五神の源(11)
ふいに肩に感じた温もりに、水杵は目を開ける。
「あ、起こしちゃいました?」
「火遁…」
毛布を肩にかけようとしていた火遁が、顔を覗き込んできた。
「寒いから暖炉に火入れようかと思ったら、師匠座ったまま寝てるんだもん」
窓の外は明るく、僅かに鳥の声が聞こえる。
ここ数月、夜遅くまで考え事をする日が多かった。
火遁の事、五神の事、陰国の事。
火遁の修行に関しても、すぐにでも儀式が受けられるような体制にしてある。
五神のことはこれから先も続く事だから考えすぎても仕方ない。
陰国のことに関しては、子供の名前や所存が早々と解った為、対策を考えるのも楽だった。
より細かな対策は、智功達が色んな可能性を考えて練っている。
しかし、「逐磨」の事に関しては、問題がすぐ解決というわけにはいかなかった。
義胡がその名前を聞いたときの動揺はあからさまだった。
けれど、どこか「予測」がついていたのかもしれない。
心中が穏やかになるというまでにはならないが、義胡はそれ程表面に感情を出さなかった。
風啼や炎遁の話だと、義胡は今まで、世話をしてきた子供の中で、もっともこの逐磨に力を入れていたのだという。
それに反して、最後の最後まで逐磨が義胡に心を開く事はなかったとも聞いた。
いくら生まれてから「闘いの場」で生きてきたとはいえ、九つくらいの子供がそこまで心を頑丈に整形できるものか。
生という執着がある場合は別なのだろうか。
そんな子供を目の当たりにした義胡は、この状況をどう捉えているのだろう。
ようやく完成形が目に見えたと思えば、それは急激に頭の中を支配していく。
「師匠」
「ん?」
脇の椅子に腰を下ろした火遁が、薄く明かりの射した窓の方を見る。
「来週の儀式、何事も無ければいいですね」
「…そうだな。今まで目立った事は何も無いが、それが少し不安だ」
机の上に広げた長い紙に書かれた果てしない数の名前は陰国という国の、長い歴史。
陰国と陽国は昔は争いの無い平和な協和国だった。
一体どこで狂ってしまったのだろう。
五神という守護神の存在はずっと昔からあるのに。
水杵は少し大人っぽくなった火遁の横顔を見て、小さく笑みをもらした。
「火遁も、もう私からの卒業だな」
「へ?」
「お前に教えるべき事は、もう無いからね。来週になれば、お前は火凰邸の主。そして私と同位となる」
「…そうかな」
火遁は首をかしげて水杵を見つめた。
「俺さ、木櫟を見てると思うんだけど、師匠と弟子って、どんな形でもそのままってものじゃないの?師匠だって、親父とそんな感じがするよ。だって、今はまだ、師匠と親父は「同位」なのに、師匠は親父を師匠としてみてる」
「…私と炎遁様とでは年齢や経験の差が全然違うだろ、木櫟の場合は別だ。ああいう性格だからね。
火遁は火遁らしくあればいいんだよ」
「だったら、師匠はいつまでも俺の師匠でいてください」
「…火遁」
少し照れくさそうに笑みを漏らして、火遁は後頭部をかいていた手を机の上で組んだ。
「神になると、どう変わりますか?」
「そうだな…、色々変わるよ。力もだけど、考えもしなかった事が変わるんだ。きっとその感じ方は人それぞれだろうけどね」
「…ふぅん」
二年前、自分の手を散々煩わせていた火遁からしてみてば、信じられない成長だ。
その横顔は、手を焼いていた頃の子供らしさを潜め、落ち着いた「神」のもの。
「早いものだ。お前がお転婆だった頃が、ついこないだの事だと思っていたのに」
そんな水杵の笑含みの言葉に、火遁は小さく首を捻る。
「俺、そんなに成長してないかな?」
「え?」
予想外の言葉に、水杵は一瞬声を詰まらせ、こみ上げてきた笑いを掌で抑える。
確かに、捕らえようによってはそう聞こえるかもしれない。
しかし、それが火遁の口から出るとは思わなかった。
「そうじゃない。お前の成長が早いという事だよ」
「そっか。よかった」
安心したように微笑んだ火遁の頭を軽く叩いて、水杵は椅子に深くもたれた。
少し肌寒く感じる季節。
こんな風に気温で季節を感じるのはいつ振りのことだろうか。
□□□□
火凰邸を中心にして、陽国全体が朝から落ち着きが無いのがわかった。
五神の成人の儀はいつもこんな空気が流れているが、今回はそれにつけて新規五神の成形、そして、陰国からの攻撃に備え、今までに無い程の厳戒態勢だ。
今までの様に方国の闘王だけでは無く、十二の国の闘王が全て集まるとあって、入国体制も厳しく行われていた。
大勢の人が陽国の中を行きかっている中、それぞれの闘王は方神の館に足を運んだ。
水龍邸の中、少し疲れた表情を見せるのは黒斗だ。
あまり人の多い所が好きではないのもあって、陰国に入ってからすぐに水龍邸に入り、準備が整ったら呼んで欲しいと用意された部屋にこもってしまった。
一緒に顔を見せた夜壬が水杵に頭を下げ、幾度か出てくるように促したが、黒斗は出てこない。
水杵はそんな黒斗のことを良く知っている。
自分が神になったときも、黒斗は同じ様に部屋にこもってしまったのだから。
金門から程ない所で義胡が白來にその事を告げると、少しあきれたように苦笑いを漏らした。
「しょうがねぇなぁ、黒斗は」
金樺は辺りを見回し、白來へ目線を戻す。
「狐衣は?」
「さぁ?ドンガメでも他の闘王よりは早く着いたんじゃねえかな」
「白來ーっまたドンガメって言ったな!」
白來の後ろから顔を出した狐衣が勢い良く白來に飛びつく。
「いって!だから本当のこと言って何がわるいんだよ。お前学習能力ねえなぁ?」
からかう様ににんまりと笑みを漏らす白來の腕に、狐衣が噛み付いた。
「いってぇな!この馬鹿!!」
取っ組み合いを始める二人を頭をあきれ気味に義胡が叩く。
「こら、お前ら。ここは本国なんだぞ。今日くらい喧嘩はよせ」
「義胡、ここにいたか」
後ろから声をかけてきたのは礼薫と心枢だ。
礼薫は相変わらず顔色が少し悪い。
二人揃ってきたという事は、南は三人一緒にきたのだろう。
「杏珠様はどちらに?」
金樺の問いに礼薫が天照御殿の方向を指差す。
「天照大神に挨拶を。義胡、少し話がある」
礼薫の言葉に、義胡は軽く頷くと、心枢へ目線を移動した。
南の闘王が向かうのは火凰邸だ。南門から態々ここに来るのは何か用が無ければ無用の事。
おそらく、心枢は礼薫の付き添いをして自分を探しに歩いていたのだろう。
「火遁なら火凰邸に」
「ああ。これから行こうと思った所だ」
礼薫が少し申し訳なさそうに心枢に頭を下げた。
「悪いな、心枢。いち早く火遁の顔を見たい所だろうに」
「こないだ見たばかりですよ。薬玉を取りに来ましたからね」
南の闘王のやり取りはいつも大人らしかった。
もちろん、其々の年齢が高いという事もあるだろうが、西ももう少し落ち着けないものかと、義胡は小さくため息をついた。
「白來、狐衣、あんまり喧嘩はしない様に。金虎邸で大人しくしとけよ」
やる気の無い返事をする二人の尻を叩いて、義胡は金樺の肩を叩いた。
「ま、宜しく頼むわ。後で俺も行くからさ」
金樺は笑いを漏らして、二人の方を掴んだ。
そんな様子を細く笑いを漏らしてみていた心枢が、軽く咳払いをした。
「…相変わらず保護者だね、義胡は」
「個々でいれば大人しいんだけど…。まあ、喧嘩するのも仲が良い証拠だっていうし」
「だろうな。礼薫様、私は火遁の所へ行きますので、ここで」
「ああ。後でな」
浅く一礼した心枢を見送り、礼薫は義胡を見る。
義胡は礼薫の話がなんなのか、凡その予測がついていた。
「陰国の事で、ですね」
「ああ。風啼から大まかな事は聞いた。炎遁がお前を外そうとしたこともな」
「…外すといわれても、今回の事だけは譲れなかったでしょうけどね」
「だろうな。お前の中で一つの決意があるのだろう。過疎地の現実はあまり多くの人間は知らない。だから、お前の本当の気持ちがわかる人間も少ない」
側にある岩に腰掛け、礼薫が空を見上げた。
済んだ薄い青が一面にどこまでも続き、大きな塊を千切られたような不恰好な雲がゆっくり流れていく。
「哀れみだけでは、この問題は解決しません…」
「だがな、義胡。逐磨の件は、お前だけにおえる問題ではないぞ」
「解っています。あの子は今、陰国の人間ですから」
礼薫はゆっくり義胡へ目線を移し、すっと目を閉じた。
「義胡、お前には逐磨を殺せるか?」
「……」
義胡は息を詰まらせた。
予想外の質問だ。確かにその可能性は視野に入れていた。
「この作戦の話が通った人間には、逐磨とお前の関係は知れている。その皆はきっと逐磨を殺す事を僅かながら躊躇うことだろう。逐磨を思ってではなく、お前を思ってな。もし、逐磨を殺すという事になれば、その手を下せるのは義胡、お前だけだ。
私も…皆が、お前を思うのだ。お前がケリをつけるしかない」
しばらくの沈黙の後、義胡はきつく噤んでいた口をゆっくり開いた。
「…俺は、陽国の人間です。陽国を守る為に選ばれた「闘王」です。陰国の人間が陽国を攻撃する為にくるのであれば、誰であろうが、殺します」
「…それを聞けて安心した。私は火凰邸へ行くよ」
礼薫は立ち上がると、すれ違い様に肩を軽く叩いた。
「無理はするな。私はお前のその気持ちを解っているつもりだ」
「…はい」
義胡は千切れられていく雲が流れる空を見上げる。
逃げてはいけない。この国は戦いを受け入れた。
ならば自分の命握るのは天照だ。
□□□□
智功が言うには、今日、陰国が攻めてくるという事は無いという。
「まあ、警戒するには越した事はないと思うぜ。と言っても、今日は異常なほどに厳戒態勢だけどな。だが、もし陰国の主柱辺りが攻めてきたら、役員だけじゃ手に負える相手じゃない。五神と張ろうって奴らだからな」
義胡は陽国全体が見渡せる丘の上に立っていた。
今日を境に、陰国と陽国は何かが変わる。
それが何かはまったく解らない。
けれど、目の前に見える景色は何も変わらない。
今まで自分が見てきた静かな景色だ。
ふいに後方に感じた気配に義胡は腰に下げていた鉈を抜き、振り返る。
重さが数十キロある鉈は、引き出すだけで辺りに風圧を巻き起こし、支えた左手にズンと食い込んだ。
風以外の音は何も無い。
そこにいたのは、子供だ。
歳は十歳がそこらで、袖の無い着物を着ている。
顔は目の部分しか見えないような布をかけていた。背中に身の丈より高い弓を背負っている。
狩りにいく子供が弓を持つのは珍しい事でもない。こうした布をかけるのも、よくあることだ。
ましてやこの裏は山だから、それはなんら不自然な光景ではなかった。
唯一つ、その子供の凍りつくような冷たい目線以外には。
「…逐…磨」
「…ふぅん、少しは成長したんだ。これでも気配は消してたんだけどな」
子供らしい言葉遣いとは裏腹に、その声は低かった。
声質はそれ程低くない。声変わりをしてないのだから、一般的な子供の声だろう。
だが、その言葉の音は、驚くほど低かった。
「何年ぶりだっけ?お前が俺をあの汚い施設に突っ込んでからさ」
「…汚い?馬鹿を言うな。西国の保護私設は完成したばかりだった」
逐磨はそんな義胡の言葉に笑い声を漏らした。
「確かに建物は綺麗だったね、気持ち悪いくらい。俺が言ってるのはそんな事じゃない。偽善に塗れた、うすぎたねえ役員どもの話だよ」
「何故…?お前は、あんな惨めな生活が良いというのか?」
「…惨めねぇ。あれはあれで俺は快適だった。気兼ねなく人をコロセたし」
義胡は眉をひそめて逐磨を見る。
殺すという箇所のイントネーションがおかしい。
言葉を真似る九官鳥みたいな、妙に高い声。
「気兼ねなく…?」
「お前、まさか俺が仕方なく「コロシ」してたと思うの?」
「……」
逐磨は不気味な笑みを浮かべて目を細めた。
「確かに両親を殺したのは仕方なくだったかもね。でもさ、楽しいんだぜ?人コロスの。本当はさ、こんな弓矢じゃなくて剣の方がいいんだけど、俺は力が弱いから、これの方が良いってオウサマが言うんだ」
まただ。人間の言葉じゃないような妙な音。
こんどは「オウサマ」という箇所。
オウサマというのは多分、陰国の国王のことだろう。
「試してやろうか?お前をコロシて」
頭がクラクラして、妙な感じがする。
視界がぼんやりしている。
「ほんとはじっくり苛めたかったんだけど…。一発でコロシてあげるよ」
弓の糸がピンと張られて、きつく引かれていく音がする。
キリキリキリ。
言葉が喉から上に上がってこない。
「サヨナラ、ギコ」
ヒュンッと空を切る音が聞こえる。
目の前が一瞬真っ暗になった。
「っ!!しっかりしやがれ!!」
その声にハッとする。
何度か瞬きをすると、目の前に智功の背中が見えた。
その右腕から、つぅっと赤い筋が流れていた。
「智功!」
「あんな温い手にひっかかってんじゃねえよ!」
智功は少し顔をゆがめて、腕を貫通した細い矢を引き抜いた。
傷口の周りがじんわりと紫色を帯びてく。
「毒矢か。確かにこれなら、心臓貫きゃ一発だな」
逐磨が顔をゆがめて、智功を睨む。
「ジャマモノ…」
「わりいね。こんなドジでも「仲間」なもんでさ」
矢を二つに折って、智功は腰に挿してあった分裂鎌を横に勢い良く振る。
「悪いけど、俺にはその変な口占術は通用しないぜ。俺はお前に情なんかねえからな」
「…残念だな。アンタとは気が合いそうだったんだけど」
「…まあ、昔ならいい仲になってたかもな」
智功が鎌を構えると逐磨は小さく舌打を鳴らすと、少し後ろに下がる。
「やんねえのか、逐磨」
「オウサマに内緒だからね。安心しなよ。五神が出来上がってから、ゆっくり絶望の淵に落としていってあげるからさ」
「…逐磨」
義胡の声に、逐磨は目を細めた。
「俺はお前をいつでも殺せる。お前に情なんかはなっから持ってないから」
「…その時は、俺がお前を殺すさ」
そんな義胡の返事に、逐磨は口端をきゅっと吊り上げた。
「楽しみだね。早くその時がくればいいのにな」
薄い笑いを残して、逐磨の姿は、あっという間に見えなくなってしまった。
再び静寂が戻り、小さなため息と共に、目の前にいた智功の腕から鎌が滑り降りる。
「智功!」
「毒の周りがはええな…。フラつく」
「大丈夫か?しっかりしろ!!」
倒れそうになる智功の体を支えるように抱きかかえる。
「火凰邸に心枢がいたよな。自分じゃ解毒剤は無理みてえ…」
「火凰邸だな」
義胡は鉈を腰に戻すと、体を回転させて背中に智功を乗せる。
地面に落ちた鎌を拾い上げてもとの置き差に戻すと、勢い良く駆け出した。
□□□□
待っていましたと言わんばかりに心枢を玄関先で迎えた火遁。
少し遅れて礼薫、そして杏珠が顔を見せた。
成人の議が執り行われるのは、火遁が二十歳を迎える瞬間だから、今日の夜中。時間はたっぷりある。
あれもこれもと喋る火遁の口は止まらない。
顔を覗かせた水杵に止められるまで、火遁は喋り続けていた。
「少しは大人になったと思ったのに…」
「それとこれは別問題でしょう?」
「皆、長旅で疲れているんだ。少しくらいは休ませてやれ」
「かまわないさ。喋っているのは火遁だけだしね」
そんな心枢の言葉に、水杵はがくりと肩を落とした。
「心枢殿、少し火遁を甘やかしすぎです。明日から従神となる火遁に少し自覚を持たせないと」
「そういうな、水杵。火遁らしくて良いじゃないか」
「それでは示しが…」
「心枢!いるか!?」
水杵の言葉を遮る様に火凰邸に義胡の声が響き渡った。
そのすぐ後に、智功を背負った義胡が駆け込んでくる。
「…どうした」
「俺を庇って毒を食らった。解毒剤を」
心枢は立ち上がると、義胡の背中に負ぶさっている智功の腕を見る。
傷口は極僅かなものだが、その周りに緑色をした粘液が僅かに残っていた。
この傷が出来るのは先が細い武器。
傷口が深くないから、弓やクナイなどの剣先が小さいものだろう。
「毒矢か。この周りからみると…」
その横から杏珠が覗き込む。
「解毒剤を作ってる間に腕が死にますね。毒の周りを一時的に止めましょう。義胡、智功を下ろして」
床に寝かされた智功の傷口に杏珠が手を当てると、僅かながら紫の色味が薄くなった。
智功と心枢の仲が悪かったのもあるが、闘王の中で、あまり医療班として団体で行動する事は少ない。
しかし、杏珠と心枢のやり取りに必要以上の会話はないのに、相違でやる分担がまとまっている。
心枢が懐から小さな冊子を取り出して、いくつかの薬剤を書き記す。
「義胡、閑叉先生の所へ行ってこれを貰ってきてくれ」
「あ、はい」
義胡は心枢から紙を受け取ると、急いて部屋を出て行った。
「智功が自力で治せないほどの毒を使うとはね。杏珠がいて良かったよ」
心枢は智功の傷口に残る緑色の粘液を指先にとって何度か指を二本、付けて開く。
毒の解毒の調合は出来ても、「人間」である心枢にはその進行を止める能力は無い。
「確かにこの毒は回りは早いけれど、こんな風に全身が麻痺するほどの効能はないわ。触れた部分の腐敗がない所からみても、おそらく血液を媒介する調合ね」
「陰国にかなり頭の良い医者か薬剤師がいるって事だな」
指についた粘液を紙でふき取って心枢は薄く目を開いた智功の頬を軽く叩く。
「…智功。誰にやられた?」
礼薫が眉を潜める。
智功であれば、並大抵の者の攻撃をこうも容易に受けるはずが無い。
「陰国の侵入者に」
「…どういう事だ?」
脇から口を挟んだのは水杵だ。
「逐磨と遭遇しました。武器は毒の弓矢。それと、どうやら、口占術を使うようです」
「…逐磨は普通の人間だろう?どの様にして?」
「口占術はある特定のものであれば、他人に使わせる事も出来るわ」
杏珠の言葉に皆の視線が集まる。
「どういう事ですか?」
「例えば、術者が使わす者のある言葉に術をかけるの。癒しの術であれば「イヤシ」の様にね。戦場で人手が足りない場合は良く使うわ。ただし、相手が信じなければ意味はないけれどね。でも、それは一時的なものだから、常用するには「毎日」かける必要があるけど」
「それって、他人が聞いた時にどの言葉が術なのかわかりますか?」
智功の問いに、杏珠は小さく頷く。
「その言葉だけ、声が変わるわ。そうね、解りやすくいえば「九官鳥」の様な声に」
「…成程な。ってことは、逐磨はおそらく「コロス」と「オウサマ」って言葉にその術があるんだ。子供の声にしては妙なイントネーションだった」
「…オウサマ?」
心枢が礼薫を見て、眉を顰めた。
「多分、陰国の王の事だと思うぜ。そして、この術をかけてるのは少なくともその「王」じゃない」
「何故?」
礼薫のほうへ目線を向けた智功が上半身をゆっくり起こす。
「王が命令してるとしたら、「オウサマに従う」と口にしたら、首謀者をばらしてるようなもんでしょう。おそらく、陰国の首謀者は王家じゃない。もしかすれば、「王家」はそいつらに操られてるかもしれない。
子供を武器にするような輩だ。その位の事はすると考えた方が妥当ですからね」
「…術者が黒幕の可能性が高いという事か」
「五神への対抗策という所だね」
心枢の言葉に水杵が眉を潜め、小さくうなる。
「火遁の件に関しても、陰国の攻撃は皆「術」によるものだ。だとすりゃ王家に術者の影があっておかしくは無い」
「だとすると、今日の成人の儀、あぶなくないですか?」
火遁の言葉に、智功が首を振る。
「それはない。あいつが言ったからな。オウサマに内緒であって「五神が出来上がってから」だと。そのオウサマが直接操ってないにしても、進撃には王の命が下る仕組みになってるって所か」
「なら、とりあえず今日は安泰って所か…。しかし、子供とはいえ、どうやって陽国に?」
「術者が後ろにいるなら、さほど難しい事でもないでしょう。俺や義胡が気がつかない程に気配を消す事が出来るんですからね」
「じゃあ、お前は何故、気がついた?」
心枢の問いに、智功は口元に手を当てる。
「おそらく、口占術を使う間は他の術を解かなきゃならないんだろうな。ましてや相手は子供だし、只でさえ2つの言葉に術をかけてるのだから、体力的な問題もありそうだしな」
「…成程ね。一応、五神には全員伝えておこう。奴等の本陣の狙いはどうやら俺達、五神の様だからな」
水杵の言葉が終わると同時に、義胡が息を切らせて部屋に入ってくる。
「智功、大丈夫か?」
「ああ。毒の進行は止まってる。後は解毒剤が出来れば問題ない」
「ご苦労様、義胡。智功なら心配要らないから、金樺の所へ行って、この事を伝えてきてくれるか?」
「でも、俺…」
「気にするな、義胡。お前の責任ではない」
少し戸惑う義胡の袖を引き、智功が耳元に口を近づける。
「てめぇで始末つけなきゃどうにもなんねえだろ」
「…智功」
「今日のは貸にしといてやる。さっさとかえさねえと、利子が高いぜ?」
にんまりと笑みを浮かべた智功に、義胡は声を詰まらせた。
「…すまない。なるべく早く返す」
「ああ。楽しみにしてるぜ」
水杵は火遁の頭を軽く叩くと、小さくため息を漏らした。
「お喋りしたいのもわかるが、少しは神になる自覚を持つように。私は土紬の所へ行ってくるよ」
「木櫟は?」
「土輝邸にずっといるそうだ。少しでも資料を進めたいのだろう」
「いってらっしゃいませ、師匠」
□□□□
土輝邸の広間で東方の闘王が茶を飲んでいる。
つい先日会ったばかりの様な気がするが、収集は火遁が十九の頃だから、もう一年も前の事だ。
「水杵様」
「おくつろぎの所申し訳無い。土紬、木櫟、話がある」
水杵は軽く頭を下げて、奥から顔を出した土紬と机の中央にの席に座っている木櫟に手招きをした。
「どうした?」
「逐磨が姿を現した」
「え?奇襲って事ですか?」
「いや。様子見といった所だ。義胡と智功が立会いをして智功が毒をくらったが、大事には至っていない。五神が整形されたら攻撃をしかける目論見らしい。義胡を殺そうとしたのに、智功には手を出さなかった所からしても、今日再び奇襲するという事はないだろう。明日から一秒たりとも気が抜けない事態になるだろうな」
「水杵様、五神が成形というと、門が火遁との疎通を完するまでという事でしょうか?」
「そこまでは…。確かに疎通が終えるまでは余裕は一年弱あるが…」
「気を引き締める事には変わりないって事だね」
土紬の言葉に、水杵は首を縦に下ろす。
「ああ。それと、陰国の首謀者が術者の可能性が高そうだ。智功の話では王家もそれらに操られている可能性があると。木櫟、陰国の高位術者、洗えるか?」
「高位ならなんとか出来ますよ。王家に関わってるならもっと安易に洗い出せると思います」
「なるべく早く頼むな」
「わかりました」
「火遁の様子はどう?」
急に切り替わった話に、水杵は少し戸惑う。
確かに用件はこれで終わりだが、土紬はそれを何も聞かずに察した様な感じだった。
良い様に言えば会話の切り替えがスムーズに出来るという事になるが、悪く言えば顔色を伺われている様な感じがする。
「ああ…心枢が来ているものあるし、少し浮かれているようだ。儀式までに力を使い果たさねばいいけど」
「火遁らしいね。いいじゃないか。下手に緊張して口も聞けなくなるよりは、周りが気を使わなくて良い」
土紬は木櫟を横目で見て笑いを漏らす。
「風啼様には僕が報告してこよう。多分炎遁様と一緒だろうからね。水杵は黒斗の説得にでも回ってよ」
「ああ」
金虎邸につくと、中庭で屈伸をしている狐衣の姿が見えた。
「義胡、おかえり」
「金樺は?」
「仲で白來と茶飲んでるよ」
狐衣は義胡の表情を見て眉を潜めた。
「何かあったね?」
「え?」
「義胡は解りやすいよ。悪い事があれば顔が歪むし、いい事があれば綻ぶ。相手に隙を見せてるのと同じ」
「…やはり、そうかな」
狐衣は少し目を細め、高い位置にある義胡の顔を見上げた。
「僕達にはそんな顔みせてもいいけどさ。五神の前ではやめときなよ。只でさえ不安の多い代だから。僕達が頑張らなきゃいけない」
「…そうだな」
「義胡、用は済んだのか?」
窓から顔を出した金樺の姿に、義胡は口元を締める。
「報告が」
「報告?」
金樺の横から顔を出した白來が声をこもらせた。
「中に。狐衣も入れよ」
逐磨の名前を聞いた瞬間、狐衣と白來が眉端を少しあげた。
作戦の大体分は闘王にも回っているが、まだ詳細な情報が纏まっていないのもあって、名前や詳細などは報告されていない。
金樺のように直接その場を見たわけではなかったが、西国のその場所の酷さは痛いほど解っている。
もちろん、義胡が逐磨をどう思い、どう接したのか、二人はよく知っていた。
「…今日は再度の奇襲はないという事で良いんだな?」
「警戒するには越した事はないが、奇襲はないよ。それに、逐磨のことは俺がケリをつける事だからな」
「…お前はそれでいいのか、義胡」
白來の静かな言葉に、義胡は一瞬だけ、瞼を動かした。
「礼薫様に言われたんだ。皆は「俺」への情で殺す事を躊躇うとね。だから、俺は俺が始末をつける。陽国の時と何も変わらなかった逐磨の目を見て言ってきた「お前は俺が殺す」とね。他の誰にも出来ない事なんだよ、あの子を止める事は」
「残酷な結果だな。争いはいつも弱者を餌食にする」
「…逐磨はね、子供であっても、子供ではない。心が凍ってから、大人のいう事を聞いている為に、大人でも子供でも無い存在。それは弱者ではないだろう、金樺」
「俺も子供じゃないんでね」
「…?」
白來が金樺を見て首をかしげる。
「俺は情で戸惑いなんかしない。俺は西、そして陽国を守る五神の金神だ。守るべき者の為に力を出す事はいとわない。だから義胡、一人で処理しようとするな」
「…金樺らしいっていえばそうだよね」
狐衣の言葉に白來が鼻先で笑いを漏らす。
「俺達は闘王だ。陽国を脅かす存在に情などいらない。それが子供であろうとな」
「…白來」
「僕もだよ、義胡。僕達は仲間だ。とっても大切なね」
義胡が顔を伏せ、裾をきつく掴む。
何を一人でもがく必要があったのか。
「守りたいよ、逐磨を。けれど俺は弱い。ただ一人の子供を守れない程」
「それでいいんだ。一人で出来る事には限りがあるんだから。生き物は弱い。無敵なものなどいない」
少し震えた義胡の肩を優しく抱きこんで、金樺は目を閉じる。
「義胡。俺はお前の主だ。俺はお前を守る。そして、皆は仲間だ。躊躇など考えず、頼れよ」
窓から射す光が薄い黄金色に染まる。
もうすぐ、新しい陽国の時代の幕開けが始まる。
□□□□
火門の中央で揺らめく炎が落ち着かない。
炎遁はそんな炎から、横にいる風啼へ目線を移す。
「陰国の動きは、火門の疎通後になるかな、風啼」
「どうだろうね。門に関しては陰国も承知。交代を終えた門の力が不安定なのは吉にも凶にもなりうるからね。そんな危ない橋を渡るか否か…」
「もうすぐ、私の役目も終盤か。長かった様で…短かった。この先の時間を考えれば、それは一瞬の様な事なのかもな」
「俺にはそんな感覚は無いからね。子供が出来ればそう思うようなものなのかな」
「どうかな。風神は、五神より長い間、神でい続けるからな」
炎遁は明日から役員の一人として今回の件に補助することになっていたから、他の総神とは少し立場が違う。
しかし、「火神」としての能力は火遁へと受け継がれ人間より少し力が強いだけになる。
「俺は少し不安だ。これからの五神の気持ちは私とは違う場所にいる」
「その時は俺が手をかしてやるよ、風啼」
「…心強い」
風啼が小さく笑いを漏らすと、目の前の炎が一瞬、爆発音のような音を立てた。
「始まるね、火遁の成人の議が。皆を呼ぼう」
外はすっかり闇になっていた。
狭い火門の中に、五神、十二国土闘王、風啼、愛朱、そして天照大神の姿が揃う。
天上にまで届きそうな巨大な炎の前に火遁と炎遁が立ち、静かに見つめていた。
炎の小さな火種が、辺りを舞い散るが、頬や腕に当たっても火傷する事はなかった。
天照大神はいつもの様に全身を黒装束で包み、二人の後ろに立つ。
「陽国守護五神、五つ目の神「火」の守護交代。汝は新しき神を受け入れ、その力を与えるか」
静かで清らかな声だった。
炎が左右に揺らめいて、再び爆発音が響く。
辺り一面に火の粉が飛び、炎遁から火遁へ、順に降り注いだ。
炎はしばらく沈静し、細い渦を巻く。
渦は炎遁の顔めがけて突進し、何かを吸い取るように再び大きな炎となると、再度渦をまいて、今度は火遁の顔に突進する。
「っ!!」
顔左半分に感じた異常な熱さに火遁は顔を歪める。
じりじりと皮膚を溶かし、焼く様な熱さ。
「うっ…くっ…」
「耐えろ、火遁。火門がお前を受け入れる」
炎遁の声が耳の奥に響く。
火遁は拳をぎゅっと握りこんで、震える両足を地面に踏ん張る。
どれ程時間がかかったのかは定かではない。
再び爆発音が弾け、火遁の周りに火の粉が舞う。
火遁はその場に崩れて、顔の左を押さえ込む。
不思議な事に、その温度はいつもの自分の体温のままだ。
目を開ける事もできなさそうな熱を感じているはずなのに。
手を離すとぼんやりと視界が開ける。
「新属、火神の前に、属国の忠誠を」
天照の言葉に、礼薫、心枢、杏珠が火遁の前に膝をつく。
「火神、火遁様、我々は貴方をお守りし、陽国を守ります」
「承知」
言葉が勝手にこぼれた。
三人が頭を下げ、少し後ろに下がる。
「これにて、火神の儀を終幕とする。新しき五神に敬礼を」
皆が頭を深々と下げ、天照が姿を消すと辺りに静寂が戻った。
気が付いた時、炎は元の静かな小さな火に戻っている。
尻を地面につけたまま、そっと岩締に触れてみると、吹き飛ばされる事は無かった。
「おめでとう、火遁。お前は火神になったのだよ」
伸ばされた水杵の手をとって、火遁は水杵の顔の中央、鼻を通って横に浮かんだ青い線を見つけた。
「師匠、それ」
「ん?ああ、神の印だ。お前にも出てるよ」
「どこに?」
「どこにって、今熱かった部分にだよ。炎遁様に比べると随分大きな印だ」
火遁は自分の顔を触ってみるが、変わった様子は無い。
そんな火遁に、土紬が手鏡を差し出した。
土紬は首筋に薄い茶色で山の形が出ていた。
「見てごらん」
鏡を開くと、確かに顔半分に炎を象ったように赤と黄色が混ざったような模様が出ていた。
金樺と木櫟をみると、金樺は左の額に三本、爪で引っかいたような印、木櫟は右腕に木の葉の形の印がでている。
「消えないの?これ」
「しばらくすれば消えるよ。後は神の力を使う時に出るんだ」
「確かに、その大きさでは出たままでは不便でしょうな」
笑いを漏らす礼薫の脇に立っていた心枢が、火遁の前にしゃがみこむ。
「火遁様、貴方にこれを」
「え?」
心枢が差し出したのは小さな箱。
しかし、心枢に敬語を使われるのは妙な感じだ。
しかし、逆にそれが神になった事を自覚させる。
箱の包みを開くと、中から少し変わった色の薬玉が出てきた。
黒い玉の中には赤と金の粒の様なものが散りばめられている。
「これ…」
「貴方が二十歳になったお祝いです。火神に幸運が訪れますよう」
心枢の笑みに、火遁は照れくさそうに笑いを漏らす。
「ありがとう、心枢」
風啼は炎遁と目を合わせると小さく笑いをこぼした。
「ご苦労様、炎遁。火遁は立派な火神になるよ」
「そうだな…」
「闘王の皆はそれぞれ方神の館で休まれると良い。明日から気が抜けぬ日になろう。今日はゆっくり休んでくれ」
□□□□
火凰邸の屋根の上から赤い煙が一筋あがる。
火遁は後ろに感じた気配にゆっくり振り向いた。
「おめでとう、火遁」
「心枢。いいのか?敬語使わなくて」
「礼薫様はもう就寝された。俺はこんな時までお前との関係を繕うつもりはないよ」
そんな心枢の言葉に、火遁は笑いを漏らし、少しほっとした。
「これ、ありがとう。まだよく味はわかんないけど、落ち着く感じ」
「精神の落ち着く香草を使ってるんだ。あまり吸いすぎるなよ?」
「わかってるよ」
火遁は心枢の顔を少しの間見つめて、目を伏せた。
「俺、ちゃんと火神になれるかな?自覚とか全然無い」
「…次第になれるよ…焦る事は無い。お前はもう神の顔をしているからね」
心枢に頭を軽く叩かれ、火遁はゆっくり顔を上げる。
「心枢が闘王でよかった…」
「これから大変な事がたくさんあるよ、火遁。大切な事は仲間を忘れない事だ」
「…うん。俺、頑張るよ、皆の為に」
辺りに広がった赤い煙が暗い闇に溶ける。
新しい時代の幕開けは、静かな闇の中に始まった。




