整理していく。
逐磨は陽国に進入する際、術のいくつかをかけられた。
双子は嵐萄の作った武器と装飾品をもっている。
闇臣は術の一部を継承されている。
「…力が入るとお前の力が理解できると?」
「無意識。にね。やろうと思えば、お前にも何かしろしてやる事はできるのだが」
「…それだと、俺にはあえてしなかった。ととれるが?」
「その通りだ。お前には出来ることならしたくない」
少し返事が意外だった。
「お前は俺が”嵐萄”の事を他の誰よりも気にかけていることをわかっているはずだ。なら、この感情はお前の計画にとって邪魔な存在だろ」
「お前が”嵐萄”を思うよりも、私が気にかけているからだよ」
「…え?」
「私は”嵐萄”でありすぎた。元々”胤”という存在は意識のみだ。”嵐萄”という人格があまりにも出来すぎてしまっていた。
お前はわかっているはずだね。私が”嵐萄”をこの世界に残そうとしている事を。
嵐萄と胤は別人だと。
お前に力をかけたくなかったのは”嵐萄”を唯一”受け止められる”人間だからだよ」
「…待てよ、それじゃあ、俺は最初から…」
「ああ。嵐萄の為に迎えたんだ。お前と智功が繋がっていたのは、幸運すぎただけ」
胤が静かに浮かべた笑顔に、燵紅は言葉を失っていた。
胤はこの国に生きる人間の全ての先祖。
口にしなくても、何もかも見透かされてしまう。
しばらく続いた沈黙を破ったのは、燵紅の小さな声だった。
「何故、お前はその時に胤にならなかった…?」
「…言っただろう。私はお前よりも嵐萄を思っていると。
嵐萄は陰国という国のただの住民なんだ。最後に1つ位は良い行いをしようと思っただけ」
「じゃあ、お前は…っ」
無意識に流れた涙で声が詰まる。
このままでは消える。
苦悩し、一人で孤独に生きていた”胤”が、誰の愛情も知らずに、陽国という国と共に消滅を選んでしまう。
「お前は…胤なんかじゃ…ない。お前は他の誰でもない、お前自身だろうがっ」
「違うよ、燵紅。嵐萄と胤は別の人格だ」
「ちがくねえだろ!俺は”お前”と過ごしてたんだ。別の人格じゃない”お前”をだ」
「そう言わないでくれ、燵紅。お前が必要なのは”嵐萄”だけなんだよ」
中央塔中に響いた打撃音に、皆が駆けつけてくるにはそう時間はかからなかった。
床に尻をついて頬を押さえる胤に、その場に駆けつけた者が今まで見た事の無い涙を流す燵紅。
二人の会話の内容に多少の予測があった闇臣ですら、その光景は意外だったようだ。
普段、燵紅が身内の者に手を上げる事も、”嵐萄”が攻撃をこんなに簡単に受ける事も見た事がなかった。
「…何があった」
「なんでもないよ。少し、燵紅の気に触る事を言ってしまったようだ」
その言葉に、闇臣は深く潜入するなという胤の本位を読み取った。
「お前は…」
「…燵紅?」
「お前は死が怖くねぇのかよ…」
その場が凍りつくような、嫌な空気が流れた。
誰もが、まさか、その言葉を燵紅の口から聞くとは思わなかった。
「…私が正式に生まれた神だったのなら"死"は恐ろしいものだったのかもしれない」
「…え?」
小さな声を出したのは赤凋だった。
「神でも人間でもない私には”死”はこないよ、燵紅。何かに例えるなら”浄魂”とでもいうべきか。私は死を持たない。持たない物に恐怖は抱けない。
私は無であり、寿命は無い。器が無ければ、永遠に魂としてこの世に存在し続けるのみ。
そして、誰かが私に死を与える事はできない。他の者が触れないのだから」
燵紅は俯いたまま、唇をかみ締める。
「私は、この世界の神。見守る事が本来の役目なのだよ。さぁ、この話は終わりにしよう」
器を失った胤は魂と成り、この世界を見続ける。
自ら絶つ事も、誰かが絶つ事も出来ない。
その終わりは永遠に訪れる事無く続く。
”人間”が全ての終わりを迎えても。
この大地が終わりを迎えても。
誰がこの存在を作り出した。
陽国。
そう、天照一族。
胤を作り出したのは…。
「…誰かの為に戦うのであれば」
辺りに身を刺す様な、言葉では言い表せない妙な空気が立ち込めた。
「俺は胤。お前の為に戦ってやる」
顔を上げた燵紅の目の色は曇っていた。
「…初めて見たな。燵紅が”ぶっ飛んだ顔”」
眉を潜めて逐磨が口元を押さえた。
赤凋は倒れこんだ蒼凋の身体を慌てて抱きこむ。
内臓を食いつぶしてしまいそうな”殺気”。
「これが、燵紅が戦う時の姿というわけか、胤」
胤の浮かべた表情は複雑だった。
こんな道は示したくなかった。
他の誰かであれば、託せ無かったのだから。
この戦いが終わったときに残る”嵐萄”は自分。そして自分の子供。
何も知らない、子供だ。
胤としての記憶は何も無い、”嵐萄”という1人の人間。
「…無理はしないでくれ…燵紅」
その言葉が、燵紅に届いていたのかは解らない。
ただ、他には居場所を作れない。
その居場所がなくなってしまうのは、胤にとって何よりの恐怖に思えたのかもしれない。
□□□□
しばらく忙しかった家の中は急にガランとしてしまった気がする。
土紬は居間の窓から見える景色をぼぅっと眺めていた。
「どうした、土紬」
窓から顔を覗かせたのは水杵だ。
「水杵…」
「入っても?」
「うん」
家の中に入った水杵が感じたことも同じだった。
「何か、がらんとしてるな」
「だよね?何か落ち着かないっていうか…。妙な感じだよ」
「随分と長い間ここで生活していたからな。木櫟は来ていないのか?」
「金樺のところで武者修行。これから戦う機会もあると思うから、僕もたまには鍛錬しないとね」
水杵は案内された椅子に腰を下ろして、小さく頷いた。
「何か用が?」
「これからの動きについてな」
「これから?」
「陰国はどう動いてくるかと、土紬の意見が聞きたいんだ」
土紬は少し意外だったのか、数回素早く瞬きをした。
「どうして僕に?」
「特別、土紬だけというわけじゃないんだ。順繰りに聞いてきて、やはり中央のお前に総括してもらうのが一番手っ取り早いと思っただけだ。
これからの作戦について五神だけでまとめるのも必要かとおもってな。
実際、先頭の場所につくのは我々であって、風啼様や先代じゃないだろう?いざという時に連携も取れていないようではと思ったんだよ。
土紬は我々の中心だ。その場所から考える事もあるだろうと思ってな」
「そっか。…そうだね。今の時点で動きが無いという事は陰国は僕らの動きをまっているのかもしれない。僕らと言っても、正しくは闘王。だけど」
「動いた順に襲うと?」
「うん。状況から見て、五神が不用意に個別行動は起こさないとあっちも見ている。団体戦というより”個人戦”になるとおもうよ。更に絞れば、属国を狙う人物との闘いかな。
元は方国に1人、組の人物を割り当てる処から見て、相手は個人戦を見ている」
「では中央、風神には誰が?」
「おそらく”胤”本体。そして、きっと狙うのは最後だね」
「…どうして?」
「風啼様は天照大神の最終の”胴鎧”だからだよ。簡単には崩せないってわかっているはずだ。なら最初は四肢を叩く。少なくとも、僕だったらそうするね」
水杵は土紬の言葉に目を細める。
「では、お前なら4つのうちどこから動かす?」
「…そうだね。敵がこちらの動きを見ているなら最初の1つは様子見と見なすだろうね…」
「なら、最初に動かすのは東か」
「…いや、南だね。東は泳がせるには少し危険だと思う。南に関しては心枢と繋がりのある双子はまり情報が少ないから、収集の意図をこめて、まずは心枢を動かす。
しかしこれは本格的な戦ではなく”前哨戦”としてだ」
「戦術は?」
ふいに土紬がもらした笑いに、水杵は首を日捻った。
「どうした?」
「いや、何か変だなと思ってさ」
「変?」
水杵は傾けていた首を更に深くかしげた。
「こうして、水杵と”戦”に関する事を話した事が無かったなと思ったんだよ。
僕らはいつも、どこかでまとめられた話に意見を入れるだけだったろ」
「…え、ああ。そういえばそうだな…」
「本来はこうあるべきなのにね。不思議な話だね」
「他の皆はどんな意見を?」
「基本的には皆土紬と同意見だ。動かすなら1つづつ。金樺は土紬と略同意見だったな。木櫟は動かすなら方国内がいいと。火遁は…」
言葉を濁した水杵に土紬は組んでいた机の上で手を解いた。
「…火遁は?」
「土紬と同様、動かすのなら南だというが、”他の国”は繋がりに危険ありすぎると」
「…繋がりに危険?それを言うのなら、南が一番強いと思うけど」
「…俺もそう思ったんだ。だが、火遁が言うには南の場合、最初から神が加勢できる状況にあるというのだが」
土紬はそんな言葉に頭の中の関係図を少し整理する。
中央及び風の襲撃が最終的な位置にあるとすれば、他の四方が目標。
戦闘的な能力に「劣等」を強いる北。
作戦的な能力に「不足」がある東。
精神的な「境界」を持つ西。
「つまり、本戦になった場合に神がすぐ出れる環境下だと?
本戦の場合は”闘王が消滅した”場合の組み立てだと言っているはずだよね?」
「…ああ。それをわかった上での提案だ」
「…火遁の意見としては、意外だね。けど、その場合は南出すには少し危険な状況だな…。
最悪の可能性、十二国土が潰れた場合は本国で本戦を迎えたい」
「俺も考えはそうだ。それをふまえて、お前ならどこを動かす」
土紬は小さく唸り、目を閉じる。
「…それをふまえたとしても、やはり動かすのは南だね。やはり本意の見えない双子の情報はもう少し欲しい。
それに、現時点、先頭の面で一番状況がいいのは南だし、本戦になる前に相手を一時的に引かせる策も礼薫殿と心枢、そして杏珠様なら上手く運べそうだ。
一時的に引く可能性としても、この双子が一番高いだろう。
他の面子、特に逐磨は一度顔合わせをしている以上、意識的にも次合うときは本戦になると考えて間違いない」
「…では、最初に動かすのは南に決まりだな。とりあえずは皆を集めて話をまとめよう」
水杵が席を立つと、土紬は小さく笑みを浮かべた。
自分がこの戦に必要とされていると、実感できたような気がした。
「ねぇ、水杵」
「ん?」
「僕達は、ようやく1つになれそうだね」
「…ああ」
バラバラに考えていたそれぞれの意識が、ようやく1つに纏まった。
互いが互いの事を考え、最適な道しるべを指し示す。
随分長い時間をかけてしまったような気がする。
□□□□
店の中は静かだ。
本国にいる間、臨時休業にしていた看板はまだ外されていなかった。
「心枢。いるのか」
裏口の方から聞こえたのは礼薫の声だ。
心枢はゆっくり腰をあげた。
「どうしました?」
「いたのか。本国には当に帰国したと聞いたのに、店はどうした?」
「もう、しばらくしめておこうかと。次はいつ閉める事になるかわかりませんし。
こんな所でもなんですから中に」
相変わらず、心枢の家の中はさっぱりとしていた。
男一人が暮らすだけの殺風景な部屋。
薬の調合器具が出ていないせいもあるだろう。
茶の用意をしている心枢の向かいに腰を下ろし、礼薫は口を開く。
「本国からの通達は見たか?」
「ええ。南の動きですね。予想通りでしたが」
「お前はどう動くつもりだ?」
礼薫の前に茶碗を差し出し、心枢は腰を下ろす。
「相手を引き寄せるのは簡単でしょう。双子の情報を探っていると陰国に繋がる奴等にそれとなく伝えればすぐにでも相手は動く。
けど、問題はどう帰すか、ですね」
「力量もわからない状況ではな」
「力量とはいっても、私が築いてきた知識に叶うとは思えませんけどね。
天性のセンスがあれば五分に持ち込めることもあるでしょうけど、私は子供に負ける様な生き方はしていませんからね」
「…お前は、子供を相手にすることをどう思う?」
少しの間を置いて、心枢は小さく笑いを漏らした。
「自分の子供や知り合いの子供なら躊躇していたでしょう。
でも私は見ず知らずの子供と火遁を天秤にかけたりはしません。
私は火遁を守る為の道を選んだ。火遁の歩く道を阻害する物は例え赤子でも容赦しませんよ」
「愚問だったな」
釣られたように礼薫が笑いを漏らす。
「それならば帰す方法は簡単だろう」
「何故?」
「何かの為に生きている者の信念を表す気は相手を威嚇する。それにつけて相手は子供だ。気迫で勝てればこちらの勝利。
だが、それはこの前哨戦のみの事だがな」
「精神的に追い詰めろという事ですね。似合わない事をおっしゃられる」
「お前にとっては得意分野だろう。俺の本音としては子供相手に出来れば、血なまぐさい事は避けたいからな。
俺はお前が暴走しないようにかせになってやろう」
心枢はまた小さく笑いをもらした。
「お願いします」
何かの為に戦う道を歩いてきた。
それは死という終着点まで続く一本道。
遮る物はすべて排除する。
「私の本心はきっと誰よりも残酷であると思います」
心枢はゆっくり目を閉じた。




