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津軽藩起始 油川編 (1581-1585)  作者: かんから
第七章 浪岡無血開城 天正十三年(1585)三月一日
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人の道 第三話

 大浦家中の溜まった鬱憤を、奥瀬殿の首級を上げることで解消しようとしている。戦を以って大浦家が再び津軽の王者たることを宣言するのだ。もちろん油川には多くの民が住まい、商都としての機能がある。その重要性を大浦家でもわかっているので、町に手を懸けないために、城へつながる抜け道を寺に案内させようとしている。城の将兵だけを相手すればよいのだから。そして ”武” を見せつけるということは、後々に油川町衆を治めていくためには大切なこと……。あの滝本を追い出した彼らなのだから、抗うことのできない力を示す必要がある。



 明行寺(みょうこうじ)はその意図を根底から覆す。頼英(らいえい)はそのように決断をした。そこで僧侶らに松明に用いる太い棒をたくさん用意させ、ある策を実行しようとしている。……そのために酷いことであるが、住職の妙誓(みょうせい)には一日だけ静かにしてもらう。後からお主にはお主の役目があるのだから、我慢してくれ……。


 大浦軍は密かに兵を動かし、いまや本軍は鶴ヶ坂(つるがさか)の山中にまで来ているだろうか。我らがいる田沢森(たざわもり)まで到着するまでに支度をしてしまい、一斉に仕掛けなければ……

 油川の民を避ける気持ちが大浦にあるからといって、民を戦乱に巻き込んでしまう可能性がないわけではない。それに兵の命も人の命と変わらぬ。だからこそ我らは行わなければならぬ。……闇討ちなど、絶対にさせぬ。



 そのように各々が考えながら支度をしていた。……次第に寺に残る僧侶らはもちろんのこと、他にも銭で雇われた者らが続々と山の中へ入ってくる。併せて二百人にでもなろうか。その多くが油川の事情をそんなに知らぬ行商人や船の漕ぎ手などで、来るだけで銭を出してくれるのだからと深く考えず来た者ばかりだ。


 僧侶らは彼らにねぎらいの言葉をかけつつ、最初に ”半分” の銭を渡していく。次には担いできた松明用の太い木の棒を三本ずつ各々に配り、広く長く並ぶように指示を出す。海のある方へ顔を向け、……遠目にはもちろん城が見える。油川の輝きも。



 僧侶らは入り混じる想いを抑えながら、黙々と支度をしていった。





 そばには土の盛り上がったモノも用意し、すぐに火をかぶせて消せるようにもしておく。間違って木々に燃え移ってしまわぬように。そして一本がダメになったら控えのもう一本。長く明るさを保ってこそ、この策は成功するのだから。


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