執務室にて
えーー!? そういうこと!!?
ある日、ルリアはテオの執務室で、とんでもない事に直面してしまった。
それは少し休憩しようかと洗濯物の空になった籠をかかえ、建物の隅にしゃがんだ瞬間、ローレンス夫人に声をかけられた事から始まった。
「地べたに座らない!!」
ローレンス夫人の声が、朝の爽やかな空気を切り裂く。
ひとしきりの小言をルリアに浴びせると、ローレンス夫人は少しスッキリしたのか、にこやかな笑顔で、とんでもない仕事をルリアにふってきた。
「ルリアさん、真似事でいいので今日は、坊ちゃ…… 殿下の執務の手伝いをしなさい。 文字は読み書きできるわよね?」
んん?んんんん???
文字の読み書きぐらいは出来るけど、殿下の手伝いってテオの仕事の手伝いでしょ?なんで私が!? そんな思いが、即座に断りの言葉を口から出させた。
「ローレンス夫人? 私、執務なんてできませんよ? 難しい事なんてわかりません!」
「わかってます。……ただ、坊ちゃんがね、あなたをメイドにした事で、だいぶ拗ね…… いえ、心労が溜まっているようなので、手伝いの真似事でいいから今日は執務室担当をして貰うわ。これは決定です!」
ローレンス夫人がピシャリと言い切るので、ルリアはこれ以上反論はできなかった。
すごすごと、案内されるがままテオバルトの執務室に入ると、そこには大量の資料に埋もれ、疲弊しきったテオがそこに居た。
「坊ちゃん、 ルリアを連れて参りましたよ」
「ん?ルリア? そうだよ、ルリアの事だよ! あの有能な力の持ち主を、掃除要員にするとかありえないだろ、は~ぁ、夫人の目は節穴すぎる!」
テオはルリアが来た事にも気づかずに、書類を睨みペンを握ったまま喋り続ける。
なんだか夫人の前でのテオが、子供のように見えて新鮮だ。
そんなテオがなんだか可愛く思えてきたので、ルリアは悪戯心を声にのせてテオを呼んだ。
「坊ちゃん、有能なわたくしが来ましたよ~」
「!!! ル、ルリア! いつから居たんだ!? というか、坊ちゃんはやめろ!!」
書類をバサバサっと床にばらまき、椅子から落ちそうになったテオは、耳だけじゃなく顔も赤くなっていた。
ルリアは、床にバラまかれた書類を広いあげ、これをどうしたら良いのか考えていると、ふと気になる物が目に入った。
同じ領主のサインが書かれた用紙だ。
「坊ちゃま、この領地報告書のサイン、たぶん偽物です。えっと~、これと、これと、これ。 この三枚のサインとこの一枚だけ線の角度が違います」
「は?」
(俺の追っていた横領や偽造の証拠をこの数秒で見つけたという事か?)
テオは目の前で、書類の束をペラペラめくり見ている、ルリアに思わず魅入ってしまった。
「他にもなにかおかしな部分あったら報告しますね」
ルリアは、ただ見ただけで、それを脳裏へ焼き付ける。その異質なほどの記憶力で、線のわずかな角度の違いを指摘した。
この瞬間記憶がルリアの特技であり、テオを驚愕させ続けている能力だ。
(坊ちゃんの、機嫌をなだめるのに連れて来ただけですのに……)
ローレンス夫人は、とんでもない娘を手元に置いてしまったのかと、にじみ出る汗をハンカチで拭った。
そのハンカチには、銀色の絹糸で月の刺繍が施されている。
美しい月の模様にルリアは手を止めた。
デイジー様のあの言葉が、頭を支配したからだ。
(月のように凛とした、美しいかた……)
ルリアは、すかさずローレンス夫人に目を向けた。
(年齢は30代中ごろ? キリッとした美人よね……。 まさか、テオ!?)
ルリアの頭の中は高速で動き出した。
(テオが、ローレンス夫人に見せる顔はなんだか特別な気がする!)
ルリアの動き出した思考は止まらない。
(テオが年上のかたを好きだとは知らなかったわ! まさか、がやがや亭に来てたのもマーサ目当て!?)
もはや、ルリアの頭の中は二人の関係の事でいっぱいだ。
書類を処理することも忘れている。
そのルリアの、コロコロ変わる表情を逃さず見つめ続けていたテオは、ただひたすらに不安になっていった。
(あいつ、あの顔、絶対とんでもないこと想像してるだろ…… )
ルリアの斜め上を行き切った想像に、テオが身を震わせるのは、まだ少し先のこと。




