陰と陽が交わる時(5)
「嵐萄、いいか」
「燵紅?ああ」
子供達の寝静まった長屋は静かだ。
闇臣がこの嵐萄の部屋の隣に部屋を与えられて、長屋の”一階”は開き部屋がなくなった。
なのに、夜になると、人の存在が無くなってしまったような妙な空気が流れる。
思えば、この長屋の中で互いの個室に行き来する事は殆どなかった。
住人達と顔を合わせるのは、日が上がってから、夕飯までの時間だけ。
夜に廊下を歩いていても他の誰かと顔を合わせうるという事は一度も無い。
とりわけ、嵐萄の部屋に入ると、虫の音すら聞こえない、外部の音が全て遮断されたようにも思えた。
以前、書庫で蒼凋との事があった時は、嵐萄の声ははっきり聞こえていたから、何か仕掛けがあるといったことではないだろう。
燵紅は嵐萄の座っていた椅子と対位置にある背の低い1人掛けソファーに腰を下ろした。
「今日は少し冷えるな。何か羽織る物を」
普段は余り厚着をしない燵紅だったが、今日は確かに少し肌寒い。
嵐萄の差し出しひざ掛けを腿の上に乗せて、燵紅は話を切り出した。
「嵐萄、この作戦っていうか”闘い”お前はどういう組み立てをしてんだ?」
「組み立て?」
「今ここに集まった人間は全て”偶然”の産物に思える。双子は別として、そうそう”陽国”に関する人間が陰国にいるとは思えねぇし。
俺だって上手く掴まるとは限らなかった。もし協力しないといった場合、どうするつもりだった?」
そんな質問に嵐萄は小さく笑みを浮かべたように思った。
「そうだねぇ、確かに”偶然”の産物だった」
「…だった?」
「私がお前達を”道具”と言ったのはその為さ。道具は道具。良い部分も悪い部分もあり、人間という以上は”欠点”もあるだろう。
私の作戦には最初から”道具”は必要としていないんだ。そんな不完全な物を組み込んだ作戦は美しくもなんともないからね。
道具は闘いを有利に導く物にしか過ぎない。ただ、最後に私の求める物が美しく砕ければそれで良い」
「…その、”美しさ”ってのなんだよ」
「そうだね。取り留めの無い物。無だ」
嵐萄の言葉に燵紅は眉端を少し吊り上げた。
「無?どういう事だ、そりゃあ?」
「全ての根源は無。それは誰の感性にも囚われていない物。だからこそ何の色にも侵食されていない”美”なんだ」
「透明じゃ感覚は捉えられないし、それをいうなら”白”じゃねえのか?だが、それは陽国でだといったのはお前だ。”陰国”である俺達は”黒”だと」
「白は光が無ければ見えない。すべての始まりには”光”も存在しないんだよ」
「…わかんねえな。お前の望みが”無”というのなら、お前はこの世界を丸ごとぶっ潰す気か?」
「潰すのではない。この国から忌まわしい”天照”を無に返すのだ。
陽国が恐れている「五画」の崩壊は、陽国を崩したりしない。ただ五神が存在しなくなるだけの事。陽国は何も変わらない」
「…え?」
燵紅は嵐萄の言葉に少し身体を乗り出した。
「どういう事だ?五神がいなくなっても陽国は存在するって」
「少し頭を使えば解る事だろう。五門、十二門は”五神”としか疎通していない。
そして五神は、互い以外の誰とも繋がっていないのだから」
「…確かに」
「五神、そして総神、全て居なくなった所でただの主を失った国になるだけだ。人間は主を失ってもまた新たなる主を作る。五十年もすれば、新しい陽国の出来上がり。
そして、今ある天照の純血も次第に全て無くなるだろう。
陰国も同じ事。私が「王が死んだ」だと一言いえば、どこからかつれてきた人間を王にすれば良い。
そこに、私達の因縁はもう無いのだから、私が国を作る必要は無い。或いは…私自身がこの場所に居る必要も無い。
私は陽国を潰すわけではないんだ。それなら、こんな手を使わず、正面から陽国を潰せばいいこと」
「…じゃあ、俺達を使うのは」
「無駄な傷を最小限に抑える為さ。次なる時代の”無”の為にね」
燵紅には、嵐萄の考えは理解できそうにも無かった。
”嵐萄”いや、”胤”が思い描く美は無。
それは天照一族だけにとっての”無”。
少しだけ長い沈黙を挟んで、嵐萄が口を開いた。
「私は最初から無だった」
「…嵐萄?」
「無は無に帰るしかないのさ。何も見えない、何も存在していない無に」
そう零した嵐萄の表情は今までに見ない暗さと悲しさをあらわしていた。
□□□□
朝日とともに、長屋の中の生命活動が現れる。
「うおっ」
顔を拭きながら角を曲がってきた逐磨がそこにしゃがんでいる燵紅の姿に身体をのけぞらせた。
「こんな所で何してんだよ、あぶねぇな」
「なあ、逐磨」
「ん?」
「お前は自分を”無”だと思ったことはあるか?」
「…はぁ?なんだそりゃ。俺はここにこうして生きてる。無駄なんて思ったことはないね」
「…だよな」
確かに万人がそう思うだろう。
生れ落ちた時から無の自分には存在しない。
「…お前、熱でもあんじゃねえの?どうせしばらくは大きい仕事もねえんだし、寝てれば」
逐磨は怪訝そうに眉をしかめて燵紅の横をすり抜けていく。
「…わかんねえよ、嵐萄。お前は何を考えてる」
長屋の外に出ると、町も活動を始めていた。
沢山の国民が行きかい、眩しい朝日を迎えた事に感謝する。
この世界が”無”になる。
何も変わらず、何も失わず。
「嵐萄は有し、胤は無に帰す」
「…夜臣?」
いつの間にか横に立っていた夜臣が静かに続ける。
「完全なる無は、万人で無い者しか感じられないものだ。嵐萄という存在はあっても、胤という存在は無いに等しい。
元々が存在価値の無い者としての存在であり、今、胤への存在価値を持つのは母親の天照だけだ。嵐萄はその母親を消滅させる。存在価値を求められないのであれば、それは無だ」
「だが、嵐萄は1人の人格だ。無であるのなら、嵐萄としての存在は何だ?」
「保つ為」
「…保つ為?」
「俺達の力が無くても、胤は天照を潰せる。だが、それでは返る場所が出来ないんだ、胤には。だから…天照を消す衝動を抑える為だけの”人格”なんだ。
胤は生まれた時からずっと無。孤独という事だ」
「なら、何故この世界の無へ返ろうとする?」
「…胤というただ一つの人格の為だろうね」
「…お前も嵐萄も考えてる事がさっぱりわかんねえ」
「それでいいんだ。嵐萄は嵐萄の道を行く。
元から、俺達は嵐萄の本意なんか関係なかった。自身の為に戦っていたのだからな。お前だって誰かの為に戦うのであれば、この場所を選ばなかったはずだ。
俺達はそのやり方でその道を照らしてやればいいのさ。あとは嵐萄が好きに歩く」
窓から顔を出した赤凋が2人の姿を見つけて手を振る。
「朝ごはん、できましたよ」
「ああ。今、行く」
「子供は素直に受け入れるものだ」
「え?」
「嵐萄にとって余計な足手まといになるのは感情移入する大人だ。
それが出来ないというのなら、ここから去るか、今思っていること、心のうちに秘めた方が良いぞ。
嵐萄ならお前を足手まといだと判断する事はないと思うが、いざという時に、それで命を落としかねないという事だ」
「…ご忠告どうも」
先に歩き出した夜臣の後姿から、正面に見える人の群れに目線を戻す。
「胤…その世界はお前を受け入れるか?
嵐萄なら、俺はいつでも受け入れてやれるのに」
掴みようの無い透明の存在の”胤”。
目の前の嵐萄はそこにいるはずなのに。
燵紅は目をゆっくり閉じて民衆に背を向けた。
□□□□
土紬は目に飛び込んできた光景に眉を潜めた。
昼過ぎになっても顔を見せない心枢の様子を見にきてみれば、この上ない幸せそうな表寝顔を浮かべている火遁の枕になっている心枢の腕。
個人的な荷物が殆ど無い火遁にとって、火凰邸には使っていない部屋の方が多いはずなのに、何故、同じ部屋、ましてや同じ布団で寝る必要があるのか。
「ちょっと、2人共、起きて」
火遁が少し眉を潜め、ゆっくりと瞼を開く。
「土紬…?」
「あのねぇ、いくら仲が良いとは言っても、この姿を炎遁様が見たら嘆くよ」
「なんで?」
「なんでって…。火遁、この歳であれば、こういう事は女性とする事だ。火遁が純粋に兄の様に慕っていたとしても、浮かれた話も1つもない状態でこんな姿を見られては、周りが誤解する」
「そんなもんかなぁ?」
「ん…」
少し遅れて、心枢が目を開く。
土紬は少しあきれた表情を浮かべて、心枢の頭を軽く小突く。
「心枢、お前がしっかりしてもらわなきゃ困るよ」
「え?何がですか?」
「三十四にもなる独身男が、二十歳の男相手に腕枕なんて、世間が見たらどう思う?」
「別に私はそのつもりではありませんけど」
「世間の話!少なくとも、僕が一般人なら間違いなく勘違いするよ。今すぐにとは言わないけど、少しは考えてよ」
「…はぁ」
心枢の気の抜けた返事に、土紬は眉を潜めた。
土紬の言葉に、金樺が豪快な笑い声を漏らす。
「そりゃ、心枢に嫁が来るか、火遁の初恋がなきゃ無理だな」
「本当にもう、智功といい心枢といい…。どうしてこう態度が妙な人ばっかりなのかな」
「なんでそこに俺が入るんですか!」
「なんだ、智功、お前…」
「違いますよ!土紬様が勝手に!!なぁ、水杵!!」
無言のまま視線をそらす水杵に、智功の動きが固まる。
「何かあったんじゃ…」
「何もねえよ!水杵っふざけんな!!」
突っかかってくる智功の額を押さえて、水杵が笑いを漏らす。
「まあ、冗談はさておき。心枢と火遁の事は確かにどうにかしないといけないな」
「心枢は別としても、火遁は本人の問題だろ。恋をしろって言って出来るようなもんでもないし、今の件が落ち着けば、多少は考える事じゃねえの。
まあ、手っ取り早く”師匠”が手本になるって言う手もあるけど」
「それは無理だな」
「なんで?」
水杵が智功に目線を送り、指差す。
「このオーラ出されたら女は逃げてくだろ」
その言葉に土紬と金樺が同時に噴出した。
「ちょっ!!水杵!!」
「冗談だって」
目元に滲んだ涙を指先でぬぐいながら、金樺が笑みを浮かべる。
「変わったな、水杵は」
「そうだねぇ、昔はこんな冗談絶対言わなかったのに。子離れして、少し余裕が出来たのかな」
「そうか?」
「いい事だと思うぞ」
「俺にとってはマイナス効果ですけどねっ」
口を尖らせる智功に、土紬が笑みを漏らす。
「まぁまぁ、本国に居る間だけでしょ」
□□□□
診療所のベットに横たわっている李戒の服を直し、心枢は李戒の肩を叩く。
「何?」
「いつ国へ戻る?」
「閑叉先生から距離が下りればいつでも。蘭兎を長い間1人にするにも抵抗があるしね」
「そうか、なら。2週に1度位、問診と処方しにそちらに出向く様にするよ」
「いや、それなら俺がそっちにいくよ」
「いいんだ、私は独り身だし、店は予め休業案内を出せば済む話だからね。お前が出るより負担も少なかろう」
「…心枢はさ、なんで結婚しないんだ?お前別に顔悪くないのに」
突然の李戒の質問に、心枢は苦笑いを浮かべた。
「相手が見つからないだけさ。それに、今は特別、必要とも思わないしね」
「火遁一筋ってやつか」
「…まあ、そんな所」
「でも、それが本来はいい形かもな。やっぱり家族が出来ると、全力で神だけを守るってのも精神的に難しいしな」
「どちらも悪いともいえないね。その人がいいと思った判断でいいと思うよ」
「そっか…」
心枢は窓の外を眺めて、静かに目を閉じる。
自分の使命は命をかけて火神を守ること。
その他には何もいらないと、あの時、そう墓標に誓ったのだ。
それが自分が闘王となった理由。
この世に生れ落ちた時から、誰もが”1つの人格”なのだ。
違う考えを持ち、自分の意思で道を歩いている。
天照はその道を選んで、この世界を作った。
それが”陽国”。
いま、ここにある国。




