陰と陽が交わる時(3)
国境を示す門の周辺はいつも張り詰めた空気が流れていた。
門の中にある小さな小屋の中の男が、登録所を見えるように促すと、闇臣は黙ったまま、首元を覆っていた布を下に引き下げる。
顔全体に彫られた赤い紋章の様な模様が、右耳の下から首筋にかけて、不可思議な赤い模様に続いていた。
「失礼しました。嵐萄様の」
男のいう事を聞かずに、闇臣は服を直して歩き出す。
長屋の脇に立つ一際大きな木に寄りかかっていたのは燵紅だ。
「陽国は楽しかったか?」
「楽しい?冗談を」
「そりゃ残念。闘王の首でも持ち帰れば、嵐萄は喜んだろうに」
闇臣は眉端を少しあげて、怪訝な表情を見せた。
「ふざけた事を抜かすな燵紅。今時期にそんな事をすれば嵐萄は喜ぶどころか怒り狂う事になる」
「相変わらず、冗談つうじねえな。お前はよ」
燵紅は笑いを漏らしながら、闇臣の後頭部を軽く叩く。
闇臣はそれを怪訝そうに振り払った。
「闇臣、戻ったか」
正門から顔を覗かせた嵐萄に、闇臣は頭を下げた。
「こんな所で立ち話をする必要もあるまい」
中央塔には蒼凋・赤凋・逐磨の3人が定位置に座っている。
「おかえりなさい、闇臣さん」
「ただいま、赤凋」
闇臣がこの場所に加わってから、数ヶ月。
それなりに協調性のある闇臣を怪訝する人間はいなかった。
元陽国の人間という事に関しても、”李戒”の弟という事に関しても、誰も特に気には留めなかった。
席に着くなり、燵紅が口を開く。
「で?どうだったんだ”李戒”は」
「どうって。昔と変わらない。生温いくて、平和の中にいただけだ。陽国の戦闘態勢が整っているのは全てではないようだな」
「そうじゃなくても東はこの件に関しちゃ一旦、身を引いた場所だ。結束力に関しちゃ陽国の中では強い方だが、弱いのが集まってもたかが知れてるからな」
「それで、”李戒”には勝てそうかい?闇臣?」
嵐萄の言葉に、闇臣は目を細めた。
「愚問ですね、嵐萄さん。勝てる事なんか最初から解っているはずです。貴方の力なのですから」
闇臣の顔、そして全身に着いた赤い模様。
それは嵐萄の”力”。
「だが、嵐萄。これで闇臣も陽国にはいけなくなったぜ?これから先、どうやって陽国の情報を?」
逐磨の言葉に嵐萄は薄く笑いを浮かべる。
「もう陽国の事をかぎまわる必要は無い。凡そ十二国土の状態はわかった。
戦力は北の智功、知力は西の義胡、癒術は南の心枢。そして…結束は東の李戒。
十二国土の主軸はこの4点。叩くのはここだけでいい。
北を燵紅、西を逐磨、南を蒼凋と赤凋、東を闇臣」
「それじゃあ、五神はどうするんですか?」
赤凋の問いに蒼凋が口を開く。
「結束力を利用するってわけね」
「結束力?」
「その4人、五神と一番繋がりの深い人物だってことだな」
逐磨の言葉に、赤凋は嵐萄を見る。
嵐萄はにこやかな笑みを浮かべて軽く頷いた。
「陽国の力は結束によって保たれる。守護門を元としてね。特に北…水は脆いよ。十二国土の闘争主軸は北だ。そして水神はそれを絶対的に信頼している。
だが、気をつけねばならないのは火、そして中央の土だ」
「火神はまだ神になったばっかりだろ。戦闘的にどんな脅威が?それに、火の師弟は水じゃなかったか?」
燵紅の問いに嵐萄は机を指で数回叩いた。
「だから怖いのさ。情報が少なくてね。南の心枢と火の火遁。ここは他に例の無い力がある。崩れて”ふためく”水とは正反対の反応をするかもしれないね」
「じゃあ、土は?」
「土は直接的な関わりが無いからだ。一番やっかいかもしれない。だが…1つ方法はある」
「どんな?」
嵐萄が指先を止めて、不適な笑みを漏らした。
「風を切るのさ」
「…風……つまり風神?」
「十二国土よりは力はあるが、五神ほどではない。それに今の風神は先代よりの続投。いうなれば年寄りってことさ」
「そう上手くいくもんかな?」
逐磨の言葉に皆が同調した様に思える。
「俺も逐磨の言うとおりだと思うぜ。陽国だって馬鹿じゃないからな」
「…そうだね。じゃあ、お前達に成果を見せてやろうか」
「成果?」
「ああ。闇臣、あの事はしてくれたか?」
急な問いかけに、闇臣は少し身体をびくりとさせた。
「え?ああ。李戒の腹に一発くれてやれってことだろ?。ちゃんとくれてやったぜ。呪印をな」
「なら、自ずと解るだろう。陽国の一番柔らかい場所に噛み付いてやったんだ」
「噛み付いた…?」
□□□□
日差しがいつもより強く感じる。
慣れた道のりがいつもの数倍に思えた。
「李戒?」
「……」
急に肩を掴まれ、身体が跳ねる。
「大丈夫かよ、李戒」
「仁討…?」
目の前に飛び込んできた仁討の顔が歪んでいた。
先に東門をくぐった春宗が少し駆け足で戻ってきた。
「どうしたの?仁討」
「春宗…。李戒の奴、おかしいぜ。さっきからフラフラしてるし、呼吸も荒い」
「え?」
春宗が李戒の頬を軽く摩り、顔の前に指を1本立てる。
「李戒、これ、何本に見える?」
目の前に出された指が分裂している。
「…ええと…3本?いや…4か…」
李戒の言葉に、仁討と春宗は顔を見合わせる。
春宗は再度二本の指を立てた。
「これは?」
今度は、それが指なのかかすら解らない。
視界がぐにゃりと歪んで、頭が痛くなってきた。
李戒は頭を抱えて、その場にしゃがみこむ。
「大丈夫かよ、李戒」
「仁討、李戒を背負って。閑叉先生の所へ寄るわ」
「え?ああ」
「先生、閑叉先生」
戸口を数回叩くと、中から閑叉が顔を出す。
「春宗。どうした?水杵達なら土輝邸に」
「李戒を見ていただきたいんです」
「李戒を?」
閑叉は仁討に背負われている李戒へ目線を投げ、戸口を広く開いた。
「奥のベットへ」
診察時間を終えた医療所の中には数人の入院患者がいるだけで静かだ。
閑叉は寝かされた李戒に数回呼びかけたが、返事は無い。
首元に指を当て、眉を潜める。
「随分、呼吸が荒い。いつからこうなった」
「俺が気がついたのは東門を抜ける少し前です。足元がおぼつかない感じで。その後に春宗が1本の指が何本に見えるかと問ったら、3、ないし4と」
仁討の言葉に春宗が頷く。
「他に変わったことは?」
「変わった事…。そういえば、槞枅に腹を殴られたと」
「…腹を…」
閑叉は少し間を挟んで、李戒の腹部に目を向ける。
「まさかな」
閑叉が小さく呟いて、李戒のシャツをまくりあげた。
「っ!!」
目の前に映った光景に、仁討が口元を覆う。
「…閑叉先生…これは…」
春宗が顔を歪めて、李戒の腹を見た。
李戒の右わき腹に、赤黒い、巨大な”手の痕”が浮き上がっている。
内出血を起こした痣の様な感じだったが、爪先は鋭く、とても人間の物とは思えない。
「槞枅…いや、闇臣は”嵐萄”に字を受けたと言ったな」
「え?ええ。李戒がそう言ったと」
「…闇臣は…嵐萄の力を継承しているのかもしれない」
「継承?どういうことですか?」
仁討が喉元にこみ上げてきたものを飲み込んで、言葉をひねり出す。
「嵐萄の力の一部を受け取ったといった方がいいかもしれない。
これは”呪印”の1つだ。術者の中でも一握りの者しか仕えない高度なもの。人間から成り上がった術者が使える代物ではない」
「…どういった呪なのですか、閑叉先生」
「死には至らないが、厄介なものだ。内臓を食いつぶす様な痛みを与える。わしの術で多少は抑える事は出来るが。問題は解く方法だ」
「…解く方法?」
閑叉は少し長めの間を挟んだ。
「……かけられた者が、かけた者を殺さねばいかん」
春宗が顔を歪める。
「…嵐萄はおそらく、完全に闇臣に術を移しただろう」
「じゃあ、李戒が、闇臣……槞枅を殺さない限り解けないっていうんですか?」
「ああ」
長い沈黙を経て、仁討がその場にへたり込む。
「なんで…李戒ばっかり狙われるんだ」
後方で戸口が開く音が聞こえた。
「…智功?」
戸口から静かに入ってきた智功の姿に、閑叉は眉を潜めた。
「…悪い予感が当っちまったな」
「悪い予感?」
仁討が智功を見上げる。
「やはり、そうか」
「…閑叉先生はもう見当がついたみたいですね」
「どういう事?説明して頂戴、智功」
春宗も眉を潜めたまま智功を見る。
「詳しい話は土輝邸だ。閑叉先生、李戒を頼みます。それと多分、木櫟が後で来ると思いますから」
「ああ」
土輝邸に顔を見せた仁討と春宗。
もう1つあるはずの顔が無い。
「…どういう事?」
仁討が顔を歪める。
「ねえ、どういう事なの、仁討!!」
思わず詰め寄る木櫟の肩を引いて、金樺が宥める。
「落ち着け。仁討に聞いても解らないだろ、木櫟」
「どうして…李戒が…」
その場にへたり込む木櫟に、仁討が悔しそうに唇を噛む。
春宗が目線を智功に移す。
「説明して、智功。どういう事?」
「今しがた、解ったことだ。陰国が狙っている標的がな」
「標的?」
智功は、机に広げられた陽国の地図の上に手をつく。
「おそらく、陰国の主軸はこれ以上増えない。「嵐萄」「逐磨」「蒼凋」「赤凋」「燵紅」「闇臣」の6名。
そして、陰国が狙いを定めた場所は」
智功が地図の上に指を滑らせる。
「戦力として北の俺、知力は西の義胡、癒術は南の心枢。そして…結束は東の李戒」
仁討が智功の言葉に声を返す。
「待ってくれ。他の3人はわかるが、東は何で李戒なんだ?別に俺でも、春宗でもかまわないじゃないか」
「わかんねか?今の状況から考えれば、北を俺と因縁のある燵紅、西を義胡と因縁のある逐磨、南を心枢と同等の武術を持つ蒼凋と赤凋。となれば、東を闇臣が襲撃ってのが普通の考えだろ」
「…それは…」
言葉に詰まる仁討に、智功は言葉を付け足す。
「ついでにもう1つ。これら「目的」の人物は「五神」と最も繋がりがある人物って事だ」
「…確かに、東でもっとも木櫟と繋がりがあるのは…李戒だな」
金樺は震える木櫟の肩を軽く撫でて水杵へ目線を投げる。
「陽国の結束を利用されたと…いう事だな」
「呪印を打った所からしても、おそらく闇臣を使ったのはたまたまだろう。陰国にとって”逐磨”と同じく”闇臣”は幸運の1つだっただけだ。
義胡の場合、もし逐磨がいなくても子供としての”蒼凋”を仕向ければ、食って掛かるのは目に見えていた。
相手を自ら殺さねばならない呪印は保険、もしくは「パフォーマンス」李戒が陰国の者と戦う事を決定づける為のもの程度だと思う。そしておそらく…」
「何だ?」
「…燵紅に俺を襲わせたのも、嵐萄の計算だった。強いものに挑まれれば引き下がらない。そんな俺の性格を逆手にとったわけだ。
嵐萄は陽国、そして俺達十二国土闘王をかなり詳しく調べ上げているみたいだな」
「…それじゃあ、嵐萄は、天照大神のみを狙うと?」
「いいや。確かにこの計画から言うと、目的を失った十二国土の意味合いはなくなるに等しい」
智功は木櫟に目をむけ、少し間を挟んだ。
「精神面を考えても、五神は本来の力を出すことが難しいと考えた方がいい。木櫟もそだし、水杵もな。火遁は逆に奮起する場合もあるだろうが…」
水杵が顔を歪めた。
確かに、智功を失った場合、国の主体としても、北としても、まともな先頭に挑めるかは不安がある。
「いくら”闘い”を優先視しても、精神面の打撃は相当な物になる。俺みたいにな。
となれば、各個でも撃破する事は出来るだろう。だが、問題は中央だ」
「僕?」
土紬が少し意外そうな表情を浮かべた。
「そう。中央は十二国土と親密な関係がない。確かに中央神にいずれかが欠ければ力は減るが、他の五神程ではないだろう?
そうとなると…」
土紬は口元に手を当て、しばし考える。
「・・・風啼様。だね」
「正解。風啼様は先代からの続投。五神に比べて経験も頭の回転も違う。天照大神の周囲を崩す重要点。そこを誰かに重ねて託したりはしないだろう。万が一、事をしくれば、2つの拠点を落とす事になるからな。
なら、確実に五神の力を落とす中央は自らの手で崩す」
「対応はどうする?本国に集結させるか?」
金樺の問いに智功は眉を潜めた。
「…いや、ここは通常通りの配置だ」
「何か対策が?」
「陰国がいつ攻めてくるか解らないし、これは憶測でしかない。もし、裏をかかれ、他の闘王が欠けた場合、すぐに動けないだろ」
「…でも、それじゃ憶測通りに事が動いたら?」
木櫟の言葉に智功は目を細める。
「十二国闘王は、神を、国を守る為の王。出された使命は全うする。例え、1人きりだろうがな。神を守り死ぬ。それが俺達の存在意義。……って皆、言うと思うぜ」
「…智功」
水杵の声が少し上ずった。
「大丈夫ですよ。俺達は負けない。な、義胡」
「…ああ」
義胡は小さく笑いを漏らして金樺へ目線を移す。
「本当にお前等は強いよ。色んな意味でな」
金樺は笑いを漏らして、木櫟の肩を叩く。
「木櫟、李戒に処へ行って気持ちを聞くといい。きっと、李戒も同じ事を言うから。誰よりお前を大事に思ってるんだ」
「…師匠」
「答えを恐れてはいけない。お前は木神だ、木櫟」
金樺に背中を押されて、木櫟はゆっくり立ち上がった。
「うん。行って来る」
そのまま、木櫟は勢い良く駆け出していった。
まどろみから目が覚める。
「気がついたか、李戒」
「…閑叉先生…?」
閑叉が二本指を立てて目の前に出す。
「2本です」
「痛みは?」
李戒は下腹部に残る痛みに少し顔を歪めた。
「ありますが、動けないほどでは」
「お前は気がついていたんだろう、李戒」
閑叉の問いに、李戒は小さく首を縦におろす。
「いつからだ」
「槞枅…闇臣の腕に浮いた紋章を見た時にはもう手遅れでした」
「…そうか」
閑叉はそれ以上の言葉を発さなかった。
隣のベットで横になっている木櫟の肩をさすって揺り起こす。
「木櫟。李戒が目を覚ましたよ」
瞼を擦りながら身体を起こした木櫟は、李戒の顔見て少し顔を歪めた。
「…李戒」
「ごめんな、木櫟。お前に…迷惑をかけてしまった」
「違うよ」
「え?」
「李戒は悪くない。李戒は何もしてないじゃん…悪いのは陰国だ。人の心を弄ぶ…陰国だよ」
木櫟は少し涙を滲ませていた。
「…私は木櫟を守る為に戦う。これ以上、木櫟を泣かせない」
「僕も…」
木櫟は目元に滲んだ涙をぬぐってベットを下りる。
「僕も戦う。皆を守る」
その表情に、李戒は小さく微笑んだ。
「木神…どうか陽国をお守り下さい。我々も出来る限りの力を尽くします」
「守るよ。だから…負けないで。負けたら…許さないから…」
「わかっているよ、木櫟」
□□□□
「心枢もきっと同じ事言うよね、師匠」
「ん?」
「この前さ、礼薫様と心枢と義胡に同じ様に言われたんだ。俺が闘王を思っている事は嬉しい。けど、口には出すなって。俺が闘王を守るんじゃなくて、闘王が神を守るんだからって。俺さ、その意味…解った気がする
口にしなくなって、皆繋がってるって解ってるんだよな」
「…火遁」
火遁は窓から空を見上げて大きく伸びをする。
「だれど、俺は誰も死なせないよ。心枢も礼薫様も杏珠様も。他の闘王も。皆、陽国の人間だ。神は陽国を守る。そうでしょ、師匠」
水杵は小さく笑みを漏らして、火遁の脇に立つ。
「そうだな…」




