二つの国(3)
「おはよう、蒼凋、赤凋」
「おはようございます、嵐萄さん」
「おはよーございます…」
まだ寝ぼけ眼の蒼凋と対照的に、赤凋は蒼凋の髪を結いながら、きちんとした挨拶を返してくる。
毎朝決まった風景だった。
中央塔の机の上にはいつもより1つ多い朝食が並べられている。
長屋の食事の用意はそれ様に調理師を嵐萄が雇っていたが、皆が中央塔に揃う時にはすでに食べる状態になっていたから、それらの人物の姿を見た事はなかった。
食事や嵐萄に呼ばれたとき以外は中央塔にはあまり立ち寄らないから、誰かが居ればすぐに気がつきそうな物だが、その様な気配を感じた事もなかった。
「逐磨と…燵紅さんはまだ?」
「おかしいね?逐磨ままだしも、燵紅は朝寝坊するような奴じゃないのに」
嵐萄が視線を二人から扉へ向けた瞬間だった。
「ぎゃああぁっ!!」
悲鳴とも怒号とも取れるような絶叫が、長屋中に響き渡る。
それと略同時に、正面の扉が張り倒されんばかりの勢いで押し開かれる。
寝巻きが乱れたまま、顔を歪めて息を切らせる逐磨が、物凄い剣幕で嵐萄を睨み付けた。
「嵐萄っ!!」
「はい?」
「なんなんだよ、あいつは!!」
「…と、言うと?」
逐磨の言わんとしている意図がわからず、嵐萄が首をかしげると同時に、両耳に小指を突っ込んだ燵紅が逐磨の後ろから顔を覗かせる。
「馬鹿でけぇ声出しやがって。鼓膜が破れるかと思ったぜ」
そんな燵紅に、逐磨は肩を跳ねさせ、勢い良く嵐萄の後ろに回りこむ。
「燵紅、お前、逐磨に何をした?」
「何もしてねぇよ。ただ、寝顔を見てただけだ」
「…寝顔?」
嵐萄は後ろに隠れている逐磨の顔を見て、あきれ気味にため息を漏らす。
「あのねぇ、燵紅。お前、自分の顔を鏡で見た事が無いとは言わないだろう?」
「あん?」
「寝起きに、その顔があってみろ。大の大人でも悲鳴を上げる」
そんな嵐萄の言葉に、燵紅は眉端を少し上げて小さく舌打ちを鳴らす。
「…失敬な奴だな。悪かったよ」
燵紅は赤凋の横の椅子に腰を下ろし、赤凋の顔を覗きこむ。
「そんなに俺の顔怖い?」
「え?…す、少し」
思わず肩を落とす燵紅に、赤凋は慌てて、言葉を続けた。
「で、でも、お役所の兵よりは怖くないですよ!!」
「…ありがと」
苦笑いを浮かべて机に顎を落とす燵紅の顔を目を細めてみる蒼凋。
「顔の問題じゃないと思うけどなぁ」
そんな蒼凋の言葉に、皆の視線が集まる。
「どういう事だい?蒼凋」
「中身。っていうより、中から染み出したもののせいだと思うけどね」
「…中身?」
燵紅が成長を見る目を細める。
「この際はっきりさせときたいし。単刀直入に言うよ。アンタ、三桁は殺してるでしょ?」
その言葉に辺りが一瞬凍りつくような空気が流れる。
「もちろん、言いたくないなら構わないよ?ここでは互いの言いたくない過去は話さない決まりだし。
でも、その様子じゃ、あんたは過去を隠すタイプじゃないみたいだし、あたし達の目は簡単な嘘じゃ誤魔化せないからね。
あたし達は、そこの2人みたいに、何百人と生を殺めた連中をごまんと見て来てる」
「嵐萄が簡単に口を割らない理由ってやつか。その様子じゃ結構エグイ契約みたいだな」
赤凋が横目で嵐萄を見て、困ったように眉をしかめる。
少しの間を挟んで、燵紅が小さく笑いを漏らした。
「確かに、俺は隠すつもりはないし、お前らの事を詮索するつもりもないよ。いいだろ、教えてやるよ。俺の生活の糧は「賞金首」だ。十六からこの生活をしてる。それから十八年、俺が狩った首は…」
思わず、嵐萄を除く皆の喉が鳴った。
「…一千と六百二十三だ」
また、少しの間を置いて蒼凋が笑いを漏らした。
「…四桁か。そりゃ全身に出るよね、返り血が。納得した。ありがと」
「そりゃどうも」
燵紅の笑みと共に当りの空気の緊張が和んだ。
「…まさか四桁になってるとはねぇ…前会ったときはまだ三桁だったのに」
「賊相手にすれば1回に百人単位で増える。別におかしくも無いだろ」
「…嵐萄」
「はい?」
「こいつ、何者なんだよ」
「ああ。そうだね、昨日から仲間に入った燵紅。今聞いての通り「賞金首狩り」の風来坊だ。歳は三十四。私の古くからの友人だよ」
「…燵紅…?」
「どーも。逐磨だったな。キツくてイイ目をしてるけど、寝顔は歳相応だったな」
「!!」
思わず殴りかかろうとする逐磨の襟元を掴んで、嵐萄が燵紅の額を指で弾く。
「喧嘩は無闇に売るな。それから、各自の部屋には勝手に入らない決まり。特に逐磨の側に行く時は人二人分の距離をとる事」
「…二人分?」
「俺が理性を失わない距離だよ」
燵紅は興味深そうに逐磨を見る。
「じゃあ、何でお前にはそんな距離でいれる?」
「逐磨から近づく分には問題は無いんだ。逐磨の意識がそこにあるからね。理性の無い逐磨では、私でも制御できる保証は無い。死にたく無かったら…」
ふいに目の前から姿が無くなった燵紅。
それと同時に後ろに居た逐磨から声にならない悲鳴が漏れる。
硬直する逐磨の身体を後方からがっちりと抱きこんで笑みをもらす燵紅の姿に、他の三人はあっけに取られ、口をぽかんと開いたままだ。
「離せ!!離せよ!!」
「やーだね」
「…どうして?」
赤凋がにんまりと笑みを浮かべる燵紅を不思議そうに見つめる。
「様は逐磨の警戒意識があるから近づけねえんだろ?なら、警戒する距離をやらなきゃいい話だ。大抵の奴は、相手が視界に入る間と自分に近づく距離が警戒意識になる。解りやすく言えば「間合い」ってやつ」
「…間合いを一瞬で詰めるという事か。しかし、逐磨はある程度、気配を消していてもすぐに察知できるはずだけどね」
嵐萄の問いに、燵紅は、首を軽く左右に振る。
「気配なんか消してねえよ。大体俺は術者じゃねえから、そんな事は出来ねえし」
「一瞬で移動するって…事ですかね?」
「んー。まあ、そんな感じかな。気がついたら出来てた事だから、俺は「飛ぶ」って言ってるけどね。それにそんなに長い距離は出来ないぜ?精々、5、6メートルってとこかな」
嵐萄は、燵紅がいつも突然と居なくなる理由がわかったような気がした。
国境を越えるときに「飛ぶ」のだ。そうすれば、誰にも見られる事無く、国を出て行ける。
「…なるほどね。そろそろ離れてあげたらどう?いくら警戒する隙間を与えないと言っても、キレさせたら元も子もないよ。逐磨もそれなりに「強い戦士」だからね」
「あ、いけね。悪い悪い」
燵紅が腕の力を抜くと同時に逐磨は全力を込めて腕を振ったが、そこに燵紅の姿は無かった。
涼しい顔をして元居た場所に戻っている。
嵐萄が言う様に、逐磨の反射神経や察知能力は同年代の子供に比べて桁が違う。
もちろん、嵐萄が逐磨にかけた術の効果もあるが、その術が無くてもある程度の「闘王」と匹敵する能力があるはずだ。
しかし燵紅はそんな逐磨をその辺に居る子供の様に扱ってしまう。
この場にいる皆が一目置く嵐萄ですらできない事を笑みを浮かべながらさらりとこなすのだ。
警戒心を丸出しにする逐磨の頭を撫で、嵐萄は燵紅を見る。
「まあ、とにかく「同士」に喧嘩は売らない事だね。蒼凋もだよ」
「はぁい」
赤凋は最初に燵紅を見たときの印象がこの先も変わらないと思った。
一瞬にして、逐磨との関係を悪化させたのだ。
この先、逐磨が燵紅への不信感と怒りをを拭い去る事は無い。
ただし、蒼凋に関しては少し柔軟になったことが少しは救いになったという所だろうか。
□□□□
巳ノ国についたのは正午を過ぎた辺りだ。
商店は飲食外を除いては少し落ち着いた時間だろうか。
あちこちの店に「昼休み」と書かれた看板が下がっていた。
智功は同じ様に看板の下がった店の脇の道を入って脇にある戸口を開いた。
「心枢、いるか」
少し間を挟んでから、脇の襖が開き、口端から蕎麦をはみ出させた心枢が顔を出す。
おそらく座ったまま襖を開けたのだろう。
心枢は智功の顔を確認すると、蕎麦を飲み込み床についていた手を少し手前に移動させて、立ち上がった。
「いきなりだな、どうした?薬玉ならこの前、火遁が」
「買い物じゃねえよ。お前に話があるんだ。時間とれねえか」
智功の言葉に、心枢は困ったように柱にかかった時計を見る。
「そんな重要な事なら、風啼に通達を頼めばいいのに」
「風啼様の耳に入れたくないんだよ」
智功の口から珍しい言葉が出たと心枢は思った。
智功にとって闘王になった根源に風啼がいる。
単独行動の多い智功だが、闘王としての活動の全ては風啼の許可をとっていたし、それらに関して報告は欠かさなかったからだ。
それをしたくないというのだから、事柄は相当重要なようだ。
「今日はまだ予約の客がいるんだがな…」
「なら、仕事終わりまでブラブラしてる。何時ぐらいに終わる?」
「…そうだな、じゃあ、二時で店を閉めよう。その頃戻るか、この部屋にいればいい」
「いいよ、外出るの久し振りだ。観光がてら」
心枢に一時の別れを告げて、智功は商店街に戻る。
しばらく歩いた所で、一軒の飯屋に入った。
昼時の書き入れ時が終わって、店の中に殆ど客はいなかった。
昼休みの店じまい間近とあって注文できるメニューは少なかったが、火遁の料理修行に付き合ってマトモな食事をしばらくしてなかった為か、質素な料理でも馳走の様に思える。
早々に食事を切り上げて、商店から少し離れた広場に出た。
円形に広がる石造りの広場の中央には、同じく石で作られた噴水があった。
中央で水を噴出すのは蛇の石像だ。
何組かの親子が散歩をしている。
十二国土の土地柄は其々違うが、自国の方国の国は何れもどこかに通っていた。
巳ノ国は北のどの国とも似ていなった。それが少し新鮮だった。
方位が真逆の所為もあるだろう。
子ノ国と巳ノ国は略正反対の位置にあるから、然程行き来も無かったし、薬玉も伝書ついでに運んでもらう方が手っ取り早い。
噴水の淵に腰をかけ懐から煙管を取り出す。
しばらく煙をくゆらせていると、一人の子供が勢いよくかけて来て、智功の目の前で派手に転んだ。
見た感じは三つか四つ位の男の子だ。
ゆっくりと顔を上げると同時に泣き出すと思い、智功はその場にしゃがみこむ。
予測どおり、男のは今にも叫び声を上げそうな表情だった。
頬と膝を少し擦りむいている。
智功は即座に男の子の口を軽く手で塞ぐと、腰につけていた小さな鞄から葉っぱを2枚取り出す。
「男だろ、この位で泣くな。泣いたら余計痛くなるぞ」
男の子は出掛かっていた声を飲み込んだ。
智功はその様子に口を塞いでいた手を外し、両手で葉をはさみ、勢い良く捻った。
繊維が砕けて、僅かながら水分が滲んだ。
繊維くずごと傷口にすり込んで、智功は男の子の頭を軽く叩く。
「ただの擦り傷だから、これですぐ治るぜ。いいか、心枢んトコみたいなぼったくりに騙されんなよ」
「誰がぼったくりだ」
後方から聞こえた声と同時に後頭部に軽い痛みを覚えた。
「心枢…仕事は」
「予定より早く客が着たから切り上げた」
心枢が男の子の頭を撫でると、男の子は歩く頭を下げて、母親らしい人物の元へかけて行った。
「智功、飯は?」
「さっきそこで食った」
智功が指差した先へ目線を投げ、心枢はゆっくりと智功に戻した。
「昼時の後の飯屋じゃろくなもんが無かっただろ?」
「いいや、火遁の料理に比べれば残飯でも馳走に感じるよ」
「火遁の?」
「今、土紬様のとこで料理修行中。初日は水杵と義胡がぶっ倒れて、こないだ風啼様がぶっ倒れた」
「…それは皆、災難だったろうに。明雀様のそういう部分は受け継がなかったのかな、火遁は」
心枢は笑いを漏らして、指を商店の方へ向けた。
「店員も帰したから、家で」
「ああ」
智功はゆっくり立ち上がって、歩き出した心枢の後ろについていく。
人の居なくなった店の中は静かだった。
いつもの部屋に通されて、智功は腰を下ろすなり、懐から一巻の巻物を取り出す。
「それは?」
「今やってる仕事の資料」
「資料?」
「木櫟が風啼様に調べてもらったもんだ。嵐萄に関わりのある「変わり者」のリスト」
心枢は巻物にざっと目を通し、顔を上げる。
「これが何か?」
「嵐萄に関して情報は無くても、その中に、覚えのある名前があるだろ」
確かに、何人かの名前と顔が浮かぶ人物はいた。
しかし、何故それが風啼の耳に入れたくない事なのか。
「気がつかねえか?"燵紅"が嵐萄に繋がってるんだよ」
「……あ」
心枢が一瞬眉を潜めた。
「解ったろ、風啼様の耳に入れたくない理由が。っていうよりは、今回の計画の戦闘に関わる人物全てに聞かせたくないんだけどな」
「…確かに、カの広い燵紅であれば「嵐萄」という術者に繋がりがあってもおかしくない。
しかし、燵紅は風来坊で賞金首狩りだ。計画に加わるとすれば長時間拘束される。狩場を失う様な計画に、進んではいるとは思えないが」
「燵紅が「賞金」の為に首を狩ってるならな」
「…どういう事だ?」
「燵紅はな、金の為に首を狩ってるんじゃない…。首を狩る事自体が目的なんだよ」
瞬時に部屋の中の空気の流れが止った。
「解るかよ、心枢。俺の言う意味が」
「そんな…馬鹿な事があるか…」
急に手首をつかまれ、心枢が顔を歪める。
次の瞬間、掴まれた手首から伝わった、智功の異常なまでの震えに、心枢は息を呑む。
「…智功?」
「あいつが陰国の主軸に入ってみろ。俺達なんか歯が立たない。それどころか…五神の力さえ叶うか…解らない」
「馬鹿を言うな。いくらアイツが強いとは言っても、五神にたった一人で叶うはずがないだろう」
「…お前は知らないのか」
「…え?」
震えた智功の声が一瞬無になる。
「五百の賊を相手に、拳一つで傷一つ無しに全ての首を持ち帰った男なんだよ」
ゆっくり、ゆっくり吐き出された言葉に、心枢は身体の中の熱がどこかに引き抜かれた様な感じを覚えた。
遠い記憶の中にそんな噂を聞いたことがある。
名前も聞いたはずだ。
何故思い出せなかったのだろうか。
いや、それは、噂ではなく。
ぼんやりと頭の中に浮かんだ風景はまだ自分が闘王になる、数年前の。
□□□□
「心枢、ベットを一つ開けろ」
「急患ですか?閑叉先生」
静かだった病院の中が急に慌しくなる。
数人の役員に運ばれてきたのは子供だ。
おそらく歳は十五、六。
年齢にしては少し筋肉の作りがしっかりしている。
乗せたれた担架の底から血が滴っていた。
今朝、架け替えたばかりの真っ白シーツは見る見る間に赤く染まっていく。
「…この子」
「子ノ国の闘王の智功だ。任務中に賊に襲われたらしい」
「北国で、ですか?」
「いや、陰国との国境近くだそうだ」
会話を交わしながら、心枢は手際よく止血処理をしていく。
それと同時に、受けた傷からどの様な攻撃をされたのかを判断していった。
四枝、肋骨の殆どが折れていた。そのうち何本かが内臓に刺さっている。
首の骨も少し力を込めれば即死に至る。
頭蓋骨の一部も陥没すれすれの殴打後があった。
体に残る痣から、いずれも「拳」による攻撃だとわかる。
「闘王であるのに、賊相手にこんなに負傷をしますか?相手は何人で?」
「一人だそうだよ」
思わず、手先が止った。
どう見ても、数十人に負わされたような傷だ。
考える時間は治療に追われて消え去る。
数時間かけて、智功の治療が終わった。
「…さっきの話、冗談でしょう、閑叉先生」
「冗談じゃない。定期的に視察する役員が智功を見つけたとき、智功の側にいたのはたった一人の男だけだったそうだ」
ありえない。
心枢は目の前で少し血の滲む包帯だらけになった智功の身体を見て思った。
視察は一時間に1度。
前の視察直後からだとしても二時間も無い間で、たった一人の人間がここまで「闘王」である智功に傷を負わせる等不可能だ。
この時点ではまだ闘王が少なかったとはいえ、自分を含め、闘王の候補とされている人物の中で誰よりも戦闘にたけていると言われていた。
「…誰なんですか、その男は」
「役員の話では五百の賊を相手に、拳一つで傷一つ無しに全ての首を持ち帰った男…。
「賞金首狩りの鬼」と呼ばれる燵紅という男だそうだ」
「…燵紅…」
「奴は陰国の人間だ。智功が襲われたのはたまたま国境近くにいた所為だろう。関わらずにすむ相手なら、相手にしない方が利口だな」
確かに、相手にする気は心枢にはなかった。
陰国という国は未知数だ。まだ知らない場所が多すぎる。
心枢は陰国という未知数な存在に少し体をふるわせた。
戦闘能力にたけているだけあって、智功の回復力も人並みはずれたものだった。
良くて二月、悪くて半年程、まともに身体が動かせないだろうと思っていた心枢の予測は見事に外れた。
半月後には中庭で「武器」を使った訓練を始めている智功の姿が見えた。
「…しかし、あれ程の傷を負いながらもう平気そうに動くとはね。闘王の力ってのは恐れ入るよ」
「…アンタだって時期、巳ノ国の闘王になるんだろ」
「…まぁね」
額に少し汗が滲んでいる。
まだ本調子とは言えないようだ。
「将来仲間になる奴の為に忠告してやるよ。「燵紅」って男の事は忘れた方がいい。万が一、奴と出会った時に、奴の情報が少しでもあれば、意識が砕けるぜ」
「…その先に生がないという事かな?」
「解りやすく言えばそんなもんだ。実際は…もっと残酷な事だけどな」
その状況を目の当たりにしている智功が言うのだから、間違いはないだろう。
「わかった。お言葉に甘えて、忘れる事にしよう」
□□□□
忘れていたのだ。あの時から本当に。
心枢は額を流れる冷たい汗が首筋を伝うのを感じた。
あの時から、智功は確実に強くなっている。
それなのに、智功は当時の記憶だけで、今の自分が「叶わない」と言い切った。
「…嵐萄とガキだけなら、俺達にはまだ…勝機はある。だけど、最悪の状況が頭からはなれねぇ…。あいつが加われば、陽国は終わりだ」
「…落ち着け、智功。とりあえず、皆に報告せねばなるまい。この男がどんな男なのか…それを知ってるのは、お前だけなんだから…」
「知らせてどうなるっ!!あいつが加われば俺達に成す術は無い!!」
智功の声を遮るように辺りに軽快な打撃音が響いた。
手を上げた本人が一番驚いていた様子だった。
「…すまない。智功、私達は闘王だ…。陽国を守る為、陽国と共に生きる。陽国の崩壊を恐れるな、自分の力を信じるしかないんだ。
私達は、陽国の盾。陽国の大一の犠牲だ。少しでも陽国が救われる可能性があるのなら…私達は役割を果たさねばならない…」
頬を押さえたまま、智功が顔をゆがめた。
死が怖い。
初めてそう思った。
自分自身の死も、神の死も、国の死も。
全て、自分達の腕に託されている。
嗚咽の様な声が漏れて、机に突っ伏すしかなかった。
目の前に立ちはだかった壁は天が見えぬほど巨大なもの。
心枢は項垂れた智功の肩を優しく擦り、窓から見える町並みに目を細めた。
ここから見える生の全てを背負う事を、瞼の奥に深く刻み付けるように。




