二つの国(6)
昼間の賑やかさはすっかり形を潜めていた。
思えば、火凰邸で夜を過ごすのは、随分と久し振りの事だっだ。
礼薫と心枢が揃って広間の椅子に腰掛けている。
「真紅の眼とは、やっかいな存在が出てきましたね、礼薫様」
礼薫は昼間からずっと眉間に薄い皺を寄せていた。
「そうだな…。もし「本当に」いたとすれば、闘王個々に役割を分担させるのは不可能だろうな」
智功の話した「真紅の眼」について知る人物は陽国には少ない。
もっとも、その存在自体があやふやで不透明なのだから無理もない。
情報を持つ中でも大抵の人間は「現実味」はもっていないだろう。
口頭で伝えられつるような根拠のない伝説や昔話の様な、説明しようの無い存在なのだ。
「礼薫…殿、その真紅の眼というのは、具体的に言うと、どういう感じなの…でしょうか?」
火遁の言葉はちぐはぐで、ぎこちない。
敬語と敬称が混じって、言葉が途切れ途切れだ。
大分、闘王との接し方になれてきた火遁だったが、やはり礼薫にはどう接していいのか、切り替えるタイミングがわからない。
それに厳しい礼薫でさえも、背中を何かに這いずり回られるような気持ち悪さだ。
「そんなに無理をしなくていいぞ、火遁。私を「目下」として扱うのは集まりの場だけでいい」
「…構いませんか?なんか全然慣れなくて」
「仕方ないさ。まあ、木櫟も似たようなものだ」
礼薫と心枢は顔を見合わせ、小さく笑いを漏らす。
正確にはあまり深く捕らえていない木櫟とはまた違うのだが、その方が解りやすいし、互い自信で納得もしやすい。
「具体的にというより、解りやすく言えば”万能”といった方がいいだろう。
そうだな、陽国で例えるのなら、天照大神のようなものか」
「え?じゃあ、総神と同等という事ですか?」
そんな火遁の言葉に礼薫は眉を少し潜めた。
火遁の質問は核心を捉えた様で、それに返す答えが無かった。
「同等というべきかは、我々には言い様が無い。もしいるとすれば、それは陰国の為に生まれた命ではないからね」
確かに、天照は陽国という場所に必要とされて生まれてくる、絶対的な存在だ。
だが、「真紅の眼」は陰国に必要とされたわけではない。
噂話程度に扱われる位なのだから。
「一個人として存在しているという彼らが、国の為に動くのは意志だからね。戦争に加担するもしないも、その人物の意識次第。
必要とされて生まれついた能力ではないから、その力を使うのも使わないのも自由だからね」
「…うーん…」
「陽国の仕来りの中で成長した火遁では理解できない事かもしれませんね。
陽国において、能力を与えてくれるのは天照大神であり、その存在が全てですから」
「…それじゃあ…」
火遁の声に、二人の目線が火遁へ向かう。
「…嵐萄が狙ってるのは俺達、五神でも、十二国闘王でもないんじゃないかな?」
「え?」
先に声を漏らしたのは心枢だ。
礼薫もその言葉は以外だったのだろう、首を小さくかしげる。
「どういう事だ?火遁?」
「確かに俺達”五神”を崩せば今の陽国は崩壊するかもしれないけど、天照大神がいれば、陽国は再生できますよね?
大雑把に考えれば、国取りっていうのは、頭を取れば勝ちだし、国を潰すなら陰国が狙うのは天照大神だけで十分なんじゃないかな?
普通、強い奴だったら、自分と同等、もしくはそれ以上の存在と戦いたいって思いませんか?自分より弱い存在って、国を取るには邪魔だから、自分は頭を狙って、兵とかと戦わせる方がいいと思うんですけど」
「…確かに、天照大神と”ハレる”のなら、その方が手っ取り早いね」
「嵐萄が、五神を狙うのも、支配下に陽国と繋がる人物を置いてるのも、自分が標準を絞ってることから目をそらす為なんじゃないかな?」
「火遁様にしちゃ上出来だね」
格子窓から聞こえたのは義胡の声だ。
義胡の火遁に対する敬称は、ぱっと見た目中途半端に思えた。
だが、礼薫も心枢も、義胡がどの様に五神に接しているのかを良く知っていたから、さほど気にする事でもなかった。
「中はいって良いか?」
「あ、うん。開いてるよ」
程なく、広間に顔を見せた義胡に疑問をぶつけたのは心枢だ。
「どういう意味だい、義胡」
「嵐萄がこの計画の手下に術者を置かないのは、王の死を知られない為だからだよ」
「なんだと?」
礼薫の声が興奮したのか少し上ずった。
礼薫には少し予測があったのかもしれない。
真紅の眼という存在が実在するのなら、その言葉は信憑性が高く、疑う必要がないからだ。
「正確には、もうずっと前から陰国に「王」なんかいない。というより、王として皆が崇めた存在がいないって言った方がいいかもな」
「…まさかとは思うが…嵐萄が陰国の王だと?」
心枢へ目線を投げ、義胡は小さく笑みを漏らす。
感が良いですね。そのまさですよか。陰国を作り上げ、動かしてるのは”嵐萄”です」
「へっ!?」
火遁の間の抜けた声が辺りに響いた。
「…真紅の眼はずっと存在していた。この2つの国が出来た頃からずっとな。
天照と嵐萄は”同じ”なんだ。やがて2つに”陽と陰”に分かれたんだよ。
嵐萄は”神”だ。陰国のね。陰国の王は陰国が作られたと同時に作られたのさ”嵐萄”という存在に」
「どっ…どういう事?俺に解るように説明してくれよ、義胡」
「…つまり、天照大神と嵐萄は”親子”という事だよ、火遁」
「…おや…こ?」
火遁の動きが止った。
意味が解らない。
多分、義胡も、心枢も礼薫も、理解し切れてはいない。
「陽国は光、陰国は闇。嵐萄というのは多分”字”。おそらく、本当の名前は別にあるはず。そして、嵐萄の正体は陰国の誰も知らないんだ」
「…つまり”嵐萄”は、この国を元の一つにしようとしているという事か?」
礼薫がようやく声を出した。
何を口にしてもそれに返される答えに正解は見えない。
だが、何かを得たかった。
「おそらく、そういう事だと思います。
陰と陽が2つに分かれた理由は「天照大神」しか解りませが、陰は陽を飲み込もうとしている。
陰は機会を待った。陽という国が弱まる時を。長い間、息を潜めて」
義胡の説明は、想像がしやすかった。
巨大な丸の中心に線を引いて、片方を塗りつぶす。
その円はやがて”境界線”で半分に割れてバラバラになる。
そして長い間、つかず離れず、一定の距離を保っているのだ。
しかし、ある日を境に2つの半休はジリジリ近づいていく。
そして、やがては元の丸に戻るのだ。
境界線が消え、完全な元の円に。
色が混ざれば、暗い色が、白を飲み込む。
しかし、それを現実に存在する”パーツ”に当てはめるのは困難だった。
この場にいる誰もが陽国が陰国に飲まれる姿が想像できなかったからだ。
しばらくの間、沈黙が続いて礼薫は眉を潜めたまま口を開く。
「天照大神が口を割る可能性は?」
「愛朱様と風啼様が…。ただ、可能性は限りなく低いと思います。長い間、誰にも明かさなかったことですし、”今は”期待はできませんね。
「…今は?」
火遁が真っ暗闇の中に一筋の光を見つけたような顔で僅かながら表情を緩ませた。
「この件に関して、風啼様の”確信”は大きい。天照大神も完全に”無視”はできない。いずれにしよ、話さねばならないんだよ。陰国と陽国の始まりをね」
「…この件を、他の皆は?」
心枢の言葉に、義胡は少しため息混じりに答えを返した。
「土輝邸の土紬様と木櫟様は風啼様に直接聞いてます。水杵様と金樺様には智功が伝えに。少なくとも、陽国の主格にはもう伝わってると思いますよ。
十二国土闘王には明日中にも伝達を済ませる予定です」
「…礼薫様」
「どうした、火遁?」
「陰国の王と戦うことになったとしたら、俺達は勝てますか?」
「え?」
「火遁…?」
心枢が眉を潜める。
火遁の拳は小さく震えていた。
少し眺めの沈黙を挟んで、礼薫は火遁の頭を軽く叩く。
「勝てますよ、火遁様。火神の、五神の力を信じてください。貴方は私達の神です。弱音を漏らされては困ります」
「…ごめん」
俯いた火遁の前にしゃがみこんだ心枢がゆっくり火遁の頬をなでる。
「私達は貴方を必ず守ります。例えこの身が砕けようと、この血が全てなくなろうと…。
ですから、貴方は安心して敵に向かってください」
「…やだよ」
「火遁?」
「…心枢や、礼薫様がいなくなるなんてヤダ。俺は皆を守りたい。南国も、陽国も全ての国の人間を誰も失いたくない」
そんな火遁の言葉に、心枢、礼薫、義胡が声を詰まらせる。
いままで、”神”に守られるというより、神を守る意識が強かった闘王。
そして、陽国ではそれが当たり前だった。
神の為に、国の為に命をかけ、死んでいく事。陽国で一番最初に砕かれる者。
それが闘王の存在価値だ。
「まいったね、火遁には」
「…義胡?」
「そんな言葉出されたら、俺達の存在価値がなくなっちまうじゃないかよ」
「でも、俺は」
義胡は少し強めに火遁の頭を叩いた。
「痛っ」
「それ以上は思ってても言うな。俺達は、神にそう思われるだけで良い。口にしちゃいけないんだよ。それがこの国の仕来りなんだよ。
誰も、そう思ってる。仲間が死んで欲しくないなんて、死を喜んで思う奴がいるか」
「…義胡」
「闘いに綺麗事なんか通じない。皆その矛盾を解ってやってるんだ。
お前の気持ちは解ってる。でも、それを口にするな。解ったか?」
「…うん」
「返事はもっと大きくはっきりと!」
「はいっ」
思わず背筋の伸びた火遁の姿に、心枢が笑いを漏らした。
「はは…っ!!」
それに釣られて礼薫も思わず口元を押さえた。
「相変わらずだね、義胡は」
「同感だ」
「だって、そうでしょう?南国だって神にほいほい規律破られてたら纏まる物も纏まりませんよ?そうじゃなくても北は智功が散々問題起こして大変だったっていうのに!」
毀れた笑いを飲み込んで心枢が火遁へ目線を投げる。
「確かにその通りだ、火遁。そう思う気持ちは嬉しいけど、口にしてはいけないよ。皆、その気持ちは解っているのだから」
「…解った」
「火遁もまだまだ子供だという事だな、心枢」
「その様ですね」
□□□□
智功の言葉を聞いた直後に金樺のとった行動は水杵の顔を見ることだった。
ここ最近、何か新しい情報を得るたびにこの行動をしている気がした。
水杵は眉間にかなり深い皺を寄せていた。
「大丈夫か、ぶっ飛んでねえか?」
「大丈夫だ、少し考えさせてくれ」
「了解」
どれくらいの時間がたったか。
椅子にもたれた智功が大きな欠伸をすると同時に水杵が口を開いた。
「天照大神には?」
「ああ、風啼様が行ってるけど、今の時点じゃ可能性は低いな」
「だが、いづれは口を割るだろう?」
「流石、金樺。飲み込みがいいな。遅かれ早かれ、口を開かなきゃならないのは天照大神もわかってるはずだ。特に、陰国が動きを早めた今じゃ、その時間が重要なのはわかってるはずだからな。
だが、俺らにとっちゃこの件は好機だ」
「好機?」
智功の言葉に水杵が首を捻る。
「考えてみろよ、これで陰国の全体像は大まかにわかった。あとは天照大神の動き次第だろ?いうなれば、この闘いは国の頭同士の問題だ」
「確かに、天照大神が動くという状況にまでなれば、あとは従うほか無いからな」
「珍しく水杵が早く納得したな?」
「それはどういう事だ、金樺」
「だってそうじゃん。今まで納得するまで相当時間かかってたし」
「そうそう。最近じゃ火遁の方が納得すんの早くなったしな。いい加減その石頭柔らかくしねえと、火遁の方が先に大人になっちまうぜ?」
智功のからかい混じりの笑みに、水杵は返す言葉が無かった。
確かに、自分は考えをまとめるのに時間がかかりすぎている。
自覚はあったが、そう簡単に変えられるものでもなかった。
「ま、それが水杵らしくていいけどな。俺だって完璧じゃないし、皆を助けて助けられてそれでいいんじゃないの?俺達仲間なんだからさ」
金樺のフォローは最適だった。
結局の所、水杵を助けに入るのはいつも金樺の一言につきる。
「…火遁に負けてたまるか」
「は?」
「火遁なんかに負けられるか!俺はアイツの師匠だぞ!」
「…子供ですか、貴方は」
智功の苦笑いに釣られて、金樺も笑いを漏らした。
□□□□
やはり、この空気には慣れなかった。
幸いなのは、隣に愛朱がいる事だろう。
娘の愛朱がいる事で、天照が出す、独特の空気が少し和んだ。
「言葉を濁しても仕方ありません。単刀直入にお聞きさせていただきます」
愛朱は少し心配そうな顔で風啼を見ていた。
無理も無い。平然を装っているように見せて、風啼の身体は酷く震えていたし、顎から落ちそうなほどの汗をかいている。
「今回の件、陰国の首謀者と見られる”嵐萄”は天照大神のご親族ですね?」
精一杯の力を込めてようやく搾り出したといった感じだ。
少しでも気を抜けば、風啼は正座したまま後ろに倒れこみそうだった。
「母様、風啼は責めているわけではありませんよ」
重い沈黙だ。
天照はその存在だけで重圧感が凄いというのに、更に張り詰めた重圧が圧し掛かる。
あと数秒、天照が口を開くのが遅ければ、風啼の意識は飛んでいただろう。
「…胤が動き出しましたか 」
「胤?それは?…」
「…おそらく、お前達には凡その調べはついているのでしょう…。胤は…私の唯一の子弟にあたります」
「…ご子弟?しかし、それでは陽国の史実とは」
天照大神を引き継ぐ家系には”男子”は生まれないとされた。
陽国に存在する資料にも、天照の家系に男子の名は無い。
「…母様、それは陰国の王族に”女子”が生まれないことと関係が?」
「…胤は忌子。陽国の…」
震えた天照の声を初めて聞いた気がする。
そんな天照の口から出た巨大な歴史の影は、あまりにも重すぎた。




