五神の源(8)
水龍邸の中庭が見える椅子に腰掛け、金樺が横に腰を下ろした水杵を見る。
水杵と違って、木櫟が「作戦」に加わった金樺には、これから目だった行動目的があるわけでもなく、ふいに訪れた水龍邸で水杵の文句と質問を一度にぶつけられるはめになった。
水杵の質問はいつも一方的に全ての言葉を言い終わるまで終わらない。
しかし、金樺にとってはその方が都合が良いのは確かだ。
「しかし、火遁にねぇ…」
「お前なら、もう少し義胡の「考え」が解るかと思ったんだが」
まだ怒りが残っているような水杵の言葉に、金樺は少し困ったように鼻先をかく。
確かに水杵に比べれば、金樺は義胡の考えに察しがつく場合が多い。
しかし、一番長く一緒にいた義胡は、解る部分も多ければ解らない部分も取り分けて多かった。
例えば、大まかな考えはわかっても、底の真意までは金樺には察する事が出来ない。
義胡と水杵は、そういう面では似通っている部分が多い。
だから金樺は、水杵といるとどこか気が楽なのだろう。
「お前は義胡が何を考えてると思うんだ、水杵?」
水杵はそんな金樺の質問返しに、口元に手を添える。
「そうだな…。おそらく義胡と智功は同じ考えを持っているのは確かだ。義胡との作戦に限って、智功は「単独行動」を嫌うからね。ただ、火遁にこの件を依頼したのは「義胡」だけの考えだと踏んでいる」
「何故?」
「智功の考えもあるのなら、「私」に断りを入れないからだよ」
金樺はそんな水杵の言葉に首を捻る。
水杵の言い方ははっきりとしている割に、その真意が掴みにくい。
わざと遠まわしに物事を言うような癖がある。
「火遁にとって私は師匠だ。そして、五神になる前まで、私は火遁の監視役だからね。もし、火遁に特別な命を託すと知れれば、私が詮索をかけるという事を、智功は当然解っているだろう。
この件が機密であれば、智功はどんな手を使っても私には知らせずに火遁を使いに出す」
智功の真の内はあまり金樺は知らない。
元々、他の闘王と違って、智功は土紬と水杵以外と余り口をきかないからだ。
智功と談笑するなどとは思いもしなかった。
「しかし今の時期、お前に知られずに火遁を引き出すのは無理があるぜ?」
「いや、智功なら態々、火遁を「使う」事はしないよ」
「っていうと?」
「義胡は身内の争い事を極力避け様としてる。しかし、智功はそういう考えを持たない」
金樺はようやく水杵の言わん事を飲み込めた。
何故、いつもこう遠まわしに物を言うのか、金樺は少しイライラする事もあったが、あえてその事は言わなかった。
「つまり、智功が関わってれば、義胡が火遁に任せた件を「自分」でこなすって事か」
「ああ。おそらくこの件に関して、大まかな計画自体は二人で考えたものだが、実行に関しては義胡だけの判断。という事になるだろう?」
金樺はふんふんと鼻を鳴らし、机に載せていた左手を頬に移動させた。
「義胡が独断で考えたとなれば、おそらく…」
「おそらく?」
「あくまで穏便に心枢との話をする為。もしくは情報を聞き出す為…じゃねえかな?」
「…穏便に」
「その情報が何なのかはわからないが、義胡や智功、そして他の者には直接「聞きにくい」事なんだと思うぜ。
そして、危険二割って事は…心枢がその事を拒み、火遁の命を狙う可能性だ」
水杵が眉を潜めた。
心枢に聞き出す事が何かにもよるが、火遁にしか出来ない行為なのであれば、それは心枢が火遁を一番に気にかけているという理由の真意があるのだろう。
南国の闘王は、礼薫を初めとして其々闘王としての自覚が高いが、それぞれの疎通は思っている以上に薄いものだ。
もちろん闘王としての結束は固い。
しかし、個々の繋がり、つまり一個人同士のしての繋がりに関しては北国よりも薄い状態だ。
杏珠は特別だとしても、其々の過去や普段の生活には滅多な事でなければ干渉しあわない。
火遁の件以前に、北国は国同士の結束が妙にちぐはぐしている状態だ。
南としての繋がりより、個々の国として、本国に繋がっている。
礼薫も確かに火遁の事は気にかけている。
しかし、それはあくまで「闘王」としての事だ。もし火遁が穏便に火神になっていたのであれば、礼薫はあれほど火遁の事を気に止めはしなかっただろう。
つまり、人として一番親密に火遁を気にかけているのは心枢なのだ。
火遁が心枢と会う時、表面上は闘王として接しているが、その態度は、まるで遠くはなれて暮らす兄弟とも思える場面がある。それも実際の年齢程はなれた兄弟ではなく、年子のような感覚でだ。
それはどこか木櫟の接し方とも似ていたが、火遁と心枢の場合はあくまでもそこだけの問題。
火遁が十二国土の敬称に気を使う中、唯一、歳の離れている心枢に敬称をつけずに呼び捨てにする理由もそこにあると水杵は考えている。
「…では、義胡は初めからその危険を承知で火遁を使いに出したと?」
「悪いように捕らえるな、水杵。その問題次第じゃ、智功が作戦を指揮する様に、十二国土や俺らが行った方が「楽」な任務だろう。だけど、義胡があえて火遁に託したのは理由があるんだ」
「…しかし、事が最悪の事態になってみろ。火遁は一番信頼をおく十二国土の闘王を殺さねばいかん状況になるんだぞ?」
水杵は少し感情が高ぶっている。
握りこんだ拳が振るえ、唇が震えている所為か、声が上ずる。
「そうなったら、火遁は…また元のような状態に…」
声が震える水杵に金樺は苦笑いを漏らして、軽く肩を軽く叩いた。
「落ち着けよ、水杵。それはないと思うから」
「…何故?」
「義胡は、火遁に全てを話したはずだ。その最悪の事態の事もな。あいつは何か事を始める前に必ず、その行動の結果を予測する。良い方向・悪い方向どっちもな。
だとしたら、火遁がこの件を受入れなかったことも考えているはず。どっちにしろ、火遁は、自分がやるか他人がやるかで結果は同じものだって事を理解したんだ」
「…同じものだと…?」
「ああ。悪い結果にころがりゃ、心枢の命は絶たれるってな。
だったら、火遁は多分、自分の支配下の始末を自分でつけるって思ったんじゃねえかな?多分、今のお前も俺もそういう結論を出すだろう」
確かに、その結論が一つであれば、神としての判断は、神である自分自身での制裁だ。
火遁が神になる事を一番に認めた心枢であれば、それは尚更の事だろう。
「…方国の闘王を自ら始末するという事を理解していると?」
「多分な。火遁は「今の」十二国土の事は知らない。だけど「十二国土」の仕来りは知ってるんだよ」
水杵はしばらく言葉を失っていた。ひっ繰り返したパズルをまた1からやりなおしているような、そんな事が火遁に出来るのか。と、頭の中が混乱しているのだろう。
金樺は苦笑いを漏らして、中庭を眺めた。
少し前までは、ここでよく火遁が技の練習をしている姿を良く見た。
「俺も、木櫟が神になる直前は驚いたよ。俺の知らない間に、木櫟は作法なんかをどんどん覚えていく。普段は間の抜けた顔してるのに、成人の儀では、びっくりする位「神の顔」をしてたからな。本人は気が付いていないだろうけどさ。きっと、俺もお前も同じだったんだ。神になるってのは考え方だけの問題じゃないって事なんだろうな…」
水杵はしばらく口を開かなかった。
金樺が水龍邸を出るとき、ようやく「またな」と一言いっただけ。
□□□□
火凰邸の道場の真ん中で、炎遁が天井を眺めていた。
「炎遁様、よろしいですか」
「…水杵、どうした?」
「声をかけても返事が無かったもので、勝手に上がらせていただきました」
「ああ。すまない。少し考え事をしていた」
炎遁は少し気恥ずかしそうに苦笑いを漏らして水杵に小さく頭を下げた。
「火遁が急に無理を言ったらしいな」
昨日火遁が旅支度をしにここに戻ってきたから、炎遁は多分火遁の事を知っているのだろう。
その内容を事細かに火遁が言ったかはわからないが。
「私の所に言いに来たときには、もう火遁は行く事を決めていましたから。闇雲に危険だから駄目だという歳でもありませんし…」
「あいつも俺に似て、一度決めたらてこでも動かないからな」
炎遁は小さく笑い声をあげて、出口を指差した。
「広間に移動しようか」
通路を歩きながら、水杵は黙ったまま炎遁の横顔を見る。
自分が火凰邸を出て七年が経った。
炎遁に弟子入りしてから、成長期を火凰邸で過ごす間に幾分か身長が伸びたが、成人する頃には身長の成長が止まった水杵は、炎遁の背を抜く事は無かった。
けれど水杵は、自分の身長がもう少し欲しいと思った事は無い。
親もこの位だったから、思っていたより少し大きい位だ。
初めは少し見上げる位だった炎遁の横顔は、いま、首を横に向ければそこにある。話す時にわざわざ首を動かさなくてもいい。
この身長の差が、炎遁との師弟関係を実感できるようで好きだった。
ただ、火遁は、自分をあっという間に追い越し、父親の身長も超したと言うのに、まだ少しづつ背が伸びていた。
明雀の背丈があまり高くなかったから、少し意外にも思える。
身長が中身と比例するわけではないし、火遁が自分と同じ考えというわけでは無いだろう。
しかし、何故かその差と共に、自分と火遁の心の差が広がるような気がする。
身長だけではなく、その顔つきや言葉遣い、火遁の成長の全てが、どこか水杵は寂しく思えた。
炎遁と違い、火遁がこの先、長く続く同じ五神だからだろうか。
改めてよく見れば、炎遁の顔には細かな皺が増えている。
それでも、通常の人間に比べて、年齢には炎遁の顔は比例しなかった。
閑叉を見ていればよく解る。
自分が五神になった頃の閑叉はもっと若く、生き生きしていたが、いまではすっかり初老に見える。
自分が炎遁の元に弟子入りした時に比べれば確かに炎遁は「老いた」。
火遁が成人の儀を向かえれば、いくら師弟とはいえ、現役から退いた五神は「総神」と名を変えるが、扱いは一般人だ。炎遁を頼る事は「しにくい」事になる。
しかし、水杵にとって、そんなものはあまり問題ではない。
現にこうして、なにかに迷った時は炎遁の元を尋ねても、炎遁はそんな仕来りの事は一切口にしない。
自分自身の父親が仕来りに厳格な分、炎遁はどこか水杵に甘い部分がある。
多分、礼薫が始終傍にいれば、口を開く度に「示しが付かない」等と、小言を言うだろう。
「俺の顔に何かついているか?」
「えっ!?」
「さっきからずっと俺の顔を見ているから」
水杵ははっとして顔をそらす。悪い事をしたわけでもないのに、なんだか気恥ずかしくなった。
「申し訳ありません」
「どうした、水杵」
「…炎遁様、お聞きしてもよろしいですか?」
「なんだ、改まって?」
炎遁は不思議そうに首をかしげた。
「炎遁様は、私が神になる時、どんな思いをしていましたか?」
「…神になる時?」
水杵の問いに、炎遁は少し困った様に首をかしげた。
水杵が水神になったのは七年前とそう昔の事ではないが、そんな事を細々と覚えてはいなかったからだ。
自分が神になったというのであれば、記憶に残ってないともいえるが。
炎遁は頭の端々に残る記憶をかき集める。
「…そうだな、お前が神になった時は少し、異例だったな」
「異例?」
「まあ、異例といっても、お前の番になるまで私が成人の儀を見たのは前の五神と金樺だけだが。金樺とは少し違ったんだよ」
「違うとは?五神総指揮のせいですか?」
「いや、それも多少はあるが…」
炎遁が通路の途中にある長椅子に腰掛ると、水杵は炎遁の横に腰を下ろした。
中庭の先にちょうど正門が見える見晴らしの良い椅子だった。
そういえば、幼い頃、ここでよく炎遁に本を読んで貰った記憶がある。
「なんというかな。お前は神になる前から「神」の顔をしていた」
「…神の顔?」
「火遁を弟子にとった所為かもしれない。普通は、成人の儀に、初めて神の顔になるもんなんだ。しかし、お前は、そうじゃなかった」
水杵はそんな炎遁の言葉に当時の事を少し思い出した。
そういえば、智功と火遁がひと悶着起こした時だった。
確か、あの時、黒斗や夜壬にも同じような事を言われた気がする。
しかし、水杵はそんな事を意識したつもりはない。
神の顔になるなど、意識して出来るものではなかった。
神は職業ではないからだ。
「他の神や今までの場合と比べてやってる事は特例ではなかったのにな…。おかげで、私は大分楽だったよ。それに北国の者もそうだろうな」
「…と、言いますと?」
「金樺も木櫟の時に言っていたが、この神の顔になる状態は、結構その差に戸惑うもんなんだがな。特に十二国土闘王なんかはその差にしばらく慣れない。お前は何も変わらなかったからな。
そうだな、解りやすく言えば、こないだ、李戒に対して木櫟が急に「木神」になっただろう。ああいう場面が急に出て来るんだよ」
「…はぁ…」
水杵の浮かべた表情に炎遁は笑いを漏らした。
なんとも情け無い、子供がぐずっている様な、今にも泣き出してしまいそうな表情だ。
「お前が師匠であるから、火遁も多分そうなんだろう。ただ、火遁は神の意識が強くなるのが遅かった分、唐突にそれがまとめて来ただけだ」
「まとめて…ですか?」
「ああ。お前も子供を持てばわかるさ。弟子も子供も、知らないうちにいろんな事を覚えているものだよ。そして、時としてドキッとするような言葉を口にする事もある」
水杵は少しうつむいた。
自分の知らない所で、火遁は成長しているのだ。
「でもな、子供も弟子も、背中を見て育ってきた事には変わりは無いんだよ、水杵」
「…え?」
「能力や見た目がいくら親や師匠を超えていっても、育ってきた環境を忘れる事は無い。だから、それが血の繋がりがない者だとしても、いくら突っ張った人間だって無くなれば悲しむものだ。いつまでも、その手を完全に離れる事など無いんだよ」
炎遁は横に座った水杵の頭を少し荒っぽくかき乱した。
「お前も、いつまで経っても、私の弟子で子供だ、水杵」
「炎遁様…」
水杵の顔は真っ赤でしわくちゃだった。
本当の子供みたいに、目じりから涙をこぼして、詰まった鼻先で必死に喘いでいる。
「辛かったら、泣きたかったら、いつでもくればいい。弟子が師匠に涙を見せるなとは、俺は教えていないだろ」
「…ありがとう…ございま…す…」
水杵は顔を両手で覆って、顔を伏せた。
自分も、火遁にとってこんな存在でありたい。
むせながら涙を枯れるまで流しきって、水杵は頭におかれた炎遁の手の温もりに安堵していた。
□□□□
巳ノ国に来るのはいつぶりになるだろうか。
確か、数月前に水杵の使いで来た事があった。
心枢は年に数回、用事も含めて本国に訪れていたから、あまり会う事自体は久しぶりという感じはしないが、町の風景は久しぶりだ。
十二国土は本国と違い、小さな町がいくつも集まっている。
本国では商店が並ぶ所は決まっていたし、どれも天照御殿の役所みたいな堅苦しい感じがした。
使いに出される時も余り進んで行きたい所ではなかった。
閑叉の医療所は、そんな商店の中では少し異色で、火遁はここの使いだけは快く受けた。
気が付けば外が暗くなっていたなんて事もある。どこか、閑叉の所はほっとできる空間だったのだろう。
昼過ぎの商店は活気があふれている。
途中何人か自分に気が付いて頭を下げてくる者もいたが、火遁は少し苦笑いをもらした。
「俺はまだ神じゃないから、そんな態度は止めてください」
そう言うと、皆かならず驚いた表情を浮かべる。
そして、本当に火遁が変わったのだと、安堵の表情を浮かべてくれた。
しばらく町を歩くと、見慣れた看板が目に入った。
その前に立っている人物に、火遁は手を振る。
「心枢!」
「お疲れ様、火遁」
心枢は、少し微笑んで火遁の頭を叩いた。
傍から見れば、歳が十四も離れているやりとりとは思えないだろう。
心枢の顔が年齢より若くは見えるが、それでも火遁と並べば、それなりに年齢の差はわかる。
「また背が伸びたな?どこまで伸びるつもりだ?」
心枢の身長は、確か炎遁と同じくらいだ。
前、心枢と会った時は、火遁の方が幾分か小さかった。
「そんなの俺が操作してるわけじゃねえもん、わかんねえよ」
「それもそうか」
火遁は心枢の後ろに目をやる。
「店は?」
時間からしてみれば、まだ店を開けている時間だが、戸口は占められ、中の戸棚には布がかかっていた。
「休業にしたよ」
「え?でも薬局が閉まってたら皆困るだろ?」
「別に構わないよ。死にそうな病人はこんな薬局にはこないからね」
そういえば、心枢は何故、医者ではなく、薬剤師になったのだろうと火遁は思った。
どとらかといえば、十二国土も本国も陽国には医者が少ない。
だから、大きな争いごとが起きる度、東が総動員されるといった事が頻発する。
薬局の壁には医師免許がかけてあるから、やろうと思えば、医者もやれるはずだ。
杏珠も医師免許があるから、医者になれるが、杏珠は主婦になる事を選んだ。
確か、金銭をとって人を治すのが嫌だといっていた気がした。
薬局を開いたのだから、心枢がその思いではないことは確かだ。
「火遁」
「え?」
心枢の呼び声に火遁ははっとした。
心枢は脇の通路の方に行っていて、手招きしている。
「そんな所につったってないで、早く中にお入り」
「あ、うん」
火遁は慌てて、心枢の所にかけて言った。
家の中は静かだ。
手伝い等も今日は休ませているのだろう。
心枢は結婚していないから、店の手伝いがいなければ、この家には心枢しかいない。
案内された部屋は、いつも心枢が薬の調合などをする部屋でさほど大きくはない。
所狭しと薬剤や医療の本が並べられ、すり鉢や小さな椀が置かれている。
火遁にとっては見慣れた風景だ。
部屋の真ん中に小さな丸い机があって、その上に茶菓子の入った器が置かれていた。
「茶でいいか?」
「あ、うん」
戸棚の中から急須と茶碗を2つ出して、手際よく茶を入れる。
「家の客は年寄りばかりだから、あまり、子供の好きなものがなくてな」
「俺、もうそんな歳じゃねえよ」
「そうだったな。だが、俺にとって、火遁はいつまでも子供みたいなものだ」
「何それ」
火遁は少し口を尖らせたが、心枢のいう事はよく解る。
心枢は友達の様な、兄弟の様な、親の様な妙な存在だったからだ。
心枢は茶碗を火遁の前に滑らせると、脇においていた箱を机の上に上げた。
小さな蓋を開け、脇の引き出しからなにやら金属の長細い筒を取り出す。
先端が少し上向きに曲っている。
火遁が不思議そうに眺めていると、心枢はその視線に気がついたのか、その棒を縦に持つ。
「煙管は初めてか?」
「キセル?」
「本国で、煙草を吸う奴はいないのか?」
煙管に煙草。どれも初めて聞く言葉だ。
火遁は首を横に振る。
「それも珍しい事だ。金樺位は嗜みそうな物だが…」
「煙草って、なんだ?」
「煙の草と書いて煙草だよ。まあ、一種の薬という所か」
心枢が箱の引き出しから小さな薬玉を取り出し、煙管の先端に詰めると横に置いてあった蝋燭から、芯を取って火を盛る。
二、三回吸い込むと、心枢の口元から白い煙が出てきた。
その行動で、火遁はそれが「煙」を吸い込むものなのだと理解した。
「煙草の種類は人それぞれ。精神を安定させる草玉や、傷の治療の為のもある」
「じゃあ、心枢のは?」
「…娯楽だな。これは香草だ」
「ふうん?」
火遁は興味深げに煙管を見つめている。
確かに本国ではこんなものを吸っている人物はいない。
もしかすれば風啼辺りは持っているかもしれないが、商店では見た事はなかった。
「吸うか?」
「え?いいの?」
「まあ、本当は体にはよくないものなんだがな」
そんな笑い混じりの心枢の言葉に火遁は少し眉を潜めた。
「一回位じゃ毒じゃないさ」
心枢は嘘をついた事は無い。冗談交じりにからかう事はあっても、本当に害があるのなら、勧めたりはしないだろう。
「…じゃ、一回だけ」
手渡された煙管をゆっくり咥えて、火遁はゆっくり息を吸った。
同時に、口の中に広がった妙な違和感に、思い切りむせ返る。
口の中に残った煙を全て吐き出しても、変な味が残ってすっきりしない。口元を拭って心
枢見見上げる。
「大丈夫か」
心枢が火遁の背中をさすり、苦笑いを浮かべる。
「お前には早かったな」
「…なっ…なんでこんなもの…」
涙を滲ませ、火遁は心枢を見上げる。
「まあ、好き嫌いの問題だからな」
心枢は煙管を加えて、火遁に茶碗を差し出す。
茶碗の中身を飲み干しても、まだ変な味は取れなかった。
思えば、香草は普段焼いた匂い嗅ぐ物であって、吸う物ではない。
吸った方がいいものであれば、最初からそうするはずだ。
「心枢の味覚変だよ」
心枢は笑いを貰いながら煙を宙に吐き出す。
「まあ、長い間薬剤の味を見てたから、ある意味正論かもな」
再び茶碗に注がれた茶を口に含んで、火遁は心枢をみる。
心枢は煙管から煙を吹かしながら、そんな火遁を見返した。
「で、何の様で来た?」
「え?」
火遁は、ようやく自分が何の為にここに来たのか思い出した。
こんな会話を楽しむ為じゃない。
「…俺、心枢に聞きたい事があって来たんだ」
「義胡の間違いじゃないのか?」
火遁は心枢の返事に一瞬ぎくりとした。
無論、今回の件は十二国土全部に知れ渡ってる事だから、心枢がそう思うのも不思議では無いし、火遁が態々嘘をつく必要も無かった。
「…まあ、正しくは」
「それで、俺の何を調べて来いと頼まれたんだ?」
「…それは」
火遁は今更怖気づいた。
本当にこの事を聞いて良いのか。
もし、心枢が裏切り者だったら。
「…陰国の事だな?」
「っ!!」
その言葉に、火遁は息を詰まらせる。
心枢は知っているのだ。
自分が何の為にここに来て、何を聞きたいのか。
心枢は回りくどい言い方が嫌いだった。よく水杵の言い方にも注意する位だ。
「まあ、隠していても仕方ない。下手に智功のような鼠に探り当てられるよりは幾分かマシだ」
どういう事だ。
心枢は火遁の言葉を一言も聞いていないのに、話をどんどん進めていく。
それに、智功が「鼠」とは何のことだろう。
「確かに、俺は陰国と繋がり、毒を仕入れていたよ」
「……心枢」
一番聞きたくなかった言葉だ。
出来ればその先何も言わないで欲しいと思った。
「だが…あくまで過去の話…だけどな」
心枢の言い方は少しにごりを含んでいた。
今までの話の流れからして、不自然なほどにその場所だけ急に濁った。
「どういう事…?」
「智功…いや、義胡から聞いていると思うが、それは俺が闘王になる前の話。そうだな、まだ知識が浅かったという時期か」
心枢は煙管を逆向きにして、蓋の付いたくぼみに軽くたたきつけた。
金属がぶつかる軽くて高い音がして、赤い薬玉がくぼみに落ちる。
窪みの中でじりじりと燃える薬草は、香料に変わって辺りに香りが広がった。
「その頃、俺は陰国にある薬草の事を調べていてね…。別に毒薬だけではなく、色んなものを調べていた。
お前も知っての通り、陽国では天照大神が認めたものしか「輸入」出来ない仕組みだから、あるツテを使っていくつかの薬草を手に入れたんだ」
薬剤師として顔の広い心枢であれば、陰国に繋がる人物がいてもおかしくは無いだろう。
元々、「認められた」薬剤であれば、陰国から買う事もできた。
「…それで、何をしようと思ったんだ?」
「そうだね。ただ、その時は研究の為だけだったと思う」
「その時は?」
心枢は脇に置かれたすり鉢を引き寄せる。
中にはまだ擦りかけの薬草が入っていた。
「薬草というのはね、組み合わせでいろんな効能が出来るものなんだよ。二つのものを合わせ、特効薬にはなるが、副作用があったりと、中々上手い事にはならない。
そして、薬草は必ずしも「薬」にはならない。「毒」にもなりうる」
「…それは俺にもわかる」
「陽国にある薬草に関しては、その組み合わせの大半は解明されている。しかし、陰国は別だ。調べようと思って容易に出来るものではないからね」
心枢は擂粉木を手にとって、中の薬剤を潰し始めた。
小さな実がつぶれて、黒っぽい液体が飛び出る。
「俺の武器が毒針なのは知ってるな?」
「…うん」
火遁は昔、心枢が武器である毒針を使った訓練をしているのを見たことがある。
小さな虫を的に、細い針で正確に射抜く。
その時は虫相手だったが、毒によっては、人間を一瞬にして殺す事も出来るといっていた。
ただ、その様な針は緊急時にしか使わないという事も聞いた。
「陰国の薬草を調べたのは半分は医療の為だ。しかし、同時にそれに使うモノも探していたんだよ」
「…つまり、毒になる物も。って事?」
心枢は小さく頷いて、手を止めた。
「陽国には毒性の強い植物は少ないからね。陰国であれば、もっと殺傷能力のある物があるかと思って」
「でも、闘王じゃないのに、どうしてそんな物を探す必要が?」
そんな言葉に心枢は少し間を置いた。
「その当時、風啼は陰国の動きに気がつき始めていた。私はその手伝いをしてね。勿論、その頃は闘王になるという様な事は言われていなかった。だから手伝いに関しては陰国の薬草を手に入れられるという事だけが先行していた。
多分、陰国も風啼の事に気が付いていたのだろう」
心枢が顔を上げて火遁を見る。
「どうして、陰国は私に安易に薬草を渡したと思う?」
「…え?」
突然の質問に火遁は戸惑った。
心枢が一方的に話を進めるので、火遁は追いつくので精一杯だったからだ。
「…えっと…」
「陰国は「毒」を求めたんだよ」
心枢の言葉に、火遁は息を詰まらせた。
つまり心枢は、陰国に「毒」の情報を渡す代わりに、薬草を手に入れた。
少し呼吸が苦しい。
それじゃあ、心枢は裏切り者という事でないか。
「私はその当時、「毒」に関しては知識が薄かった。ただ、人を殺すものだとしか思っていなかったからね」
声が出なかった。
心枢は構わず話を続ける。
「だから、その浅はかな考えに気がつくのに、随分手荒い事をする羽目になったよ」
頭の中で話がまとまらない。
それ以上喋らないでくれ、考える時間をくれ。
そう思っても声は出てこない。
「私が闘王になった理由を、まだ火遁は知らなかったね?」
ようやく、火遁が一呼吸置ける隙間が出来た。
きっと顔中汗だくだろう。呼吸は乱れて、息苦しい。喉はカラカラだった。
「…知ら…ない」
心枢はまた少し間を置いた。
おかげで、茶碗に残った茶を喉に流し込む事ができた。
「見てごらん、火遁」
心枢は右目にかかった長い前髪を横に退け、目を覆っていた眼帯を上にずらした。
「!!」
火遁は、今しがた喉を通っていった液体がこみ上げてくるのを感じた。
慌てて口に手を当てたが、指の間から濁った液体が零れ落ちる。
呼吸が出来ない。
穴という穴から、体中の水分が抜け出てしまいそうだ。
眼帯に遮られた光を久しぶりに受けた心枢の右目は、白目も瞳孔も無かった。全部が黄緑をしていて、分厚い膜を貼っていた。
瞼は溶けてしまったのか、その「目」を覆う蓋はない。
「…げっ…」
畳にしみた液体がシミをつくった。
火遁は漏れ出しそうになる涙をぐっと堪える。
「これが、私が闘王になるきっかけ、そして、浅はかな自分に気がついたきっかけ」
「……」
なんで?どうして?
言葉は声にならなかった。
でも、その必要も無かった。
心枢は左目の瞼だけを閉じる。
「陰国の毒薬を作っている時に、僅かに目に飛び散っただけだったよ。手の物はすぐに拭い去ったが、目は間に合わなかった。三日もすればこの有様だ。そして尚、まだ痛みが残る。
毒にはね、人を殺すだけではないものもあったのだよ。こうして…生きながらにその恐怖を味あわせる、毒もある…」
火遁は、ぐっと喉物の元を飲み込んで、勢い良く顔を上げた。
「心枢は、その毒を陰国に売ったのか…」
心枢がゆっくり、目を開く。
「売ったと思うかい?」
火遁は返事に迷った。
思わない。というより思いたくなかった。
そうなれば、陰国は強大な「武器」を手に入れたことになる。
陰国との密輸入以上に、心枢の罪は巨大なものになってしまう。
「…俺は…」
喉まできた言葉が中々出てこない。
その言葉を口に出すのが怖かった。
しばらくの沈黙を置いて、心枢が静かに、眼帯を戻した。
「売ってないよ」
その言葉に、火遁は心底安心した。
全身の力が抜けて、魂がその場に崩れる様な感覚だった。
「…この毒で目を失った時、私は自分の犯そうとしてる巨大な過ちに気がついた。そして、踏みとどまった。
国民をこんなものの被害に合わせてはいけないとね」
「…でも、陰国の人間は?出来ませんでした。で納得したのか?」
「今のお前と一緒さ」
「え?」
心枢が笑みを漏らす。
「この目を見て、へっぴり腰で逃げていった。自分もそういう風にされるとでも思ったのかね」
再びキセルを咥えて、火を灯す。
火遁は、急に体を突き抜けた安堵感からか、眩暈を感じた。
目の前がぐらぐらして、視界がぼやけた。
「おっと…やはりお前にはキツすぎたかな」
「…ぇ?」
声が声にならない。
「この煙草、この目の痛みを治める「麻酔」代わりなんだ。まあ、いい。旅の疲れたもあるだろうし、そのまましばらく眠るといいさ」
心枢が笑いながら火遁の頭をゆっくり脇に下ろす。
「心配しなくていい。今の事は全て本当の事だから、寝ている間にお前を殺したりはしないよ」
火遁はそんな心枢の言葉を信じた。
心枢が浮かべた表情は、いつも通り、自分の悩みを笑いをもせずに聞いてくれる顔だ。
まどろんだ意識の中、首を支える心枢の腕は温かかった。
幼い頃から、ずっと自分を守ってくれた、揺り篭の様な。
□□□□
目がはっきりと覚めた頃には、外はすっかり暗くなっていた。
鼻先に良い匂いがつく。
「目が覚めたか?丁度良い。夕飯ができた所だ」
「心枢…」
心枢は手に持った鍋を机の上に置いて、火遁の喉元に指を当てる。
「すまないな。まさかお前の体がそこまで麻酔に弱いとは思わなかった…」
そういえば、前に大怪我をした時、閑叉も似た様なことをいっていた。
多分、普通の人の場合は、あの一口だけでは気を失うような事にはならないのだろう。
「でも、お前が煙管を口にした時、お前がここに来てくれたことを感謝したよ」
「…どうして?」
「お前が私を信頼していると、そう思ったからだ」
「…へ?」
火遁は首を捻り、心枢を見上げる。
「智功や義胡なら、私の話をマトモに聞いてはくれなかっただろうからね。煙草に毒草を、茶にも毒を盛られると警戒をすることもあるだろう」
「あ」
火遁はその言葉でようやく、自分の行動の軽率さを後悔した。
確かに、出されたお茶にも煙管の煙草にも毒を盛るという事は考えられる。
同じものを口にしたとしても、心枢にはその毒に対する解毒剤があるのだ。
もし心枢が裏切り者であれば、茶を口にした時、手合わせする前に火遁は死んでいた事になる。
そんな火遁の浮かべた間の抜けた表情に、心枢は笑いを漏らした。
「なんか俺、神としての自信なくした…」
「大丈夫だよ。だから南にはしっかりした闘王がいるんだから」
「…うっ」
返す言葉が無い。
大口を叩いてできたのに、これでは帰って話をしたら笑いものだ。
水杵にはきっと大目玉を食らうだろう。
「十二国土闘王にはね、国を裏切るものはいないよ。天照大神や風啼の目に狂いは無い。方神に従ずる精神は、誰にも負けないものだと思っているから」
「俺も…」
「ん?」
「俺も心枢達を信じてる。俺は心枢達を守る神になるから」
火遁の言葉に、心枢は少し声を詰まらせて、小さく微笑み、黙ったまま、火遁の体を強く抱きしめる。
「心枢?」
火遁はどうしたらいいか解らず、やり場のない両手を宙で動かす。
「…冷めないうちに食べようか…。あまり料理には自信が無いのだが」
「俺、心枢の料理好きだよ。師匠とか親父の作るのよりは上手い」
心枢は噴出しそうになった笑いを堪えて火遁の頭を叩く。
「叱られるぞ」
「別に、ここにはいないからいいよ」
久しぶりに枕を並べた。
横を向けば鼻と鼻がぶつかってしまうかもしれない。
あまり人と一緒に寝る事は好きではなかった。
誰かが傍にいると、どうしても明雀の事を思い出してしまう。
けれど、火遁は、隣にいる心枢を嫌だとは思わなかった。
「ねえ、心枢」
「ん?」
「何で、智功の事、「鼠」って言ったんだ?子ノ国の闘王だから?」
そんな言葉に、心枢は笑いを漏らした。
「いいや。あいつとは閑叉先生の所で学んだ仲だが、どうしてもオリが合わなくてね。陰国の事を調べていた時、あいつが私の身辺を隠れてちょろちょろしていたものだから「鼠」の様だと思っていたんだよ」
「…なるほど」
火遁が体を横にして心枢の顔を見る。
心枢は首だけを横に向けた。
「心枢の煙草、いつか止められるかな?」
「…どうだろうな…。閑叉先生にも見せた事は無いし…。いう事も出来ない」
火遁は心枢の右目に当てられた眼帯にそっと手を添えた。
「俺に、治癒能力があったら良かったのに…」
「…いいんだよ、火遁。私はこの痛みがある限り、命の大事さを考えていく事ができるのだから。この毒で私が死ぬ事も無い」
「…うん」
心枢の掌が頭に当たる。
「帰ったらさ、真っ先に心枢が裏切り者じゃないって言うよ…、義胡は、心枢を告発する気は無いって言ってたから。それに…」
「それに?」
「心枢の目の事、誰にも言わないから」
「…ありがとう」
体を包む温もりに瞼が落ちる。
随分と久しぶりに、深い眠りにつく事が出来た。




