第二章:五千年前の北極星「不動の釘」
「さあ陽菜、お茶をもう一杯いかがだい? 秋の夜長は、知らず知らずのうちに足元から冷えが昇ってくるからね。温かいほうじ茶で、内側をしっかり温めておきなさい」
おばあちゃんの嘉代子は、月光に照らされて深紅に輝くもみじの庭を眺めながら、急須から香ばしい茶を注ぎました。
縁側の外では、秋の虫たちが控えめながらも透き通った声で合奏しています。
陽菜は「ありがとう、おばあちゃん」と、もみじの影が落ちる古い木板に座り直し、温かい湯呑みを両手で包み込みました。
「ねぇ、空の国を支える『絶対に折れない柱』の話、もっと聞かせて。そんなにすごい柱があるの?」
「ふふ、そうだね。お話しした『天上の役所』も、立派な建物だろう? 建物にはね、何があっても動かない丈夫な『大黒柱』が必要なんだ。今夜はその、目には見えないけれど宇宙を支えている不思議な『釘』のお話をしようかね」
嘉代子は、しわの刻まれた指で、北極星の少し横、くねくねと曲がった龍の形をした星座——りゅう座のあたりを指し示しました。
第二章:五千年前の北極星「不動の釘」
「いいかい、陽菜。今、私たちが北極星と呼んでいるあの星は『ポラリス』という名前だけど、実は北極星というのは星固有の名前じゃなくて、『役割の名前』なんだよ。ちょうど、学校の『級長さん』みたいに、時代によって担当する星がバトンタッチしていくんだ」
「えっ! 星が交代するの? ずっと同じあの星が級長さんだと思ってた!」
「驚くよね。地球はね、独楽が止まりかける時に首を振るみたいに、長い時間をかけてゆーっくりと回転の軸をずらしているんだ。これを『歳差運動』というんだけどね。
だから、天の中心に見える星も、何千年も経つと入れ替わってしまうんだよ。今から五千年も昔、中国で文明が産声を上げ、人々が初めて空を熱心に眺め始めた頃、天のど真ん中で輝いていたのは、今の北極星じゃなくて、りゅう座の『トゥバン』という星だったんだ」
陽菜は、目を凝らしてその「昔の北極星」を探そうとしました。「トゥバン……。今の星より明るいの?」
「いいえ、実は今の北極星よりもずっと控えめな光なんだ。でもね、当時の人々にとっては、その星こそがこの世の何よりも尊い、たった一つの『不動の目印』だった。
中国の古い言葉では、この星を『右枢』……つまり、天の回転を支える右側の軸、と呼んでいたんだよ」
「右の軸……なんだか、宇宙を回す大きなハンドルの一部みたいだね」
「上手いことを言うね。でもね、昔の人たちはこの星をもっと力強い言葉で呼んでいたんだ。それが『天の釘(Nail of the Sky)』だよ」
「釘? あの、トンカチで打つ、大工さんが使う釘のこと?」
「そうだよ。想像してごらん、陽菜。真っ暗な夜空という大きな天幕を、神様が天のてっぺんで一本の黄金の釘でガチッ! と打ち付けた姿をね。その釘があるからこそ、空は落っこちてこないし、他の星たちもバラバラにならずに、あの中心の周りを決まった順番で回ることができる。彼らにとって北極星は、宇宙という巨大なテントを支える、最も頼りになる命綱のような釘だったんだ」
嘉代子は、縁側の床板を指でトントンと叩きながら続けました。
「古代の中国でもね、この『動かない一点』への信頼は絶大なものだったんだ。
どれほど地上で嵐が吹き荒れても、王様が入れ替わっても、あの星だけは釘を打たれたように一歩も動かない。その『不動の心』こそが、宇宙の正しい秩序の証だと考えられたんだね。だから地上の皇帝も、自分はその星の代理人なのだと言って、あの星を一番大切にしたんだよ」
陽菜は、自分の頭の上に広がる無限の夜空が、たった一本の「黄金の釘」によって支えられている光景を思い浮かべました。
「もしその釘が抜けちゃったら、このもみじのお庭も、おばあちゃんも私も、みんな空と一緒に落っこちちゃうんだね」
「ふふ、そうならないように、星たちはこうして何千年もバトンを繋いでくれているんだよ。
妙見さまが、亀の上に乗ってどっしりと動かずにいらっしゃるのも、この『天の釘』が持つ不動の心を受け継いでいるからなんだね。
たとえ五千年の月日が流れて、中心に座る星がトゥバンから今の北極星へ、そしてまた未来の別の星へと変わっていっても、
『宇宙の中心には決して揺らぐことのない聖なる軸がある』という安心感だけは、人間の歴史の中で一度も途切れたことはないんだ」
嘉代子は、空いた陽菜の湯呑みに、再び温かいほうじ茶を注ぎました。
「星は交代しても、そこに込められた『中心を敬う想い』は変わらない。
そんな不動の柱がしっかり立っているからこそ、天上の役所も、そしてこれから話す『お月さま』も、迷わずに夜空を渡っていくことができるんだよ」
陽菜は、夜空の真ん中で静かに輝く一点を見つめ、そこにある「見えない釘」の感触を、冷えた秋の空気の中で確かめてみました。
「おばあちゃん、宇宙の柱がどうして動かないのか、やっと分かった気がする。……さあ、その柱の周りをお月さまがどうやって旅するのか教えて!」
嘉代子は満足そうに微笑み、「よしよし、お待たせしたね」と頷きました。
「それじゃあ、お月さまが秋の夜空を毎日一つずつ訪ねていく、二十八個の不思議な宿場町……『二十八宿』のお話を始めようかね」
(第二章 完)




