第七章 白藍の灯火
「おっさん、二部屋空いてるか?」
港町ハーヴェルの宿屋に辿り着いた頃には、外はすっかり夜になっていた。
一日歩き詰めだったせいで、さすがに足が重い。港に着いてからというもの、フィーの故郷について聞き回りながら、ついでに飯屋も片っ端から覗いていた。
……が、流石は港町。どこもかしこも魚、魚、魚。
俺の腹ん中はもう完全に肉の舌になっていたってのに、肝心の肉が何処にもねぇ。
肉はねぇのか、肉は――と日中叫び続けて探し回ったものの、成果は無し。
あとは飯が美味いと評判の、この宿屋に賭けるしかねぇ。
――しかし。店主は眉間に皺を寄せて頭を掻いた。
「あ〜……悪いな。今日は一部屋しか空いてねぇんだ」
「一部屋?」
「あぁ。でも……」
おっさんは何やら含みのある顔で俺達を眺めた。
「お前さん達なら大丈夫だろ」
何がだよ。無駄にニヤニヤしやがって。良からぬ誤解をしてやがるのは、なんとなく分かる。
別に俺達はそういう関係でも無ければ、誤解される様な事は何もない。
「いや、あのな、おっさん――」
そう言いかけた時、横にいたフィーが嬉しそうに声を上げた。
「まぁ、良かったです!」
「何がだよ!」
「ラルクと同じお部屋です!」
「お前……。お前なぁ……!」
それ前にも、言ってたような気がする。とは言え、とは言えだ。前回は、ベッドが一つだったから問題だっただけだ。宿屋の部屋なら、人数分のベッドぐらいある筈だ。
「それに、一部屋ならお金も余分に掛かりません、よね……?」
「ぐ……っ。ま、まあ、それはそうなんだけどよ……⁉」
フィーの言う通り、一部屋になるなら路銀に優しい。優しいが……簡単に認めたくない気持ちがある。なんでかは分からん。
「まぁ、安心しろって兄ちゃん。一部屋しかねぇが……とっておきの部屋だから保証するぜ!」
店主は何故か満面の笑みで親指を立てる。余計、訳わかんねぇよおっさん――と言いそうになる俺の横で、フィーは呑気に「とっておきのお部屋……! 楽しみです‼」などと言ってやがる。
もうだめだ。今更部屋を変えろとも言えねぇ。終いには、おっさんが俺の肩を叩いて、そっと耳打ちしてきた。
「兄ちゃん、漢になってこい……‼ 宿代はまけといてやるからよ……‼」
「……余計なお世話だッ‼」
こいつぶっ飛ばしていい? だめ? くそ。
宿代は一部屋分。しかも安上がり。余計な茶々はさておき――値段に文句はねぇ。
路銀が浮くなら多少の事は目を瞑る……百歩譲ってな!
金を払うと店主はニヤニヤしながら部屋の鍵を差し出した。
「部屋は二階の突き当たりだ。存分に楽しんでこいよ……! グッドラック!」
「黙れ」
鍵をぶん取り、足早に二階の突き当たりへ。
妙に他の部屋と距離があるのは気になるが――深く考えないことにして、鍵を差し込む。
回せば、カチャリと小さな音が鳴った。そのまま部屋の扉を開けるが……
「…………」
思わず、扉を閉めた。
「ラルク?」
「……部屋、間違えたかもしれねぇ」
うん、きっとそうだ。間違えたに違いない。俺の見間違いだ――そう思いながら扉に掛かった札を確認する。
ダメだ、間違ってねぇ‼ せめて間違いであってほしかった。俺は大きな溜め息を零しながら、もう一度扉を開けた。
その部屋の中央には――どう見ても二人で寝ることを前提にした馬鹿でけぇ寝台が鎮座していた。
「あんのッ……くそオヤジーーッ‼」
俺は堪らず、純粋な罵倒を口にしていた。完全に〝そっちの客向け〟の部屋じゃねーか‼
くそ‼ 何が漢になって来い、だ。余計なお世話だっつうの‼
――とは言え。例えベッドが一つしか無かったとしても、この広さなら端に寄ればまぁ……寝れなくはない。落ち着け俺。冷静に考えれば、何も問題は無いはずだ。
「とても大きなベッドですね、ラルク!」
この部屋の事を何も理解していないフィーが呑気に喜ぶ横で、俺は頭を抱えていた。
「そうじゃねぇだろ……」
説明しても分かんねえだろうなぁ……こいつ……。それに俺の口から説明出来るか?
いや、無理。そういう行為をする部屋だって? 絶対無理。
「これなら二人でゆっくり眠れますね!」
「…………、お前なぁ……」
なんでフィーと一緒のベッドで寝るんだよ、と言いかけて踏み止まる。
前回俺はフィーにベッドを譲ったが、こいつは結局俺の横が安心すると言って気付けば隣で寝てた程だ。俺がベッドを使わないと言ってもまた同じ事になる。
俺が何を言っても「好きにします」と言って聞かねえ。
……だったらいっそ、諦めた方がフィーはベッドを使うんじゃねぇのか? ……俺もベッドで寝なきゃいけねぇんだけど……。
「………………、あぁもう……」
諦めるしかねぇか……。暫く頭の中で念入りにシミュレートして結論を出す。
よし、これなら問題無いはずだ。三人は寝れそうなクソでけえベッド。その真ん中を指でなぞりながら、隣のあんぽんたんに念を押す。
「フィー。この線、越えてくんなよ。いいか? 絶対に越えてくんなよ?」
「はい、わかりました!」
うん、絶対分かってねえなコイツ。これまでどういう教育を受けてきたら、ここまで警戒心ゼロになるんだ。俺にはさっぱり分からねえ。
適当に荷物を放り投げ、剣は手の届く距離に。くたびれた身体を寝具へ投げ出すと、スプリングが揺れて柔らかなシーツが疲れた身体を包み込む。案外、悪くねぇ……。
清潔なシーツにふわふわの枕。尻尾を伸ばしてもはみ出ない。
でけえベッドも、使ってみれば快適で――――、俺の意識は気絶する様に、落ちていった。
◆
――翌朝。眠っていた時間なんて、まるで一瞬だったように感じる。
それでも目を覚ますと、身体が妙に重い。……いや、重いっつーか……尻尾が動かねぇ。
尻尾の先は動く。だが軽く引っ張っても、何かが巻き付いているみてぇに動かねぇ。
「…………」
猛烈に嫌な予感がして、そっと後ろを振り返ると――フィーが、俺の尻尾を抱き枕みてぇに抱えて眠っていた。
「…………おい」
声を掛けてもお構いなしに寝てやがる。ちょっと無理矢理引き抜こうと力を入れれば、
「んん……っ」
余計にぎゅっ、と抱き締められる。
「……締めるな……‼」
あぁもうくそ……‼ 力加減を間違えるとフィーに怪我させちまうかもしれねぇから下手な事は出来ねえ。かと言って、この妙にむず痒い状態のまま耐えなきゃいけねえってのも辛い。
尻尾越しにフィーの体温と柔らかさが伝わってきて、なんとも言えねぇ感覚になる。
「…………‼」
離せってマジで……‼ 俺はフィーが目を覚ますまで、尻尾の先でフィーにちょっかい掛け続けるしか出来なかった。
その後。
「お前、なんで俺の尻尾抱いてんだよ」
宿屋の食堂で、席に付くなり問い詰めていた。
「可愛かったので……つい……」
「つい、じゃねぇよ」
「私も寝ようとしたら、ラルクの尻尾が手に絡み付いてきたので……一緒に寝たいのかなぁ、と思って……」
「はぁ⁉ んな訳ねーだろ!」
「本当なのです……」
「俺の尻尾が⁉ お前に? 嘘言うんじゃねぇよ!」
知らねーぞ俺は‼ そう言い切ったところで、丁度朝食が運ばれてきた。
「お待たせ! おかわりもあるからガツンと食べろよ!」
気の強そうな店主の娘が、豪快に料理をテーブルに並べた。その皿を見て、俺は言葉を失う。
黒っぽいパンの上には、薄く切った魚と玉子、それに刻んだ野菜が彩りよく盛られている。
その隣には、赤い色をした温かなスープ。ほくほくに煮えた芋と玉ねぎ、その隙間から白身魚がごろごろ覗いていた。
「まぁ……! とても美味しそうです!」
フィーが嬉しそうに目を輝かせる。……が。
パンにも魚。スープにも魚。…………魚魚魚。尻尾から、すぅ……っと力が抜けていく。
「魚かぁ…………」
「ラルク?」
「……いや」
別に魚が嫌いな訳じゃねぇ。美味そうなのも分かる。腹に入れば一緒だ。頭では分かってる。分かってるんだが――。
「……肉が食いてぇ……」
思わず、心の底から零れた。
「ラルク、お魚料理……お嫌いですか?」
「ちげぇって……」
「でも尻尾が……」
「見んな」
いつもならフィーの視線から尻尾を隠すが、もうその気力すら湧かなかった。
つーか俺の尻尾を観察すんなって……。そう文句を言うのも面倒で、俺はそのまま項垂れた。
飯自体は美味かった。肉料理なら更に文句は無かったが、仕方ない。
歯の間に挟まった魚の骨を引っこ抜いて、食いカスを掃除していた時だった。
「――なぁ、聞いたか? 三百クローネの魔装具の話!」
「例の展示されるってヤツ?」
「そうそう、なんでも超珍しいお宝らしいぞ!」
離れた席で噂話をしている旅人の会話が耳に入った。……魔装具? しかも三百クローネの珍しいヤツ……。へぇ、面白そうな話してんじゃねぇか。
旅人にとって魔導装具――所謂”魔装具”は、必需品の一つだ。
精霊の力を宝石に込めた装備品、とでも言えば話が早ぇ。自分の魔力を流し込めば、石に宿った力を引き出せる。身を守る為の物だったり、戦う為の道具だったり、生活に必要な物だったりと用途は様々。使われている石や能力次第で、値段は馬鹿みてぇに跳ね上がる。
俺が身に着けてる物も、全部旅の中で手に入れた魔装具だ。中でも多いのは、身体強化系。
それに”強い武器”になるってんなら、俺としても気になる。
そのまま旅人の話に耳を傾ける。
「今日の昼、港のオークション会場で展示されるらしいぞ」
「へぇ! 三百クローネだろ? 能力は?」
「それが――」
一番聞きたい所で旅人達はヒソヒソと内緒話を始めた。クソ、そこが聞きてぇのに!
「……おい、マジかよ……!」
「しかも、その魔装具――」
……あぁくそ、聞こえねぇ〜〜‼ めっちゃ気になって仕方ねえ。
フィーがずっと不思議そうに俺の顔を眺めている。……が、今はそれどころじゃねぇ。
レア物の魔装具なんて聞いちまったら、気になるに決まってんだろ……‼
「しかも展示だけじゃなく、希望者は競りにも参加出来るらしいぞ。ただし、三百クローネ開始だってよ」
「まじか。死ぬまでにいっぺん拝んでおこうかなぁ……!」
ふ〜〜ん? なるほどなぁ。つまり……見るだけならタダだよな。
三百クローネなんて大金払える訳もねぇし、買う気はねぇ、見るだけ、そう見るだけだ。
ともかく、今日の目的は決まった。勿論、本来の目的を忘れた訳じゃねぇ。……が、まずは俺の好奇心を満たす方が先だ。
「――よし、行くぞフィー」
「はい、今日はどちらに?」
「……ちょっと良いもん見に」
そう言って、膨れた腹を撫でながら立ち上がった瞬間。
「……げふ」
「……ラルク?」
「呼吸」
「呼吸……」
フィーは何か言いたげに俺を見ていたが、俺は知らん顔で荷物を持ち上げた。
◆
港のオークション会場は、朝から大勢の人で賑わっていた。この街では時折、こういった掘り出し物のオークションが開催されるらしく、旅人や商人、それに身なりのいい裕福そうな連中まで集まっている。
中でも注目を集めていたのは会場の奥。ガラスケースに収められたネックレスだった。
「……あれか」
もう少し近付いて見ると、丁度主催主の男がケースの横に立ち演説を始めた。
「皆様、この度はお集まり頂き誠に有難う御座います! 本日の目玉商品はこちら。青紫色の宝石に込められた能力は月の精霊――アウラの上級守護魔法……!」
上級守護魔法、その一言で会場内がざわついた。月の精霊の能力を秘めた魔装具は珍しい。
その上で上級守護魔法とくれば――確かにすげぇもんだ。
「そして裏面には、未だ由来の分からぬ謎の刻印! もしや伝説の遺産か、大秘宝か――⁉
これ程、状態の良い逸品は中々お目に掛かれません! さぁさぁ皆様! 希望者には三百クローネからのオークションを翌朝執り行います! 奮ってご参加くださいませ!」
ワァッ、と会場が湧き上がる。
「……確かに大したもんだな」
演説が終わり、改めてネックレスを眺めてみれば――中央には、深い青を湛えた大粒の石が嵌め込まれており、青――そう見えたはずなのに、係の男が台座を僅かに回した途端、その奥から紫が滲む。灯りを受ける角度が変わる度、二つの色がせめぎ合うように表へ浮かんだ。
目を奪われる様な美しい宝石。あんな物を身に付けて居たヤツは一体どんな存在だったのか。想像しがたい。
「すげぇな」
そう呟いて隣を見ると――フィーは、ガラスケースの中のネックレスをじっと見つめていた。
「……フィー?」
もう一度声を掛けると、ハッと我に返ってゆっくりと俺を見た。
「あの……ラルク……」
「なんだよ?」
欲しいつっても買えねえぞ、そう軽口を叩こうとした時だった。フィーは胸元で両手をギュッと握り締め、どこか悲しげに目を伏せた。
「あのネックレスは……以前、私が身に付けていたものです……」
「――――――――は?」
――今、なんつった? 以前身に付けていたもの……? アレを? フィーが?
いや……ちょっと待て。冷静に考えろ。コイツが嘘を付いてる可能性は無い。それは無い。断言できる。
じゃあ、あんな逸品がフィーの物だった? ……そもそもコイツ、奴隷商に居た時点で身ぐるみは剥がされていた。つまり仮にフィーの物であったとしても奪われて売られてる、と考えたら……?
…………ダメだ。一気に現実感が増した。
「…………あれが、お前の……?」
「……はい……。ネックレスの裏面に刻まれているものは、エルヴァリスの紋章だと思います」
「…………嘘だろ……?」
「最初は似てる物かなと思いましたが……その……石の色も、裏の紋章も同じで……」
「〜〜〜〜〜〜っ‼」
急に激しい頭痛が走る。
「ガチで……お前の……?」
「私のお母様が残して下さった物なのです……」
「はぁぁぁぁぁぁ……………」
どうすんだよ、あれ‼‼
――落ち着け、俺……! つまりあのネックレスは盗品。フィーの物であり、売り物では無い。
母が残した物ってことは――形見か。こんな所で売り飛ばされて良い物じゃねぇ。
「あ”〜〜〜〜〜〜〜ッ‼」
俺は盛大に頭を掻き毟って――覚悟を決める。
「ラルク……」
「――行くぞ、フィー」
「えっと、どこへ……っ!」
一先ずフィーの手を掴み、そのまま会場を出た。売り主から取り返すにしても、今じゃない。
「それは盗品だ」なんてその場で騒げば、売り主に警戒されて終わりだ。
交渉するならせめて、展示時間が終わり客が捌けた後だ。
「……俺がなんとかする」
不安げな表情を浮かべるフィーに声を掛けると「ありがとうございます」と小さく呟いた。
◆
展示が終わる頃には、あれだけ騒がしかった会場も随分と静かになっていた。
客の大半は既に帰り、残っているのは撤収作業をする関係者ばかりだ。
俺達は人の波が引くのを待ってから、もう一度会場へ戻った。
例のネックレスが入っていたガラスケースの傍では、数人の男達が荷物を纏めている。
その中に、さっき演説をしていた男の姿もあった。……まずは話を聞く。
それで済むなら、その方がいい。
フィーを少し後ろに下がらせ、俺はまっすぐ男の元へ歩いていく。
「なぁ、ちょっと良いか」
背後から呼び掛けると、男は驚いた様子で作業の手を止めてこちらを振り返った。
「なっ……、え、ええっと……大変申し訳ないのですが、本日の展示は終了とさせて頂いておりまして……」
「それは分かってんだよ。そこのケースに入ってたネックレスに付いて聞きてえんだけど」
「…………?」
男の表情が、一瞬だけ曇った。……今、何か引っ掛かったな。
「あのネックレスは、どうやって手に入れたんだ? 正規ルートで仕入れた物なのか?」
「――は? ……質問の意図が分かりませんが……こちらは紛れもなく、正規の手続きを経て預かった物でして……えぇと……」
男の声色が、明らかに固くなった。……触れられたくねぇ話、ってことか。
「……なら、誰から預かったんだ?」
「…………お答え致しかねます」
引き攣った笑顔から、男の本音が透けて見える。腕に抱えたトランクを強く握り締めて、男の足が一歩下がった。
「答えられねぇってなら聞くが、それ盗品なんじゃねぇのか?」
「…………っ」
男の足がまた一歩下がる。
「ネックレスの裏の刻印が、盗まれたモンと一致してんだよ。……この意味、分かるよな?」
俺は一歩ずつ、足を踏み出して男に詰め寄ると、後ろに控えていた筈のフィーが声を上げた。
「あの……っ! ネックレスは、私のお母様が残して下さった大切な物なのです……っ! どうか返して頂けませんか……!」
フィーの言葉に、男の顔が露骨に強張った。目が泳ぐ。さっきまでの営業用の笑顔なんざ、もう見る影もねぇ。
「し、証拠は⁉ それが貴女の物だという証拠がどこに――‼」
「だから裏の刻印だっつってんだろ……!」
また一歩、男に近付いた瞬間。
「――ッ‼」
男は勢いよく身を翻し、駆け出した。
大事そうにトランクを抱えたまま、裏の勝手口へ体を滑り込ませる。
「ッ! 待ちやがれッ‼」
反射的に床を蹴る。次の瞬間には、逃げた男の背を追って勝手口へ飛び込んでいた。
外へ出た頃には、男は左手の狭い裏路地へ逃げ込んだ。ただの人間にしては足が速え。
後を追って路地を曲がると、男が次の角を右へ曲がり切る直前、鱗に覆われた尻尾の先がちらりと見えた。
(亜人か……!)
地面を蹴る足に力が入る。再び路地を曲がると、男がこちらを振り返った。
「ッ……来るな‼」
男は振り返りざま、路地脇に積まれていた木箱や空き瓶を尻尾で薙ぎ倒しながら駆けていく。
外套の裾が大きく捲れ、その下から太く長い、鱗に覆われた蛇の尾が露わになった。
尾は地面を這うようにうねり、男の逃げ足をさらに速めていく。
「――ッ!」
崩れ落ちてくる木箱を蹴散らし、俺目掛けて飛んできた瓶を腕で叩き落とす。
甲高い音と共に瓶が地面へ叩き付けられ、派手に砕け散った。足元に破片が飛び散るのも構わず、そのまま真っ直ぐ男の後を追う。
前を行く男は次の角を左へ曲がった。俺も後を追って飛び出すと――その先は、人通りの多い大通りだった。男は右へ折れ、そのまま人混みの中を突っ切っていく。道行く人を掻き分けながら、男は突然声を張り上げた。
「憲兵‼ 助けてくれ‼ こいつに襲われてる‼」
クソッ、どの口が言ってんだ……‼
その声に、ちょうど巡回中だった憲兵が反応した。慌てて俺の前へ回り込み、道を塞ぐ。
「そこの赤い尾の男! 止まれ!」
憲兵の声に、周囲の視線が一斉に俺へ向く。ざわめきが広がり、人の流れが僅かに鈍った。
「……ッ!」
男はその隙を逃さず、不敵にニヤリと笑って通りの先へ駆けていく。
くそ、やりやがった。この人混みじゃ下手に手ぇ出せねぇし、憲兵に捕まる訳にも行かねえ。
完全に姿を見失った後、俺は足を止めた。
「――クソッ!」
憲兵達が警戒心を露わにしながら、俺へ詰め寄ってくる。
「両手を挙げて大人しくしろ!」
「俺は何もしてねぇよ!」
「五月蝿いッ‼」
周囲の騒めきと向けられる視線が不快だ。とは言え、ここで騒ぎを大きくしても後が面倒になる。今は一先ず――この場を穏便に収める方が先だ。くそ、マジで覚えとけよ……。
内心恨み言を吐きながら、両手を挙げたその時だった。
「ラ、ラルク……っ!」
背後からフィーが息を切らしながら走ってくるのが見えた。……しまった。フィーの事をすっかり忘れてた。
「はぁ……っ、はぁ……っ! や、やっと追い付きました……‼」
俺の側まで来ると、少し息を整えてから憲兵と俺を見た。
「……っ、け、憲兵様申し訳ございません! ですがラルクは人を襲う様な事はしていません……!」
「――しかしだな」
「ほ、本当です……っ‼」
「………………」
憲兵の男達はお互い訝しそうに顔を見合わせてから、もう一度俺を眺めた。
「……本当だ。何もしてねえ」
――今は、だが。嘘は付いてねえ。
この後、憲兵に「事情を説明しろ」と言われ、盗品の件は伏せつつ最低限の説明をする羽目になった。憲兵から解放されるまで、妙に時間が掛かっちまった。
おかげで、あのクソ野郎には逃げられたが――まだ諦めるつもりはない。
「……悪い」
「いいえ。ありがとうございます、ラルク」
男を逃がしたってのに、フィーは俺を責めなかった。フィーの気遣いはありがてぇ。……だから余計に、悔しかった。
「フィー、一旦宿に帰るぞ」
「……はい」
男の行方を追う手立ては――まだ他にある。俺はもう一度、時間を改めて追跡する事にした。
◆
――そして、深夜。俺はたった一人で、男を見失った大通りに来ていた。
昼間は人でごった返していたが、今では人気もなくしんと静まり返り、冷たい夜風と月の光が辺りを照らす。
「あんまり、使いたくねぇんだけどな……」
上着の内ポケットから取り出したのは、古ぼけた金の指輪。
白く霞んだ石が嵌め込まれた魔装具。乳白色の石の奥で、赤や青、緑の光が細かく瞬いている。少し傾けるだけで色が浮かんでは消え、まるで石の中に小さな虹を閉じ込めたみてぇな宝石だった。
指輪を口元へ寄せ、
「ふっ――」
普段は乳白色に霞んでいるだけの石に魔力を吹き込んだ途端――その奥に眠っていた色が、一斉に浮かび上がった。赤、緑、青。細かな虹色の光が煌めいて、その中心から白藍の炎がふわりと零れた。
「――行け!」
白藍の炎に指示を出すと、辺りをふわふわと漂い始めた。やがて何かの痕跡を見つけたのか、炎は勢いよく飛び出した。
「そっちか……!」
白藍の炎――ウィスプの後を追って走り出す。
光の精霊ウィスプ。コイツは俺が幼い頃から、ずっと一緒に居た。毎日毎日飽きもせず追い掛けっこをして、いつも捕まえられなかった。幼い俺にとっての、唯一の遊び相手で――母さんが残した魔装具に宿る精霊だった。
ウィスプの飛ぶスピードはとにかく速い。後を追う俺の事なんか気にも止めず、暗い街中に白藍の灯りを残して行く。俺に出来るのは全力でウィスプを追いかける事だけ。
大通りから伸びる狭い路地を右に曲がると、ウィスプは楽しげに跳ねたと思えば、炎が揺らめき姿を変える。猫の様な姿になったかと思えば、今度は鳥に。白藍の鳥が煙となって四散したかと思えば、また炎へ戻り、そのまま路地を曲がっていく。
(アイツ、楽しんでやがるな……‼)
ウィスプは悪戯好きで好奇心旺盛。昼間に呼び出したら道行く人にちょっかい掛けるのが関の山。
誰にも邪魔されねぇこの時間は、ウィスプを使うには都合がいい。……なのだが。
ウィスプは路地を曲がったかと思えば、そのまま壁沿いに垂直へ駆け上がる。勿論、迂回してる暇は無い。俺はそのまま壁を蹴り上げ、窓枠の出っ張りに指を引っ掛け飛び越える。
これくらい朝飯前だ。ガキの頃、ウィスプと散々駆け回って身体の使い方を覚えた。
どうすれば速く移動出来るのか、障害物に足を取られずに走り抜ける方法、竜族として恵まれた身体能力や尻尾の使い方。沢山の事を学んで、今の俺が居る。
ウィスプに追い付けた事は片手で数えるぐらいしか無いが、それでも――今の俺になら追い付ける。そんな気がした。
ウィスプは再び直進したかと思えば、今度は前方に架かる石造りの橋へ向かって飛んでいく。
そのまま橋の側面を駆け上がるように、高く昇った。
「――ッ!」
ウィスプの探知は無限に使える訳じゃない。呼び出した使用者の魔力を馬鹿喰いするからだ。
生憎、俺は魔力量に恵まれてる方じゃねぇ。追跡が長引けば長引く程、俺の魔力は物凄い勢いで削り取られて行く。――それでも、諦めるという選択肢はどこにも無かった。
ウィスプが垂直に昇るのなら、俺も負けじと追うだけだ。通路脇に積まれた木箱を足掛かりに高さを稼ぎ、灯りを掲げた柱を蹴ってさらに跳ぶ。両手を石橋の縁に引っ掛け、そのまま身体を引き上げた。
「――はぁっ……! くそ、どこまで行く気だ……‼」
ウィスプはあくまで、精霊基準の最短ルートを通る。そこに「人間が通れる道」を考慮してくれる訳じゃない。俺が文句を垂れた所で、アイツはお構いなしに飛んで行く。
橋の上に来たかと思えば今度は右へ。ウィスプが向かう方角に視線を向けると高台の建物に向かって飛んでいる様にも見えた。
「…………ッ、クソ……ッ‼」
消費される魔力が多い。魔力が削られる度、身体がどんどん重くなっていく。
一度息を整えてから、再び走り出す。右へ左へと曲がりながら続く坂道を、ウィスプはそれを無視するように真っ直ぐ突っ切っていく。
その後を追って俺は目の前の壁を蹴って跳び上がり、すぐさま反対側の壁も蹴る。
左右の壁を交互に使いながら、一気に上まで駆け上がった。――だが。壁を蹴る力が強過ぎたのか、着地した瞬間に身体がふらついた。
「――ッ」
咄嗟に身体を丸めて地面を転がり、衝撃を逃がす。
ウィスプはもう随分と先に居た。それでも時折速度を緩め、こちらを振り返るように白藍の炎を揺らす。まるで――まだ来れるだろ、とでも言いたげに。……昔から変わらねぇ。
置いていく気なんか無いくせに、絶対に簡単には追い付かせてくれねぇ。
『ウィスプ! ねぇ待ってよ!』
子供の頃の記憶が蘇る。あの時もアイツは俺の先を飛んでいた。
幾ら呼び止めても止まらねぇ。俺はいつもウィスプとの追いかけっこに負け続けていた。
『待って、待ってってば……!』
息を切らして走る俺を嘲笑うかの様に、ウィスプはチラチラと姿を変えて俺を待っていた。
その様子を、母さんは遠巻きから眺めて笑っていたのを覚えてる。
「…………ッ、今度は絶対勝つ……ッ‼」
滝の様に流れ落ちる汗を拭い落とし、重い身体に鞭を打って闘志を燃やし、再び走り出す。
けれど――少し先を飛ぶウィスプの様子がおかしい。白藍の炎の端が、ほんの僅かに崩れた。
火の粉のような光が一つ、また一つと夜の闇へ溶けていく。……まずい。
ウィスプそのものが弱ってる訳じゃねぇ。俺の魔力が尽きかけてる。呼び出している間、コイツは俺の魔力を喰い続ける。炎が欠け始めたってことは――もう、そう長くは保たねぇ。
ウィスプはそれでも速度を緩め、また俺を待とうとした。
「待つな‼」
思わず声を張り上げる。白藍の炎が、その場で小さく揺れた。
「俺のことはいい! 先に行け‼」
一瞬だけ迷うように炎が揺らめく。だが次の瞬間――ウィスプは俺の指示に従い、弾かれたように夜の街へ飛び出した。……それでいい……! 俺は遅れる身体を無理矢理前へ押し出す。
もう追い付く必要はねぇ。見失わなければ、それでいい。
白藍の灯りは坂道を駆け上がり、建物の屋根を越え、更に高台へ向かっていく。
その度に炎の輪郭が少しずつ崩れ、夜の中へ細かな光を散らしていった。
「くそ……ッ、まだ消えんなよ……‼」
息を切らしながら後を追う。
やがて、坂の先に古びた石造りの建物が見えてきた。高台の端にぽつんと建つ、寂れた教会。
窓の多くは割れ、外壁には蔦が這い、随分前から人の出入りが途絶えているように見える。
ウィスプは迷うことなくその教会へ向かい――
「……そこか」
最後の力を振り絞るように白藍の炎を大きく揺らし、入口の前でぴたりと止まった。
ウィスプが欠ける度に、俺の視界が歪む。折角ここまで辿り着いたってのに、こんな所でぶっ倒れる訳にはいかねぇ。ふらつく身体をどうにか支えながら教会へ近付くと、ウィスプは満足気に炎をぼぅっと大きく燃やして散っていった。
「はぁ……はぁ……ッ……、ありがとよ……っ……」
白藍の炎が完全に夜へ溶けると、辺りに静寂が戻った。手の中の指輪へ視線を落とす。
さっきまで虹色に煌めいていた石は、もう何事も無かったかの様に乳白色へ戻っていた。
「……お疲れさん」
指輪を一度強く握り締め、内ポケットへ仕舞う。それから、ゆっくりと顔を上げた。
目の前には、月明かりに照らされた古びた教会が佇んでいる。
「…………」
荒い息を整えながら、俺は教会の入口を睨み付けた。そして――扉へ手を掛けた。
……その後の事はあまり覚えていない。
何人居たのか。何発殴ったのか。剣を抜いたのかすら、よく覚えてない。
気付いた時には、足元に何人か倒れていて――俺の血塗れの手には、フィーのネックレスが握られていた。……誰の血だ、これ。
俺の血か、それとも相手の血か。身体の痛みは、よく分からない。感覚が麻痺してんのか、それともこの血が全部返り血なのか。
……まぁいい。取り戻せたなら、それでいい。腰に吊った剣に触れると、抜いた痕跡は無い。
(……よかった……)
ほんの少しだけ、張り詰めていた息が抜ける。
自分でも、何をしたのかよく覚えてねぇ。
念の為、内ポケットに仕舞った指輪を取り出してみると――乳白色の石の表面に細い亀裂が走っていた。
「………………」
指先でなぞる。見間違いじゃない。
さっきまで無かった筈の亀裂が、石の端から中心へ向かって伸びていた。
(マジかよ……)
思わず指輪を握り締める。砕けてはいないし、ウィスプの気配も感じる。
魔装具としてはまだ使えるかもしれねぇ。けど――このまま放っておいていい状態じゃない事だけは分かった。
「……悪い。ウィスプ」
暗闇の中、そっと呟いて指輪を内ポケットへ仕舞う。……お前の事は、必ずなんとかする。
教会を出た頃には、足取りはもうまともじゃなかった。一歩踏み出す度に身体が重く沈み、視界の端が滲む。
「……まだ、帰れんだろ……」
誰に言うでもなく呟いて、ふらつく足を前へ出す。ネックレスだけは落とさない様、血に濡れた手で強く握り締めた。
どれだけ歩いたのか、もうよく分からない。
道を曲がった回数も、途中ですれ違った人間の顔も覚えてねぇ。ただ、宿へ戻る。それだけを考えていた。息をする度に胸が痛む。脚も重い。
頭の奥ではずっと鈍い痛みが響いている。……それでも。
「フィーに……渡さねぇと……」
それだけは、妙に鮮明だった。朦朧とする意識の中、ようやく宿の前まで辿り着き、扉へ手を掛ける。中へ入ると、まだ起きていたのか、フィーがこちらへ振り返った。
「ラルク……?」
その声を聞いた瞬間、張り詰めていたものが一気に切れていく。
「……フィー」
握っていた手を開き、血に濡れた掌の中に、取り戻したネックレスをフィーへ差し出すと、柔らかな手がそっと包み込んだ。
「ラルク……っ! 血が……! 今すぐ手当てします……!」
「――――」
何か言った気がするが、自分でも何を口にしたのか分からねぇ。
もう、立っていられなかった。視界が一気に暗転し、膝から力が抜ける。そのまま身体が前へ傾いた。
「ラルク‼」
最後に聞こえたのは、フィーの叫ぶ声だった。
第七章 白藍の灯火 完
第7章「白藍の灯火」までお読みいただき、ありがとうございました。
以下後書きコメントになります。
私が書いている『妖精』には、私の大好きな作品へのオマージュをたくさん散りばめています。
その中でも、作者にとってとても大切な作品であり、人生を変えるほどの影響を受けた作品が『聖剣伝説 LEGEND OF MANA』です。
ラルクさんのお名前をはじめ、精霊にまつわる要素や、今後物語の中核に関わってくる設定・展開にも、多くの影響とオマージュを込めています。
どの作品に影響を受けているのか、どこに何のオマージュが入っているのか――そのすべてをはっきり明記するつもりはありません。
ただ、物語を読み進めていく中で「あ、もしかして」
と気付いてくださる方が一人でもいれば、作者としてこれほど嬉しいことはありません。
また、7章に入り今回から魔装具が本格的に登場しましたが、実は作中に登場する宝石には、すべて実在する石のモデルがあります。
ただし、有名な宝石よりも、石に詳しい方なら「あ、これ知ってる!」となるような少しマニアックなものが多めです。
某漫画に登場した宝石でもありません。
本文では石の名前そのものは出さず、色合いや光り方、角度によって変わる見え方などを参考にして描写しています。
「この石、もしかして……?」と想像しながら読んでいただけたら嬉しいです。
また、次回のお話は少し特殊な章となりますので、楽しみにお待ちいただけたら幸いです。




