五神の源(9)
西方に日が大分傾く頃には、屋外にいれば息が白くなった。
もう季節は冬といっていいだろう。
忙しく日々が過ぎ去っていた為か、季節の変化にすら気がつかなかった様だ。
火遁がもう十九歳になっていた事を、水杵は小さな日めくりを見て気がついた。
神になった後というのは、あまり自分の年齢というものを感じる事が少ない。
というのも、神としての特殊な年齢は、二十歳まではそう表面に出ているものではなく、殆ど人間と同じ様に成長する。
ただ、生きる上で「人間」より考える事が多いからか、神としての成長は二十歳で成人。という受入れられ方はあまりされず、二十五で成人の域に足を踏み入れ、三十歳でようやく。といった所だろう。
それだけ、神は生きる上でする事、考える事柄が多かった。
人間で言えば、「職業」と一緒なのだろう。専属の職人の様に、十年働いて一人前。
実際、自分が神の年齢を与えられている事は、その位の歳に人間である闘王を見て、実感する事が多かった。
水杵は広間の暖炉に火を入れ、少し冷たく感じる椅子に腰を下ろした。
火門が何の変調をきたさなかった事で、火遁の無事は便りがなくともわかった。
それが何よりの良い知らせだ。
「水杵、いるかー?」
玄関の方から響いたのは義胡の声だ。
火遁が本国を経ってから、毎日の様に顔を出していた。
水杵は座ったまま、いつもの様に返事を返した。
もっとも、この返事をする頃には義胡は既に家の中にいるのだが。
「いるよ。入って来い」
しばらくして義胡が手に弁当箱を持って広間に入ってくると、水杵が指差した椅子に腰を下ろした。
「今日は随分遅かったな?」
「そろそろ火遁が着く頃じゃねえかなって言ったら、土紬様が相当気合入れたみたいで」
料理があまり得意ではない水杵にとって、土紬が差し入れる弁当はありがたかった。
自分ひとりならまだしも、火遁がここで修行する時には殊更だ。
土紬はそれを解っているのだろう。
報告を待つという名目だが、義胡はいい「運び屋」なのだ。
「しかし、報告ならお前の所が先だろう?」
そんな水杵の言葉に、義胡はかみ殺したような笑いを漏らす。
「なんだ?」
「普通、師匠の承諾を受けなきゃならない国外の外出は、帰国したら一番に挨拶に行くのは「師匠」の所だろ。お前、炎遁様の使いとかしなかったのか?」
義胡の言葉に、水杵は何か言いたそうな表情を一瞬浮かべた。
確かにそうだ。
出かけるのに師匠の承諾を得る使いなのだから、帰国に関しても報告がいる。
その名目が緊急であれ、必ず、師匠の所に報告しに行かねばならない。
「いつまで経っても、火遁はお前の弟子だって事、忘れんなよ?」
「ここの所の火遁の成長が著しいせいか、少し混乱している。火遁の誕生日すら忘れていた位だからな」
義胡は後ろの壁にかけられた日めくりに目をやる。
幼少期ならまだ別だが、そう誕生日だからと盛大に祝う事はまり無かった。
神の場合は二十歳の誕生日が盛大なだけに、その何年か前に至っては自分自身が忘れていたりする。
「そういえば、火遁はもう十九か。しかし、これからの一年、もっと混乱する事になるかもしれないぞ?」
「…出来れば穏便にいきたいものだがな。おっと茶を用意しようか」
水杵が席を立ってから少しすると、再び玄関から声が聞こえる。
「師匠、只今戻りました」
その声に、義胡がやりと笑みを漏らす。
「火遁、こっちだ」
広間に顔を覗かせた火遁は手招きをする義胡に少しの間、不思議そうに義胡を見つめ、走り寄ってきた。
言葉を聞かずとも、火遁の顔を見れば答えはわかった。
「ご苦労様。その様子では、報告は良い物らしいな」
「師匠は?」
「台所」
火遁はああ。と小さく声を漏らして、義胡の脇に手を下ろす。
「智功には報告しなくてもいいんですか?」
「ああ。場合によっては言う必要もあるけれど、その様子では必要は無い」
テーブルの上に広げられた弁当箱の中から、卵焼きを一つ指でつまんで口に放り入れる。
「火遁、手を洗ったか?」
「あっいけね!」
後ろから聞こえた水杵の声に、火遁は慌てて立ちあがる。
そんな火遁の衣服から漂った匂いに、水杵が少し眉尻をあげる。
「薬剤の匂いじゃないな」
「へ?」
そんな水杵の言葉に、義胡は火遁の袖を軽く引き、鼻先を近づける。
「…煙草だね。心枢は煙草を吸うのか?火遁」
「あ、はい。娯楽の煙草だって言ってましたよ」
水杵はそんな火遁の言葉に眉を潜め、勢い良く火遁の後頭部を叩く。
「いてっ!」
「…他人が吸った位では煙草の匂いはこんなに付かない。お前、煙草を吸ったな?」
水杵の言葉に、義胡は火遁の顔を見る。
これもまた、答えを聞かずとも解った。
怯えた小動物の様な情け無い顔だったからだ。
「どういう事だ、水杵」
「智功と金樺も煙草を嗜むからな。側に一日程度いるだけであれば、こんなに強い匂いはつかない。ましてや半日以上外を歩いていた火遁に、こんなに匂いが残るわけが無いだろう。
だが、吸った場合は別だ。薬草の種類によっては、体内に残った煙が毛穴から漏れる」
「金樺も煙草を吸うのか?初耳だ」
「あいつは滅多に吸わないからな。その様子では、煙管も貰ったな?」
「…うっ」
黙っていれば良いのに。
義胡は解りやすく顔に出す火遁に笑いを漏らした。
臨機応変に表情を操る事ができない。こういう所が、火遁はまだ子供なのだ。
「陽国では煙草は成人後からの決まりだ。心枢から貰った煙管、出しなさい」
「……」
首を横に振る火遁に、水杵の表情が険しくなる。
「出しなさい、火遁」
それでも尚、首を横に振る火遁に、水杵が思わず手を上げる。
「止せよ、水杵」
水杵の腕を掴んで義胡が苦笑いを漏らす。
水杵も一固定の事に関してはすぐに感情を露にする。
それが表情だけならまだしも、水杵の場合は行動や言動に表れてしまうのだから性質が悪い。
「落ち着けって水杵。火遁、薬玉だけ出せばいいよ」
「…え?」
水杵と火遁が義胡を見て、同時に間の抜けた声を漏らす。
「本国じゃ身分証明がなきゃ薬玉は買えないだろ。薬玉がなきゃ煙草は吸えない。煙管は持っててもいい。むしろ、煙管自体を渡したくないんだろ?」
「…うん」
裾を握りこんで俯いた火遁に、水杵は上げていた手から力を抜く。
「どういう事だ、火遁」
火遁は少し間を置いてから、水杵を見る。
「約束したんだ、心枢と」
「…約束?」
「…俺が、その約束を守る変わりに、心枢は自分がずっと使ってる煙管をくれたんだ…」
火遁の声は少し震えていた。
今にも泣き出してしまいそうな、弱弱しい声。
義胡が水杵の肩を軽く叩いて宥めると、火遁に向かって右手を差し出す。
火遁は横に置いた荷物の中から、小さな紙袋を取り出して、その手の上に置くと、水杵はため息をついて椅子に座りなおした。
火遁はまだ子供だ。神としても、人間としても。
思っている事を上手く言葉にすることも出来ないし、知らない事も多い。
炎遁が自分が神になった時の様子が「異例」だと言っていた意味が少しわかった気がする。
自分は十九になる頃、自らの意思で頭の中で完全に神になる意識を固めきっていた。
しかし、火遁はまだそれをし始めたばかりなのだ。
普通ならこんな風にゆっくり、徐々に神になっていくのだ。
神という言葉は余計かもしれない。大人になっていくと言った方が、正しいだろう。
水杵は、自分と同じ目線で火遁を見すぎていた。
「…わかった。そういう事なら煙管は取り上げない。ただ、心枢と同じように私とも約束をしようか、火遁」
「え?」
「成人の儀を向かえるまで、煙草は吸わない。とね。もし守れないのであれば、煙管もとり上げるからな?
これは神としてじゃない。陽国に生きる者としての約束だ」
「…はい」
小さく頷いた火遁の頭を軽く叩いて、水杵は額を押さえ込んだ。
そんな水杵を見て、義胡がまた笑いを漏らす。
「さて、じゃあ、報告を聞こうか、火遁」
日がすっかり沈み、火遁の寝室からは寝息が漏れていた。
「とりあえず、内部からの情報漏洩の可能性は無しという事だな」
「…心枢が火遁に煙草を教えるとは」
まだ先程の件を引きずっている様子の水杵に、義胡はあきれた表情を浮かべる。
水杵にとって、火遁はどこか子供の様な存在だ。その気持ちがわからないわけではない。
しかし、こんな性格では将来、妻子が出来た時を考えると先が思いやられる。
「まあ、火遁が心枢を信頼している証拠だ」
「…何故?」
「多分、智功の事に感づいていたなら、火遁が何をしに行ったのか、心枢は気がついてたんだと思うな。あいつは妙にカンでキレる時もあるし。煙草はある意味、心枢の賭けだったのかもしれない」
「賭け?」
確かに医師免許を持つ心枢の頭の良さは折り紙つきだ。
ましてや風啼と精通している心枢がこの件に関して情報を仕入れたのもありえなくは無い。
義胡は火遁から受け取った薬玉を紙の上で転がしながら、不思議そうな表情を浮かべる水杵を見る。
「もし、煙草を知らない者がそれを見た時に多少なりとも興味を示すのはわかるだろう?多分、火遁はそこで煙草を口にしたんだ」
「…しかし、煙草に毒があったらどうする?」
「もし俺が心枢の立場で、火遁を殺す気だったのなら、最初に出した物に毒を入れるよ。例えば、そうだな、茶とか」
「…え?」
「心枢と火遁の関係を考えろ。何から何まで疑ってかかる関係じゃない。万が一、出した茶や菓子に口をつけないという事態になれば、心枢は煙草は出さなかっただろう。
もし、煙に毒があると察した火遁がその場所を離れる可能性があるからね。外にでも出られたら、それこそ殺す機会が無くなる。煙草を出した時点で、火遁は出されたものを口にしているという事になるだろ。
煙草を口にさせたのは、火遁が本当に自分を信頼しているかを見極める為だったんじゃないかな…」
「…確かに」
義胡は指先に付いた薬草のカスを軽く払って、そのまま頬に移動させる。
「…ちょっと待て…」
「ん?」
顔をゆがめて目の前の茶碗を覗き込み、水杵は義胡へ目線を移動させる。
「それじゃあ、もし、茶に毒が入っていたら、火遁は死んでいたんじゃないのか?」
水杵の問いに義胡は少し間を置いて笑いを漏らした。
「俺もそれは予想外だったんだよなぁ。疑いのある者に大して一番やっちゃいけない行為だからな。心枢が裏切り者じゃなくて本当によかったよ」
「あの大馬鹿者…」
水杵は両手で顔を多い、ガクりと肩を落とした。
「でも、水杵、その割には随分落ち着いてるじゃないか」
「…まぁ、心枢が裏切り者じゃないって言うのは自信があったからな」
「え?」
智功に関して一番知っているのは水杵だ。
闘王の個々の繋がりに関しては、智功が全ての網を探っていて、その情報を風啼や礼薫、そして頭脳班が共有する事は天照大神も全て承諾済みのことだ。
しかし、心枢と水杵が深い関係あるとは聞いた事も無かったし、中央神以外の闘王と方神が個人的に関わりがあるとは聞いていない。
義胡には、その水杵の自信がどこにあるのかは解らない。
「心枢が裏切り者だったら、こちらの動きを知って、一番最初に狙うのは智功だったろうからね。心枢はどちらかといえば智功寄りの考えを持ってる。なら、一番危ない箇所から切るだろう」
確かに、何かを掴まれる可能性が一番高いのは智功だ。
本国からあまり出ない人間より、各国を自由に行き来できる存在の方が数倍危険で、なおかつ、国のお墨付きとなれば、その危険性は高まる。
「…流石だな。だから、お前はすぐ承諾したわけか」
的確かどうかは解らない。
だが、自分の判断は今の「火遁」にとっては最良だったといえるだろう。
「南国は、心枢にとっていい境遇とは言えないよ。長い間の仕来りを重んじる礼薫殿、そして、本国と一番関わりの深い杏珠殿…守りにおいては最強とも言える場所かも知れないが、その場所に居場所を求めるには、狭すぎる。
だから、心枢は火遁に居場所を求めたのだと思う」
「…居場所か…。じゃあ、煙管は、心枢からの誕生日祝いだったって事かな?」
「…誕生日?」
「そこまで火遁を大事にしている心枢が火遁の誕生日を忘れるって事は無いだろうしな。いくらバタバタしてたって言っても、十二国土は結局平和だからな」
「…それだけ余裕があるって事か」
少し間を置いて、義胡はふっと笑いを漏らす。
「ま、いいんじゃないかな。闘王と神はまったく別もんなんだし」
「え?」
「その国によって色んな関係があってもいいだろ。俺らと金樺とか、木櫟と東とか。居場所が無いよりは数倍マシだ。
それに、一人位、神と「馴れ馴れしく」話せる関係の奴がいる方が、色んな事話すのにも楽だろ?」
義胡が自分を指差して漏らした笑みに、水杵は少し間を置いてから噴出した。
「確かに、そうだな」
「さぁてと。じゃあ、土輝邸に戻ってから明日またこっちに来るわ」
「何故?」
「何故って…約束しただろ、火遁の勉強手伝うって」
水杵はそんな義胡の言葉に、両手をあわせる。
確かに、そんなことを口にした覚えがあった。
「ああ。その件は別に構わない。お前は本業の方をやれ」
「え?でも」
「火遁とじっくり話をしたいんだ。神のことも、陽国についてもね」
「…そっか」
義胡は鼻先で笑いを漏らして、水杵の頭を軽く叩く。
「まだ、一年残ってる。それに、まだ先は長いよ」
「ああ」
□□□□
土輝邸に戻る途中、義胡は歩きながら空を見上げる。
真っ黒な空に半月が浮かび、辺りには無数の星が散らばっていた。
息が白く広がって宙に溶ける。
「もう、冬か…早いもんだ」
西国家の役員である義胡は、一年のうちの殆どを西の三国を回る事で過ごしている。
そんな日々を過ごすうち、季節を感じるのは生活の中の風景を見てといった事が多かった。
それぞれの国の季節の行事は様々だが、大抵のことは頭の中に入っていて商店や町並みを見ると、今の季節が自然とわかってくる。
いつもであれば、今時期は酉ノ国で一年の出来事を纏めた報告書を書いていて、休憩しに町に出れば、年末や新年にかけての準備が始まっているだろう。
本国では、自由な商店が殆どなく、その場所に行く機会も決まっている。
つまり本国には、季節を目で感じる場所が少ないのだ。
水杵が火遁の誕生日を忘れてしまった事も解る気がするし、確実に時間は経過しているのに「勝手に成長している」という感覚があるのかもしれない。
土輝邸の全体が目に見える位置まで来ると、ぼんやりと窓から漏れる明かりも見える。
妙に生真面目に時間きっちりに眠りにつく木櫟や智功が今の時間起きている可能性は少ない。
智功であれば報告を待つ為に起きている可能性はあったが、本来の予定であれば、今日は帰らない可能性だってあったから、智功には家を出る前にその事を言ってある。
現に、水龍邸を出た時点でもう日付は変わっている。
義胡は少し足を急がせた。
広間に入ると、本を開いている土紬の姿が見えた。
「あ、おかえり、義胡」
「土紬様、どうしたんですか?」
「義胡が帰ってくるのを待ってたんだよ」
そんな土紬の言葉に、義胡は目を丸くする。
「だって、今日はいつ帰るか解らないと行ったじゃないですか」
「水杵であればお前を帰すと思ったんだ。夜になって急に冷え込んだから、お茶を用意しておこうと思って」
笑いを漏らす土紬に、義胡はあきれ気味にため息をつく。
他人の、ましてや自分の支配下の人間の為にここまでする神は土紬くらいだ。
自分より身分の低い者に、侍従的にここまで気を使う者はいない。
愛朱であれば、多少は気を使うかもしれないが、本国においては神との関係は絶対的であり、風啼がそれをさせないだろう。
「茶くらい、自分で入れますよ…」
「そういうわけには行かないよ。義胡は仕事だったんだから。座ってて。今、用意するから」
土紬が席を立ってからしばらくして、智功が目元をこすりながら顔を覗かせた。
珍しく、というより殆ど見る機会が無い髪を下ろした姿だ。
夜、寝室に入ってから、智功と顔を合わせる機会は無かったし、あまり同じ家で寝る機会も無かったから、目にしたのは片手で数えるほどしかなかった。
「帰ってたのか、義胡」
「すまない、起こしたか?」
「いいや、厠だ。ついでだ、火遁からの報告聞こう」
智功が義胡の向かい側に腰を下ろすと、土紬が顔を出した。
「智功も飲むかい?」
「頂きます」
智功の返事は随分慣れた感じがした。
土紬が起きている事にも、茶を入れているという事にも疑問は無いらしい。
「お前はどうも思わないのか?」
「何が?」
「土紬様だよ。俺が帰ってくるのを待ってたんだ。それも茶を淹れるために」
智功はまだ開ききらない目を擦りながら、義胡を見る。
「いつも、ああなんだよ」
「いつも?」
「お前は外にいる事の方が多いからな。家にいる時はいつもあんな調子だ」
という事は、今が特別な事ではなく、いつもの土紬の行動という事になる。
義胡は口端を少し引きつらせて茶の用意をする土紬の後姿を見つめる。
「しかし、土紬様は俺達の従神様だぞ?」
「そういうの無しに考えた方が良いな。いつまでも遠慮しない方が良いぜ。こっちが気疲れしちまうからな」
目が冷め切ったのか、智功は右手首にはめていたゴムで後髪を簡単に縛った。
ようやくいつも見慣れた智功になったような気がする。
それと同時に、土紬が二人の前に茶碗を置く。
「じゃあ、僕は部屋に戻るよ。寝る時は電気消してね」
「あ、はい。ありがとうございます」
浅く頭を下げ、義胡は部屋を出る土紬を見つめる。
本当に茶を淹れる為だけに起きていたのか。
ある程度、中央神としての土紬の事はわかっていたつもりだったが、まだ解らない部分がありそうだ。
智功が湯気のたった茶碗に口をつけ、ゆっくり口に含んだ。
「心枢の件だが、特に問題は無かったよ」
「そりゃそうだろうな。まあ、それが本当かどうかはわかんねえけど」
「いや、多分、本心だろう。心枢が火遁に煙草を吸わせたらしいからね」
「煙草?」
智功の声は、どこか間が抜けていた。
まだ半分寝ぼけているような、鼻から抜けた様な。
「お前にはわかるだろ、智功。もっとも、お前も心枢から煙草を教わったのだからな」
「…別に俺はあいつに教わったわけじゃねえよ。元々家にあったんだ」
「態々南国まで「薬玉」を買いに行っているくせに…」
珍しく智功が動揺した様な表情を浮かべる。
本国に比べて、十二国土は比較的薬剤の取引が簡易だ。
もちろん煙草の薬玉を買うのも、少し商店を歩けばいい。
だがその類は、大抵は庶民の値段で買える様な安物の薬草のものだ。
一般的な庶民は道端で売られている物が煙草であって、それ以上の味は知らない。
本格的な物を探すとなると、それなりに詳しい薬剤免許を持っている者の所にいかねばならない。
薬剤にそれなりに詳しい智功であれば、「本格的」なものを嗜見たくなるだろう。
だとしたら、一番的確なのは心枢に作ってもらう事だ。
義胡は、今回の件で智功が本国に来てからの変化を見逃さなかった。
火遁の件に関してもだが、智功は前に比べて棘が大分丸くなってきている。
丁度、今の智功の髪の毛の様に。
一昔前の智功であれば、こんな風に夜更けに茶を飲みながら会話を交わすことも無かっただろう。
「お前には関係ない事だろ」
「なんだ、折角良いものをやろうと思っていたのに」
「…なんだよ」
義胡はにんまりと笑みを浮かべて、紙袋をちらりと見せる。
「心枢の薬玉」
「え?」
「火遁に持たせていたものだよ。水杵が許さなかったから没収した。お前がいらないのなら、金樺にでもくれようか」
「…うっ」
十二国土と違い、本国では薬が自由に手に入らない。
今の智功にとって、南国に行くのも容易な事ではないし、子ノ国を出てから相当な日数が経過しているから、喉から手が出るほど欲しい物だろう。
義胡は智功をからかう様に笑いを漏らす。
「冗談だ、お前にやるよ。お前が、心枢の事を態々俺に言った理由が知りたかっただけだ」
「…は?」
「おかしいと思ったんだよね。何故お前が執拗に心枢の裏を探ってたのか。心枢がいなくなると困るのはお前もだったんだろ、智功。もっとも、火遁みたいな純粋な意味では無いだろうが」
「…お前」
智功は悔しそうに唇をかむ。
「そんな顔すんなよ。俺はお前と同等な部分を見つけたかっただけだ。ま、態々そんな事しなくても十分わかったけどさ」
義胡は笑いを漏らしながら智功の鼻先を指で弾く。
「さて、明日からは俺も家の中での作業だし、頭を休めた方が良いな。あ、そうだ。心枢に薬玉を送って貰う様、文を送ってやろうか?」
「…余計なお世話だ」
顎に手をついて外方を向く智功に義胡は笑いを漏らしながら立ち上がる。
「それと、煙草は外で吸えよ。土紬様に失礼だからな。おやすみ」
右手を軽く上げる智功に、義胡はこみ上げてくる笑いが止まりそうになかった。
□□□□
まだ辺りには朝もやがかかり、肌にあたる外気が少し痛く感じる。
外門の横に背をつけてしゃがみ込み、智功は口からゆっくり煙を吐いた。
「随分早いな、智功」
薄く広がった煙の向こうに見えた顔は金樺だ。
「おはようございます。金樺様」
「何してんだこんな時間から」
「何って…見りゃ解るでしょう。やりますか?」
智功の差し出した煙管を受け取って、金樺は智功の脇に腰を下げると、すぅっと一回深く吸い込んだ。
少しの間口の中で煙を落ち着かせてから、ゆっくり吐き出した。
「…お。心枢の薬玉だな。しかし、あいつのにしちゃ随分軽いな」
水杵の言うとおり、金樺はあまりしょっちゅう煙草は吸わない。
しかし一口だけで誰が調合したものかわかるのだから、金樺も相当「通」な様だ。
「まあ、元は「火遁用」ですからね」
「火遁?」
「水杵様にきけば解ると思いますよ」
凡その事の運びは察しがついた。
水杵に聞きに行けば、また相当愚痴を聞かされることになるだろう。
「しかし、随分古い煙管だな。見た所、結構値打ちがありそうだが」
「親父のですよ。母は煙草が嫌いだったけど、親父は無類の煙草好きだから、煙管も相当な数を集めてた。賊に殆ど取られたけど、それだけは残ってたんで」
ぱっと見た目は、只の古い煙管だ。
素人目には値打ちのあるものには見えなかったのだろう。
「…形見か…」
会話が止ると、辺りは急に静かになる。
まだ鳥も起きていない時間だ。
しばらく間を挟んで、智功が金樺を見る。
「こんな朝早くから、何してるんですか?」
智功の問いに金樺は少し困ったように間をとった。
「…散歩?」
「何で疑問調…」
「いや、ほら。木櫟もいないし、やる事なくてな。夜寝るのも早いから、目が覚めるのも早いっていうか」
「…年寄りくさい。嫁でもとったらいいじゃないですか」
「人のことをいえる歳か。三十路目前のくせに」
「…金樺様だって一年後は三十路でしょうが」
一瞬の間を挟んで、二人は同時に噴出した。
「お前とこんな話をするとは思わなかったよ、智功」
「同感です」
智功はふいに後ろに感じた気配に顔を上げる。
覗き込んでいたのは土紬だ。
「何してるの、こんな所で」
「土紬。何、少し一服な」
「何も中で吸えば良いじゃないか。態々こんな寒い所で…」
「いや、匂いがつくのがまずいかと思いまして」
そんな智功の言葉に、土紬は笑いを漏らした。
「構わないよ。風啼様の所で散々嗅いでるからね。金樺、ついでだから、ご飯食べていきなよ。木櫟ともしばらく会ってないだろう?」
「ありがたい」
二人が揃って立ち上がると、朝もやの間から日が差し込んできた。
「こんな朝日が、ずっと見られると良いね…」
「そうだな…」
土紬の頭を軽く叩いて、金樺は目を細めた。
「あーっ!やっぱりお師匠だ!」
元気の良い声が辺りに響き、同時に金樺は背中に強力な衝撃を感じた。
派手な寝癖をつけた木櫟が満面の笑みで金樺の背中に乗りかかっている。
「こ、こら、木櫟」
「ねえ、お師匠。新しい技見つけたんだ。見てよ!!」
「わかった。わかったから降りろ」
「木櫟、ちゃんと顔をあらいなよ」
「はぁい」
金樺の背中から飛び降りるや否や、木櫟は金樺の腕を強引に引っ張っていく。
「…大変そうですね、金樺様も」
「いつもの事だよ。今日はまだ控えめな方だ」
智功はあきれ気味に笑みを漏らす。
「土紬様」
「ん?」
「陽国は、陰国には負けません。俺達がいますから」
智功の言葉に、土紬は一瞬声を詰まらせ、そして小さく頷いた。
「…ありがとう。今日の朝ごはんは何にしようね」
ゆっくりと昇る朝日に照らされた肌が、じんわりと温もりを帯びていく。
少しづつ姿を現す陰は、皆同じ大きさに見えた。
神も人間も、同じ大きさに。




