陰と陽が交わる時(1)
静かな夜だ。
”子供”達の就寝時間は早く、嵐萄は夕方から”三階”に閉じこもったままだった。
この屋敷に来てからまもなく一年。
これほど長く一つの場所に留まったのは初めての事だろう。
顔見知りは多いが、風来坊の燵紅にとっては、いつでも会えるといった知り合いはさほど多く無い。
時折街に出た時に誰かと会う位で、これと言った話し相手はいなかった。
夜は殆どが一人で過ごすことが多く、こうしてぼぅっと空を見上げている事が多い。
今日も星の光一つ無い漆黒の空を見上げていた。
「月光浴は如何かな?」
「…嵐萄、終わった…」
振り返った先にあったその顔に燵紅は一瞬ぎょっとした。
そこにあるはずの顔が、違う。
「…誰だ、てめぇ」
「何を言うんだ、お前が今、名を呼んだじゃないか。それとも、たった数時間で友人の声を忘れてしまったのかい?」
その顔から漏れるのは確かに嵐萄の声。
遠めに見れば、「似ている」顔だろう。
しかし、骨格や顔のパーツの位置が明らかにおかしい。
暗い場所で見れば差ほどわからない様なことかもしれない。
しかし、間近で見ればその差は明らかだ。
解りやすく言えば、「兄弟」の様な微妙な、それでいて大きな違い。
「どういうことだ」
「何、「器」を変えただけさ。前の器はもう限界だったからね。人間の身体は脆い」
「…それもお前の術か?」
「まぁね。すくなくともこの計画が終わるまでは持つかと思ったのだけど」
嵐萄は笑いながら、頬を摩る。
「解るように説明しろ」
「そうだねぇ…。まあ、お前にはそろそろ話してもいいだろう。
私はね、天照大神の子供なんだよ」
その言葉に、燵紅は自分の耳を疑った。
「はっ!?」
「天照一族に関する事は前にお前にも話しただろう?」
この屋敷に来てから、嵐萄は陽国に関する様々な話を話してきた。
燵紅も、この屋敷に居る他の住人も、おおまかな陽国の成り立ちや天照一族に関する知識は持っていた。
「私は次期天照候補として生を受けた。しかし、お前も知ってのとおり私は”男”だからね」
「…まさか…」
嵐萄の口端がきゅっと釣りあがった。
「そう。あの時生まれたのは私なんだよ」
陽国の歴史。
それは全て昔の話であって、現在の話ではない。
ましてや、天照が産み落とした”忌子”が今現在も生きているなどとは微塵も考えた事が無かった。
普通に考えれば”神”の資格を持たない”人間”であるその子供がそんなに長い間生きている等とは思わないだろう。
「…恐れ入ったぜ」
燵紅は笑を漏らしながら嵐萄を見る。
「さほど、驚かないね」
「あたりめぇだ。お前と何年付き合ってると思ってる。顔も肉体もまったくかわらねえ”人間”がいるかよ」
「…術で変えてるとは?」
「そこまで出来るなら”人間”とはいわねえだろ。少なくとも俺の”常識”ではな」
「…確かにね」
燵紅の脇に腰を下ろし、嵐萄は真っ暗な空を見上げる。
「しかし、器ってのはどういうことだ」
「私の本来の肉体は、数百年前に朽ちているんだ。そもそも、その肉体は人間の物だから当然なんだけれど。
だから、私は他の躯に本体を移すことにしたんだよ。私の本体は”人間”ではないからね。
好みの骨格を持った躯に自身を転生させるといった事さ。
わかりやすく言えば「魂」の移動の様なこと。
もちろん、肉体は自分である程度は変えられるから”声”はそのままにも出来る」
「ちょっと待て。それじゃあ”忌子”は神だったんだろ?なんで肉体は人間だったんだ?」
「神は神の寿命を操れる。私は忌子であった時から”神”ではなかったんだよ。
天照が産み落とす生命は目的を担った神だ。目的がなければ神ではないからね。
人間となった私には変わりにこの”眼”が宿った」
「…それが真紅の眼の始まりってわけか」
「ああ」
嵐萄が漏らした笑いで、真っ暗だった道の先にほんのりと明かりが差していく。
それがいい事だったのか、燵紅には言い様がなかった。
燵紅にとってこの嵐萄の計画の本当の意図は関係なかったのだ。
どちらにしろ、陽国に関しては智功としか関わりの無い燵紅にとって陽国がどうなろうと知ったことではない。
むしろ、国境に関するゴタゴタがなくなれば仕事がしやすくなる。
燵紅はまじまじと嵐萄の顔を見て、小さく笑いを漏らした。
「妙な感じだな。声はお前なのに、顔は別人だ」
「そうかい?結構前の顔に似せたのだけど」
「…っていうか、ガキ共にはどう説明する?」
「そろそろ私が誰であるかを説明するにもいい時期かと思ってね。いづれ”器”が変わる時には話さねばならなかったことだ。
それに、あの子達は拒めない。私との契約がある限り。拒否は”死”でしかないんだ」
嵐萄の声は身体に突き刺さる。
何を話すにも冷たく、声に感情があまり無い。
口を離れたと同時に空気中を細かく反響して、鼓膜を刺激するような。
「ああ、それと1つ教えておこう」
「ん?」
「前の器は、蒼凋と赤凋の父親だ」
「…へ?」
「あの子達が生まれてまもなく、両親が賊に襲われて死んだ。陰国の中ではいい腕を持った男だったのに、残念な事だ。
二人にはあの器が父だとは話してはいないけどね。まあ、どこかで解ってはいるんだろうけど」
「…それじゃあ、あいつらはお前を親代わりに思ってるだろ?それは酷じゃねえか?」
そんな燵紅の言葉に嵐萄は高い笑を漏らした。
「冗談を。あの子達は道具だ。私が忌まわしい”天照”を始末する為のね。この計画に感情はいらないんだよ。
お前なら解るだろう?燵紅。お前は快楽の為に人の命を消しているんだから」
確かに燵紅にとって、その行為は快楽に値する。
しかし、無抵抗な女子供を殺すことはあまり好まなかった。
返事に困る燵紅に、嵐萄は目を細めて短い間を置いた。
「…っ!!」
何の前触れもなく、地面に身体が押し付けられたかと思えば、目の前に、嵐萄の顔が映る。
正しくは中心が暗く淀んだ”赤い眼”が。
「あの子達に情を持つのなら、お前には死んでもらうよ、燵紅。
お前が息をするより早く、私はお前の臓を押しつぶす。私はお前達を産んだ”神”だ。殺すも生かすも私の自由。
だが、私達は契約者だ。契約している間は、お前は生かされる」
「…自分よりガキの命が大切なんて思うかよ」
「なら、良かった。お前の選択は間違いじゃなかった様だね」
嵐萄の表情が緩んだ。
「冷えてきたね、部屋に戻ろう」
「…ああ」
返事をする頃には嵐萄の姿は見えなくなっている。
全身がヒヤリとした。
まるで、身体の体温を吸い取られて締まったかのような。
「…契約者か…」
嵐萄は陰国の”神”。
全ては、あの男に作り出された世界。
この広い世界は、全て嵐萄の掌の中。
□□□□
一通りの話が終わった後、表情を歪めたのは赤凋だけだった。
「まあ、大体予想通り」
「右に同じ」
逐磨に続いて蒼凋が声を出した。
「随分、物分りがいい奴等だな」
燵紅は赤凋の方へ目線を投げて笑いを漏らした。
「一般的な考えを持つのは赤凋だけって所か」
「…いえ、話はわかってるんですが…。その…嵐萄さんの顔が…」
「この環境でまともな思考持ってても、無駄無駄。目の前の事は全部受け入れなきゃ疲れるだけだ」
逐磨の言葉に、嵐萄が笑いを漏らす。
「それで構わないさ、赤凋。私はお前を悪いとは言っていないよ。しばらく見慣れないだろうが、中身は一緒だ」
「…は、はぁ」
燵紅は赤凋のその表情が何でなのかが解った。
蒼凋はさほど感じてはいないが、赤凋は略100パーセントに近い確立で前の器が「父」だと解っていたのだ。
「それじゃあ、今日はコレで」
嵐萄の言葉を合図に、皆が椅子から腰をあげた。
「赤凋、話がある。おいで」
「…は、はい」
知らない方が、感じない方が幸せだったのかもしれない。
燵紅は嵐萄の後についていく赤凋の姿に、弱く唇を噛んだ。
初めて三階の部屋に足を踏み入れた事になる。
厳重に綴じられた扉を開くと、想像していたより、内部はさっぱりしていた。
壁一面を埋め尽くす棚には本や薬剤の入った瓶が綺麗に並んでいる。
その向かい側には数本のペンの入っているペン立てだけがぽつんと乗った小さな机と背もたれの無い椅子が一脚置かれている。
几帳面な嵐萄らしい部屋。
「そこへ」
小さな椅子を指差して、嵐萄は小さく笑みを漏らす。
赤凋が椅子に腰を下ろすと、嵐萄は熱いカーテンのかかった向こう側に入っていく。
ほんの僅かだが、部屋の中には血の匂いがしていた。
しばらくして、嵐萄が片手に収まる小さな箱を持って出て来る。
「蒼凋は、知っている?」
「え?」
「前の器の事だよ。元々二人は考え方が違うようだし、表面の出方も違うだろうけど」
「…はい。私も成長も、前の肉体が父だった事を知っています」
少し間を挟んで嵐萄は小さく鼻を鳴らした。
「赤凋は人間の身体の構造に関しては詳しいから、今回の事は理解できているね?」
一定の周期で「武器」の為に人間の神経を捜す赤凋にとっては、差ほど難しい問題ではなかった。
「人間ぼ骨格をそのまま使う場合、その人間の寿命以上は使えない。元々、外部からの損傷のあるものならば、長くても寿命の半分。だから、もし生きていればそろそろ寿命であることはわかっていました」
「正確に言えば、まだあの器は寿命には至っていない」
「え?」
「流石にお前達に最後を見せられないのは酷だろうと思ってね。まだ形があるうちに残しておこうと思ったんだよ」
嵐萄が手に持っていた箱を静かに開ける。
中には薄茶色の小さなベルト留と、飾珠が並んで入っていた。
「・・・・」
赤凋は黙ったまま嵐萄を見つめる。
「お前達が契約を続けるのならば、これを受け取りなさい。お前達の意思は一緒だろう」
その答えの反対の意味は痛いほどによくわかっていた。
嵐萄と契約を結んだのは、嵐萄に救われた「父」の為だ。
だが、もう父はいない。
嵐萄が自分達を道具としか見ていない事も最初から理解している。
道具である間だけ”神”が自分達の存在価値を認めるという事も。
それに、どこで死のうが、自分達を哀れむ人間は何処にもいないのだ。
けれど、嵐萄は確かに言ったはず。
「最後を見せられないのは酷だろう」と。
ただ、道具として見られているより、随分いい扱いをされている証ともとれた。
もし嵐萄が父を見捨てていたとすれば、自分達は今ここで息をしていることも無い。
嵐萄は父だけでなく、自分達を生かす選択をとった。
赤凋は深く息を吸い込んで、嵐萄の差し出した箱に手を伸ばした。
「私は、陰国の神にお仕えします。この命が尽きるまで」
「…良い選択だよ、赤凋」
嵐萄は赤凋の頭を軽くさすって笑みをこぼした。
部屋の中で待っていた蒼凋の表情は予想通りだった。
確かに二人の意思は同じ。
「…契約を継続したんだね、赤凋」
「…うん。嵐萄さんは私達の神であることに、昔から変わりはないから。それに…」
赤凋は飾珠を蒼凋の掌に置いて、微笑む。
「私達は他に生きる場所がないしね」
「…そうだね」
蒼凋は飾珠を扇子の紐に通して、軽やかに広げる。
「…皆、私の父様が守ってくれるよ。安心してね」
赤凋はそんな蒼凋を横から強く抱きしめる。
「嵐萄さんは、私達を大事にしてくれている。私達は道具だけの存在じゃないよ」
「…そうだね。神様は私達を見捨てなかった」
静かに涙が零れ落ちた。
□□□□
「いいか、逐磨」
「ああ」
相変わらず殺風景な逐磨の部屋。
燵紅は逐磨から2人分の距離を置いて扉を閉めた。
「本当の所、お前の考えはどうなんだ」
「…本当も何も、さっきのがそのままの答えだよ。陽国がどんな理由で潰れようが、俺には関係なし、嵐萄が神だった処でどうでもいい話だ」
「…たまにお前が本当に子供なのかって疑うよ」
「褒め言葉だね」
燵紅は薄ら笑みを浮かべる逐磨に小さくため息をついた。
「逐磨、お前は何で義胡を狙う?」
「あん?」
「お前の生い立ちは大体聞いたが、どうも俺にはお前の行動が理解できない。
義胡はお前に危害を加えたわけでも、お前にとって不利な事をしたわけでも、今の陽国を作ったわけでもないだろう?」
「…むかつくんだよ」
「え?」
逐磨の表情が一瞬にして変わった。
思わず身体が硬直してしまう様な殺気が立ち込める。
「何もかもわかったような面して、自分の正義振りかざしてる。俺は自分を不義だなんて思った事は一度も無いからな。
なのに俺は敵じゃない、威嚇するなだって?ふざけんな」
「…大体わかってはいたが、お前…相当頑固者だな」
「…はあ?」
燵紅が漏らした笑みに逐磨は眉を潜める。
「まあ、嫌いじゃない。正義面してる奴が大嫌いなのはな」
確かに、この空間でマトモな意識を持っていても「無駄」だ。
嵐萄が神である事も、その考えも、その考えを受け入れた者も。
全てがその常識の中で生きている。
燵紅の中で、何かがふっきれた。
「…お前が義胡だけ狙えるように、手伝ってやるよ」
「なんだよ、急に」
「俺も自分の正義振りかざす奴は嫌いなんでね」
一度閉じられた目が開いた瞬間、逐磨は身体を一瞬痙攣させた。
「やるからには徹底的にやる。それが俺の流儀だ」
頭のイカれた連中。
その言葉が、ぴったりと当てはまったような気がした。




