第27話:次元の海と、概念を消去する幾何学の番人
第27話:次元の海と、概念を消去する幾何学の番人
極彩色の光が奔流となって渦巻く、次元と次元の狭間。
あらゆる物理法則が意味を成さないその空間を、大日本の全存在を乗せた浮遊星砦『アヅチ・ノヴァ』と、五百隻の魔導鉄甲艦隊が、ミシミシと装甲を軋ませながら突き進んでいた。
「金柑! シールドの魔力位相、コンマ二秒遅れているぞ! 左舷の次元圧が臨界を超えそうだ!」
普段は無表情な佐吉ことイシオン(ハーフエルフ)が、目まぐるしく変化する魔導盤の数値に噛み付くように叫ぶ。彼の指先からは血が滲み、計算のしすぎで盤面から白煙が上がっていた。
「分かっています! ですが、この空間は一瞬ごとに『時間』や『重力』の定義自体が変異しているのです! 私の美学をもってしても、リアルタイムで術式を編み直すのは至難の業……ッ!」
金柑ことルーギス(ハイエルフ)もまた、額に脂汗を浮かべ、美しい金髪を振り乱しながら銀の杖を振るい続けていた。彼が展開する『多重次元断層シールド』の外側では、光と闇が混ざり合い、視線を向けるだけで精神が狂いそうな四次元の嵐が吹き荒れている。
「持ち堪えろ、天才ども! ここで結界が破れりゃ、あっしらは原子の塵どころか『最初から存在しなかったこと』になっちまうんだぞ!」
猿ことトックス(猿獣人)が、胃を押さえながら半泣きで叫ぶ。
だが、そんな阿鼻叫喚の艦橋にあって、ただ一人。
織田信長は、黄金の天主の玉座から身を乗り出し、狂気じみた四次元の嵐を、腹の底から楽しそうに見つめていた。
「フハハハハハ! 良いぞ、良い嵐だ! 俺たちを虫ケラのように飼っていた連中の庭先は、これほどまでに荒れ狂っているのか! これこそが未知、これこそが俺の征くべき道よ!」
その時。
アヅチ・ノヴァの先端が、分厚いゼリーのような空間の壁を「ブチィッ!」と強引に引き裂いた。
直後、極彩色の嵐が嘘のように消え去り、絶対的な『静寂』が訪れた。
無数の水槽が浮かぶ海
「……抜け、ました。次元の圧力、正常値で安定。……いえ、ここにはそもそも『圧力』という概念すら希薄です」
佐吉が荒い息を吐きながら、魔導盤から顔を上げた。
信長たちが飛び出した先。
そこは、果てしなく広がる「純白の虚無空間」であった。上下も左右もなく、ただ淡い真珠色の光で満たされた絶対的な空間。
だが、その空間のあちこちに、無数の『球体』がぽっかりと浮かんでいた。ある球体の中には銀河が渦巻き、ある球体の中には燃え盛る炎だけが満ち、また別の球体の中には見たこともない色彩の星々が瞬いている。
「クックッ……。これはまた、壮観な眺めですね」
劇薬の軍師・官兵衛が、杖をついてバルコニーへ歩み寄り、隻眼を細めた。
「あれらの一つ一つが、我々がいた第774実験宇宙と同じ『一つの宇宙』。まさに、神とやらが並べた水槽の陳列棚というわけですか」
「そして、あの水槽の外側……この場所こそが、上位次元の『観測者』たちのいる領域」
風の軍師・半兵衛も、穏やかな顔に静かな戦意を浮かべて扇を開いた。
「見ろ! 俺たちがいた水槽の跡地だぜ!」
ドワーフの五郎左が指さす先には、ひとつの「真っ白に濁った球体」があった。初期化プログラムによって完全に消去され、空っぽになった第774実験宇宙の残骸である。
間一髪。あと数秒遅ければ、信長たちもあの白い濁りの中に溶けて消滅していたのだ。
「……紙一重だったな。だが、生き残ったのは俺たちだ」
信長は漆黒のマントを翻し、果てしない水槽の海を見渡した。
「さて、俺たちという異物が水槽から飛び出してきたのだ。飼い主殿が、黙って見過ごすはずもなかろう?」
信長がそう口にした瞬間、純白の虚無空間に、無機質な「警告音」のような振動が響き渡った。
概念消去の幾何学兵器
『――異常事態検知。第774実験槽より、未知の特異点ウイルスが流出。これより、高次元免疫機構による【存在の消去】を実行する』
感情の一切こもっていない、システムそのものの声。
それと同時に、アヅチ・ノヴァの前方の空間が歪み、見たこともない形状の「敵」が現れた。
それは、巨大な戦艦でも、おぞましい魔獣でもなかった。
絶えず形を変え続ける「立方体」や「多面体」。あるいは、人間の目では構造を理解できない、三次元の枠を超えた奇妙な『幾何学模様の集合体』。それが数万の群れとなって、アヅチ・ノヴァを包囲したのである。
「なんだァ、ありゃ? ブロック遊びのおもちゃか?」
前衛艦隊の甲板で、虎が十文字槍を構えながら怪訝そうに首を傾げた。
「まあいい! 俺たちを殺しに来たなら、ぶっ壊すまでだ! 全砲門、開けェ!」
虎の号令で、天魔艦隊の一部が、幾何学の敵に向けて魔力旋風砲の一斉射撃を放った。
しかし。
「――なッ!?」
虎が目を見開いた。
放たれた無数の魔力弾は、敵の幾何学模様に「着弾」することなく、触れた瞬間にプツン、プツンと『最初から撃たれていなかったこと』のように消滅してしまったのだ。
『対象の攻撃ベクトルを削除。続いて、対象の存在確率を削除する』
幾何学の敵の一つが、奇妙な光の波を放った。
その波が、天魔艦隊の一隻(外縁部を護衛していた無人艦)を撫でた瞬間。
爆発は起きなかった。装甲が溶けることもなかった。
ただ、その船が「風景から切り取られた」ように、音もなくスッ……と消え去ったのである。残骸すら、チリ一つ残らない。
「ヒィィィッ!? ふ、船が一瞬で消えやがった!」
猿が天主で悲鳴を上げる。
「物理的な破壊ではありません!」
佐吉が戦慄の声を上げた。
「奴らは熱や衝撃で攻撃しているのではない。この空間の『ルール』そのものを書き換え、我々の兵器や船を【存在しないもの】としてコードを消去しているのです! 物理装甲も、魔力結界も、何の意味もありません!」
「チッ、理屈をこね回す陰湿な連中だぜ!」
権六が戦斧を構えるが、物理攻撃も通じず、触れられれば「消去」される敵に対し、かつてない焦燥感が軍全体を覆い始めた。
我による上書き
「慌てるな」
その絶対的な絶望の空間に、織田信長の低く、静かな声が響いた。
信長は、玉座からゆっくりと歩み出て、愛用の『鉄の火縄銃』を肩に担いだ。
「ヤツらがルールを書き換えて俺たちを『無かったこと』にするというのなら……ヤツらのルールごと、俺たちの『我』で上書きしてやるまでだ」
信長は、傍らに立つ二人の軍師を一瞥した。
「官兵衛、半兵衛。道を作れ。幾何学だろうが高次元だろうが、実体を持たせて殴り飛ばせるようにしてやれ」
「クックッ……御意に。ルールの上書き、我ら軍師の最も得意とする盤面です」
官兵衛が杖を空間に突き立てる。
「ヤツらが『概念』であるならば、こちらの『概念』をぶつければいい。半兵衛殿」
「ええ。『星の海を満たす、強固なる自我の防壁よ』」
半兵衛の風魔法と、官兵衛の呪術的演算が融合し、アヅチ・ノヴァから全艦隊に向けて不可視の「概念アンカー(固定陣)」が放たれた。
「武将ども! よく聞け!」
信長の声が、前衛で戸惑う武功派の面々に響く。
「ヤツらの消去に逆らうのは、装甲の分厚さではない! 貴様ら自身の『俺はここに存在する!』という、圧倒的で傲慢なまでの【意思の強さ】だ! 己の魂と野心を武器に乗せろ! そうすれば、幾何学のバケモノどもにも刃は届く!」
「……なるほどな。要するに、気合と根性でブン殴れってことか!」
市松が、獰猛な笑みを取り戻して大斧を振り上げた。
「俺は大日本の切り込み隊長、市松だァ! こんなワケの分からねェ空間で、消えてたまるかァァッ!」
市松が、概念アンカーの補助を受け、己の圧倒的な闘気を斧に込めて宇宙空間へ飛び出した。
敵の幾何学兵器が「消去」の波を放つが、市松の『絶対に退かない』という強烈な意思の光が、波を強引に相殺する。
「オラァァァァッ!!」
市松の大斧が、四次元の立方体に叩き込まれる。
ガギィィィィンッ!!
先ほどまではすり抜けていた敵の体が、市松の『概念攻撃』によって強引に三次元の物体として実体化させられ、そしてガラスのように粉々に砕け散った。
「ガハハハハ! 効くじゃねェか! 御館様の言う通りだぜ!」
「遅れをとるな! 俺の轟槌は、次元の壁ごとカチ割るぞ!」
平八郎が、全身から爆発的な魔力と闘気を噴出させ、無数の幾何学兵器を次々と実体化させては粉砕していく。
「ヒャッハー! あっしの築き上げた莫大な資産、テメェらなんぞの『デリート』で消されてたまるかァァッ!」
猿までもが、己の「強欲」という最強の我を弾丸に込め、天主から小型の火縄銃を乱射して敵を撃ち落とす。
「蘭丸」
「はッ」
信長の影から、森蘭丸が音もなく跳躍した。
「形なき番人どもよ。我が主君の往く道に、実体のない理屈など通用せぬ。貴様らが形を持たぬというのなら、私がその身に『死』という形を刻み込んでやる!」
蘭丸の愛刀『天叢雲』が、青白い業火を纏って一閃される。
彼が空間を薙ぎ払うと、その圧倒的な忠誠心と熱量によって、数百の幾何学兵器がまとめて三次元に固定され、次々と燃えカスとなって消滅していった。
ゼロポイント・アヅチ
「……他愛もない。高次元のシステムだか何だか知らんが、生きる執着を持たぬプログラムの刃など、俺たちには届かん」
信長は、愛銃の銃口を向け、生き残っていた最も巨大な多面体の敵のド真ん中を、圧倒的な覇気と共に撃ち抜いた。
パァァァァンッ!!
最後の一体が砕け散り、純白の空間に再び静寂が戻った。
物理法則を無視した高次元の免疫システムすらも、大日本の家臣団の「理不尽なまでの自我と野心」の前には、完全に無力化されたのである。
「ふぅ……なんとか、全滅させましたね。どうやら我々の『ウイルス』は、観測者の抗体より強力だったようです」
金柑が、優雅に額の汗を拭いながら微笑む。
「……だが、これはあくまで前哨戦だ」
信長は、火縄銃を肩に担ぎ直し、無限に広がる水槽の海を見渡した。
「ヤツらは俺たちを明確に『敵』と認識した。ここから先は、無数の宇宙を統べる観測者どもとの、文字通りの『次元を超えた総力戦』だ」
信長は、軍配を純白の空間の真下へと突き立てた。
「これより、この次元の狭間を【ゼロポイント・アヅチ】と命名する! ここを我らが大日本・多元宇宙帝国の橋頭堡とし、観測者どもの喉元に喰らいつくための足場とせよ!」
「「「おおおおおおおッッ!!!」」」
大日本の武将たちの勝鬨が、上位次元の虚無空間に初めて響き渡った。
神の飼育箱を飛び出し、ついに「観測者」たちと同じ土俵へと強引に這い上がってきた第六天魔王。
この純白の次元の海を、大日本の覇気と漆黒の色で染め上げるための、真の天下布武が今、その幕を開けたのである。
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