浅層の日常、歩く枯れ木と超音波チェーンソー
昨日の「水路清掃」の特別報酬のおかげで、今朝の俺の財布にはまだ銀貨5枚(約5,000円)ほどの余裕があった。
宿の硬いベッドの上で、革袋の中でジャラリと鳴る硬貨の音を聞きながら、俺は少しだけ贅沢な悩みを抱えていた。
「今日は休みにしてもいいんだが……いや、この生活リズムを崩すとろくなことにならないな」
底辺生活の鉄則は、「金があるからといってサボらない」ことだ。一度怠け癖がつくと、あっという間に日銭が尽きて、また刃こぼれだらけの剣で命を削るハメになる。
俺はいつも通り薄汚れた革鎧を着込み、真新しい鉄剣を背負って迷宮へと向かった。
向かったのは、今までより少しだけ深い第5階層。
テンペストの迷宮は階層ごとに環境がガラリと変わる。第5階層は「深い森」を模したエリアだ。鬱蒼とした木々が生い茂り、土と腐葉土の匂いが立ち込めている。ASIの演算能力は恐ろしく、葉擦れの音から湿った空気の重さまで、本物の原生林そのものだ。
今日の狙いは、この階層に生息する「動く枯れ木」だった。
香木と振動ノコギリ
マイノートレントは、魔素を吸って動き出した木々の中でも、すでに枯れて乾燥している個体だ。
動きは遅く、攻撃手段も太い枝を振り回すだけの単調なものだが、とにかく「硬い」。十分に乾燥しきった魔物の木材は、半端な剣で斬りつければ刃が木目に食い込んで抜けなくなり、そのまま反撃を喰らってしまう。だから初心者からは敬遠されがちな相手だ。
だが、このマイノートレントが落とす「魔香木」は、テンペストの家具職人や、燻製肉を作る料理人たちからそこそこの値段で買い取ってもらえる。
森の中を歩くこと小一時間。
ガサガサと不自然に揺れる茂みの中から、大人の背丈ほどの朽ち木が、根っこを足のように蠢かせて現れた。
「ギシィ……ッ、ギギ……ッ」
木の軋むような不気味な音を立てて、マイノートレントが太い枝を振りかぶる。
俺は慌てず背中から鉄剣を抜き放ち、スキルを念じた。
「起動――『振動者』」
キィィィィン……!
微細な高周波を上げる剣を構え、俺はトレントの懐へと飛び込んだ。
振り下ろされた丸太のような枝をスレスレで躱し、無防備な胴体へと剣を叩き込む。
だが、今回は「斬る」のではない。
「そのまま、押し切るッ!」
剣の腹を両手で強く押し当て、振動のストロークをわずかに大きく設定する。
それはもはや「刃物」というより、超高速で刃が往復する**「チェーンソー」や「電動ノコギリ」**の原理だった。
ギュイィィィィンッ!!
激しい振動音とともに、鉄剣が分厚い樹皮を削り、内部の硬い木目へと猛烈な勢いで食い込んでいく。
細かいおがくずが大量に宙に舞い、摩擦熱によって芳醇な木の香りが周囲に弾けた。普通の剣なら刃が挟まって動けなくなるような密度のある木材も、超音波で自ら道を切り拓くこの剣の前では意味をなさない。
「ギ、ギギッ……!?」
マイノートレントが痛覚(?)のような反応を示して暴れようとするが、それよりも早く、振動剣は胴体を真っ二つに「挽き切った」。
ズズンッ、と重い音を立てて倒れた枯れ木は、やがて光の粒子となって消滅し、後には乾燥した上質な「魔香木」の丸太がコロンと残された。
「ふぅ……よし。木目の詰まり具合も最高だな」
舞い散ったおがくずを払いながら、俺は香木を麻袋に押し込んだ。
剣の刀身を確認するが、摩擦で少し熱を持っているものの、刃こぼれはない。やはり「斬る」のではなく「削り切る」使い方なら、安物の鉄剣でも十分に長持ちする。
その後、同じように3体のマイノートレントを「伐採」し、麻袋がズッシリと重くなったところで、俺は第5階層を後にした。
職人街と、燻製の香り
テンペストの地上へ戻り、俺が向かったのは冒険者ギルドではなく、職人街にある「燻製小屋」だった。
ここでは、豚型や鳥型の魔物の肉を、様々な香木で燻して保存食を作っている。小屋の主であるオークの職人は、俺の顔を見るなり鼻をひくひくと動かした。
「おう、レン! いい匂いをさせてるじゃねえか。マイノートレントの香木だな?」
「ああ、上物を4本だ。買い取ってくれるか?」
「もちろんだ! こいつで燻した肉は、香りが深くて冒険者の携帯食に大人気なんだよ」
職人の親父はポンと銀貨4枚(約4,000円)を俺の手のひらに乗せてくれた。
ギルドを通さずに直接職人に卸すことで、中間マージンを省いて少しだけ色をつけてもらえる。底辺を長くやっていると、こういう街のNPCたちとの独自のコネクションが出来上がってくるのだ。
「ありがとよ。……そうだ親父、せっかくだから、その香木で作った『燻製肉』と『スモークチーズ』を少し分けてくれないか」
「おう、今日の稼ぎで一番美味えやつを見繕ってやるよ!」
銅貨数枚(数百円)と引き換えに、茶色く色づいた燻製肉とチーズの包みを受け取る。
袋からは、たまらなく食欲をそそる香ばしい匂いが漂ってきた。
広場のベンチと、ささやかな晩酌
夕暮れ時。
俺は酒場には入らず、大通りの屋台でエールを一杯だけ買い、広場の隅にあるお気に入りのベンチに腰を下ろした。
ここなら、風に吹かれながら沈みゆく夕日を独り占めできる。
包みを開け、スモークチーズを一口かじる。
パリッとした表面の直後、中からトロリとした濃厚なチーズの旨味が溢れ出した。そして鼻に抜けるのは、今日俺自身が迷宮で切り倒してきた、あのマイノートレントの芳醇な木の香りだ。
「……最高だな、こりゃ」
エールで喉を潤し、今度は燻製肉をかじる。
自分が汗をかいて(そして剣を振動させて)獲ってきた素材が、街の職人の手によって極上の食べ物に変わり、また自分の腹に収まる。
この完璧にデザインされた仮想世界の経済圏の中で、俺という小さな歯車が確かに回っている実感が、そこにはあった。
下層のボスが落とす「世界を滅ぼす魔剣」なんていらない。
俺の剣は、明日も生きるための日銭と、この美味い燻製肉の香りのために振動するのだ。
茜色の空に一番星が輝き始めたテンペストの広場で、俺はエールの入った木製カップを、誰にともなく軽く掲げた。




