陰と陽が交わる時(6)
本国を出て、帰途についた李戒と仁討。
これから、何回この風景を目にする事になるのだろう。
目の前に広がっていた陽国の現状は、今ようやく形になって二人の目の中に見えてきた。
「仕事に支障をきたさない程度に道場にも顔を出さないとな」
「支障出るほど客こねぇじゃん」
「…仁討?」
眉を潜めた李戒に、仁討は慌てて両手を合わせた。
「わりぃわりぃ!」
「まぁ…事実だけどね。こうなる事を考えて選んだ職業だし」
「何でだろうな。俺達は元から”戦闘”の役割じゃなかったのに、いつでも本国にいける職業についたんだよな」
仁討の漏らした言葉に、李戒は小さく笑いを漏らす。
確かに、自分達の職業は国に使える仕事を持つ闘王を除いては、他の者より自由が利いた。
闘王が本国に呼ばれるのはその殆どが戦争に関する事柄が多いはずなのに。
「無意識だったのかもしれないね。頭のどこかでは、いつかこうなると、わかっていたのかもしれない」
「そうなると、東ってのは闘王としての素質は最高だという事かな」
「さぁ、それはどうかな。闘王は素質さえあればいいって物じゃないし。少なくとも、素質があると言い切れる奴が、武器で洗濯物は干さないと思うけどね」
李戒は仁討の腰に刺さっている三進棒をちらりと見る。
「別に洗濯物だけじゃねぇよ。仕事でも使ってる」
「威張る事じゃないだろ」
少しの間を挟んで、2人は同時に噴出した。
「ま、互いに暇な時は組み試合でもしようぜ。どうやら陰国も早々に動いてくるわけでもなさそうだしな」
「そうだね。春宗様にも相談するとしよう」
□□□□
水龍邸の広間の椅子に腰を下ろしていた智功は向かいから歩いてきた心枢の姿に軽く手を上げる。
「よぉ、心枢」
「久し振りだね、智功」
智功と心枢は何かと本国に居る時期が重なりはするが、あまり一緒に行動する事が少なかった。
面と向かって話をするのは、以前、燵紅の件があった時以来だ。
「あれから体調は?」
「別にどこも。あ、そうだ。そろそろ薬玉がねえから家に送ってくれるか?」
「いつもの調合で?」
「ああ、頼むわ」
心枢は智功の横に腰を下ろして、袖口から小さな冊子を取り出した。
心枢が開いた冊子を覗き込んで、智功は目を細めた。
「なんだ、それ?」
「これか?薬玉の取引内容…個別カルテだな」
「カルテ?」
冊子には名前と年齢、大まかな身体の情報。
そして依頼された薬草に関する情報が細かく記されていた。
「治療の為の薬玉はその都度治療するからいいのだが、趣向の者はそういかないからね。
煙草を悪いものだという人も居るが、私にとっては注文者の情報がよく解るカルテなんだ。その人が好む薬草でその時の身体の不調が解る事もあるからね。
煙草を欲しがる人っていうのは無意識のうちに身体が不調を訴えている事が多いんだよ」
「ふぅん?じゃあ、俺のではどういう事が解るんだ?」
心枢はページを少しめくって、智功の名が記されたページを開く。
「一番古いのは最初の燵紅の件のあとだね。あの時渡した薬玉がこれだ。
配分を変えてくれと言う時は大抵身体の不調があった時だろう?」
指の先に書かれた内容に智功は黙ったまま目を通す。
「特に味覚が変わっていないのであれば、他にほっしている成分が無いという事だ」
「知らない所で主治医になってたって事か」
「そういう事。診察料の変わりに色んな症状の症例データを貰っているって事かな」
心枢は小さく笑みを零して、机の上の筆記用具を引き寄せる。
「水杵様、筆をお借りします」
「ああ。好きに使ってくれ」
奥の部屋から水杵の声が聞こえる。
「忙しそうだね、水杵様は」
闇臣の存在は、本国にいる五神のとっても急展開だった。
今まで先頭に立っていた義胡や智功が国に戻るとなれば、今までの調査でまとめてきた物を頭に叩き込んでいかねばならない。
今までの事はある程度、覚えていたが、ここ数日で明らかになった陰国の全貌、嵐萄の計画情報は想像以上の量だった。
「何も今すぐ頭に叩き込まなくたっていいのになぁ?今までの情報も一応木櫟がまとめてあるんだし。
水杵は物覚えが悪いのにすぐに覚えようとするんだから。別にかわんねぇ処があればいつでも呼び出せばいいのにさ」
心枢はそんな智功の言葉に少し間を置いて小さな笑いを零した。
「何だよ」
「いや、変わったなと思ってね」
「は?」
「北の闘王として水神…いや、水杵様をフォロー出来るまでになったんだなと、関心したんだよ」
智功は眉を潜めて首をかしげる。
「以前のお前は、水杵様を”水神”としてしか見てなかった。今は”人間”としてみているという事だよ」
「…そうか?」
「ああ。少なくとも以前のお前であれば”物分りの悪い”なんて言葉は使わなかったはずだ。
闘王と神としての関係では、いい事だね」
「心枢に言われるとなんか別の意味に聞こえるけどな」
「…なんでそう、みんなで俺達の事を疑うのかな」
苦笑いを浮かべる心枢に、智功は口端を引きつらせた。
「…それ、土紬様だろ?」
「そうだが…」
「土紬様は少し過剰すぎんだよ。まぁ、恋人のいねぇ俺達にも問題はあるけどさ。
歴代から見ても、闘王に恋人や妻子がいないのは珍しい事でもないのに」
「それだけ、私達と神の繋がりが今回は深いという事だろう。
土紬様には直属の闘王がいないから、解り難いのかもしれない。土紬様には、私達の様に、大切さを十分に感知ている風啼様がいるけれど、どちらかといえば友という感覚よりは”親子”の感覚に近いからね」
「なんかそう考えると、すげぇ複雑に思えてきた」
顔を歪めた智功に、心枢は笑いを漏らした。
「根本は簡単な事だよ。誰を愛して、そして守り、守られたいか。恋愛と同じだ」
「…そう言うから余計ややこしくなるんだろうが」
「深く考えなくていい。さて、私はもう帰るよ。お前は?」
「水杵がまとめ終えたら帰る。黒斗と夜壬にも報告に回らなきゃいけねえからな」
「もう少しかかりそうだね。頑張って」
「ああ」
心枢が水杵に声をかけ、部屋を出て行ってからしばらくして、頭を抱えた水杵が部屋から出てくる。
「思考力が鈍ってきた」
「一気にやろうとするからですよ。今すぐ陰国が動くってわけでもないんだから、そんなにいっぺんに詰め込まなくても大丈夫なのに。別に解らない事があれば俺もすぐ出てきますし」
「そういうわけにはいかないだろう。全てを闘王に任せきりというわけにはいかない」
本当に意固地だ。
だが、智功は頭の中に浮かんだ言葉を声にすることは無かった。
「頼っても、いいんじゃねぇかなぁ」
「え?」
「闘王にまかせきりじゃ駄目だとか、そんな神の決まりはねぇんだから、協力できる事は協力する。それでいいんじゃねえの?」
智功の言葉が意外だったのか、水杵はなんともいえない表情で固まっている。
「別に、神同士で絶対解決しなきゃいけない問題なんてないだろ?
困った時には困ったって言ってくれれば、助けに来てやるよ。神とかそんなの関係無しで」
智功は少し気恥ずかしそうに顔をそらした。
言った自分が一番恥ずかしい。そう言っているような後姿に、水杵が思わず笑いを漏らした。
「ありがとう、智功。そうする事にするよ」
「…そうしてください。俺、もう帰りますけど、いいですか」
「すまないな。あ、ちょっと待ってくれ」
水杵は部屋にUターンすると、しばらくして、小さな箱を持って戻ってきた。
「これを1つ、お前にやろう」
「これは?」
箱の中には対になった巻貝のピアスが入っていた。
水杵がつけたものに良く似ていたが、全体に綺麗な光沢を持ち、角度や光によって艶やかに煌いて見えた。
「成人の儀の時に、父にもらったものなんだ。中々付ける機会が無くてな」
「そんな大切なものを貰うわけには…」
「いいんだ。お前と1つづつ。北の者としての繋がりの証になる」
「…繋がり」
水杵は右のピアスを外して、箱の中の1つを付け直すと、箱を智功に差し出した。
「つけなくてもいい。持っていてくれ、智功」
智功は少し間を挟んで、箱の中のピアスを取り出すと、左耳の一番下のピアスを外す。
少しもたついた手つきでピアスをつけて、照れくさそうに小さく笑みを見せた。
「いつでも、声をかけてください、水杵様。俺は貴方を守る闘王であり、友です」
「…ああ」
□□□□
西の門の手前で、義胡は目の前に広がる陽国を眺めていた。
「義胡。もういくのか?」
「金樺。ああ、国の仕事もほっておいてるし、早めに戻る事に越した事はないしね。それに…逐磨の事ももう少し調べておかないといけないし」
「…辛い闘いだな、義胡」
「…そうだな。でも、これが俺の現実だ。闘王としても、この陽国という国に関わる仕事を選んだ時から解ってたよ。
すべての事が綺麗ごとじゃ済まされない事もね」
「お前は強いな」
「強くねぇよ。気を抜いたら今にも倒れそうだ」
苦笑いを浮かべた義胡に、金樺はゆっくり目を閉じて、肩を抱きこむ。
「前言った事、忘れるなよ。俺達は友だ。お前だけで抱え込むな」
「解ってるよ、金樺。俺達は…」
守り、守られている存在だ。
「また、西国に顔を出そう。今度は本当に仕事抜きで、昔みたいに飲もうか、義胡」
「ああ。白來にも言っておくよ」
「気をつけて」
「ありがとう」
足を踏み出した義胡の後姿が肉眼では確認できなくなると、金樺は広い空へ目線を投げた。
空は何処で見ても同じだ。
この世界の生物は同じ光をうけ、同じ風を感じて、平等に息をする権利を与えられている。
元は1つの塊から生まれてきた全ての生命。
その全てが、生きる権利を平等に受け、生きる為に選ばれて生まれてきた。
「この世界の全てを作り出した初代天照大神。貴方の作った世界では、全ての生命が生きる権利を与えられたはずだ。
誰も悲しまないはずだろ、この世界では。全ての人間に愛される権利があって、愛する権利がある」
ぽつりと呟いた言葉は、静かに風に流されていく。
□□□□
風神邸に来るのは随分久し振りなような気がした。
風啼とは言葉を交わしていなかったわけではないが、次から次へと言葉があふれ出てくる。
心枢の態度の事や、智功と水杵の目まぐるしい関係の変化。新しく覚えた術の話。
思えば、仕事の話を抜きにしても、風啼との会話が途切れた事はなかった様に思える。
「待て待て、土紬。そういっぺんに話されては困る」
「す、すいません」
「久し振りに父に会った様な話しぶりね」
愛朱が笑いを浮かべながら冷えてしまった紅茶の替えを運んできた。
「風啼様と仕事の話以外の事を、こういってお話するのは久し振りなもので」
「そうね。土紬が皆の話をしにくるのは久し振りね。ここの所は陰国の動きの事ばかりだったし。
それだけ余裕が出来たって事かしら。土紬は元から話す事が好きだったから」
「え…?そうですか?私は、そんな自覚はありませんでしたが」
首をかしげる土紬に、愛朱がまた笑いを漏らす。
「ここに修行に来ていた頃は、覚えた事1つ1つを報告しに来ていたわよね、風啼」
「そうだったな。日常のほんの些細な発見でも余さず報告しにしてくれたものだ。
そういえば、十歳になる前までは、その度に飴をやっていたな」
「そうそう。その度に物凄い喜んで。ある日突然”飴はいりません”って言われた時の風啼の顔、今でも覚えてるわよ」
「どんな顔を?」
「いきなり親離れされた時みたいな顔だったもの。気丈に振舞ってたけど、相当落ち込んでたのよね」
風啼をからかう様に笑みを漏らす愛朱。
「そんな事があったんですか」
流石に覚える事が多かったせいか、あまり昔の記憶は残っていなかった。
だが、風啼や愛朱は、土紬の事細かい昔の事をよく覚えている。
まるで、本当の家族の様に。
「でも昔から、仕事以外の事を風啼に報告する時の顔は、変わらないわね。
本当に嬉しそうな顔をしてるわ、土紬」
「…他に、こんな話を出来る人がいないからかもしれません」
「土紬?」
「五神も中央神も、僕にとっては大切な存在であると思います。
でも、風啼様にお話できればいいんです。というより、コレが僕の楽しみだから。神という存在を抜きにして、僕が僕でいられる空間ですから」
そういって土紬の漏らした笑みに、風啼は少し声を詰まらせた。
「私にとって、風啼様は父であり、親友である様な存在です。それで十分、幸せです」
「…そうか」
風啼は小さく笑みを浮かべて、土紬の頬を軽く摩る。
「いつでも、ここに来てもいいよ、土紬。神を忘れたくなった時、疲れたとき、子供戻りたくなった時…いつでもいい」
「…はい」
土紬は、神と人間を分けている。
それが一番、器用なやり方かもしれない。
不確かな境界線で下手に苦しむ事も無い、楽な方法。
それが中央の土に選ばれた神の居るべき場所。
居なければならない場所。
「土紬…。私はお前の全てを守るよ。土神のお前も、神ではないお前も」
元は1つの塊から生まれた、全ての生物。
全ての人間に愛される権利があって、愛する権利がある。
その形は其々違うものであっても。
□□□□
「闘王が動いた」
「動いた?」
ぽつりと呟いた嵐萄の言葉に、燵紅が顔を上げる。
「正確には元の形に戻った」
「…動きますか、嵐萄さん」
赤凋が静かに呟く。
瞬間、辺りの空気がズン。と沈み込んだ様な感じがした。
一度閉じて開いた嵐萄の赤い目は両目の瞳孔まで全て真紅に染まる。
「そうだね。準備を始めるとしようか」
その顔に、その場に居た全員が息を呑んだ。
これが、天照の忌子”シンクノマナコ”の本来の姿。
闇臣が目を細めて、。嵐萄の横につくと、ゆっくりと額宛を緩めた。
瞬間、黒と黄金の混じっていた嵐萄の髪の毛は黒を衰退させ、全て黄金へと変化していく。
「…おかえり、胤」
「…どういう事だ、闇臣」
燵紅が顔を歪めたまま闇臣に問う。
「もう、胤を抑える為に必要な嵐萄はいない。今この瞬間から”真紅の眼”を”両目”に持つ、天照一族の末裔”胤”になったんだよ」
「末裔…」
「陰国と陽国が1つに戻る。さぁ、胤。俺達がお前の歩く道を開いてやる。お前は好きに歩けばいい」
胤は言葉を発さず、ただにこりと笑みを浮かべた。
その笑顔は、無邪気な子供のような、今まで嵐萄が見せた事無い表情。
「さぁ、天照を潰す為の準備を始めよう」




