第八章 はじめてのおつかい
ラルクが帰ってきたのは、深夜遅くのことでした。
お部屋の扉が開く音がして、振り返ると、そこに立っていたラルクは酷く疲れ切った顔をしていて、意識も朦朧としていました。服は汚れていて――全身に血が付いていたのです。
「…………!」
「……フィー」
慌てて駆け寄ると、ラルクはゆっくりと手を開きました。
その掌の中にあったのは――私のネックレスでした。間違いありません。私の、亡きお母様が残してくださった、大切なネックレスです。
けれど、今はそれよりも――ラルクの傷の方が心配でした。
こんなになってまで、取り戻して下さるなんて思ってもいなかったのです。
「ラルク……っ! 血が……! 今すぐ手当てします……!」
そう言った、その時でした。
「大事なもん、なんだろ――」
ラルクの身体が、ぐらりとこちらへ傾きました。
「ラルク⁉」
咄嗟に両腕を伸ばしましたが、ラルクの身体は思っていたよりずっと重くて――
「ひゃ……っ!」
そのまま押し倒されるようにして、私はベッドへ倒れ込んでしまったのです。
「っ‼ あ、あの……ラルク……⁉」
呼び掛けても、返事はありません。ラルクは私の胸元に顔を埋めるようにして、動かなくなってしまいました。そしてすぐに――すぅ、と小さな寝息が聞こえてきたのです。
「…………」
……眠ってしまったようなのです。それ程までに、お疲れだったのでしょう。
本当なら、今すぐ傷の手当てをした方が良いのだと思います。けれど、私の身体の上にいるラルクはとっても重たくて、少し身体を動かしてみても、びくともしません。
「ラルク……あの……少しだけ、退いていただくことは……」
……出来ません、よね。もちろん、返事はありません。どうしましょう……。
困ってしまったのです。もう一度だけ身体を動かしてみましたが、やっぱり抜け出せそうにありませんでした。
「…………」
静かに寝息を立てるラルクの頭を、そっと撫でます。
……こんなに疲れているのなら、無理に起こしてしまうのも可哀想な気がします。
少しだけなら、このままでも大丈夫でしょうか? 明日早めに起きて、きちんと手当てをしましょう。……そう思っているうちに、私も段々と瞼が重たくなってきたのです。
「……ラルク……おやすみなさい」
私は諦めて、そのまま眠ることにしました。ラルクがお疲れなら、仕方ないのです。
◆
あれから目を覚ますと、まだラルクは私の身体の上で、すぅすぅと寝息を立ていました。
いつものラルクなら、私よりも早く起きているのに、ぐっすり熟睡している様子で……、大きな尻尾が私の足に絡み付いていたのです。
(……と、取れません……)
もぞもぞと身動きしてみたら、余計に尻尾がきゅっと絡み付いてきて――
「……フィー……」
「ぴゃっ……‼」
わわわ、私の耳元で、ラルクが呟いたのです。
それと同時にラルクの腕が私の身体をぎゅっと抱きしめて――
(…………っ‼ ど、どうしたら良いのでしょう……!)
ラルクに、抱きしめられているのです……⁉
耳元では穏やかな寝息が聞こえて来ていて、尻尾が絡み付いていて……えっと、えっと……‼
気付いたら、胸の奥がずっと騒がしくて、なんだかとっても落ち着きません。
胸のどきどきでラルクが起きてしまったり、しないでしょうか……⁉
「ら、ラルク……っ?」
試しに呼んでみても、起きる気配はありません。ここで諦めてはだめなのです……!
もう一度呼び掛けてみます。
「あ、あのう……!」
ラルクの赤い角をつんつんと触ってみても反応はありません。
試しにそっと撫でて見ると「ん"ん"……」と声を上げ――頬擦りされました。
「〜〜〜〜っ‼」
どどど、どうしたら良いのでしょう……‼
胸の鼓動がずっとどきどきしていて――身体が熱いのです。けれど、ラルクにぎゅっとされていると、なんだかちょっぴり嬉しいような恥ずかしいような気持ちがあって……えぇっと……‼
「……っ、ら、ラルク……?」
手を後ろに回したら……ラルクは怒るでしょうか……?
なんとなく……なんとなくですよ? 私も、ぎゅっとしては……だめでしょうか……?
なんて……、戸惑いながら手を伸ばした時でした。
「ん"ん"〜〜……」
鈍い声を上げながらラルクは身動きして、赤い瞳が私を映しました。……ですが、今は何故だか顔を合わせられそうにありません。
「…………?」
「…………っ……」
じぃっと見つめられているのは分かります。分かるのですが……、その……!
「……おまえ……近くねぇ……?」
――――ち、違うのです。ラルクが……えっと……私をぎゅっとしてるのです……‼
「んん……、……まぁ……いいけど……」
ラルクは眠たそうにそう呟くと、またゆっくり目を閉じました。私を抱きしめたまま。
尻尾も、私の足に絡み付いたままです。ま、待ってください。
もしかして、このままもう一度眠ってしまうのでしょうか……⁉
よ、よよよ良くないのです……‼
「ら、ラルク……あの、お、起きてください……!」
起きて欲しい気持ちは本当ですが、心の何処かでちょっぴり、勿体ないなぁ……なんて思ってしまうのです。……こんな事を思う私は、はしたないでしょうか……?
そ、それでも、このままずっとという訳にはいきません。
そっと肩に触れて、何度か揺らしてみます。
「ラルク……朝なのです……」
けれど、やっぱり起きる気配はありません。今度は頬をつんつんと触ってみました。
それでも、ラルクは少し眉を寄せただけです。
(ど、どうしましょう……)
仕方なく、私は少しだけ顔を近付けました。
「ラルク……起きてください……っ」
耳元で呼び掛けると、ラルクが小さく身動きしました。
それから、閉じていた瞼がゆっくりと持ち上がって――赤い瞳がもう一度私を映します。
「…………」
「…………」
まだ眠たいのでしょうか。ラルクはぼんやりとした顔で、しばらく私を見つめていました。
それから、ゆっくりと視線を下へ向けます。私の身体に回された腕。私の足に絡み付いた、大きな尻尾。そして――私の身体の上に乗っている、自分自身。
「…………」
再び、ラルクの視線が私の顔へ戻ってきました。
「…………っ」
な、なんでしょう。急に、ラルクのお顔が固まってしまったのです。
「ラ、ラルク……? あ、あの……?」
次の瞬間――
「ばああああッ⁉」
「ぴゃあっ⁉」
ラルクは大きな声を上げながら勢いよく飛び起きました。
「な……、ななな、なんで俺が、お前抱いてんだよッ⁉」
「わ、私にも分かりません……っ!」
「しかも尻尾まで――ッ‼」
ラルクは慌てて尻尾を引き抜こうとして――勢い余って身体のバランスを崩しました。
そのままベッドの端からごろりと転がり、床へ落っこちてしまいました。
「だぁっ! いってぇ〜〜‼」
「ラ、ラルク⁉ 大丈夫ですか⁉」
慌ててベッドから覗き込むと、ラルクは床に転がったまま頭を押さえていました……。とっても痛そうです……。
「……なんなんだよ朝っぱらから……‼」
……それは、私も聞きたいのです。
ラルクは頭を擦りながら、ゆっくりと身体を起こしました。その時、どこか痛んだのでしょうか。小さく顔を顰めて、自分の身体へ視線を落とします。
「……いってぇ……」
昨夜のままの服には、乾いた血があちこちに残っていました。
ラルクはそれをしばらく見つめたあと、何かを思い出そうとするように眉間へ皺を寄せます。
「…………俺、フィーに何もしてねぇよな……?」
「はい……?」
何も、というのはどういう事なのでしょう?
「……な、なら良い……。その、教会までは覚えてんだけど……その後が曖昧なんだよ……。ほとんど記憶がねぇ……」
ラルクは片手で額を押さえました。
「まぁ……。ええと、とてもお疲れの様子でお部屋に入って来られて……」
「うん」
昨夜のことを思い返しながら口にします。
「ラルクは私のネックレスを『大事なもん、なんだろ』と言って――」
「……待て、……俺そんなこと言った?」
「はい」
「…………」
ラルクはとても嫌そうなお顔をしました。どうしてでしょう……?
「それから……そのまま私の上に倒れて眠ってしまったのです」
「…………は?」
「眠っている間に、私の名前も呼んでいました。『フィー』と……」
「はぁ⁉」
「あ、朝起きたら……ラルクが私の身体をこう……ぎゅっと抱きしめていて……」
「――はぁ⁉」
「……し、尻尾まで……」
思い出すだけで、なんだか恥ずかしくなってきます……。
「し、知らねえッ‼‼」
「でも……」
「知らねぇよそんな事ッ‼‼」
ラルクのお顔は真っ赤になっていて、大きな尻尾がビタンビタンと床を叩いておりました。
ラルクも恥ずかしいのでしょうか……? 恥ずかしいのは私も一緒なのです……。
「ひ、一先ず……ラルクの傷の手当てをしましょう……?」
お洋服も汚れていますし、怪我の具合が心配なのです。
けれどラルクは「別に、これぐらい唾付けとけば治るだろ」と言いました。
「ダメです。ぬるま湯とタオル貰って来ますので、大人しくしていてください」
◆
「あの、ぬるま湯とタオルをお借りしてもよろしいでしょうか?」
お宿の一階にある受付カウンターで、店主様にお声を掛けると「何に使うんだ?」と顎髭を撫でました。
「ラルクのお身体を拭いて差し上げたくて……」
「……そ、そうか……。朝から大変だな……」
宿屋のご主人は、何故か少し遠い目をしました。
「はい。ラルクがとてもお疲れなのです……」
「あれだけ動いてれば……疲れるだろうなぁ……。よし、ちょっと待ってろ」
そう言って店主様がお店の裏へ向かって行きました。
少しして、店主様が湯気の立つ桶と、何枚かのタオルを抱えて戻って来られました。
「ほら、湯とタオルだ。……兄ちゃん、労ってやれよ」
「はい! 今日はゆっくりと休んでいただきます」
私が元気よくお返事をすると、店主様は満足そうに頷きました。とても素敵な店主様なのです。
暖かいお湯とタオルを持って、お部屋に戻ると、ラルクはベッドの上に座っていました。
その手元には私のネックレスが握られていて、服の袖で拭いては「取れねえ」と呟いていたのです。
「お待たせしました」
「ん」
お湯を近くに置いて、タオルを濡らしてからギュッと絞ります。
「ラルク、あの……」
「?」
き、傷口の様子を見るためにもお洋服は脱いで頂きたいのですが……、ちょっぴり、その……。緊張してしまいます。で、ですが、これも必要な事なのです……!
「お、お洋服を脱いで頂けますか……?」
「……ん」
ラルクはもぞもぞとシャツを脱ぎ始めて、鍛えられた上半身が露わになりました……。
や、やっぱり……その、み、見ても良いのでしょうか……?
どうしても視線に困ってしまうのです……。
「……これでいいか?」
「は、ひゃい……、大丈夫れす……」
そのまま床に放り投げられたシャツを拾い上げると、ほんのり暖かくて……。
「……………………」
な、なんでもありません……。変に考えてはだめなのです……!
「で、では……お背中を、こちらに向けてください」
「ん」
ラルクが言われた通りに背を向けました。先程まで、どこを見れば良いのか分からなくて困っていたのに――その背中を見た瞬間、そんな気持ちはどこかへ消えてしまいました。
「…………っ」
肩から背中にかけて、赤黒い痣がいくつも残っていたのです。
殴打された様な傷や擦り傷もあって、ところどころ血が乾いてこびり付いていました。
「…………まだ痛みますか?」
「大したことねぇって」
ラルクはそう言いながら、まだ私のネックレスを気にしています。
「……血が固まって取れねぇんだよなぁ……」
……今はそれよりも、自分自身を大切にして欲しいのです……。
濡れタオルで傷口を拭いて、身体に付いた血を少しずつ丁寧に落としていきます。
ラルクのお身体には、私の知らない古い傷跡がいっぱいあります。
……きっと、これまで沢山怪我をしてきたのでしょう。
ラルクは以前『超えなきゃいけない奴がいる』と私に話してくださいました。
その人がどんな方なのかは分かりませんが、ひょっとしたらこの傷跡も……その人に関係してるのではないかと思ってしまいます。
「ラルク」
「ん?」
「痛かったら言ってくださいね」
「へーきへーき」
私は、もっとラルクにしてあげられる事はないのでしょうか?
守って貰ってばかりでは、申し訳ないのです。
「フィー、あとでそれ貸してくれ」
「タオルですか?」
「そ。……濡らしても錆びねえよな? これ」
「……大丈夫だと思います」
「ならいっか!」
ラルクの尻尾がどこか嬉しそうにぶん、と揺れた拍子に鱗の隙間に土が入り込んでいる事に気が付きました。
「………………」
ふ、拭いても良いでしょうか……?
このタイミングなら、ラルクに怒られないのでは……と私の中の好奇心がうずうずし始めるのです……。……撫でたら怒りますよね……?
タオルで拭くなら……許してくれるでしょうか……?
「ラルク……、尻尾も少し……いえ、とっても汚れているのです……。拭いても宜しいですか……?」
「あ? 別に尻尾なら俺がやるけど」
「け、結構しっかり汚れているのです……! ここは私が……!」
「んぁ? ……ん〜、なら、別にいいけど」
「……‼」
や、やりました……‼ お触りチャンスなのです……‼
ラルクの尻尾はすべすべしていて、モチモチしていてとても手触りが良いのです!
濡れタオルでそっと尻尾の付け根を拭いてみると、ビクッと動きました。
そのまま撫でる様に手を滑らせると、赤い鱗がキラキラと光って艶々になっていくのがなんだか気持ちいいのです。
「フィー?」
「ちゃ、ちゃんと綺麗にしていますよ?」
「……尻尾持ち上げる必要性あるか?」
「あります」
すべすべで気持ちいいのです。
「…………ま、まぁ良いけど……早くタオル貸せって」
「もうちょっと尻尾を拭きたいです」
「もうそんな尻尾汚れてないだろ……⁉」
「あ、あとちょっとなのです!」
艶々でモチモチ尻尾……可愛いらしいのです!
旅の途中でも、ラルクの後ろを歩きながら、左右に揺れる大きな尻尾を何度も目で追っていました。触ってみたいのです……なんて思っていた事は、もちろん内緒なのです。
ラルクの尻尾はとても素直で、見ているだけでも愛らしく思うのです!
「ふふふっ」
「…………。フィー、やっぱり触りたいだけなんじゃねぇの?」
「違います」
目一杯堪能……いえ、綺麗にしてるだけなのです!
◆
「……終わりました」
お背中を始め、尻尾や腕なども拭いた後、タオルを再び濡らして、ぎゅっと絞ったものをラルクに手渡します。
「ん、さんきゅ」
ラルクはそう言って、タオルを片手にネックレスと睨めっこを始めたのです。
「ラルク、今日はゆっくり休んでくださいね?」
「ん……」
本当に分かってくださってるのでしょうか……。ちょっぴり心配です。
「私、ちょっとお買い物に行って来ますね」
使ってしまった包帯やガーゼなど、必要な物を買い足さなくてはいけません。
そして何より、ラルクに栄養の付く物を食べさせてあげたいのです……。
少しでもお役に立てれば良いのです。
そんな時でした。
「――ちょっと待て」
部屋を出ようとドアノブに手を掛けた時、ラルクに呼び止められました。
「はい?」
「買い出しなら俺も行く」
ラルクは慌ててベッドから降りようとしますが――ラルクが一緒に来ては、意味がないのです。
「だめです。ゆっくり休んでいてください」
「けどお前――」
「大丈夫です。お買い物して帰ってくるだけです」
「……………………」
ラルクの眉間の皺がちょっぴり深くなりました。……なんでしょう?
何か言いたげなのです……。
「…………、よし、分かった。せめてコレ着てけ」
差し出されたのはラルクの黒い上着でした。
「……宜しいのですか?」
「着てけ。翅隠しにもなるし……、男モンなら無いよりはマシだ」
「? ありがとうございます」
ラルクの上着を受け取って、背中の翅をゆっくりと下へ揃えます。
翅を完全に小さくする事は出来ませんが、そのまま上着を羽織れば、大きめの布地が翅ごとすっぽりと隠してくれました。
私にはとても大きな上着でぶかぶかです。袖が少し長くて、手が半分隠れてしまいました。
触れてみると、普通のお洋服とは少し違う、不思議な手触りがします。
それに、見た目以上にとても暖かいのです。
ラルクが大切に使っている理由も、少し分かる気がします。
なんだかラルクに包まれているようで嬉しくて――不思議と身体までぽかぽかしてきました。
「ふふ、似合いますか?」
「…………、ま、まぁ……翅は見えねえから良いだろ……」
そう言いながら、ラルクの大きな尻尾が、ほんの少しだけぶん、と揺れました。
……気に入ってくださったのでしょうか?
そう思ってラルクのお顔を見ると、何故だか少し赤いようにも見えます。
……どうしてでしょう?
でも、なんだか嬉しくなってしまって、私はもう一度上着の袖をきゅっと握りました。
「では、行って参ります」
「ん」
扉をパタン、と閉めていざ出発なのです。初めてのおつかい……、頑張ります!
えいえいおー、なのです!
お宿の一階に降りると、店主様と目が合いました。
「先程はありがとうございました」
「いや、お安い御用だ」
店主様は嬉しそうに微笑むと、私の格好を眺めて言いました。
「相方の上着を着て、これから買い物か?」
「はい。ラルクに何か……精の付く物を食べさせてあげたいのです……」
「精の付くもん……⁉ ……そりゃお前さん……やっぱり肉だろ」
「にく……」
……そういえば、ラルクはハーヴェルに着いてからずっとお肉が食べたいと何度も言っておりました。何軒もお店を回ってお肉料理を探した程です……。
店主様の言う通り、お肉料理を召し上がって頂けたらラルクも元気になるかもしれません。
「……店主様、もしご存じでしたらお肉を取り扱っているお店がどこか教えて頂けますか?」
「あぁ、いいよ。けどなぁ、この街じゃ肉料理は珍しいからなぁ……」
港町なので仕入れが少なく、入って来てもすぐに売り切れてしまう……とは聞いております。
ですが、きっとあると思うのです。
店主様はうーん、と唸った後、
「港から少し離れた通りに一軒ある。昨日の夕方に肉が入ったって聞いたが……まだ残ってるかは分からねぇな」と立派な顎髭を撫でました。
「……ありがとうございます! 行ってみようと思います……!」
「おう、気を付けて行けよ」
「はい!」
私はぺこりとお辞儀をして、お宿を出ます。
すると朝方の爽やかな風がそっと髪を撫でてなんだか気持ちいいのです。
教えていただいた道を、間違えないように何度も思い返しながら歩き始めました。
賑やかな街の風景は、エルヴァリスを思い出すので好きなのです。
道ゆく方々の楽しげな声や、活気のある露店の方々の呼び声。どこか懐かしいのに、私の知らないものばかりで――歩いているだけでも楽しいのです。
少し歩くと、露店が建ち並ぶ商店街へやって参りました。
色とりどりの果物を並べたお店や、旅に必要な道具を扱うお店、武器の手入れを得意とする職人さんのお店など、様々なお店が並んでいます。
教えていただいたお店は、どうやらもう少し奥にあるようです。
あちらもこちらも気になりますが、今日はラルクのお肉を探さなくてはいけません。
その前に、包帯やガーゼなど、必要な物も買っておきましょう。
◆
教えていただいたお店へ辿り着くと、店先にはお肉が並んでいました。
……ですが、残っているのは一つだけのようです。
「あの、こちらを一つ――」
そう声を掛けた時でした。
「……もう、売り切れかい……?」
後ろから、少し残念そうなお声が聞こえてきました。
振り返ると、杖をついたお婆様が、お店の中を覗き込んでいます。
「…………」
お肉は、あと一つ。ラルクに食べていただきたくて、ここまで探しに来たのです。
……少しだけ、迷いました。けれど――
「いいえ、まだありますよ」
「え?」
「お婆様がお先にどうぞ」
私がそう言うと、お婆様は驚いたように目を丸くされました。
「いいのかい?」
「はい。私は、また探せば良いのです」
お婆様は何度もお礼を言って、その最後のお肉を買って行かれました。
これで、お肉は売り切れです。……大丈夫なのです。また探せば良いのですから。
店主様は申し訳なさそうに頭を下げておられましたが、これは私が決めた事なのです。
「お気になさらないでください」
とお声掛けして、お店を後にしました。
…………お肉探しが振り出しに戻ってしまいました。少しだけ、しょんぼりしてしまいます。
でも諦めません。きっと探せば見つかるのです。
その後、もう一度お肉を探して、通りをいくつも歩き回りました。
……ですが、見つかるのはお魚ばかりなのです。
(……どこにあるのでしょう……)
そんな事を考えながら歩いていると、ふと一軒のお店の前で足が止まりました。
店先には、色とりどりの表紙をしたノートが並んでいます。
「…………」
なんだか、とても気になってしまいました。旅の途中で見たものや、忘れたくない事を書いておけたら素敵だと思うのです。けれど――今はラルクのお肉を探さなくてはいけません。
「……また、今度なのです」
少しだけ名残惜しく思いながら、私はもう一度歩き始めました。
それからも何軒かのお店を覗いてみましたが、やっぱりお魚ばかりでした。
「……ありません……」
気付けば、賑やかだった通りから随分と離れてしまっています。代わりに聞こえてきたのは、波の音でした。潮の香りが少しずつ濃くなって、道の先にはたくさんの船が見えます。
「……海なのです」
どうやら、お肉を探しているうちに船着場まで来てしまったようです。
広い広い海を眺めていると、最初にラルクが真っ先に海を見せてくださった時のことを思い出します。
『フィー、これが海だ。海は塩っぱくて泳ぐと身体がベタベタする』
『まぁ。という事は……泳いだことがあるのですか?』
『……暑かったから……』
「……ふふふっ」
あの時のラルクのお顔は、とても面白かったのです。
絵本で見ただけの海とは違って、本物の海はキラキラしていて綺麗なのです。
少し近寄って、水面を覗き込んでみると、小さな小魚さん達が泳いでいきました。
……私も好奇心から、海水に触れてみます。
冷たくて気持ちいいですが、少し舐めてみると――
「……っ、しょっぱいのです……」
ラルクの言っていた事は本当でした。
その後も、ぼうっと海を眺めていると、ふと今朝のラルクの事を思い出します。
あんなにぐっすりと眠っているラルクを見るのは、初めてだった気がします。
いつも私が目を覚ます頃には、ラルクはもう起きていましたから。
旅の途中、野宿をした時も、ラルクはずっと火の側に座っていたのです。
私が眠っている間も、火が消えないように見ていてくださっていました。
朝になれば、何事もなかったように立ち上がって、また歩き始めていました。
「…………」
……では、もしかして。
ラルクは、ずっとあまり眠れていなかったのではないでしょうか……?
私が知らないところで、ずっと無理をしていたのではないでしょうか。
……そう思うと、胸の奥がきゅっとします。早くお買い物を済ませて帰りましょう。ラルクの事が心配なのです。
――私は気を取り直して街へ戻ろうとしたその時でした。
何処かから、がたりと物音が聞こえたのです。
「……?」
辺りを見渡してみると、少し離れた場所に、お揃いの青いバンダナを身に付けた船乗りの方々が座り込んでいるのが見えました。何をしているのでしょう……?
どこか困っている様子で、気になって近付いてみると、その内の一人は腕を押さえていて、もう一人は頭から血を流していました。
「……っ!」
大変です。怪我をしているのです……!
「だ、大丈夫ですか⁉」
気付いた時には、私はその方々の元へ駆け寄っていました。
「っ! 誰だ、お前……⁉」
一人の船乗りさんが、私を見て声を上げました。
「えっと、と、通りすがりの者なのです……! お連れの方、大丈夫ですか? すぐに手当てしましょう……っ!」
途中でガーゼや包帯を買っておいて良かったのです。応急処置しか出来ませんが、何もしないよりは良い筈です。
「包帯、痛くありませんか?」
「あ、あぁ……大丈夫だ……」
まずはお一人。頭から血を流していた方の怪我は、見た目ほど酷くはなさそうでした。
「お次の方も、こちらに」
「…………、わ、悪いなぁお嬢ちゃん」
「いいえ、困っていたらお互い様なのです」
ちょっぴり慣れた手付きで手当てします。今日の私は、沢山手当てをしている気がします。
……最後に包帯を結んで、これで終わりなのです。
「終わりました。早く治るといいですね」
「…………」
何故か、船乗りの方々は皆さん黙ったまま、しばらくお互いのお顔を見合わせていました。
それから、今度は揃って私の方を見ます。
「……?」
何かおかしな事をしてしまったのでしょうか……?
一人の方が、私の着ている上着へちらりと視線を向けました。
「……嬢ちゃん、それ……男物だよな?」
「はい。せめて着ていけ、と言われて……」
「…………そ、そうか」
また皆さんで顔を見合わせて、何やら小声でごにょごにょとお話ししておりました。
……どうしたのでしょう?
やがて、頭に包帯を巻いた方が、少し困ったように笑いました。
「……まぁ、その……ありがとな。助かったよお嬢ちゃん」
「いえ。お役に立てたのなら良かったです」
「なんて優しい嬢ちゃんだ……」
「天使……」
「えぇっと……」
そう言われて、なんだか少し照れてしまいます……。
「なぁ、お嬢ちゃん」
頭に包帯を巻いた方が、少し申し訳なさそうに頭を掻きました。
「怪我の手当てまでしてもらったんだ。何か礼をさせてくれねぇか?」
「お礼だなんて、そんな……。私は当然の事をしただけなのです」
「いやいや、それじゃこっちの気が済まねぇって」
腕を怪我していた方も、大きく頷きました。
「天使ちゃん……いや、恩人を手ぶらで返す訳にいかねぇよ。何か欲しいもんがあるなら言ってくれ」
「欲しいもの……ですか……」
思わず首を傾げます。欲しいものと言われると、今までずっと探していたものしか思い浮かびません。
「今、丁度お肉を探していて……」
「肉?」
頭に包帯を巻いた方が、少し意外そうなお顔をしました。
「はい。もし、お肉を売っているお店をご存じでしたら、教えていただけないでしょうか……?」
そう尋ねると、今度は三人とも少しだけ顔を見合わせました。
「肉ならあるぞ?」
もう一人の船乗りの方が、何でもない事のように言いました。
「それも、とびっきりの美味いやつ! なぁトーレン」
「あぁ、ちょっと待ってろ。持ってくる」
そう言うと、トーレンさん……というお名前らしい方が、近くに停めてあった船の方へ歩いて行きました。
――暫く待っていると、大きな白い包み紙を抱えたトーレンさんが戻って来られました。
「まぁ!」
お肉……にしてはとても大きいのです……。
「待たせたな。ポルケッタだ。持っていけ」
「ぽる、けった……?」
初めて聞くお名前のお肉です。
トーレンさんから包み紙を受け取ると、ずっしりとした重みが腕に伝わりました。
それと一緒に、ほんのりと温かく、良い香りが漂って来ます。
「異国の料理だがな、美味いんだ。豚肉にハーブを擦り込んで焼いたもんだが、中々絶品でな」
「まぁ……! ……でも、頂いてしまって宜しいのですか? お金は……」
「要らねえよ。礼なんだから貰ってけ」
「…………、……ありがとうございます」
頂いたお料理をぎゅっと抱えて、私は深くお辞儀をしました。
きっと、とても素敵で優しい方々なのでしょう。自然と口元が緩くなってしまいます。
「あの、皆様のお名前を伺っても宜しいでしょうか?」
「名前?」
トーレンさんは他の方とお顔を見合わせてからにっこりと微笑みました。
「俺はトーレン。腕を切った不器用がピノ。……で、頭にたんこぶ作った鈍臭いのがニックだ」
「誰がたんこぶだ。誰が」
「天使ちゃん、ピノ様を覚えて行きな!」
「ふふふっ、トーレン様に、ピノ様、ニック様……ですね!」
皆様素敵なお名前なのです。ラルクにお話しする事が、また一つ増えました。
「ピノ、さ、ま――」
「ぴ、ピノ――――ッ‼ しっかりしろ!」
ニックさんが倒れたピノさんを抱き起こした時でした。
――プォーッ、プォーッ、プォーッ
と、近くに停泊していた大きな船の方から、低く響くような音が聞こえてきました。
「……お、呼び出しか」
「そろそろ戻らねぇとな」
皆様は音のした方を振り返ると、慌ただしく立ち上がりました。
「悪いな、お嬢ちゃん。俺たち、もう行くわ」
「……はい。どうかお気を付けて」
私も頂いた包みを抱え直して、もう一度お辞儀をします。
「ほらピノ、行くぞ」
「ちょ、待てって! まだ天使ちゃんの名前聞いてねぇ!」
両腕を掴まれたピノ様が、ずるずると引き摺られていきます。
「また会えたら名前教えてねー! 天使ちゃーーん‼」
「は、はい……!」
私が手を振り返すと、ピノ様はとても嬉しそうに大きく手を振ってくださいました。
……少し、不思議な方なのです。そうして皆様は、近くに停泊していた大きな船の方へ戻って行きました。
……では、私もそろそろお宿に帰るのです。
このお料理なら、ラルクは喜んでくださるでしょうか?
元気になったラルクのお顔を想像すると、なんだかちょっぴり胸が躍るのです。
◆
お宿に帰ってくる頃には、お空がすっかり暗くなってしまいました。
駆け足で帰って来たので、少し息を整えてからお部屋の扉を開きます。
「只今、戻りました」
ラルクはと言うと……、ベッドに横になって眠っているようにも見えますが……、
尻尾の先はぴこ……ぴこ……とゆっくり動いているので、熟睡しているわけでは無さそうです。
ベッドの側まで近寄った時、ふとテーブルの上に置かれていたネックレスが目に入りました。
「――――」
それはとても綺麗に磨かれていて、見違えるようでした。
ラルクは何も言いません。
ですが――、綺麗に磨かれたネックレスを見れば、大切に扱ってくださったのは一目で分かります。
(……ラルク……)
お母様が残してくださった、大切なネックレスです。
私にとって大切なものを、ラルクも大切にしてくださったのでしょうか。
そう思ったら、なんだか不思議な気分になりました。
ネックレスが綺麗になったから嬉しい――ただ、それだけではないような気がするのです。
胸の奥がきゅうっと熱くなって、少しだけ苦しいような、それなのにとても嬉しいような。
どうしてこんなにも嬉しいのか、自分でもよく分かりません。
ただ、今は――
ラルクがこのネックレスを大切にしてくださった事が、たまらなく嬉しいのです。
美しく輝くネックレスをそっと撫でて、私はベッドに腰掛けます。
「……ラルク、ありがとうございます」
小さくお声を掛けても返事はありません。
尻尾はぴこぴこしているので、やっぱり起きているのです。
「ラルク、眠っているのですか? 折角お肉料理をお持ちしたのに」
寝たふりしているのは気付いているのです。
でも、今は――気付いてないふりをしてあげます。
……特別ですよ?
ラルクの角をつんつんと触って遊んでいると、やがて小さく「やめろ……」と声がしました。
ほら、やっぱり起きていました。
「ラルクが起きないのでしたら、私が全部食べてしまいますよ?」
「……食う」
「ふふふっ」
「食うつってんだろ……なんだよ、気持ち悪ぃな……」
ようやくラルクはむくりと起き上がると、お鼻をすんすんと鳴らしながら白い包み紙を見ました。
「美味そうな匂いがする」
そう言って尻尾が嬉しそうにゆらゆらと揺れ始めました。
「ポルケッタ、というお料理らしいのです。ずっとラルクがお肉食べたいと言っていたので……ご一緒にしたいです。いかが、ですか?」
「……ん。なら食うか!」
満足そうなラルクのお顔を見て、私まで嬉しくなってしまいました。
今日、一日中お肉を探していたのは――きっと、このお顔が見たかったからなのです。
そう思うと、胸の奥がまた少しあたたかくなりました。
どうしてこんなにも嬉しいのかは、まだよく分かりません。
けれど――私はきっと、今日あった事をこれからもずっと忘れないのです。
第八章 はじめてのおつかい 完
【第八章・後書き】
――ラルクとフィーが部屋で一悶着を起こしていたその頃、宿屋の店主。
朝っぱらから二階で響く、
どすん!! ばたん!
びたんびたんびたん!!
という激しい物音に、店主は静かに天井を見上げた。
「……若ぇなぁ……。朝っぱらから……。若さだなぁ……」
昨晩カップル客向けの部屋を貸した。
ベッドもでかい。ヤることヤろうと思えばそりゃ盛り上がるだろう、と。
「漢になったんだな……兄ちゃん……!」
店主は満足げに頷いた。
その後、階段を降りてきた少女から、
「ラルクのお身体を拭いて差し上げたくて……」
と言われ、店主の脳裏はフル回転した。
「…………そうか」
何も聞いちゃいけねぇ。きっとそういうことだ。
さらに
「ラルクがとてもお疲れなのです」
とまで言われた。
あれだけ盛り上がってりゃ、そりゃ疲れるよな――と、勝手に納得する。
店主の誤解もフル回転です。
そして少し経った頃。
今度は男物の上着を着た少女が現れて、こう言った。
「ラルクに何か……精の付く物を食べさせてあげたいのです」
店主は思った。
昨晩いったい何があった。
兄ちゃん……随分とがっついたな……。と。
なお、何もありません。
本当に何もありません。
フィオナが買い出しに出掛けた後、暫くして人相の悪い竜族の男が降りてきた。
何やら落ち着きなく一階をうろうろと彷徨い歩く姿は異様だったが、店主は優しく肩を叩いて親指を立てた。
「卒業おめでとう」
「何がだよ!!!!!!」




