二つの国(1)
新規五神の成形から、時間はゆっくり流れているように思えた。
流れる少し張り詰めたような緊張感は変わらなかったが、どこか穏やかな一面も流れていた。
部屋の半分を埋め尽くそうとしている巻物の入った箱を1つ1つ調べながら、水杵はこんなにも長い陰国の歴史を頭の中に納めていた木櫟の頭脳に関心しきりだった。
ざっと見る限り、どこでどう陰国が変わったのかは、水杵には判断しようがなさそうだ。
どの人物がどのような功績を納め、どんな風に国を守っていたかは、名前だけでは解らない。
それもすべて木櫟の中にはつめこまれている。
神として学ぶ歴史は殆どが表面上のことだった。
常に新しい事態を迎える神にとって、古い歴史を詰め込んでも、大して役に立たないからだ。
おそらく、義胡や智功に尋ねても、すらりとは答えられないだろう。
目星をつけた人物に印をつけるのは木櫟の役目だった。
「水杵、いいかな?」
「ん?」
ふいに声をかけてきたのは木櫟だ。
「こないだの、術者のことなんだけど」
「ああ。何かわかったかい?」
木櫟は一枚の紙を差し出すと、水杵の横に腰を下ろした。
「今の陰国の王家に近い術者は凡そ六百人。けど、実際、国に直接雇われてるのはほんの一握りで、それらを纏めてるのは「嵐萄」という術者だよ」
「…嵐萄」
木櫟の差出した紙に記された名前を、水杵はじっと見つめる。
その名前は少しだが聞いた事がある。
陽国においての術者は殆どが閑叉の様な医術を操る事が多い。
しかし、特別な訓練を受ければ、ある程度の呪術が使えると聞いた事がある。
どれも人を直接殺める様な危険な物ではなかったが、警戒すべき事柄であると思っている。
「智功が探りを入れたけど、詳しい出生はわからないって。心枢様も名前は知っているけど、詳しい事は知らないっていってたし…」
「…そうか。薬剤関係で顔の広い心枢が解らないとなると…新参か…」
術者にとって新参は年齢だけの問題ではない。
修行を始めて適切・不適切がわかる場合が殆どだから、ふっと始めてみて、いきなり成長するという事も良くある。
「術者で年齢不詳は珍しい事じゃないからね…。でも、おそらく逐磨に口占術をしかけたのはこの術者だと思うよ」
木櫟の言葉に、水杵は少し眉を潜める。
木櫟の言い方は、やけにはっきりと、核心を突いた様な言い方だったからだ。
「どうして?」
「術者でも頭を取るにはそれなりの能力が要る。口占術自体はそんなに難しいわけじゃないけど、問題は気配を消す方。自分自身ならまだしも、他人にかけたものを自由に操れるっていうのは、それなりに位が高くないと出来ないよ」
「…しかし、それだけでは、理由にはならないだろう」
「いいや、それがなるんだな」
後ろから聞こえた智功の声に、二人が振り返る。
奥の方に居た義胡と土紬も顔をあげる。
「おかえり、智功」
「ただいま」
「どういう事だ、智功」
「確かに他人にかけた術を操れるっていうのは、中の上位で十分出来る事だ。問題は、嵐萄がどこにいたかって事」
「どこに?」
智功は壁に貼られた地図をの上に指をおき、陽国南方から少し下に下がった場所に指を滑らせる。
「嵐萄が逐磨と共に陽国に居た場合は、自分と逐磨の気配を同時に消し、尚且つ、逐磨に口占術を使わせた事になる。
しかし、逐磨が暴走すれば、自分自身も危険に晒されるから、この方法はとらないはずだ。
となれば、嵐萄は陰国に居る可能性が高い。
第一の可能性として、「義胡」が何処にいたか予測がつかなかったとして、逐磨が移動をする場合。
それなりに距離が離れていて、更にどこまで離れるか解らない位置から術をコントロールする。
第二の可能性として、義胡の位置を予測する方法があった。この時点で「口占術」「気配を消す」「移動のコントロール」の3つの術を操っている事になる」
「もし、陽国にいたとしても、わざと術を制限していたってことも考えられるよね?」
木櫟の質問に、智功は軽く頷く。
「そうだな。わざと2つの術を同時に出さなかったって事も考えられる。もっとも、口占術自体は気配がなきゃ通じねえけどな」
「つまり、どういう事だ?」
「各々が弱い術でも、集まればそれなりに力が必要って事。つまりは並大抵の術者には、そんな芸当は出来ねえって事だよ。要するに、嵐萄って奴は、実力を持って頭張ってるってことだよ」
改めて言われれば何て事は無い理由だ。
しかし、何故こうもきっぱりと嵐萄が術をかけたと言い切れるのかが、水杵には解らなかった。
理由には確かになる。
しかし、それは確証にはならない。
「あ、そうか。水杵には話してなかったっけ」
木櫟が手を叩いて苦笑いを漏らした。
「何を?」
「ほら、前、逐磨と共に居た子供の事」
「あ?なんだよ、木櫟。それじゃあ、水杵の顔がこうなんのも頷けるわ」
智功が苦笑いを漏らして、木櫟の頭を撫でる。
「なんだ?」
「国に近い子供3人の詳細がようやくわかってな。っても、この術者の事を調べなかったら解らなかったけど」
「というと?」
智功は机の上に詰まれた巻物から1つを引き寄せて、広げると、水杵に手招きする。
「これは逐磨と関係のある人物をまとめたもんだ。まず、陰国の王家。っていうより王単体だな。そして、一緒に行動していた子供の、「蒼凋」と「赤凋」の二人だ」
「…名前からすると、女の双子か?」
「まあ、見た限りじゃ女だと思うぜ。っても、現在の歳は十三だし、ぱっと見た目じゃな」
「お前は巨乳の女にしか興味ないからな」
義胡のちゃちに、智功は小さく舌打を鳴らす。
「まあ、女だと思うぜ。経緯はわかる範囲で、六歳の時に嵐萄に拾われ、今は陰国子供部隊として、逐磨と共に頭を張ってる」
その言葉に、水杵は眉を潜めた。
陽国と違って、陰国では戦争や病ににより親をなくした子供の数が驚くほど多い。
その分、陰国はその体制を整えてはいるが、実際には貧困の差が凄まじかった。
富豪が気まぐれでその様な子供を拾ったり、ある業者が嘘偽りを並べたて子供を浚うという話は良く耳にする。
しかし、いち術者がその様な子供を引き取って何をしようと思ったのだろう。
ましてや逐磨の様に戦闘にたけているわけでもない女の子二人だ。
「拾われた?その双子には何か特別な力でも?」
「それ以前の事はわかんねえし、どうして嵐萄に拾われる事になったのかも不明。まさかあの歳で色仕掛けって事もねえだろうしな。だが、これで術者と逐磨の繋がりができたわけだ」
「…なるほど。嵐萄が王家に一番近い術者というのも頷ける」
「陰国が狂った時期はまだわかんねぇけど、こいつが関わってんのは、明白だろうな」
智功が椅子を引き、腰を勢い良く下ろす。
「…しかし」
「ん?」
「何故、陰国は子供を使うのか」
そんな水杵の言葉に義胡が首をかしげる。
「それに関しては、答えが出たハズだろう?」
「それは逐磨に限ってはの話だ。6歳で拾われて今年で13歳。いくら徹底的に戦闘教育をしても、「女児」には限界があるだろう。言えば、闘王になったばかりの智功と戦う様なものだ。そんな存在を五神と戦わせようとは、流石に陰国も思わないだろう。
ましてや、それを先頭部隊に置いているんだ、何か特別な理由があるとしか思えないだろ」
「…確かに、それは引っかかるよね」
お盆に茶碗を乗せた土紬が智功の横の椅子を引く。
「さっき智功が言った様に、「色仕掛け」が武器なら、せめて僕らと同年齢、最低でも火遁と同い年位を使うべきだし、偵察に出すのに外部から術を使うくらいなら、最初からある程度の術者を使えばいいのにね」
「あえて、しない…もしくは出来ないのかな?」
木櫟の言葉には正解は無かった様に思える。
確証は無いが、そんな単純な事ではないとおもった。
「…まあ、首謀は解ったようなもんだし、これからはもう少し情報集められんだろ」
「そうだな。まずはこの嵐萄から埃を叩こうか」
□□□□
陰国は賑やかだった。
陽国と違い、大きな一塊の国である陰国は、中心の王族地を取り囲むように様々な町が点在する。
所狭しと並んだ商店には、陽国ではあまり目にする事の無い物が並んでいた。
商店が一箇所に集まるせいか、中心に伸びる路も、脇に伸びた狭い通りにも人々が鮨詰め状態だ。
そんな人ごみを縫う様に、嵐萄と逐磨が歩いていた。
元々、術者の類は庶民と違う奇抜な服装をしている者が多いが、一般庶民の多い通りを通る嵐萄の容姿はとても不釣合いだ。
身体に沿うように真紅の革で作られた衣には絹と金の糸で紋章らしい刺繍がびっしりと入っている。
季節は真冬に近いと言うのに、太ももの途中で切れた下穿きに、鎖骨脇には2本の細い革紐が伸びているだけ。
中心から3分割で漆黒と黄金の色で分かれた長い髪の毛は左右だけがつんと上に向き、額には衣と同じ紋章が入った額宛をしている。
鼻がすっと通り、少し厚い唇、睫の長い瞳、容姿は美男子に思えたが、その顔をマトモに見る者は少なかった。
嵐萄の右目は瞳孔から白目まで、おどろおどろしい程に「真紅」だったからだ。
僅かに瞳孔の中心が黒ずんで見え、死者の悲鳴が聞こえて来るような。
まるで、瞳孔から溢れた血で眼球が染まっているような。
別に病気ではなく、生まれついて持った自分自身の目だった。
「なぁ、嵐萄」
「はい?」
40センチほどの身長差がある為、嵐萄が逐磨と話をする時は、いつも嵐萄が首を下に向けていた。
「眼帯買えば?みーんな顔、ひきっってる」
そんな逐磨の言葉に、嵐萄は笑いを漏らした。
「そんな必要はないね。生まれた時からこんな視線には慣れてるし、それにこの目は見えてないわけじゃない。眼帯などをしては、術に差し支える」
嵐萄の声は妙に高かく、女の様な声だ。
ぱっと見た目は年齢は解らないが、声変わりをしていないほどの年齢ではない。
「まあ、陽国には醜い目を持ったものもいるそうだけど」
「…確か、南の心枢だったっけ」
「そうだね。くだらない毒で目を失った大馬鹿者」
嵐萄は鼻先に抜けるような笑いを漏らして、ある商店の前で足を止める。
商店の看板は薄汚れていたが、かろうじて文字は読めた。
「薬剤・薬草」と書かれている。
「陽国の毒など、陰国の物に比べれば子供の玩具。此処には触れるだけで疫病を流行らす草もある。天照が陰国を警戒しすぎたのは失敗だったね」
嵐萄がいくつかの薬草を指差し、指を三本立てた。
いつも買い物をする店なのだろう。店主は手際よく薬草を紙袋に詰めていく。
紙袋と引き換えに代金を渡し、嵐萄はまた歩き始める。
「十二国土で警戒すべきは、午の礼薫、子の智功といった所だろうね」
「…義胡は?」
「この前の偵察で凡その力はわかったよ。闘王に選ばれただけあって確かに力は強いね。でも、脅威ではない」
「でも、あの時は智功に傷を」
逐磨の言葉に、嵐萄は小さく笑いを漏らす。
「智功はお前の武器が最初から毒矢だと見抜いていた」
「…え?」
「それも、蔵にあたらねば即死には至らない毒だと、解っていた様だ。そして、口占術もすぐ見抜いた。脅威なのだよ、あの男は。脳内も腕力も、力も殆ど見ていないからね」
「でも礼薫はもう、じじいだ。それ程脅威があるとは思えない。最大の武器の馬術だって、馬を切ってしまえばそれだけじゃないか」
逐磨の浮かべた表情は納得がいかないというような顔だった。
逐磨は義胡を軽視しているわけではない。
一番近くで長い間見てみたから、義胡の力量はよく解る。
派手な争いもせず、あの村の人間を嗜めた。
もし、自分が相手で無ければ、義胡はあんなヘマをするようなことはしなかっただろう。
「油断と情は捨てる事だね、逐磨」
「…え?」
「お前は戦士だよ、逐磨。そして陽国はまだ全部が見えていない敵だ」
「…わかってるよ」
自分が五神と匹敵するほどの力はないと、逐磨は理解していた。
闘王なら別だが、五神は陽国を守る神だ。
まだ出来上がったばかりの、この嵐萄という男の計画は動き出したばかりなのだから。
しばらく歩くと、頑丈な門構えの前に、二人の女の子がいた。
全身、蒼と赤の対の髪と服。
髪の長さも顔も、身長も一緒だった。
ただ違うのは、青い方が短いスカートをはいてる所からしても、活発そうだという事だろうか。
「おかえり、嵐萄さん、逐磨」
「おかえりなさい…」
最初に声をかけたのは青い方だった。
「ただいま、蒼凋、赤凋」
「嵐萄。俺、部屋戻るわ」
「…ああ」
挨拶もせずにそさくさと走っていく逐磨の後姿に、嵐萄は苦笑いを漏らす。
「相変わらずだねぇ」
「愛想わるぅい…」
口を尖らせたのは蒼凋の方だ。
後ろで少し困ったように嵐萄を見る赤凋。
一卵性の双子である2人だが、性格は驚くほど正反対だった。
活発で男勝りな蒼凋。
内気で大人しい赤凋。
「あんなんだからモテないのよ」
「でも、まだ逐磨は子供だし…」
「男に歳なんか関係ないでしょーが!」
「ごっ…ごめんなさい」
嵐萄は二人の頭を軽く撫でて笑みを漏らす。
この二人と逐磨が共に生活するようになってからはまだ日が浅い。
それに、逐磨は元から、あまり集団行動が好きではないのもわかっていた。
「まぁまぁ。二人に手伝って欲しい事があるんです。一緒に中央塔に」
「はぁい」
「は、はい…」
嵐萄の後について蒼凋と赤凋が歩いていく。
この男の考えを陽国が把握するには、まだ時間がかかりそうだった。
□□□□
火凰邸の中はやけに静かだった。
中心地から離れた小さな一軒家に炎遁が越したせいもあるだろうが、全体的にがらんとした感じだ。
火遁は、炎遁が置いていった明雀の残した料理の巻物を読んでいた。
まだ神になったばかりの火遁にまとまった金はない。
収入といえば、神の勉強に関するものは風啼に言えば支給してもらったし、最低限の生活が出来る程度の金を貰うだけ。
元々、陽国本国では娯楽らしい娯楽はないから、遊ぶ金など殆ど必要ないのだが。
それを上手にやりくりして、余裕を出していくまで、一、二年程は自炊しなければならなかった。
料理の下手な水杵や炎遁から飯の作り方を教わろうとは思えなかったし、ここ数年は忙しくてそんな事を考えている暇はなかった。
「火遁、いるかい?」
「いますよ、師匠」
居間に顔を見せた水杵は巻物とにらめっこをしている火遁に小さく笑いを漏らす。
「明雀様のかい?」
「うん。でも、俺料理とかした事ないし…。なにがなんだかさっぱり…」
「なら、愛朱様か土紬に習えばいいだろう」
「そんな時間あるかなぁ?」
「火遁、いるー?」
聞こえたのは土紬の声だ。
「いますよー!」
少ししてから土紬と金樺が揃って顔を見せた。
「あ、水杵もいたんだ。丁度良かった」
「なにか進展が?」
「ううん。ほら、今日から火遁がこっちに来るって言ってたから、ご飯困るだろうと思ってさ。どうせだから皆で食べればいいかなって。それなら金樺と水杵も誘うおうかなってさ」
「しかし、そんな事に時間を使っていては…」
「平気だよ。智功って物凄い食べるから、風啼様にお願いして少し多めに資金貰って、いつも余る位作ってるから。ついでに、火遁が料理を覚えるのにもいいでしょ?」
「俺としてはありがたいけど。土紬のご飯おいしいし」
火遁の言葉に水杵は少し困ったように鼻の頭をかいて、諦めたように肩を落とした。
「まあ、いいか…。一緒の方が何かと都合も良いしな」
「あ!じゃあ、土紬。これ、持ってても良いかな?」
「え?」
火遁の差し出した巻物を開いて、土紬は小さく笑みを浮かべた。
「明雀様のものだね。再現できるかはわからないけど、いいよ」
「やったぁ!」
火遁の浮かべた笑みに、金樺が思わず笑いをこぼした。
「水杵。かわんねぇなぁ、火遁は」
「…それがいいのか悪いのか…」
ゆったりとした時間が、静かに過ぎていった。
水面下で進んで行く、あの男の計画以外は。




