第九章 白髭海賊団 前編
――翌朝。次の旅支度をしていた時だった。
「あの、ラルク……、一つお願いがあるのですが……」
「んぁ?」
手入れをしていた剣から目を離し、声のした方へ視線を向ける。
するとフィーは、綺麗な白銀の髪を両手で掬い上げ、そのまま肩の前へと流した。
「……?」
何をするのかと思えば、今度はくるりと背中を向けて――白い首筋が、さらりと露わになった。
「あの……ネックレスを、着けていただけませんか?」
「――――――」
思わず息が詰まる。
目の前に曝け出されたフィーの頸に、何故か視線が奪われる。
ネックレスを、着ける……? 何を言ってんだコイツは。
「ラルク、お願い……出来ますか……?」
「…………じ、自分で着けれるだろ……?」
「はい、でも……ラルクに着けて頂きたいのです」
「――――――」
な、なんだ急に。……い、いや、落ち着け俺。別に大したことじゃねぇだろ。
ただネックレスを着けてやるだけだ。……ただ、それだけだ。
「……わ、分かったから、じっとしてろ……」
「……はい……!」
嬉しそうな声が返ってくる。……くそ。
俺は小さく息を吐いて、フィーの手からネックレスを受け取った。
ネックレスなんて人に着けて貰うもんじゃねぇだろ……。
俺が触って壊したらどうすんだよ……。それに、女に着けた事なんか一度も――。
「…………っ」
変な生唾を飲み込んで、意識を集中する。
別にフィーの頸なんか何とも思ってねぇ、うん、何も――。
「ひゃっ!」
「ッ⁉」
金具を留めようとした指先が、フィーの首筋に触れた。
「あっ……す、すみません。少し、くすぐったくて……ふふふっ」
「…………」
……くそ。何なんだよ、これ。何で俺がやらなきゃいけねぇんだ……。
手は震えるし視線に困る。俺がマジマジと眺めていい景色じゃねぇだろ……!
変な汗が滝のように噴き出してくる。
何とか息を殺して、指先に神経を集中させ――金具を留める。
「――だぁッ‼」
詰めていた息を吐き出して、手を投げ出す。――はぁッ、死ぬかと思った‼
額に滲んだ汗を拭い去り、深呼吸を繰り返す。
「……ありがとうございます、ラルク!」
嬉しそうに振り返るフィーの顔が、ちゃんと見られねえ。
「どうですか? 似合い……ますか?」
なんで俺に聞くんだよ……‼
元々フィーの物だったなら、似合うに決まってんだろ……⁉
「……ラルク」
「――ッ、わ、悪くねぇと、思う……」
「……こっちを見てください」
ぐっ……、逃げられねえ。観念するしかねぇのか……。
大きく息を吐きながら、ゆっくりと顔を上げると、期待に満ちたフィーの顔が視界に映る。
「…………」
白銀の髪が、さらりと肩から零れ落ちた。
その胸元には、昨日まで血に汚れていたネックレスが、朝の光を受けて静かに輝いている。深い青紫の宝石が、光の加減で時折鮮やかな青を覗かせて――綺麗だ。
思わず、そんな言葉が浮かんだ。……いや、宝石の話だぞ。
「……どう、でしょうか……?」
……ったく。一々言わなくたって、分かるだろ……。
「……似合ってるよ」
「……‼ ……ふふっ、ありがとうございます、ラルク!」
途端に、フィーは満面の笑みを浮かべた。
「…………お、おう」
……やめろ。そんな嬉しそうに笑うな。こっちがどうしていいか分かんねぇだろうが……。
俺は思わず顔を背け、手入れを終えた剣を鞘に収める。
「……ほ、ほら、さっさと支度すんぞ! 船探さなきゃなんねぇんだから」
「はい!」
……あぁもう、何だってんだ、朝っぱらから。
「このネックレス、魔装具……だったのですね」
「……逆になんだと思ってたんだよ」
「お母様が私の成人の儀の為に残してくださったネックレス……です」
「成人の儀なぁ……」
妖精族の成人の儀なんて何年前――いや、何十年前の話だよ。
年齢なんて気にした事なんて無かったが……ちょっとした好奇心で聞いてみてもいいだろ。
「フィー、お前、今いくつだ?」
「?」
妖精族は見た目こそは若くても、実際は百歳超えとかはザラ。
俺の予想は二百は超えてそうで――
「十九です」
「――――は?」
……今、なんて言った?
「お恥ずかしい限りですが……成人したばかりなのです……」
「――――マジ?」
「はい?」
十九歳? フィーが? ……嘘だろ……俺の六つ下……⁉
しかも、妖精族の十九歳なんて赤ん坊見てえなもんじゃねぇか……⁉
これまで散々世間知らずのあんぽんたんだと思って来たが――、成人したばかり……?
「ラルクはおいくつなのですか?」
「…………二十五」
「まぁ! では私よりもお兄様なのです!」
「――――――」
お兄様。――お兄様。何故だかわからんが、背筋がゾッとする響きだった。
「お兄様はやめろ……マジで……」
「? でもラルクはお兄様なのです……」
「やめろ……」
なんか犯罪臭がするから。
いや、俺が年上なのは事実だけど、兄貴扱いは何か違ぇだろ……。
なんか……こう、嫌な感じがするっつーか、何が違うのか自分でも分かんねえけど、兄貴扱いされたい訳じゃないんだよな。…………くそ。言葉に出来ねえ。
「ラルク? どうされたのですか?」
「……な、何でもねぇよ……。ほら行くぞ」
「あ、はい!」
まとめた荷物を背負って部屋を出る。
宿の一階に降りれば、数日世話になった店主がにやけ顔で出迎えて来た。
「お、兄ちゃん達、もう出発かい?」
「ああ。世話になったな」
部屋の鍵をカウンターに置いて、そそくさと出ようとするが――
「嬢ちゃん、綺麗なネックレスじゃねぇか! プレゼントか?」
血まみれだった時とは見違えるくらい綺麗になったそれを、店主のおっさんが目ざとく見つける。
「まぁ……! ありがとうございます!」
フィーは嬉しそうに笑って、胸元のネックレスにそっと触れた。
「ラルクが着けてくださったのです」
「ほぉ〜〜?」
……何だよ、その顔。ニヤニヤしやがって気持ち悪ぃ。
「兄ちゃんもやるねぇ」
「…………何がだよ」
ダメだ。嫌な予感しかしねぇ。
「式挙げる時は俺も呼べよ――いででででで⁉ 冗談‼ 冗談だって‼」
気付けば、反射的におっさんの顔を片手で鷲掴みにしていた。
カウンターの奥では、おっさんの娘が腹を抱えながら
「とーちゃんの顔がスリムになってる‼」と笑ってやがる。なんなんだこの親子。口が軽い上に図太い神経してやがって。
「ら、ラルク! お店の方に乱暴をしてはいけません……!」
「してねぇだろ」
「してる‼ してるって‼」
「だはははははっ! とーちゃんの顔、ハムみたいだ!」
もうやだこの宿屋。二度と来ねえ。
◆
朝のハーヴェルは、今日も大勢の人で賑わっていた。流石は港町と言うべきか。
朝方の時間が一番人通りが多いように感じる。人混みを避けながら、次の目的地を目指して大通りを歩いていく。
「ラルク、今度はどちらに行かれるのですか?」
俺の手をゆらゆらと揺らしながら、フィーが聞いて来た。
……そういや次の目的地を話してなかったな。
「ここから船に乗って、アスヴェルド大陸へ行くぞ。確か、俺の記憶が正しければ王都があった筈だ」
王都の名前は覚えてないが――、少なくともエルなんとかの情報収集ぐらい出来るだろ……。多分。
「まぁ……! では今度はそちらで情報収集ですね!」
「ん、そういうこった」
フィーもすっかり旅に慣れて来たように感じる。
最初は右も左も分かんねえ奴だったのに、要領を掴んだと言うべきなのか。
悪くねぇ。寧ろ進歩だ。
「ふふふ、王都……楽しみですね、ラルク!」
フィーはふわりと微笑んで、俺の手を無邪気に揺らす。
まるで子供みてぇな事をしやがる、と思いつつも悪い気はしなかった。
フィーの手を離さないように軽く握り返して、歩く。
ハーヴェルを出る前に、済ませておきたい用事もあるしな。
「……なあ、フィー」
「はい?」
「お前、何か欲しいもんねぇか?」
「?」
昨日はフィーに随分と世話になった。美味え肉まで用意してもらったってのに、礼らしい礼もしてねぇ。だから――、せめてもの礼だ。
「あー……何でもいい。高いもんでもいい。買ってやる」
「…………?」
フィーはいまいちよく分かって無さそうに首を傾げてから
「特に……ありませんが……?」と言った。ありません、じゃねぇよ……。
なんかねぇのかよ……宝石とか服とかさ……。
「……本当に何もねぇのか?」
「はい。今は特に……」
「…………」
……欲のねぇ奴だな……。なんかねぇのかよ……。
こういう時って普通の女なら宝石とか欲しがるもんじゃねぇのか……?
……違えのか? 服? 花? ……わっかんねぇ。
「……あ!」
「ん?」
「……一つだけ、お願いしても宜しいでしょうか?」
「何だ?」
「……あの、ノートが欲しいのです」
「…………ノート?」
「はい!」
……いや、もっと他にあるだろ。他に……。
「別にノートじゃなくたって……」
「いいえ、ノートが良いのです!」
フィーは俺の手を引っ張って歩く。……なんか妙に新鮮だ。
連れて来られた店はこぢんまりとした小さな露店。
テーブルの上に並べられていた水色のノートを一冊手に取ると、フィーは「これなのです」と言った。
「……これだけで良いのか?」
「はい!」
――本当に良いのか? プレゼントなんてした事ねぇから正解が分からねえ。
「……他には?」
「ありません!」
「…………」
……まあ、本人が良いって言うならいいか。
「……おい、店主。これ一冊くれ」
「毎度あり。二セルだよ」
代金を支払って、ノートをフィーに手渡す。
するとフィーは、大事そうにそれを胸に抱えて嬉しそうに笑った。
「……ありがとうございます、ラルク!」
そんなに嬉しいもんなのか? たかがノート一冊だぞ?
……まあ。喜んでくれたんなら、それでいいけどよ……。なんか……釈然としねぇなぁ。
「……さて、用事も済んだことだし、そろそろ港に行くぞ」
「はい!」
買ったばかりのノートを大切そうに抱えたフィーと共に、港へ向かって歩き出した。
船着場に行って、旅人や商人向けの船に乗りゃいい。
のんびり船旅ってのもたまには悪くないか――、そんな事を考えていた時だった。
「あの……ラルクっ」
隣を歩いていたフィーが俺を呼んだ。
「なんだ?」
「魔装具……とは、どうやって使うのですか?」
「んぁ?」
フィーにしては変わった質問だな。
つっても、自分の首に下げてんのがただのネックレスじゃなくて、珍しい魔装具って事もあって気になってる……と思えば腑に落ちる。
フィーに魔装具の使い方話してなかったっけか?
……いや、つーかコイツ、魔装具の使い方も知らねぇの? どんな箱入り娘だよ……。
「……別に、難しいもんじゃねぇよ」
「そうなのですか?」
「ああ。魔装具ってのは、宝石に込められた精霊の力を借りる道具だ。使う時は、そいつに自分の魔力を流してやりゃいい」
「魔力を……流す?」
「そうだ。意識を向けて集中するって感じか……?」
「……意識を……集中……」
フィーは何かを考える様に、首元のネックレスに触れて「うーん……?」と首を傾げた。
――ま、そりゃあ、すぐには扱えないだろうな。
とは言え、アウラの上級守護魔法が使える様になれば、この旅路も少しは楽になる。いざという時の為に、フィーが自分の意思で身を守れる様になってくれりゃあ、俺としても大助かりだ。
「船旅の合間にでも詳しく教えてやるよ」
「……‼ はい、お願いしますねっ」
そうこう言ってる間に船着場へ着いた。穏やかな海に、鼻をくすぐる潮の香り。
耳を澄ませば聞こえてくる波の音が心地良い。
ハーヴェルに到着した際、フィーを連れて一番最初に足を運んだ記憶が蘇る。確か、海で泳ぐと身体がベタつくとか言ったっけか。
「何度見ても綺麗ですね、ラルク」
どこまでも広がる海を眺めながら、フィーは微笑んだ。
「ラルクの言った通り、海水は塩っぱかったのです」
「……舐めたのか?」
「ちょっとだけ……」
――は、何してんだコイツは。
絵本の海しか知らないと言ってた奴が、いつの間にか海の味を知ってたとはな。
誰の影響だよ。宿屋のおっさんか? ……まぁいい。
桟橋を歩いて行くと、旅船の受け付け小屋が見えた。小屋ん中でおっさんが退屈そうに欠伸を漏らし、煙草を吹かしていた。
「フィー、お前はそこに居ろ。俺は話を付けてくる」
「はい!」
「……いいか、くれぐれも知らねえ奴にホイホイ着いて行くなよ?」
「大丈夫なのです……!」
自信満々にフィーは頷くが、本当に大丈夫なのか……?
幸い周囲に怪しい人影は見当たらない。寧ろ人気が無さすぎる。停泊してる船は多いが、人っ子一人居ねえ。
……なら、ちょっとぐらい目を離しても大丈夫だろ。俺は小屋に近寄って、窓をコツコツと叩いた。
「なぁ、アスヴェルド大陸行きの船は出るか?」
受け付けのおっさんは眉間に皺を寄せながら窓を開けた。
「……兄ちゃん、大陸行きの船に乗りたいのか?」
「あぁ」
「あー……悪いが、船は暫く出ないぞ。少なくとも三日……は先だ」
「はぁ? なんだよそれ」
――三日先? そんな事聞いてねぇぞ。
「他の船はねぇのか」
「無いね。……というか、ここ暫く漁船すら出せてねぇんだ。悪く思わんでくれ」
「…………マジかよ……」
「すまんな。最近この付近の海域に、白髭海賊団ってのがうろついててなぁ、俺達も商売上がったりで困ってんだ」
「海賊って……」
まぁ、港って言えば、そりゃあ海賊の一つや二つ居ても当然か。
――ったく、迷惑な連中だ。
海を渡るとなれば、少なくとも三日間は足止めを食らう。他に移動手段が無いか、検討せざるを得ない。
「はぁ……、フィー、予定変更だ」
俺はでかい溜め息を着いて後ろを振り返る――が。
「――――は?」
居ねえ。さっきまでそこに居た白いのが居ねえ。
知らねえ奴にホイホイ着いて行くなよ、って言った矢先に居ねえ‼
いやいやいやいや、目を離したの、たった数分だぞ……⁉
迷子になる天才か馬鹿のどっちだよ、あの野郎……ッ‼
「――フィー‼」
周囲を見渡しながら、小走りで探していく。
あいつの歩幅なら、そんなに遠くまで行けるはずがねぇ――のに。
先程買ったノートが、桟橋のど真ん中に落ちていた。
……フィーが落としたのか? あんなに大事そうに抱えていたのに?
「…………」
ノートを拾い上げ、埃を払う。そして視線を上げた、その時だった。
前方で、やけに目立つ一隻の船が、ちょうど出航するところだった。
「……………………い、いや……まさかな……?」
猛烈に嫌な予感がする。
船の帆には、どう見ても海賊旗。消えた白いの。桟橋に落ちていたノート。
どう考えても――これは。
「ッだあああああああああ‼ クソッ‼」
俺は無我夢中で駆け出していた。全身の筋肉をバネの様に使って加速する。
もっとだ、もっと速く――! あの船に、フィーが居る。
「竜族のフィジカル――舐めんじゃ、ねぇぞッ‼」
拾ったノートを口に咥え、桟橋を蹴る。強引だろうが知ったこっちゃねぇ‼
俺は海へ出る船に向かって、全力で跳躍した。身体を大きく動かして飛距離を伸ばす。
「――――――――ッ‼」
右手を限界まで突き出して船のケツに指を引っ掛ける。
「ッ‼」
手を滑らせれば一巻の終わり。指先に限界まで力を込めて左手を縁に引っ掛け、身体を引き上げる。
「――――ッ!」
上半身さえ上がりゃ、あとはこっちのもんだ……‼
船のケツからなんとかよじ登り――、咥えていたノートを放す。
――ちょっと歯型が付いちまったじゃねぇか。
この落とし前は、海賊とかいうクソ共に取らせるとして、まず先は――
「――退け、邪魔なんだよ」
俺の前に群がり始めた海賊共を、ぶちのめす事だった。
「――ッ、誰だお前……⁉ 侵入者――ブャッッッ‼」
「るっせぇよタコッ‼」
真っ先に目に入ったのは舵を取っていた男。
騒がれる前に、顔面に拳を一発叩き込んだらあっさり伸びた。
すると、騒ぎを聞きつけたのか、甲板にいた二人の海賊が血相を変えて階段を駆け上がってきた。
「――ッ! おいラム⁉ ……テメェ……一体何もんだ……ッ‼」
「か、カシラに報告! 侵入者だ!」
「――ギャアギャアうるせぇなぁ……、ノート代、耳揃えて弁償しやがれッ‼」
海賊が腰のサーベルを抜いた瞬間には、俺の左足が相手の腹に食い込んで――
「ダアアアアアッ⁉」
蹴りを食らった海賊は、そのまま船の外へと吹っ飛んでいき――もう一匹には、おまけの尻尾がクリーンヒットした。
「ギョフッッ‼」
そのまま船の端に弾き飛ばされた海賊は、顔面から激突して動かなくなった。
後で懐でも弄れば二セルぐらい持ってんだろ。
甲板に伸びた海賊を踏ん付けて、階段を降りれば船首の方で作業してたであろう海賊達がわらわらと集まっていた。
――クソ。どいつもこいつも邪魔ばっかりしやがる……。
一匹二セルとして――コイツらぶっ飛ばせば十セルか?
いや、黒字になったところで、腹の虫が収まらねえ。
拳をゴキリと鳴らして息を吐く。テメェらと遊んでる暇――ねぇんだよ。
◆
最後の一人を尻尾で叩き伏せて踵を返す。甲板にフィーの姿がなきゃ、部屋ん中しかねえ。階段脇の扉に手を掛けた時、中から口論が聞こえてきた。
「――俺は、反対っす!」
「そうだそうだ!」
「――今更何言ってんだ! もう船は出ちまったんだ! 後戻りは出来ねえ……!」
……なんだ、内輪揉めか? クソ程どうでもいい。全員ぶっ飛ばせば済む話だ。
「フィーちゃんは俺らの天使っす‼」
その一言が聞こえた瞬間。俺は全力でドアを蹴破っていた。部屋中に飛び散る破片と、唖然とした海賊達のアホ面――そして部屋の隅で呑気に椅子に座ってるフィーの姿が見えた。
「――ア"ァ"⁉」
「っ……! ら、ラルク……!」
俺の顔を見るや否や、嬉しそうにパッと表情を明るくするフィーの手には茶の入ったコップ。
コイツ――何を呑気に招かれてんだッ‼
「――フィー‼ お前ッ散々知らねぇ奴について行くなって言っただろうが!」
「あっ、ち、違うのです……‼ えっと、この方々はお知り合いで……‼」
「じゃあなんで攫われてんだ‼」
「えぇっと……‼ なんででしょう……⁉」
なんででしょう、じゃねぇッ‼
苛立ちをぶつける様に尻尾をブンッと振れば、近くにいた海賊に当たり――部屋の隅に弾き飛び、手頃な奴の胸ぐらを無理矢理引っ掴んで頭突きをかませば一撃で木偶人形になった。
「――ガッ……⁉」
残る二人は手負い。さっさと終わらせて船長を引き摺り出す――!
部屋のもんを薙ぎ倒しながらにじり寄ると、手負いの海賊は
「い、いや――ッ、ちょっと待て! は、話を聞くっす……ッ‼」
――命乞いを始めた。
「あっ……! ら、ラルク! 待って欲しいのです! その方々は昨日――‼」
「――――ッ‼」
フィーが何か言いかけた時には既に、俺の拳は男の顔面にめり込んでいた。
ぶん殴った男は凄まじい音を立てながら勢いよく壁に突き刺さり――そのままピクリとも動かなくなった。
「ピノ――――ッ‼」
「ぴ、ピノさぁんっ‼」
壁から突き出した尻を見て、フィーが声を上げた。
「あ"⁉ なんだよ知り合いか?」
「し、知り合いなのです……っ‼ ピノさんもニックさんも、昨日ポルケッタを下さった方々なのです……っ‼」
「――――――は?」
ポルケッタ。昨日の夜、フィーが親切な奴からもらったと言ってたクソ美味え肉。
その出所がコイツらだ……?
右手に掴んだ男の顔を見れば、青ざめた表情でぶんぶんと首を縦に振っていた。
「……………………」
「ほ、本当なのです……‼ ですからニックさんを下ろしてあげてください……‼」
フィーの言葉に、もう一度視線を向ければ今にも泣き出しそうな顔で祈りのポーズを決めていた。
――そんな時だった。
「……おい。何の騒ぎだ?」
背後から聞こえた野太い声に顔を向けると、そこには巨大な牙と白い髭を蓄えた大男が立っていた。随分と貫禄のある男だ。
そいつは俺を見るなり、一瞬眉を吊り上げたが、すぐに周囲へ視線を移す。
床に転がる海賊共。壁に突き刺さったままの尻。俺の前でべそをかいてるニックと、フィー。
「………………」
「……………………お前、誰だぁ?」
それはこっちの台詞だろうが、と言おうとした瞬間、ニックが声を上げた。
「か、カシラぁ‼ やらかしました! 絶体絶命っす‼」
カシラと呼ばれた大男は暫く黙った後、頭をボリボリと掻いて
「……ニック、船長命令だ。説明しろ」と言った。
◆
ニックの説明を聞く限り、コイツと壁に突き刺さった尻は、昨日たまたま出会ったフィーに手当てしてもらったお礼として、ポルケッタを渡したらしい。
その後、事情もなんも知らねえ仲間が「金になりそうな妖精が来たから攫ってきた!」と言い出し口論になった。
口論の最中、外が騒がしいと思えば謎の竜族の男――俺が突然乱入して現場を揉みくちゃにしたって訳だ。
……大体の事情は分かった。内輪揉めしてた理由も含めてな。
「――そうならそうと早く言えよ……」
「先に殴って来たのは兄貴だろうがぁッ‼」
ニックは船長の背後に隠れながら涙目で騒ぎ出した。うるせぇ奴だな……。
「はぁ〜〜〜〜……」
船長の男は深い溜め息を吐きながら眉間を指で摘んだ。
そして突然その場に座り込んだかと思えば、ニックの顔面を勢いよく床に捻じ伏せた。
「ベェッ⁉」
「うちの馬鹿共が面倒を掛けた‼ すまんッ‼」
声のデカさは流石船長か。耳が痛え……。
「か、カシラぁ……フィーちゃん攫ったの……俺らじゃねぇっす……」
「黙れ馬鹿共‼ 連帯責任だッ‼」
「へい……」
……案外この船長は、話が通じるのかもしれねぇ。
「船長様、どうか顔を上げてください……! ニックさんもピノさんも私を守って下さったのです」
「フィーちゃん……」
「ラルクが皆様に危害を加えてしまって申し訳ないのです……」
うぐ……。ラルクも謝ってください、と言わんばかりのフィーの視線が突き刺さる。そんな目で見んなって……別に俺は悪い事してねぇだろ……。やり過ぎたのは自覚してっけど……。
「ラルク」
「………………悪かったよ。全員ぶっ飛ばしちまって」
「はぁ……たまげたなぁ。竜族の若えの、ラルクと言ったか。コイツら全員ぶっ飛ばしたのか」
「おう」
「外に見張りも居ただろ」
「あぁ、ぶっ飛ばした」
視界に入る奴は片っ端から蹴散らした。
「………………」
船長の男は暫く俺を見つめた後、口元を歪めた。
「……たった一人で、この船に乗り込んだってのか」
「だからそう言ってんだろ」
「しかも、うちの連中を全員のしちまったと」
「……何回言わせんだよ」
いい加減面倒になってきた。何がそんなに不思議なんだ。
すると、船長の男は俯いて肩を震わせ始めた。
「……くっ……くくっ……ガッハッハッハッハッ‼」
突然、船室中に響き渡るような大声で笑い出した。――なんだコイツ。
「ガッハッハッ‼ こいつぁ傑作だ‼ 俺が寝てる間に船を丸ごと制圧しちまいやがった‼」
……何がそんなに面白えんだよ。
「しかも船長の俺を目の前にして、その態度たぁ‼ ガッハッハッハッ‼」
船長の男は腹を抱えてひとしきり笑った後、豪快に膝を叩いた。
「気に入ったぞ、ラルク‼ お前みてぇな威勢のいい若造は久しぶりだ‼」
「……はぁ?」
「どうだ、お前! 俺の仲間にならねぇか⁉」
「断る」
「ガッハッハッ‼ そうかそうか‼ ……ん?」
「断るっつったんだよ‼」
「即答かよッ‼」
当たり前だろ。なんでフィーを攫った連中の仲間にならなきゃいけねぇんだ。
「お前なぁ! 船長が直々に誘ってんだぞ⁉」
「知るか。そもそも俺は海賊になる気なんざねぇよ」
「ガッハッハッ‼ そりゃあいい‼ ますます気に入った‼」
「人の話聞けよッ‼」
――なんで俺、フィーを攫った海賊に気に入られてんだよ。
意味わかんねぇよ。……ま、交渉するなら今がチャンスか。
「なぁ、カシラつったか?」
「――バーンズ。俺の名前だ」
「…………バーンズ、お前の仲間になるのは御免だが、俺達をアスヴェルド大陸まで連れて行け。それでフィーを攫った事はチャラにしてやる」
「ほう、俺の誘いを断った上に、交渉とはいい度胸してやがるな、ガッハハ! 良いだろう‼ その望み、船長の俺がケツを持つ!」
まさかこうもあっさり承諾されるとは思わなかった。
てっきり、もう少し面倒な話になるかと思ってたんだが……随分と気前のいい船長だな、コイツ。
「二つ返事で承諾してくれんのはありがてぇけど、航路とか大丈夫なのか?」
「なに、俺達もアスヴェルド方面へ向かう所だったから丁度良い。その途中で、物資を積み込むつもりだったしな」
「なんだ、そうかよ」
それなら話は早え。
わざわざ船を探し直す手間も省けたし、結果的には都合が良かったって訳か。
「おう、ついでにお前と優しい嬢ちゃんも積んでやるよ‼ ガハハ‼」
そう言って、男は自慢げに白い髭を撫でた。
「俺達は荷物じゃねぇよ」
――ったく、調子の狂う奴だ。それにしても、見事な白い髭にでけえ牙だ。
海賊船の船長ってのは、どいつもこんな風貌してんのか?
……いや、待て。そういや、港で白髭海賊団がどうとか言ってたっけか……。
目の前の男の髭を眺めれば妙に納得がいく。
「……あの、ラルク……」
「あ? どうした、フィー」
「アスヴェルド大陸まで連れて行って下さるのは、とてもありがたいのですが……」
フィーは困ったように周囲を見渡した。
「皆様は大丈夫なのでしょうか……?」
「…………」
「…………あ」
綺麗さっぱり忘れてた。
「……よ、よぉし! そ、そうと決まればまず先に伸びてる馬鹿共を叩き起こすぞ!」
「……! はいなのです……! ラルクも勿論手伝ってくださいね‼」
「なんでだよ……」
◆
それからバーンズとニック、俺とフィーで手分けして始めたものの……
「うーん、うーーーん……っ‼」
かれこれ十分ぐらい、フィーが壁に突き刺さったケツを引っこ抜こうとしていた。
足を引っ張ってみるが、フィーの力じゃうんともすんとも言わない。
「うんしょ……っ‼ んんんん〜〜っ‼」
時々踏ん張ってる様だがびくともしない。
その様子を俺は――にやにやしながら眺めていた。
見てて面白ぇなって、思って……。つい作業する手が止まっていた。
別にサボってる訳じゃねぇ。ケツと格闘してるフィーの様子が面白いだけだ。うん。
「んむむむむ……っ‼ ら、ラルクも、見ていないで手伝ってほしいのです……っ‼」
「へーい」
正直もうちょっと眺めていたい気持ちがある。
「ラルクはそちらの足を引っ張ってくださいねっ!」
「はいはい」
フィーに言われるがまま左足をむんずと掴む。
「せーのでいくのです……! ――せーのっ‼」
フィーが勢いよく引っ張った――のを、俺は眺めていた。いや、サボってねぇって。ほんと。
思いっきり引っ張った反動でピノの右足の靴がすっぽ抜け――そのままフィーは尻餅をついた。
「ひゃうっ‼」
「はははっ……」
「っ……‼ ら、ラルク……! わわ、笑うなんて酷いのです……っ!」
今度は靴を上下に振りながらぷりぷり怒り出した。おもしれー。
「ラルクっ‼ 真面目にやってほしいのです‼」
「――ははっ、はいはい」
ピノの左足を引っ張ると、身体はあっさり引っこ抜けた。
船にちょっと風穴が空いたけど……まぁ良いだろ……多分。
ある程度持ち上げて観察すると「ゔゔ……」と呻き声を上げているので死んではいない様子。
「……おい、起きろ」
適当に揺さぶってみる――が、起きない。
軽くぶっ飛ばした程度だったんだが……めんどくせぇなぁ。揺さぶって駄目なら、水でもぶっ掛ければ起きるだろ。
「――ペッ!」
ピノの顔面に唾を吐き掛ければ、眉間の皺がピクリと動いた。
「…………ゔぇぇ……」
――よし、起きた。しかし。
「ら、ラルク……っ‼ そんな起こし方はダメなのですっ‼」
今度は烈火の如くフィーが怒り始めた。両手で俺の足をぽこぽこと叩く。
正直痛くも痒くもねぇが……ちゃんと指示したら良いマッサージになるかもしれねぇ。
「はいはい、悪かったよ」
まだ頬を膨らませて怒っているフィーに手を差し出す。華奢な手が俺の手に触れたところで、そっと引き上げた。
「っ……、わ、私は船長様にお水とタオルを頂いて来ますっ。ラルクは他の方もお願いしますね? 優しくですよ? 優しく……!」
「わぁってるって」
そんなに何度も言われなくたってちゃんと伝わってるっつうの。
「……で、ではお願いしますね!」
フィーはくるりと向きを変えて、甲板の方へ駆けていった。
あいつが怪我してねぇなら、俺としては一安心――と思ったその時。
「う、ゔぅ……、フィーちゃん……俺の……天……使……っ」
「――――――」
やっぱりコイツ投げ捨てていいか。
左足を掴んでた手をパッと手放して落っことした。
「んぎゃひ⁉」
◆
その後、俺にぶっ飛ばされた船員たちは、フィーと船医による手当てを受けることになった。
多少なりとも手加減はしたつもりだが、随分と派手にやっちまったのは認める。
海賊共は包帯を巻かれたり、湿布を貼られたりと、揃いも揃って痛々しい姿になっていた。
「はい、これで大丈夫なのです。あまり無理をしないでくださいね?」
「あ、ありがとうございます、フィーちゃん……!」
「おいピノ。お前、さっきまで死にかけてなかったか?」
「天使に手当てしてもらったんだぞ⁉ もう何も怖くねぇよ‼」
「気持ち悪ぃな、お前……」
「ベック! お前には分かんねぇのか⁉ フィーちゃんはどう見ても天使だろ⁉」
「あーはいはい、分かったから黙れ」
そうだな。気持ち悪いのは俺も同意する。
そんなやり取りを眺めていると、突然、甲板に野太い声が響き渡った。
「おう馬鹿共‼ 手当てが済んだ奴から整列しろ‼」
バーンズの一声に、それまで騒がしかった船員たちが一斉に動き出す。
「ほら、ピノ! さっさと行け!」
「分かってるって!」
「トーレン! お前もだ!」
「っ、ちょっと待て! まだ身体が……!」
あちこちから呻き声が上がる中、船員たちは慌ただしく列を作っていく。やがて全員が整列したところで、バーンズがゆっくりと腕を組んだ。
「――さて、貴様ら」
先ほどまでの豪快な笑みは消え、その表情には船長らしい厳しさが浮かんでいる。
「事情はニックから詳しく聞いた。貴様ら全員、この場で叱り飛ばしてやってもいいところだが……今回は特例だ」
バーンズは整列する船員たちをぐるりと見渡した。
「俺がケツを持つ!」
その一言に、船員たちから歓声が上がった。
「‼ か、カシラぁ‼」
「最高っす‼」
「ありがてぇ……‼」
「ほんとマジすんませんっした……ッ‼」
「部下の不始末は船長の不始末だ。責任は俺にある。今回の件について、貴様らをこれ以上責めるつもりはない」
そう言い切ると「話の分かるカシラ最高‼」という黄色い歓声と共に指笛、小躍り、拍手喝采が始まった。なんつーか、随分と賑やかな連中だな……。
「――ん、でだ。よく聞けオメェら。俺ァ、アスヴェルド大陸までコイツを乗せる事にした‼」
バーンズの高らかな声に、船員達は喜ぶ――かと思いきや。
全員フリーズしていた。
さっきまで喜んでいた様子は鳴りを潜め、船員達の表情が見る見るうちに青ざめていく。
「………………は?」
「か、カシラァ……?」
「本気で言ってんすか……?」
「おう‼ 本気だ‼ 異論がある奴は出てこい‼ 船長命令だ‼」
――船長命令、そう言った途端に暫くの間、船員達は静まり返った。
穏やかな波の音と鳥の鳴き声が聞こえてくる程だ。やがて船員の一人が、青ざめた顔で一歩前に出た。
「……ちょ、ちょっと待ってくだせぇ、カシラ……‼」
震える声を上げたのをきっかけに、他の船員もぞろぞろと前に出る。
「あ、あぁ……そうだ‼」
「そ、そいつ……俺たちをぶっ飛ばした奴ですよ⁉」
「え、えーと……ラルクの旦那……、俺達をボコボコにしたっすよ……⁉」
「そんなもん、見れば分かる‼ 貴様らが弱かっただけだッ‼ 以上‼」
――バーンズの野郎、ハッキリ言い過ぎだろ。吹き出さない様に笑いを堪えるので必死だ。
「け、けどカシラァ……‼」
「なんだトーレン‼」
「――船が……ぼろぼろなんすけど……‼」
「直せ‼ 以上‼」
「うわあああああ‼」
「トーレ――ンッ‼」
「カシラぁ‼ トーレンのいつもの病が‼」
「ん‼ コリンとハンス、それとダグラスはトーレンと一緒に船の修理に当たれ‼」
船員たちの嘆き声が飛び交う中、バーンズは何事もなかったかのように、改めて全員を見渡した。
「他に異論がある奴はいねぇかッ‼」
その問い掛けに、船員たちは互いの顔を見合わせる。
……どうやら、これ以上何を言っても無駄だと悟ったらしい。
「「「無いっす‼」」」
甲板に響き渡ったのは、半ばヤケクソじみた返事だった。
船員たちの返事に満足したのか、バーンズは豪快に頷いた。
「よぉし‼ 話は以上だ‼ 全員持ち場に就け‼」
「「「「「あ"い"ッッッッッ‼」」」」」
威勢のいい返事とは裏腹に、船員たちの表情には悲壮感が漂っていた。
皆揃って肩を落とし、とぼとぼと持ち場へ戻っていく。
半分以上、涙声だった気がするが……気の所為だろ。
「……ラルク、ようやく船旅……ですね!」
「まさか海賊船で移動するとは思わなかったけどな」
「ふふふっ、そうですね」
隣にいるフィーへ目を向けると、潮風に靡く髪を片手で押さえながら、嬉しそうに微笑んでいた。
「――あ、そういや……ほら、これ。返すの忘れてた」
そう言って差し出したのは、鞄の中に仕舞い込んでいた水色のノート。ちょっと歯型が付いちまったのは、後で謝る事にしよう……。
「あっ……!」
フィーはぱっと表情を明るくすると、両手で大事そうに受け取った。
「ありがとうございます、ラルク……!」
「……今度は落とすなよ?」
「は、はいっ……!」
フィーは嬉しそうにノートを胸に抱き、海の向こうへと目を向けた。
「ラルク! これから、どんな旅になるのでしょうね!」
「さあな。……ま、退屈はしなさそうだけどな」
潮風に白銀の髪を揺らしながら、楽しげに笑うフィーの横顔を、俺はただ眺めていた。
第九章 白髭海賊団 前編 完
第9章『白髭海賊団』前編を最後まで読んで頂き、誠にありがとうございました。
今回から新たにスタートした海賊編ですが、当初のプロット段階では前後編の予定でした。
しかし書いていくうちに作者の筆が乗りまくってしまい前・中・後編の三部構成にする事となりました。
なんてこったい。
前編では暴れに暴れた問題児のラルクさんですが、次回の中編では茶化して茶化して茶化しまくろうと思います。作者は強い意思でプロット構成を練り直しました。よろしくお願いします。
それではまた次回 白髭海賊団 中編でお会いできるのを楽しみにしております。




