創作と牢獄と陰謀2
ルリアが去ったあとの集会所は、黄色い悲鳴に包まれていた。
「ちょっとみんな、これ見てよ!!」
パン屋のベリーが、ルリアから預かった姿絵の束から、一枚の鉛筆画を高く掲げる。
それは、ルリアがうっかり紛れ込ませてしまった、あの布面の男と金色の馬の下書きラフだった。
「きゃああああーっ!? な、何これ、尊すぎない!?」
「顔が布で隠れてるの、ミステリアスで逆にエロティック……!」
「目元のこの鋭いライン、絶対、冷徹系な超絶美形よ! この細い体でこの大きな馬を御しているのね……!」
普通ならは身分の差で会話をすることもない大店の令嬢も、下町の平民娘も、この場では完全に平等だった。
ただ一つの『推せる』ラフ画を前に、目を血走らせて妄想を爆発させている。
ルリアが記憶の補足として描いただけの「布面」が、彼女たちのオタク心を限界突破させていた。
一方その頃。
がやがや亭に戻ったルリアは、開店準備の合間に、カウンターに座るカラクリ職人のジモンに話しかけていた。いつも月曜と木曜の昼より少し遅い時間に来る彼だが、今日は新しいネジの試作品ができたとかで、朝から嬉しそうにマーサの大雑把料理を突ついている。
「ねえ、ジモンさん。ちょっと聞きたいんだけどさ」
「ん? なんだい、ルリア。カラクリのことなら何でも聞いてくれよ」
「あのね、昨日、蹄の音がほとんど聞こえない不思議な馬を見たの。あと、集会所でも『音のしない馬車』の噂を聞いたんだけど……そんな不思議な道具、ジモンさんみたいな職人なら簡単に作れるものなの?」
ルリアとしては、ただの素朴な疑問だった。
しかし、ジモンは持っていたフォークをピタリと止め、急に真剣な顔になって声を潜めた。
「おいおい、ルリア。滅多なところでそんな話をするんじゃないよ。それは『消音馬具』のことだろ?」
「ショウオンバグ?」
「ああ。国のあらゆる超一流の技術者を動員して作られた、王室の最高機密だ。摩擦を極限まで無くす特殊な金属で加工が施されていてね。一般の職人が作ろうもんなら、国家反逆罪で一発で首が飛ぶ。……それがこの下町にあるってのかい?」
「……あ、ううん! ただの噂、噂! みんな妄想とか大好物だから!」
ルリアは慌てて笑顔で誤魔化した。
(ひえええ、テオが言ってた『一生冷たい牢獄』って、あながち嘘じゃなかったんだ……! やっぱりあの布面の男の絵、引き出しの奥に隠しておいて本当に良かったー!)
胸をなでおろすルリアだったが――自分の手元から、すでにその下書きの一枚が消えていることには、まだ気づいていなかった。
◇◇◇
その日の午後。
騎士団の詰所では、テオ(第3王子)の忠実な部下である精鋭騎士が、一枚の紙片を抱えて青い顔をしていた。
「で、殿下……! 大変なものが下町で出回っております!」
テオが、詰所の簡素な執務室で書類に目を通していると、部下が持ってきたその紙を受け取り――目を見開いた。
そこには、下町のファンクラブで「尊い!!」と涙ながらに崇め奉られ、またたく間に複製(模写)されて出回ってしまった、布で顔は隠れているが、紛れもなく馬上にいる第3王子の姿絵だ。
部下は震える声で報告を続ける。
「ファンクラブの女たちの間で、布面の男の妄想が大流行しております。さらに恐ろしいことに……本日午前、この絵の原作者である下町娘が、街のカラクリ職人に『消音馬具の製造ルート』について探りを入れていたとの情報が入りました!」
「なっ……!?」
テオの脳内に、恐ろしいパズルのピースがカチリとはまる。
(ルリア……! 俺の正体を見抜いているだけでなく、俺の消音馬の絵を街にばら撒いて包囲網を敷き、さらに技術者に接触して、消音馬具の製造ルートまで自力で突き止めようとしているのか!?)
(なんてやつだ……。下町娘の皮をかぶって何か企んでるのか?……ま、まさか領主を追っている俺の邪魔を……?)
テオの誤解は暴走し、引き返せない領域へと突入していく。
(確かめなければ……)
◇◇◇
その日の閉店後、ルリアはがやがや亭の裏口から外へ出た。
明日の仕込みに使う大根を、市場の倉庫まで引き取りに行くためだ。夜の冷気が下町の路地を包み込んでいる。
(うう、寒い寒い。早く行って帰って、あったかいお布団に入ろ……)
首をすくめて歩いていたルリアは、ふと、大通りから一本外れた倉庫街の暗がりに、見覚えのある輝きを捉えた。
月光を浴びて、うっすらと黄金色に光る長いたてがみ。――昨日見た、あの綺麗な馬だ。
(あ!あの馬……。ってことは、近くにあの布面の男の人が――)
ルリアが瞬間記憶の映像と照らし合わせようとしたその時、大きな荷馬車が闇の中から現れた。
驚くべきことに、その馬車は驚くほど静かだった。 蹄の音も、車輪の軋みも、まるで幽霊のように一切響かない。
(あ……ジモンさんが言ってた、王室の最高機密の……!)
ルリアが息を呑んだ瞬間、馬車の荷台の布がめくれ、中から猿ぐつわを噛まされた若い娘たちが数人、縄で縛られているのが見えた。馬車の横には、領主の紋章をつけた黒い外套の男たちが立っている。
「おい、早く積め込め! 騎士団の巡回が来る前に出すぞ!」
(人身売買……っ!?)
心臓がドクンと跳ねた。ルリアは慌てて物陰に隠れようとしたが、不運にも足元の木箱にぶつかり、ガタリと大きな音が響いてしまった。
「誰だっ!? ――おい、そこの女に見られた! 捕まえろ!」
「ひっ……!」
男たちが一斉に剣を抜き、ルリアへ向かって走ってくる。運動神経が最悪なルリアの足では、逃げ切れるはずもなかった。
(ひぇぇ!テオの特訓、受けておけば良かったー!!)
眼前に迫る刃。絶体絶命――その時。
ヒヒィーーーンッ!!
鋭いいななきと共に、闇を裂いて金色の馬が突っ込んできた。
馬上から鮮やかに手を伸ばし、男たちの剣を弾き飛ばしたのは――いつもがやがや亭でスープを啜っている、警備兵のテオだった。いや、その馬上での佇まいは完全に凛々しい騎士そのものだ。
「ルリア、手を掴め!」
「テ、テオ!?」
ルリアは反射的にその手を掴み、テオの強い力によって、ルリアの小柄な体はまるで羽毛のように軽々と宙を舞い一瞬で馬の上へと引き上げられた。
「くそっ、退くぞ!」
と黒い外套の男たちが馬車を急かして逃げていくのを横目に、テオは馬を反転させ、ルリアを乗せたまま猛スピードで駆け出した。
「ひゃああああっ!? 高い! 早い! 怖い!!」
初めて乗る馬の上。あまりの速度と揺れに、ルリアは完全にパニックになった。
「テオ! 前は遮るものがなくて怖い! お願いだから後ろと代わって!!」
「アホか! 前の方が俺の体で支えられるから安全なんだよ! 却下だ、しっかり掴まってろ!」
問答無用でテオの前に座らされ、ルリアは仕方なく、馬の首元に全力でしがみついた。
(ううう、死ぬ、落ちる……! ――って、ん?)
必死に目を瞑っていたルリアだったが、ふと、目の前で手綱を力強く握り締めているテオの腕に、視線が固まる。
普段のゆるい警備服のときには気づかなかったが、手綱をコントロールするために、服の上からでもはっきりと分かるほど、前腕の筋肉がガチガチに引き締まり、美しい筋を浮かび上がらせている。
(……細身だと思ってたけど、何この素晴らしい前腕筋……っ!!)
さっきまでの命の危機も恐怖も、ルリアの脳内から一瞬で消え去った。
その驚異的な瞬間記憶能力は、今やテオの腕の筋肉の陰影を、凄まじい解像度で脳裏に焼き付け始めていた。
(右の手首から肘にかけての、この絶妙なカッティング……! 線の細さと男らしい硬さが同居している……! ありがとう神様、馬に乗せてくれてありがとう……!!そして筋肉よ今日もありがとう……!!!)
一方その頃。
先ほど迄、馬の高さや駆け抜ける早さにビックリしていたものの、今は一切の怯えや、命を狙われたショックを感じさせないルリアの気配に、テオの脳は高速で状況を整理してゆく。
(……信じられん。人身売買の現場に出くわし、剣を向けられた直後だというのに、もう落ち着いている……。それどころか、俺の腕をじっと凝視してるぞ。まさか俺の馬術の癖をみているのか……!?ルリア……)
テオの心臓は、この底知れない下町娘への
なんらかの警告音と共にドクドクと激しく波打っていた。
凄い早さで勘違いという沼に、どんどんハマっていくテオ。
目の前の娘がただの「極上の腕筋をごちそうさまでした」と悦に浸っているだけだとは、夢にも思わずに。
テオは黒い外套の男たちを深追いせず、まずはルリアの安全を優先して、がやがや亭の裏口へと馬を走らせ、彼女を降ろした。
「ルリア、お前はここで隠れてろ。――俺は、騎士団を動かして奴らを捕らえてくる」
いつになく真剣な、王族としての冷徹さを帯びたテオの碧い瞳。
ルリアは、その圧倒的なオーラに気圧されながらも、今日見た「消音馬車」の光景を思い出し、親切心から口を開いた。
「テオ。さっきの馬車、荷台の布に二つの頭の鷲?みたいなマークが小さく刺繍されてたよ。あと、馬車の車輪の右後ろだけ、ちょっと泥除けが歪んでた。あの歪み方なら、南の街道のデコボコ道を通るときに、絶対に右側に傾いてガタつくはずだから、待ち伏せるなら南の街道がいいと思う!」
ルリアにとっては、単にさっき見た光景をもとに情報を言葉にしただけだった。
しかし、テオはその言葉を聞いた瞬間、雷に打たれたように硬直した。
(双頭の鷲……!?)
(領主の裏にいる、黒幕……王宮の裏切り者……? その、紋章を特定したというのか?)
(しかも、馬車の不具合から最高の伏撃地点までも提示してくるとは……)
「……わかった。助かる」
テオは押し殺した声でそれだけ言うと、金色の馬をひるがえし、夜の闇へと消えていった。
残されたルリアは、「テオ、やっぱりただの警備兵にしてはカッコよすぎるなー。よし、忘れないうちに今の前腕筋をスケッチしておこ!」と、やっぱり呑気に部屋へ戻っていくのだった。




