二つの国(7)
天照が一度口を噤んでから、随分と長い時間がたってしまったような気がした。
実際、どれ程の時間がたったのか、外部の光が入らないこの部屋では確認しようが無い。
ようやく天照が口を開いた時には、風啼は半分意識が無くなっていた。
愛朱に頬を軽く叩かれて、風啼は朦朧とする意識を、顔を勢い良く左右に振って目覚めさせる。
「陽国と陰国の始まりは1つの国でした。胤が私の中に生命を受ける前までは」
「私は兄がいた記憶はありません。それに物心つく頃には、もう陰国は存在していたはずです」
愛朱は酷く混乱している様で、叫び声に近い声が上ずっている。
愛朱にとっては、突然兄がいたと言われた様なものだ。それは通常の反応と言える。
実の娘ですら、天照の正確な年齢はわからない。
だが、神の世界においてはそれは不自然な事ではなかった。
もっとも、成長において、人間と歳のとり方の違う神の場合、子供も産む年齢は幅広く、自分が知らない兄弟がいたとしてもなんら不思議なことではないが。
少なくとも、風啼の記憶には、先代の五神、その前の五神まではおぼろげな記憶がある。
それが確かな物だとは言えないが、その頃には”陰国”は存在していたはずだ。
前々代の五神はまだ健在であるから、確認しようと思えば確証となるはず。
彼らから陰国が突然出来たという話は聞いた事はない。
風啼が小さな頃から陰国と陽国は語られている。それは昨日今日出来た話ではなく、更にその前から続く昔話。
そうとなれば、胤という子供を天照が生んだのは更に前の事になる。
それに胤が陰国を作ったのだとすれば、それなりの年齢になった後の事だ。
すくなくとも、百年以上前になるだろうか。
だが、噂話というものは意外としつこく残るものだし、特に五神の子供は、五神にならない他の子も神としての命を持つのだ。
国の事を詳しく教えられる五神の子孫に当時の記憶がまったく無い者がいないというわけには行かないだろう。
となれば、現行で生きている五神以前の代の二つほど前までは、その件は起こらないと考えられる。
風啼は頭の中で計算しながら、ふいに顔を歪めた。
天照は、はっきり言ったはずだ。
「陽国と陰国の始まりは1つの国でした」と。
「…となると、天照大神は「陽国」の設立者という事ですが…」
天照が小さく頷いたのに驚いたのは風啼だけでなく愛朱もだった。
愛朱が少し身を乗り出して天照に問う。
「ちょっ、ちょっとまって。陽国の歴史は今の時点で九百年の年数があるわ。子供を作る年代の事を考えても、お母様は千歳に近いという事?」
「…そうよ」
予想外。という言葉が合うかどうかはわからない。
少なくとも、今国の為に動いている人間が生まれた時から天照は天照として存在している。
天照大神という存在の情報が無かった理由がわかった気がする。
天照の存在は全てにおいて不自然なほどに不可思議なのだ。
自分達が考えていたより、「天照」の歴史は遥かに長いのである。
言葉にしても、文字に書き表しても一生かけても終わらないほどの長さ。
だから、天照の情報は残らなかった。
天照以外は知る必要が無いとされているのだろう。
或いは、それを天照自身が望んで残らないようにしている。
「…天照大神、御家系に男子が生まれないというのは、御家系がこの世に存在してからなのですか?」
「…そうです。天照の家系では男子は生まれません。
その理由の一つとして、天照は男と交わらずに子を儲けることが出来るのです」
「…交わらずに?」
「天照の家系の始まりは総神。神の生命を生み出す事自体を目的とした神です。
天照一族は女性の神だけを生み出します」
風啼の顔が歪む。
だとしたら、男である自分はどのようにして生み出されてきたのだ。
その心中を代弁したのは愛朱だ。
「では、男子はどの様にして?」
「…お前の事ですよ」
「え?」
「天照が時期天照として産む子供以外は、其々の神としての役目以外は、通常通り人間としての恋愛をし、子供を儲けることが出来る。もちろん、女子や男子どちらでも。
その中から次の神を選ぶ上で、男子の神が生まれる事もあります」
「…私に子供が出来ないように出来たのは、一族の力という事?」
「…本来は、この様な形で使いたくはなかったのだけれど。貴方達を産んだ事がこの国にとって重要な事だから」
愛朱は声を失っている。
その言葉に、風啼は首を捻る。
杏珠は国の外へ人間として嫁に出された。
この国にとって重要であるはずの杏珠をその様にしたのは何故だ?
それに、愛朱は自分のところに「人間として」嫁いできたのだから、愛朱は天照候補ではないという事だ。
自分達が知らない場所で生きている可能性以外では、次の天照になる人物はいないという事になる。
「時期天照はこれから?」
風啼の言葉に、天照は首を横に振る。
「この先、この世界を守る為、私が天照となります」
「…ど、どういう事ですか?」
「それが…罰なのです」
天照の言葉は身体を押しつぶしてしまいそうな重圧を感じさせる。
天照が言う罰が何なのかを知る為に、風啼はもうしばらくその空間の中にいなければならない様だ。
□□□□
天照は”全ての神”を産み出す存在で、この世界においての頂点。
天照一族は仕来りに厳しく、次期の天照を産み出す為に色々な禁句が多かった。
意識一つで子供を身ごもる能力を持つ天照は、自意識1つで、様々な神を作り出すことが出来る。
天照は女神のみを産み出し、必要外の神を産む事、男子を産む事は、一族の終焉を意味している。
それ故、必要としない以外は天照が外部に出ることが禁じられていて、天照神殿の中に男子が入る事は無かった。
生まれてからその役目を終えるまで”籠の鳥”だ。
天照にとって、異性は禁止。
恋愛を必要としない天照大神に、恋愛する事は禁句だ。
”天照”となった人間にとって、それが厳しいものなのか、他とずれている事なのかは判断する術がない。
生まれた時から、全ての情報は、天照になる為だけのもの。
それが天照にとって当たり前の状態で、かわってはならない。
変化がある時、一族には滅びの道しか残されていないのだから。
静かな夜だ。
少し冷たい布団の中で、何を考えるわけでもなく、天照は宙を見つめていた。
子供を産む事は自身の自由で、何人儲けるか、いつ次の天照を儲けるかは自分自身の考えで決められていた。
この代では、人口差の問題等は無く、一番”気楽”な時期だったと言えるだろう。
自分でしなければならないのは、時期天照へこの役割を理解させることだけだ。
自分もそうであったように、受け入れは意外とすんなりいく。
もっとも、そう決めて生んだ子供は、外部との接触を一切絶たれて育てられるから、そういう考えにしかならないと考えた方が普通だった。
成長し、外部との接触が多少増えても、その意識が神として特別だと思ってきたから、逆に自分が選ばれた者だとと言う誇りがある。
それが、長い間続いてきたこの家系のあり方であり、他の情報が入らない状態であれば、比較もしようが無い。
天照はこの次点で十数人の子供を産んでいる。
火神、水神、金神、火神、土神、風神…。
決められた神は全て生み出した。
後は自分が必要と思う神を生み出せばいいのだが、中々思い浮かばなかった。
それに神としての年齢で考えても、次の子を天照にと考えていて、予めその事を伝えている。
時期天照は他の子と違い、生まれてから天照となるまで、母親以外の人間と接触が出来ない。
天照の教育が終われば、天照としての役目は終了し、その子供と会えなくなる以外は、通常の人間の様に生きていけるし、母として産んだ子供を育てる事も、新たに子供を作ることも、外部との接触も自由だ。
もっとも、あまり経験の無い外部との接触は好まず、天照として産んだ子供を哀れまないようにと、ひっそりと暮らしている者が殆どだったが。
天照はゆっくり身体をおこして、格子窓から見える月を見上げる。
ここでの生活は特別不便を感じることは無い。
いくら外部との接触は無いとはいっても、話相手はいるし、異性を感じされる行為以外に禁じられているという事もなかった。
そもそも、天照自体は時期天照以外の子供が何の為にいるのかの本質を知るのは、役目を終えてからの事だ。
それまでは愛神や守神を産むとだけ教えられる。
異性と触れ合う機会も知識もなく、意識しようとしてもどんなものかまったく想像がつかず、どうしようもなかったから、興味自体が湧かなかったのだ。
「綺麗な月…」
外の世界に興味が無いわけではないが、情報が無い場所は興味より恐怖の方が優先する。
不自然なほどに、外の世界の情報は抜け落ちている部分が多かった。
知識がなければ、その穴を自力で生めることは出来ない。
それに、ここを抜け出すことは死を意味していた。
自分自身の存在意味を理解しているから、抜け出そうなどとは思わなかったが。
視界に映る月を、急に闇がさえぎった。
「!!」
驚いた声が出る前に、口をふさがれた。
格子の向こうにいるのは、人間だろうか。神だろうか。
その容姿は見た事が無かった。年齢は人間なら多分二十代という所だろうか。
身に着けたものはお世辞にも綺麗な物とはいえない様な、布着れをただ縫いあわせただけと言ったような着物。
髪の毛の長さはバラバラだった。おそらく自分で切っているのだろう。
「何もしない。天照大神を見てみたかっただけだ」
にんまりとした口元がそうこぼす。
天照はそんな人物をただ目を丸くして見つめている。
「本当に異性知らないんだな。俺は人間の男だよ」
天照に叫び声を上げないという意思が無いのがわかったのか、男は手を離す。
「…貴方は?どうしてここに入れたのですか?」
恐怖はなかった。
格子越しに見る”人間の男”という存在に興味が沸く。
「内緒。それに、俺の事は深く知らない方がいい。時期天照に影響しちまうからな」
「…貴方は変な人ですね。影響するとわかっていて、顔を見に来るなんて」
「よく言われる。命かけて天照見に行くとか言う大馬鹿者だってな」
思わず笑いが漏れた。
天照一族の仕来りなど、頭の隅にも残っていない。
「私はあなたの事がもっと知りたいわ」
男は少し困ったような笑みを浮かべた。
「だーめ。まぁ、どうしても知りたいのなら、あんたが天照じゃなくなってから、俺を訪ねてくればいいさ。俺が生きてればだけどね」
天照がいつ次期天照を産むかは一般の人間は知らない。
むしろ、人間の倍以上を生きる神が自分が生きているうちに交代する時を解る者の方が少ないだろう。
「じゃ、あんまり長居はできねえから行くわ」
「待って」
天照はその場を去ろうとする男の腕を掴んだ。
「何?」
「名前は?貴方を訪ねに行けない」
そんな天照の言葉に、男は苦笑いを浮かべた。
出来ればそれは無しで。と顔に出してみたが、天照はどう言ってもきかなそうだ。
「胤斗。天照が役目を終えて、暮らす村にいる。運よく生きてたらまた会おうぜ、天照」
「…胤斗」
そう天照が呟く頃には、その姿はどこにもなかった。
胤斗は無事に周りに気がつかれずに出て行った様だ。
天照が役目を終えてから暮らす村の話は少し聞いたことがある。
街から遠く離れた山の中にある村だ。
胤斗はおそらくその村の「見張り番」なのだろう。
人間の中で極僅かに「天照」の本当の存在価値を知らされ、情報が漏れぬように監視する者がいると聞いていた。
自由に見えて、天照に本当の自由は死ぬまでないという事だ。
だが、自分の容姿は人間から見ればかなり若く見えるだろうが、見張り番だとすれば、自分の年齢はわかっていたはずだ。
この空間では誰もが自分を目上に扱い「天照」等と呼び捨てにするものはいない。
自分が天照の役目を負えるのはあと1人の子を産むだけ。それはさして長くない。
そうすれば、その村にいく事が出来る。
胤斗にまた会える。
異性と触れ合ってはいけないという意味がわかったような気がする。
頭の中から胤斗の存在が消えなくなってしまった。
それが今までに感じたこと無い感情が何なのかはわからないが、これは恋なのだろうか。
天照にその意味を知ることはできない。
その答えが解ったのは、それから2週間後の事だ。
正確にはその十月十日の後。
天照を含めた一族の総神は、天照の生み出した子供を世に送り出す役目を持っている。
産み出す神の事を決めるのはこの総神であり、この世界の神、天照神殿のお目付け役といった所だ。
慣れた感覚の中に、いつもと違う物がある事がわかる。
その感覚の先に待つのは、天照にとっては幸福のはずだった。
だが、空気が落ち着いた先にあったのは言われも無い絶望感だった。
総神の顔がみるみる間に歪んでいく。
「なんという事をしてくれたのでしょう。この子供は忌子ではありませぬか。天照一族にとって男子はあってなりません!」
「…忌子?」
忌子という事は、天照となれぬ神、もしくは男子。
天照は意味がわからなかった。
自分は望んだように次期天照を思い身ごもったはずだ。
「お前が忌子を産んだ後、時期天照は産めない。それは我々の世界の終わり…。
なんという事でしょう。あってはならぬ事…。殺しなさい!この忌まわしい子を!」
産み落とされた生命が絶たれようとしている。
天照は無意識に総神の足にすがりついた。
「お許し下さい!」
忌子が何を意味するのか解っているつもりだ。
今この状況がどんなものなのかも。
だが、忌子であっても、それは自分の子だ。
「どうか、お許し下さい!私はどんな罰でも受けますから!」
わなわなと震える手が強く天照の頬を打つ。
暴力というものを振るわれたのは初めての事だった。
「…それならば、お前が末裔までの天照となるがいいわ。もっとも、天照はお前で終わりなのですから。選択権は無いのです。
この子供を側に置くことは許されませんよ。この子供は忌子。天照に関わらせてはいけない」
その言葉がどういう意味かは解っている。
子供を側に置くことは出来ない。
だが、命さえ助かればよかった。
「…なら、せめて、この子を先代の天照が住む村へ置いて下さいませ」
総神は天照を軽蔑の目で見下ろしている。
「…いいでしょう。それは、貴方の最後の望みとなります。
貴方には、想像を絶する苦難が待ち受けているのですからね」
静かに受け渡された子供は泣き声をあげなかった。
だが、静かに息をしている、その顔は見覚えがあった。
天照は子供の頬を軽く摩る。
いつもと同じ別れの儀式だ。
「胤。愚かな母を許しておくれ」
「…良い名ではありませんか、忌子にぴったりですね」
周りの目は軽蔑だ。昨日までの敬いはまったく無い。
これが、天照の守りを破った者への制裁。
けれど、天照は胤斗に会った事は悔やまなかった。
一生で一度だけ、淡い恋という言葉を教えてくれた。
その恋はこうして形に残った。
もう二度と会えないと解っていても、幸せに思った。
□□□□
国の外れにある小さな村に住む人口は僅かなものだった。
役目を終えた天照が数人と、その内何名かが夫として向かえた人間や神。そしてその子供。
ここに暮らす人々は、これからの一生を、この村で暮らす事が多い。
ここに新しい住人が来るのは、決まって新しい天照が決まった時だ。
村の入り口で役人を出迎えたのは胤斗である。
もちろん、天照を迎える為だが、他に迎える人物はいないのだから、当然の事だった。
予想以上に早い再開となった事を胤斗は内心嬉しく思っていた。
天照は想像以上に容姿端麗で、見ているだけで幸せな気持ちになったからだ。
胤斗には下心はあまりなかった。
夫を迎えるのは天照の意思だし、殆どの場合は独り身でいる。
それに、神は自分より寿命の短い人間を伴侶としてあまり選ばなかった。
らだ、素直に一緒に暮らせる。という事が嬉しくてたまらなかったのだ。
だが、役人が手渡したのは粗末な籠に入れられた赤ん坊だ。
いつも通り、役人は何も言わずに立ち去る。
この村では天照一族の仕来りを全て知っている。
この渡された男児が、何を意味をするのかも。
役員がいなくなった村の入り口に他の人間は見当たらない。
村全体がひっそりと静まり返っていた。
胤斗は呆然と見つめている籠の中の赤ん坊に添えられた一枚の紙を見つける。
「命名、胤・いんえい・」
その名前に、全身の血液が足の裏から伝って、地面に吸い込まれていくような感覚に見舞われた。
「…嘘だろ?」
ようや事態がきちんと飲み込めた。
自分が余計な事をしてしまった為に、天照は自分の子を身ごもってしまった。
そして、天照は「最後の天照」になったのだ。
おそらく自分が死んでからも、ずっと先まで。
「…天照…」
絶望感が身体を突き抜けていく。
涙が赤ん坊の子供の頬に落ちると同時に、赤ん坊が始めて泣き声をあげる。
胤斗は籠から赤ん坊を抱き上げると、強く抱きしめた。
「お前は俺と天照の子供だ」
そう胤斗が声に出した事を天照は知る事は無かった。
□□□□
「そんな…そんな…」
愛朱が涙交じりの声を漏らす。
だが、風啼は少し冷静だった。
「それから、胤の事は?」
天照は首を横に振る。
「 私はその村が何処にあるのかすら知りませんでしたし、それからは一度も会っていません。
私が最後の天照となった後、神殿に殆ど人はいなくなりました。監視役の人間数名以外は。
長い年月を経て、一族の人間は殆どいなくなり、その監視役の人間すら、一族の考えを薄れさせていきました。それは自然の流れでしょう。
一般の人間は天照一族の仕来りは殆ど知りませんからね」
「…そこで陽国という国を新しくお作りになったのですね?」
「ええ。そして少し後に”陰国”が生まれました。作ったよりは出来たのですが」
風啼は相変わらず冷静に物事を判断していた。
「それでは、陰国は、胤斗が起こしたものだと?」
一瞬だが、天照の感情が揺らいだように感じた。
「…正確には胤斗の意思を継いだ、胤がですが」
風啼の考えは間違っていないようだ。
「どういう事、風啼」
状況の飲み込めない愛朱が、風啼に問いかける。
「おそらく、胤斗は天照大神を救いたかったんだ」
「…え?」
「だが、互いの考えが一緒ではなかった。天照大神は陽国として世界を続ける事を望みんだが、胤斗は天照を自由にしてやりたかったんじゃないか?」
愛朱は風啼の言葉を頭の中で整理している。
「それが、陽国の崩壊だと?」
「国が無くなれば、天照の存在は意味が無いからね。
天照大神、それでもわから無い事が。貴方は胤とそれ以来会ってないのであれば、嵐萄を胤だと確信させる手立ては何もない様に思えますが」
確かに、報告される嵐萄の事には、その容姿等は一切触れられていない。ましてや天照が最後に見たのは生まれたばかりの頃だ。今現在の容姿は想像がつくわけがない。
「…胤斗が亡くなる直前、私に一通の便りが来ました」
「文?しかし、年数から考えても、その頃は監視も厳しく、送られた文が自由に読めるという状況ではなかったのでは?」
「胤斗は胤を連れながら、何処にいるとも解らない私の子供を捜し回った。子供なら、なんとか私と連絡を取れる方法があるのではないかと。そして、その生命の瀬戸際でようやく見つけたのです。風神を」
「…私の…祖先?」
「では、風啼は私と血縁関係ということではありませんか…」
「深く考えないで。今この世にいる神は全て血が繋がっているのだから」
そういわれるとそうだ。
天照は神の子を生み出す神なのだから、今現在いる神は全て天照の血を引いていることになる。
「風神は、私に木の葉で文を送った。胤斗からの言伝を「シンクノマナコ」と」
話が現状と全て繋がった。
天照自信も、この2つの国の関係がわかったのも、予測でしかなかった嵐萄を胤と確信したのは極、最近の事なのだ。
答えがまとまった。
「…天照大神、貴方はどうお考えですか」
「風啼?」
愛朱が眉を潜めた。
「全てが明かされた今、この闘いは天照大神の戦いです。貴方が命を守った者との」
長い沈黙を挟んで、天照は静かにその場を立った。
そして、ゆっくり二人の方に歩み寄ってくる。
「…お母様?」
「…天照大神?」
薄い垂れ幕を避けて、その姿が目に入り込んでくる。
風啼にとっては初めて目にした天照大神の素顔。
千年いう月日を生きてきたとは思えない。
長い薄茶色の髪が胸元まであり、顔は自分よりかなり若く見えた。
あの時間から、成長が止ったかの様に。
「…私はあの子の存在を感じ始めてから、この国の仕組みを変えました。少しづつ。それが愛朱と杏珠。貴方達は私が最後に産み出す神」
「…え?」
「この国に天照という存在が無くとも、成立していける様に、もう神を一から造る必要はない。
この国で天照の仕来りを知るものはもういないのですから」
その言葉は意外すぎて、どう捉えればいいのかわからなった。
「…この国を作ったのは私。私が守る為に、手が行き届くように。そして…変える時は私が必要とされなくなった時。
…私は天照の末裔。この国にはもう、天照の仕来りは存在しない」
「胤と死ぬおつもりですか、天照大神」
「そんな事は駄目よ、お母様!」
愛朱の声が涙で震えている。
「愛朱、泣かないで。私が招いた事で、こうして沢山の人を悲しませてしまったわね。貴方には私の犯した過ちを二度と繰り替えさないように、最後の命を与えるつもりだった」
天照は愛朱を抱き込んで優しく頭を撫でる。
「これで最後にしましょう。私の作った苦しみで苦しむ人が出てくるのを」
次の瞬間、勢いよく扉を開く音と共に、部屋の中に光がさした。
「そんな事、絶対させませんよ!」
扉の前に立っていたのは五神だ。
「お前達っ!!ここを何処だと!」
「失礼は承知で、お話を聞かせてもらいました、風啼様、天照大神。
我々は、貴方が招いた事で苦しんだとは思っていません」
「…水杵?」
天照が不思議そうに水杵を見る。
「それに、嵐萄がしている事は胤斗の思いだとは思いません。確かに真紅の眼の力を利用するという可能性はあるかもしれませんが、嵐萄が陰国を成形した時点では、胤斗の意思は無くなっているのですから、陰国の成形は嵐萄が独断で考えてきた計画だと判断した方が自然です」
水杵の横から、土紬が申し訳なさそうに顔を出す。
師匠の教えに堂々と逆らう事ができるような性格ではないから、多少は気がひけるのだろう。
「風啼様、僕もそう思います。
胤斗は天照一族の事に詳しかった。なら、「天照一族」の消滅があれば天照大神の身が自由になれると解っていたはずです。それならば、胤斗は嵐萄に「天照一族」の消滅を託したのではないでしょうか?
けして、天照大神の消滅を望んでいたのではないと思います」
「…それはそうだが」
「…酷な言い方のようですが、おそらく嵐萄、いえ胤は胤斗の意思と反して”天照大神”を恨んでいる可能性があります」
「…胤は、天照大神に命を助けて貰ったんだぞ?」
土紬は風啼の答えに少し困ったように黙り込んでしまった。
自分がもしその立場なら、嵐萄のような選択はとらないと思っていたからだ。
「俺の考えだと、命を助けてもらったって感覚ってあんまり無いと思いますよ」
「火遁?」
火遁を意外そうに見たのは風啼だけではなかった。
「確かに親が恨んでる矛先っていうのは理解できると思う。でも、それって途中で無くなっちゃったわけだろ?それまで”消滅”を教え込まれてさ。
その矛先が無くなった後、正す人間がいない場合、真っ当に生きる人間っていると思う?」
「…まあ、そのまま悪い方向に走るだろうな」
金樺の言葉に、皆が小さく頷く。
「でも、何かしろ目的がないと走れないわけだから、何でそういう状況になったのかって考えて、その根源に標準合わせると思うんだよね」
火遁の言葉に続いて、木櫟が補足を入れる。
「それが本当に良いことか悪いことかの判断がついたら、普通は走り出さないけど。
胤斗がもし、胤に徹底的に”消滅”だけを教え込んできたのだとすれば、略、良の判断しないと思います」
「…つかなかったという事か」
風啼が、目線を天照に戻す。
「…天照大神。今の胤は胤斗の意思を継いだ者ではありません。
おそらく、まともに話をして通じる相手でもありません。貴方には酷な言葉かもしれませんが、胤は今の陽国の忌子でしかありません」
少し間を挟んで、水杵がじっと天照を見つめる。
「私達は、陽国の、貴方の子です。天照一族の子ではありません。貴方が作り出した国で生まれたのです。だから、貴方は過去に囚われる必要はありません。貴方が見なければならないのは過去じゃない。現在です」
そこから長い沈黙が続いた。
耳を済ませていなければ聞き漏らしそうなほどの小さな涙交じりの声が、ぽつりと漏れた。
「…そうです…ね」
「……」
「私は陽国の神…貴方達を最後まで守らねばなりません」
顔を上げた天照には涙はなかった。
何かを吹っ切ったような、すっきりとした表情だ。
「風啼、今日から神殿を開放します。役員に準備を」
「…天照大神?」
「私は貴方達を何処からでも見守ります。そして、貴方達の声がいつでも聞こえるように、いつでも会えるように」
満面の笑みをこぼした天照の言葉があまりに唐突だったせいか、風啼は返す言葉が見つからない。
そんな風啼を見て、愛朱が笑いを漏らした。
「お母様、風啼が驚いてるわ。突然そんな風になされたら」
「陽国は私の国ですからね。皆の事をもっと解らないと」
そんな天照に驚いているのは、風啼だけではない。
「…な、なんか、イメージが…」
「180度変わった…っていうか…」
水杵と金樺が顔を見合わせて苦笑いを漏らす。
「…春宗様みたいだね」
「あ、木櫟、それいい例えだ」
土紬が風啼の肩を叩いて顔を覗きこむ。
「風啼様、大丈夫ですか?」
「…あ、ああ」
□□□□
翌朝から天照神殿が解放となり、陽国の中の張り詰めた空気が和らいだような気がした。
土輝邸の広間でも、混乱は起きている。
「…本当に天照大神のイメージ崩れたな…」
顔を歪める智功の向かい側に腰を下ろしている義胡が苦笑いを漏らす。
「闘王任命とか、成人の義とか、俺達が会う時は本当、ピリピリしてたもんなぁ」
義胡と智功が顔を見合わせて笑いを漏らす。
「まあ、これで陰国の本質はわかった。後は、どう来るかだろうな」
「そうだな。本質はわかっても、主軸の事は殆ど解らない。どうやら俺達はもう少しここにいなきゃならないみたいだな」
「二人とも、ご飯できたよー」
土紬の声に、智功が軽く背伸びする。
「本当の闘いは、これからってな。お前と逐磨の事も」
「ま、適度に気張りましょうか」
「言っとくけど、今度は助けねえぞ?」
「次はあんなヘマしねぇよ」
拳を軽くつき合わせる。
「どうしたの?2人でニヤニヤして…」
「結束強めてただけですよ」
「…そうは見えないけど」
土紬が顔をゆがめたまま、皿をテーブルに置く。
「あ、そうそう。明日から火遁がまた修行始めるよ」
「マジで!?」
二人の声が綺麗に揃った。
「…確かに、結束は強まってるみたいだね。嫌な事に対しては…」
2つの国の形がようやくはっきりと姿を現した。
だが、まだ陰国の影は黒いまま。
赤い二つの点の中に映る景色はまだ、その影すらも見えていないのだ。




