二つの国(4)
昨晩から、しとしとと降る雨の中、長屋の中は気味が悪い程に静かだった。
陰国の王家の建物は「街中」といわれる場所から少し離れているせいもあるだろう。
普段から騒がしい場所ではないが、昼過ぎだというのに、物音1つも聞こえない。
特に珍しい事ではなく、雨の日はいつもこうだ。
身体を動かす事が好きな逐磨は部屋に篭ってしまい、蒼凋と赤凋も嵐萄の手伝いをする以外は部屋に居る時間の方が多い。
集まる時間が少ない所為か、良くて会話をするのは食事の時間位。
そんな静かな中、燵紅は嵐萄から渡された長屋の地図を片手にあちこち歩き回っていた。
入ってはいけないといわれる場所はそう多いわけではないが、しばらくはここで生活しなければならないから、ある程度、部屋の配置は覚えていないといけない。
中央塔を挟んで両隣にある各自の部屋。
建物の正面から見て右が逐磨、左が姉妹の部屋。
特にここは覚えなくても、姉妹の部屋にはドアが2つあるからわかる。
赤凋によれば、中には薄い仕切り板があるというだけで、1つの大きな部屋だと言っていた。
ドアが2つなのは、就寝中や何か用入りの時、出入りに気を使わないようにする為だとか。
2つの部屋の隣に、空き部屋が数個。
嵐萄の部屋は右端から3つ目の少し大きな空間。
燵紅は左端から2つめ。
そして嵐萄の部屋の1つ脇に小さな書庫があった。
燵紅は読書や勉強はあまり好きではないが、一応部屋は全て見ておこうと思っていた。
こんなに少ない部屋数なのに、この建物には変な事ばかりが起こるように思える。
中央塔や調理場にはいつも人の気配が無いのに、いつのまにか用意されている食事。
嵐萄が頑丈に鍵をかける中央塔の上部層。
壁1つだけなのに、完全に遮断された部屋と部屋。
「仲間」というモノが共同生活をするには、あまりにも異様に思えた。
1つづつの部屋が完全に外部と遮断されているのだ。
まあ、元々嵐萄は秘密主義者の男だ。
随分長い付き合いになるのに、燵紅は嵐萄の年齢や生い立ちはまったく知らなかった。
廊下をまっすぐいって、突き当たりの右手に小さな扉があった。
隣の部屋の幅から考えても、大人が2、3人入れば身動きが取れなくなりそうだ。
特別ノックもせず、躊躇無く扉を開き、足を1歩踏み出す。
その瞬間、鼻先に何かが当った。
柔らかく、人肌の温かさのもの。
「んわっ」
思わず首を後ろに引き、目に飛び込んできたのは赤い布切れから覗いた白くほっそりとした…。
「…あん?」
そのまま目線だけを上に動かす。
横に並んだ本棚の3段目位まで動かした所で、左右で色の違う、赤と青の瞳と目があった。
それが赤凋だと認識するかしないか、瞳のすぐ下から強烈な叫びが上がる。
叫び声を上げた赤凋の身体が、小さな脚立から後方にぐらりと倒れた。
「ちょっ…!!」
反射的に両手を伸ばしたのが幸いだった。
脚立は燵紅の腰辺りしかないものだったから、倒れ掛かってきた赤凋の小さな身体を受け止めて踏み止まる事は容易だ。
脚立が倒れて、本が数冊床に落ちる。
「大丈夫…か?」
少し間を置いてから赤凋が顔を上げる。
「…ごっごめんなさい」
「いや、俺も悪かった。怪我ねぇか?」
赤凋の身体を床に下ろして少し乱れた髪を手際よく調える。
「赤凋、どうかしましたか?」
少し心配そうな疑問調の嵐萄の声が聞こえる。
「大丈夫です。ちょっと脚立でバランス崩しちゃっただけですから」
少し声を張った赤凋の返事に、嵐萄は「気をつけなさい」とだけ返してきただけで、姿を見せる事は無かった。
「燵紅さん、何故ここに?」
「ん?この建物の中、知っておこうと思ってな」
「ここは面白いものは無いですよ」
赤凋は小さく笑みを漏らして燵紅を見上げる。
「だろうな。見てて頭が痛くなりそうだ」
「燵紅さんが楽しめるものなら、中庭に回っては?」
「中庭?」
「簡易の道場というか、練習場がありますよ。待っててください。今案内します」
赤凋は床に落ちた数冊の本を拾い上げ、本棚に戻すと、一歩引いた嵐萄の脇に出て、書庫の扉を閉める。
「こっちです」
赤凋に言われるままについていくと、中央塔の脇手に言われなければ気がつかない様な場所に細い通路があった。
緩やかな階段が続いている。
大人の男が一人、横になってようやく通れる位の階段だ。
もっとも、子供の赤凋達や、細身の嵐萄であれば、さして苦労するような幅ではないだろう。
燵紅にとってはようやく通れるといった感じだったが。
階段を抜けると、四方が金属で囲まれた場所に出る。
淡い光の伝統が等間隔で8つついていて、半分まで開けられる窓が、向かい側に4つ横に並んでいた。
広さは中央塔と同じで、高さは3メートルほどあるだろうか。
おそらく中央塔の真上にあるのだろう。
中庭というよりは秘密基地と言った方が似合うような印象だ。
「…道場に行く道がこんなにわかりにくいのか?」
「嵐萄さんの「呪術」が隔離されてる場所じゃないと危ないんだそうですよ」
「…へぇ」
「誰かに使う事を言っておいてくれれば、自由に使って構いません。
うっかり知らないで入って身内に攻撃なんて事にならないように…ね」
赤凋が小さく笑いを漏らした。
「…そういや、お前はどんな闘いをする?」
「え?私ですか?」
燵紅の質問は少し意外なようだった。
聞かれなければ言うような事柄でもないから、突然といわれた事に驚いたのかもしれない。
「あれ?お前ら戦闘要員じゃねえのか?」
「いえ、私達も一応。別に隠す事でもないですけど、私は”コレ”です」
赤凋が長いスカートの脇を開いて太ももにつけた3センチ幅位の細いベルトを見せた。
赤凋の長いスカートは両脇が腰の切り返しまでザックリ開いているデザインらしい。
先ほど脚立の上に居た状態は、足の間に布があった。あの長さを捲り上げるにしては妙な格好だと思ったが、スカートの間からあの様に足が見えていたのはそのせいか。
燵紅はそんな事を考えながらそのベルトに差し込まれた細い無数の針へ目を投げる。
目を凝らさなければ1本づつの針は確認できない。
もう少し年が上なら、この武器を出す動作だけでも敵の目を引く事はできるだろう。
しかし、赤凋のその動作を見ても、特に揺らぐ事はなった。
先ほど見ていた免疫という訳ではなく、赤凋が幼すぎるのだ。
その手の趣味があれば別だろうが、五神や十二国土闘王がその手の趣味があるとは思えない。
それに、そんな場所に武器を隠すにはこの長いスカートは不便に思う。
普通なら、細い針を引き抜きやすいように、そこに衣服が無いデザインか、或いは服の外や、外しやすい腕につけるのが一般的だった。
「見てみますか?」
「お前の技をか?」
「はい」
身内の技を知るに越した事は無い。
この様子だと「戦闘時に協力しあう」なんて精神はなさそうだが、いざという時に、即座に協力できる可能性もある。
燵紅が小さく頷くと赤凋は辺りを見回し、少し困ったように首をかしげた。
「どうした?」
「的…用意してなかったので」
「的?ああ。「敵」がいねえとな。何なら俺が相手になるぜ?」
「え?でも…」
「ある程度の攻撃なら「避ける」対応はできる。こっちから反撃はしねえよ。殺す気でこなきゃな」
赤凋は少し眉を潜めたが、少し間を置いてから小さく頷いた。
燵紅であれば、もし被害が出るような事態になっても、最小限で抑えられるだろうと思った。
「じゃあ、絶対に動かないか、「針が見切れたら」弾いてください。前者の方がいいと思いますけど。今は「毒」は入れてないので、当っても致命傷じゃない所、狙いますが」
「はいよ」
燵紅は腕を組んで赤凋の動きを目で追う。
赤凋はスカートを戻して、ゆっくり深呼吸した。
あの場所にある針を引き抜いて「的」に当てるとすれば、きっかけとなる動作はわかるし、投げれる数も多くは無い。
針の細さからすればベルトに刺さっているのは最高でも300。両足として600。
赤凋の「リーチ」と筋力を考えても、攻撃範囲と速度は然程「強くない」。
2回目の深呼吸、赤凋が息を吐く瞬間だった。
赤凋の攻撃の開始が燵紅のとって予想外だった。
スカートの合わせ目はずれていない。
裂け目に手が一瞬触れただけの様に見えた。
前方で組まれた指先から伸びる白い糸の様な光を見て、予想した「攻撃範囲」の外に飛ぶ。
飛び終わった瞬間、燵紅は更なる予想外の事態に、急いて左腕を顔の前に移動させた。
細く鋭利な針の先端が皮と肉に食い込む鈍い音と、それを引き抜く感触。
数十から数百の針の塊は脅威の攻撃力を持つ。
一瞬、表情が歪んだ。
赤凋が攻撃を途中で止め無ければ、間違いなく、左腕に白い糸は貫通し、しばらく使い物にならない事態になっていただろう。
「…っ…」
「だっ…大丈夫ですか!?」
じわりと滴る血液を右手で抑える。
随分と久しぶりに自分の血を見た気がした。
「…ああ。俺の予想外だっただけだ。お前…その針…」
速度・攻撃範囲・攻撃手法。
全てにおいて燵紅の常識を裏切った。
「解りやすく言うと、”糸”の様に高速で操ります。と言っても、針の1つ1つをある物で繋いでますけど」
「…あるもの?」
赤凋は指から繋がった針を手繰りよせる。
細い針の端を結ぶ極細い半透明の糸。その端は、赤凋の指に完全に「連結」していた。
「…”生きた”人間の神経です。通常の人間の中で動いたままの状態です。私の神経と繋がっていて、腕を動かすように、自在に操れます。使わない時は切ってますけど」
「…生きた神経を…?んなもん…どうやって」
赤凋が眉を潜めて口を噤む。
その表情から、それが何かしろ「嵐萄」が関係しているのだと燵紅は悟った。
「…恐れいったぜ。嵐萄がお前らを使う理由がわかった気がする」
少し申し訳なさそうな表情を浮かべる赤凋。
「中央塔に行きましょう。薬、塗らないと」
「かまわねぇよ。唾付けときゃ治る」
「でも…」
「俺が的になるって言ったんだ。気にすんな」
赤凋の頭を軽く叩き、燵紅は笑みを漏らす。
毒針の攻撃は、そう易々と習得できるものではない。
傷をつける位ならある程度、器用な人間であれば出来るだろうが、致命傷を齎すにはそれなりの「センス」が必要だ。
赤凋の格闘センスが格段に良い事はわかる。
「…そういえば、十二国土にも「毒針」をつかう奴がいたな」
「…心枢ですね。巳ノ国の。彼の針使いも凄いですよ。1本の針で確実に急所を刺しぬきます」
赤凋の言い方は「心枢」を良く知っているような感じだ。
「お前の武器が”毒針”なのも、何か関係ありそうだな」
針を自分の体と同じように操れるのなら、毒という保険が無くても致命傷をつけることは可能だ。
「…燵紅さんは、どれだけ陽国のことを?」
そんな赤凋の問いを燵紅は意外に思った。
問いかけた質問に対した答えとはまったく違う方向の言葉だったからだ。
まあ、同じ手法の戦術の相手を詳しく知っているとしてもさして不思議じゃない。
それに、関係があろうがなかろうが、燵紅にはどうでもよかった。
「どれだけねぇ。まあ、直接知ってるという所では、結構前に子ノ国の闘王と手合わせした位だな」
「…智功と」
「まあ、そん時はあいつが十五、六で闘王ってのはしらねえし。警備の人間が来たから止めまでは刺さなかったけどな。他の闘王の事は名前と顔が一致する程度だ。どんな技を使うかとか、其々どう繋がってるかは知らねぇ。興味も無い。
元々、俺は「陽国」と戦争なんかする気はなかったからな」
少し間を挟んで、赤凋が小さく笑いを漏らした。
「良かった」
「ぅん?」
「相手を知らない方が、殺すのは楽ですから。”義胡”の様に、感情がありすぎると、要らない苦しみを背負う事になりますからね」
一瞬だけ、赤凋が見せた表情に、燵紅は背中の中心がゾクリとするのを感じた。
思えば、赤凋の口から「殺す」という言葉が出たのは初めてだ。
普段はどこにでもいそうな女の子であるのに。
その一瞬の顔が、暗く淀んだ狂気をまとった般若の様に見えた。
□□□□
一人きりの部屋の中、蒼凋は自分の身長の半分程もある巨大な扇子を胸の前で広げていた。
淡い藍色のグラデーションの神に金の縁取り。
両端に翠色の石がついていた。
全体を支える軸は1つ1つ太さが違う。
白濁が少し茶けた様な扇子にしては少し太めの軸だ。
コレだけの大きさがあれば、非力な蒼凋が持つ事を考えると、さしておかしくはないだろうが、折りたたむ時、太さが揃っていないと綺麗に畳めない扇子にとっては少し滑稽に思えた。
蒼凋は静かに立ち上がると扇子を軽やかに翻す。
ふわりと柔らかい空気の中に異常なまでの重さが落ちた。
くるり。またくるりと扇子を翻し、柔らかな空気が重い何かに刻まれていく。
軽やかな足元とは裏腹に、扇子から舞い降りる何かが足元を激しく切り刻む。
まるで、何かを訴えるような。
「うるせぇなっ!!」
その舞を止めたのは、勢い良く扉を叩く音と逐磨の怒号だ。
「やるなら中庭行けよ!蒼凋!!その”悲鳴”が煩くて頭が痛くなる!!」
「…ごめん」
静かなその言葉に後に逐磨の声は返ってこなかった。
「…煩いか…」
蒼凋は扇子を畳むと、静かに部屋を出る。
細い通路を抜けた先に見えた二人の姿に、蒼凋は少し間の抜けた表情を見せた。
「…何してんの?」
「蒼凋。燵紅さんに、ここを教えようと思って」
蒼凋は燵紅の腕の傷を見て、笑い混じりのため息をついた。
「どうせ、的にでもなるとか言ったんでしょ。甘く見すぎたね」
「…かわいくねえなぁ」
口を尖らせる燵紅に、蒼凋はからかう様な笑いを漏らす。
「図星のクセに。あたしここ使いたいから、出て行って貰える?」
「あ、うん。燵紅さん、やっぱり薬塗りましょう」
燵紅は蒼凋の腰についた扇子に目線を投げる。
「蒼凋の”技”も見てみてぇな」
「え?」
蒼凋と赤凋の声が綺麗に揃った。
少し間を挟んで、蒼凋がまた笑いを漏らす。
「止めときな。赤凋の技も避けられないあんたに、私の技を防ぐ方法はないよ」
「…随分、自信ありげだな」
「燵紅さん、蒼凋のいう事は本当ですよ。私でも、こんな至近距離で蒼凋の技は防げない」
「…まあ、どうしても見たいって言うなら、少しだけ見せてやってもいいけどね」
「…蒼凋」
蒼凋は眉を潜める赤凋に目線を投げると、腰に刺していた扇子を引き抜く。
「燵紅さん、これ、してください」
「ん?」
赤凋が差し出したのは小さな粘土の塊だ。
「…なんだ?」
「耳栓です。これしないと、耳、駄目になっちゃうから」
燵紅は眉を潜めて蒼凋を見る。
赤凋の事もあって、ここは素直に従う方が利口だ。
差し出された耳栓を無言のまま耳の奥に押し込んだ。
…音が、また消えた。
正確には自分自身の生命音だけが聞こえている。
無音の中に、静かに扇子を開く、軸と骨組が擦れてカラカラと音が響く。
蒼凋の足がゆっくり地を踏む。
開かれた扇子が身体の回りを舞うようにくるくると舞い踊る。
軽やかな蒼凋の動きに合わせて、扇子がついて回るような、華麗な踊りだ。
しばらくその姿に目を奪われた。
一瞬、蒼凋の動きが止り、扇子が裏返る。
「…っ!!」
身体。というより、頭の奥深くに何かが響いた。
音じゃない。
振動でもない。
扇子が振り下ろされると同時に、頭の中を引き裂くような重い、重い…何かが這い出す。
「ぐっ…」
一振り、また一振り。
脳味噌の中心から抉り出すような。内臓の壁を何かに吸いつけられてるような。
生きる事を停止されるような。
「かはっ…」
呼吸が出来ない。
内臓が、身体が機能していない。
扇子が生み出すそれは、身体の細胞を破壊していく様な、目に見えない凶器。
「蒼凋!!」
その一声で、蒼凋は動きを止める。
それと同時に身体が生きる事を再開したのが解った。
「はっ…かはっ」
呼吸を整えるのがやっとだ。
体中に汗が滲む。
「だから言ったのに。私の技は…避けられないって…」
まただ。
赤凋と同じ顔で蒼凋が笑みを浮かべる。
耳の奥に詰まった粘土をかき出して、燵紅は逃げる様に通路に入る。
「程ほどにね、蒼凋。全開すると、ここじゃ収まらないから」
「わかってる」
二人の姿が見えなくなると、蒼凋は再び扇子を掲げる。
「好きなだけ叫べばいい。貴方達の行き場所はここしかないのだから」
静かに空間が引き裂かれる。
部屋に着いた頃には耳の感覚も呼吸も元に戻っていた。
「大丈夫ですか?」
「…お前らはなんでも予想外の事をしやがる」
顔を歪める燵紅に、赤凋は目を伏せる。
「…私達は、燵紅さんの様に力が無い。こうしないと敵を倒す事はできないから」
「あの音は…死者の音だ。生ける者を蔑ずむ音だろ」
「…解りましたか」
「扇子を見て解った。あの軸は”人骨”だったからな。それも「子供」のもんだ」
赤凋は苦笑を漏らして、小さな窓の外を見る。
「私達には、この力でやらねばなら無い事があります。それが、世間から蔑まされる事であろうと。私達には力が無い。
だから、嵐萄さんという力を借りています」
「…それが何なのかは聞く気はねえよ。俺は俺のやりたい様にやるだけだ」
「…嵐萄さんが燵紅さんを仲間にした理由がわかった気がします。
…私達は…仲間ではないから…」
燵紅は赤凋の横顔に目を静かに閉じる。
この子達の生や死に対する”感情”はすでに無いのかもしれない。
それを目の前にした時、まるで別の誰かが乗り移ったような謂れも無い表情が浮かぶ。
□□□□
水杵の顔が歪んでいる。
金樺はその瞬間、水杵の口から出る言葉を察した。
「おかしい」
的中したのが良かったのか悪かったのか。
もっとも、顔を見た時点で想像はついていたから、感じる疲れはだいぶ少ないものになったが。
「…智功のことか?」
「ああ。確かに「薬玉」を貰いに行く時に連絡を取らないのは解る。しかし、今回はそのレベルの話じゃないだろう」
「…まあ、確かに変な事だけど、別に気にする事でもないだろ?
元から智功は気になる事はすぐに調べる性質だし」
「それがおかしいんだ」
金樺はまた水杵の言い方に首を捻った。
しかし、何度と無く直接的に言えといっても、素直にそうなった試しが無いから、もう水杵の言い回しに関しては諦めていた。
どちらにしろ、水杵の考えが全て出るまで、自分は相槌を入れながら話を聞いていればいいのだから。
「色々立て込んでいる間、心枢に繋がりを聞きたいのであれば風啼様に通達を頼めば済む話だ。それに、心枢であれば、事細かな事になれば、あちらから出向いてくるだろう」
「そりゃ、まあ…」
「何か、隠している…?」
そんな水杵の言葉に金樺は眉を潜めた。
水杵の言い方はいつも遠まわしたが、可能性のまったく無いに等しい答えを口にする事は殆ど無かった。
「俺達はまだしも風啼様にもいえない様なことをか?国に関する情報は全て風啼様に報告する智功が、それはありえないだろう」
金樺のいう事はもっともらしい。
多分、誰に聞いても同じ答えが返ってくるだろう。
「それが、おかしいんだよ。全てを風啼様に報告する智功だからこそ、おかしいんだ」
水杵に答えは無い。
もちろん金樺にも答えはなかった。
しばらくの間続いた重苦しい沈黙を破ったのは火遁の声だった。
「師匠~いるぅ~?」
「…火遁?どうした」
顔を覗かせた火遁は金樺と目があうと、軽く手を振って水杵に目線を戻す。
「夜壬が来たぜ」
「…夜壬?」
火遁の後ろについてきた夜壬の姿に、水杵は少し驚いた。
夜壬に会うのは火遁の成人の義依頼だから、そう昔の事ではない。
しかし、夜壬が本国に呼ばれる事は滅多に無く、自分から本国に来る様な性格でもない。
「どうした?」
「風啼様に用事を言い付かったので、ついでに挨拶をと思いまして。
どうなさいました。随分疲れた顔をなさっていますね」
「…ああ、少し…な。茶を入れよう」
「師匠、俺やるよ。今にもぶっ倒れそうな顔してる」
「…すまない」
席に着いた夜壬が水杵の額を軽く摩る。
動物の状態を触って確かめる、夜壬の癖だった。
「考え事ですね」
「…答えの無いな」
「…どの様な疑問にも答えは必ずあるものですよ。時間が過ぎれば、自ずと姿が見えてくるものです」
闘王の中でも年長組みに入る夜壬は、どこか穏やかに包む様な雰囲気があった。
静かに物事を諭す黒斗と同じく、北国の闘王は、智功を除いては緩やかで静かだ。
「…そうだ、先ほど風啼様から今回の件、聞きましたが、燵紅が居るようですね」
「…燵紅?」
その名前に、金樺と水杵が首をかしげた。
「ああ、変わり者のやつらにいた名前だ」
茶を乗せたお盆を机の上においた火遁が、会話に混ざる。
「ありがとうございます。火遁様」
「火遁でいいよ。なんか夜壬に敬称使われると、変な感じする」
「本国ですから」
少し照れくさそうに水杵の脇の席に腰を下ろす火遁。
夜壬とはそれ程親しい間柄ではないが、まだ少し、神として扱われる事に慣れなかった。
神になってからの環境が、あまり変わりなかったという事もあるだろう。
智功や義胡は風啼や炎遁がいなければ、本国だろうと関係なく、火遁に対して、以前の様な態度のままだった。
「それで、その燵紅が、何か?」
「ご存知では?」
「何を?」
夜壬は少し目を見開いた。
予想外。だったのだろう。
「では、智功は何も言ってないんですね?」
「…ああ。今朝から巳ノ国にでているしな」
水杵の顔をしばらく見つめ、夜壬は一拍置いて、言葉を出した。
「智功が16の時、燵紅に瀕死の重症を負わされた事がありました」
「…え?」
声を漏らしたのは火遁だった。
「どうしてそうなったのかは智功が話さないのでわかりませんが、当時の智功はまだ闘王になって3年というのもありますし、それ程重要な項目ともされていませんでした。
燵紅は陰国の王家に仕えている者でもなかったし、いうなれば大きな喧嘩だったと」
国に関わる重大事件で無ければ、本国や方神にその事が報告される事は殆ど無かった。
当時、まだ神でなかった水杵達に知らされないのも極自然な事だろう。
「…まさか」
「…どうなさいました」
水杵の漏らした言葉が答えを出したような気がした。
「夜壬、その時、智功は誰の所で治療を?」
「陰国との国境近くでの事だそうですが、確か、閑叉先生の所ですよ。当時、心枢も助手として働いていたと聞いています」
「…水杵、お前の考えドンピシャだな」
「どういう事だよ、金樺」
金樺が火遁の方へ目線を投げる。
「その燵紅って奴は智功より格段に”強い”って事だ。おそらく…智功が「死」を意識する程にな」
「…智功…が?」
「陰国の計画は…想像以上に昔から組まれていたのかもしれない。最初は形は見えずとも、自ずと…形が」
水杵の口はそこで止った。
「先頭部隊が…出鼻を挫かれたってやつですね。智功が「死」を意識したとなれば…厄介な事になりますよ。闘王の中で、智功は「戦闘」の軸と言っても過言じゃありませんからね」
夜壬の言葉がやけに心に食い込んだ。
確かにまだ完璧とは言えない今の五神にとって、安心して援護を任せられるのは、誰よりも戦場を経験した智功をおいて他に無い。
「師匠…?」
水杵は固まっている。
智功は戦闘においての主軸だ。
北で、陽国でもっとも信頼をおく人物だ。
水杵の頭の中にあった陽国の土台が崩れかかっている。
頭の中の構想が一気に崩落して真っ白になった。
「…水杵は少し頭冷やさねえと理解できないな。
夜壬、金虎邸か火凰邸でもう少し詳しい話を聞かせてもらえるか」
「構いませんよ」
火遁が水杵の顔の前で手をバタバタさせてみるが、水杵の目線は動かない。
「師匠、見事にぶっ飛んでる」
「そのままにしとけ。そうなると1日はどうにもなんねえからな」
動きの止った水杵にひざ掛けを置いて、火遁は歩き出した金樺と夜壬の後ろについていく。
火遁にとって、事態はまだ上手く飲み込めない。
まだ、火遁には目の前の敵が大きすぎたのかもしれない。
目の前にはただ、黒い壁が立っているだけで、その高さの全ては見えていないのだから。




