第五章:北を司る「静かなる玄武」
「陽菜、見てごらん。あのもみじの葉、月の光に透けて、まるで小さな赤い手が空を仰いでいるみたいだね」
おばあちゃんの嘉代子は、月光に照らされて深紅に輝く庭の景色を愛おしそうに眺めました。
秋の夜長は、知らず知らずのうちに足元から冷えが忍び寄ってきます。嘉代子は、少し温度を上げた熱いほうじ茶を陽菜の湯呑みに注ぎ足しました。
「さあ、内側から温まりなさい。胃腸が冷えると、体全体の巡りが悪くなってしまうからね。湯気でお鼻を温めながらお聞き」
陽菜は「ありがとう、おばあちゃん」と、香ばしい茶の香りを深く吸い込み、温かい湯呑みを両手で大切に包み込みました。
「ねぇ、四匹のボディーガードの中でも特に不思議な『カメとヘビが合体した神様』のこと、もっと詳しく聞かせて。どうしてあんなに動かずにじっとしているの?」
嘉代子は、夜空の真ん中で一際動かずに輝く北極星を見つめ、静かに語り始めました。
第五章:北を司る「静かなる玄武」
「そうだね、陽菜。北という方角は、昔の人にとってとても特別で、少しだけ『怖い』場所でもあったんだよ。太陽が沈んで、一番暗くて深い闇が広がる方角。
でもね、だからこそ、そこには一番強くて静かな守り神が必要だった。
それが『玄武』。
北極星の足元を守る、カメとヘビの姿をした神様だよ」
嘉代子は、ほうじ茶の湯気の向こう側に、太古の風景を描き出すようにゆっくりと指を動かしました。
「陽菜、『玄武』の『玄』という漢字は、どんな意味か知っているかい? これはね、単なる黒じゃないんだ。奥深くて、吸い込まれるような『玄』……つまり、光も届かない深い水の底や、宇宙の果てのような色を指しているんだよ。そして『武』は、強さ。鎧のような甲羅を持ったカメは、まさに北の闇を守る鉄壁の守護者だったんだね」
「でも、どうしてカメにヘビが巻き付いているの? 仲良しなのかな、それとも戦っているの?」
陽菜の素朴な疑問に、嘉代子はふふっと微笑みました。
「それはね、『静』と『動』、二つの力を一つにするためだと言われているよ。
カメはどっしりと動かず、何百年も生きる『長寿』と『安定』の象徴。
一方で、ヘビは脱皮を繰り返して新しい命に生まれ変わる『再生』の象徴。
この二つが一つになることで、北の冷たい水から新しい命が生まれてくる……そんな深い願いが込められているんだよ」
嘉代子は、自分の身体を少し丸めて、カメの甲羅のような仕草をしてみせました。
「昔の中国ではね、北は『冬』を司るとされていた。
植物が枯れて、動物が穴に隠れる静かな季節。
でも、土の下では次の春に向けて新しい命が準備されているだろう? その『静かなエネルギー』を守っているのが、この玄武なんだね。
だからね、玄武は派手に動き回ることはないけれど、誰よりも我慢強くて、一度決めたことは絶対に曲げない。
その『不動の安定感』が、のちに妙見さまという仏様の性格に引き継がれていくんだよ」
「へぇ……。だから、日本のお寺にある妙見さまも、カメに乗っていることが多いんだね」
「その通り。妙見さまが日本に伝わって、お侍さんや村の人たちに愛されるようになった時、彼らは妙見さまの足元に必ずと言っていいほどカメを描いたんだ。
中にはね、カメとヘビが合体した不思議な乗り物『亀蛇』の上に立っている妙見さまの像もあるんだよ。
それは、『私はこの宇宙の真ん中で、絶対に揺らぐことのない安定した力を持っているんですよ』というメッセージなんだね」
嘉代子は、手元の湯呑みを置き、陽菜の目をじっと見つめました。
「陽菜、外の世界がどんなに騒がしくても、自分の心の中にこの『静かなる玄武』のような、どっしりとした場所を持っておくんだよ。どんなに風が吹いても、嵐が来ても、カメの甲羅のように守られて、ヘビのように何度でも新しく生まれ変われる強さ……。それがあれば、君はどこへ行っても迷わずに済む。北極星が動かないのは、足元でこの玄武がしっかりと支えているからなのかもしれないね」
夜風が少し強まり、庭のもみじがザワザワと音を立てました。
陽菜は、夜空の深い「玄」の色の中に、静かにこちらを見守る巨大なカメと、その首に優しく寄り添うヘビの姿を、はっきりと見たような気がしました。
「おばあちゃん、なんだか少し、北の空が優しく見えてきたよ。……でもね、あんなに強そうな玄武さまが守っているお城の周りを、王様はどうやって見回っているの?」
「おや、いい質問だね。よし、次は北極星の周りをぐるぐると回る、王様の専用車のお話をしよう。……北斗七星の不思議な巡回の物語を始めようかね」
嘉代子の語りは、星空の秩序を守るための、より躍動的な旅の物語へと向かっていきました。
(第五章 完)




