浅層の日常、石灰スライムと超音波洗浄
通貨の換算レート(目安)
銅貨1枚:約 100円
銀貨1枚:約 1,000円 (銅貨10枚分)
金貨1枚:約 10,000円 (銀貨10枚分 / ※底辺の主人公には縁のないお金)
「うーん……今日はどれにするかな」
いつものように冒険者ギルドの掲示板前に立った俺は、木札に書かれた依頼書を吟味していた。
日給3,000円(銀貨3枚)ほどの稼ぎで満足する俺だが、毎日同じ魔物ばかり狩っていると、AIの生態系シミュレートによってドロップ率や出現率が微変動することがある。要は「狩りすぎると一時的に不味くなる」のだ。
視線を掲示板の隅、「雑用・下請け」のコーナーへ移すと、一枚の古びた依頼書が目に留まった。
『第1階層・第3水路の詰まり解消。報酬:銀貨5枚』
「おっ、銀貨5枚(約5,000円)。第1階層にしちゃあ破格だな」
「レンさん、その依頼を受けるんですか?」
受付嬢のNPCが、少し心配そうな顔で声をかけてきた。
「ああ。でも、なんでこんなに報酬が高いんだ? 第1階層なら、新米冒険者でもすぐ終わりそうなもんだが」
「それが……詰まりの原因が『石灰スライム』なんです。水路の壁面に完全にへばりついて石化していまして。魔法やハンマーで力任せに壊そうとすると、水路の壁ごと崩落してしまう恐れがあるんです」
なるほど。テンペストの地下迷宮は、街のインフラとも密接に関わっている。水路を壊せば街の生活用水に影響が出るため、上位の冒険者が強力な魔法でドカンと吹き飛ばすわけにはいかないのだ。
かといって、チマチマと削り落とすのは途方もない労力がかかる。だから誰もやりたがらず、報酬が吊り上がっていたというわけか。
「ピッタリだ。俺がやってくるよ」
「本当ですか? 助かります! 水路を傷つけないよう、どうか気をつけてくださいね」
受付嬢の笑顔に見送られ、俺は迷宮の入り口へと向かった。
第1階層、水路の清掃作業
第1階層は、テンペストの地下に広がる美しい石造りの回廊だ。
魔物は最弱の通常スライムや巨大ネズミくらいしか出ないが、その代わりに迷宮を維持するための様々なギミックや水路が張り巡らされている。
依頼書にあった第3水路へ到着すると、膝下くらいまである冷たい水の中に、そいつは陣取っていた。
石灰スライム。通常のスライムが水中のミネラル成分を過剰に吸収し、自らをコンクリートのように硬質化させてしまった変異種だ。水路の排水口を塞ぐように、丸く白っぽい塊となってガッチリと固着している。
「こりゃあ確かに、素人が叩けば壁のレンガごと割れるな」
俺は水の中に入り、腰の予備ダガーを引き抜いた。
今回必要なのは、剣のような「切断力」ではない。医療現場や工業用の清掃で使われる技術――「超音波洗浄」と「超音波スケーラー(歯石取り)」の応用だ。
「起動――『振動者』」
キィィィィン……!
刃の振動を、極小の振幅と超高周波に設定する。
水に浸かったダガーの刃先から、目に見えない無数の気泡が白く発生し始めた。超音波によって水中に真空の気泡が生まれ、それが弾ける際の衝撃波で汚れや付着物を破壊する現象だ。
俺はそのまま、振動するダガーの刃を、石灰スライムとレンガの壁の「境目」にそっと沿わせた。
ビビビビビビッ……!
刃先が触れた瞬間、コンクリートのようにへばりついていた石灰質の外殻が、微細な振動と気泡の破裂によってボロボロと粉状に崩れ落ち始めた。
壁のレンガには一切の傷をつけず、付着した石灰スライムの接着面だけをピンポイントで粉砕していく。
「よしよし、いいぞ。まるで巨大な歯石取りだな」
冷たい水の中で地道な作業を続けること数十分。
接着面を完全に失った石灰スライムは、自重に耐えきれずに「ゴロンッ」と水路の底へ転がり落ちた。同時に、せき止められていた水が勢いよく排水口へと流れ込み始める。
水路の壁は、傷一つなくピカピカに清掃されていた。
「さて、あとはトドメを刺すだけだが……」
転がった石灰スライムは硬い殻に覆われているため、普通の剣では刃が立たない。だが、俺は振動の出力を「粉砕」に切り替え、一番装甲の薄い部分へダガーを押し当てた。
ガリガリガリッ! と石を削る音の直後、中心にある魔石が破壊され、スライムは光の粒子となって消えた。
あとに残されたのは、換金アイテムの「高純度の石灰粉」だ。これも錬金術の素材や、建築材料として売れる。
「銀貨5枚(5,000円)の依頼報酬に加えて、副産物のドロップ品つき。今日は最高の稼ぎになりそうだ」
ずぶ濡れになったズボンを絞りながら、俺はホクホク顔で第1階層を後にした。
テンペスト大浴場と、冷えたフルーツ牛乳
ギルドで依頼達成の報告とドロップ品の換金を済ませると、今日の稼ぎは合計で銀貨7枚(約7,000円)にもなった。
底辺冒険者にとっては、ちょっとしたボーナス日だ。
となれば、向かう場所は一つしかない。
「ふぁぁぁ……極楽だ……」
テンペスト名物、大衆向けの大浴場。
広々とした岩風呂に肩まで浸かり、俺は迷宮の冷たい水で冷え切った体をゆっくりと温めていた。
ASIが演算する「湯の温度」「肌に触れる水圧」「立ち上る湯気と硫黄の香り」。そのすべてが、現実世界のリゾート温泉と遜色ない、いや、それ以上に完璧なリラクゼーションを提供してくれる。
周囲では、オークやホブゴブリンのNPCたちが、豪快に湯を浴びながら談笑している。
誰も彼もが平和を享受し、明日を疑うことなく生きている。この大浴場は、リムル様が作り上げたユートピアを最も象徴する場所の一つだ。
「よし、そろそろ上がるか」
しっかりと芯まで温まった体をタオルで拭き、脱衣所のベンチに腰を下ろす。
そして、今日多めに稼いだお金でちょっとした贅沢をすることにした。大浴場の売店で売られている、「魔牛のフルーツ牛乳」だ。銅貨2枚(約200円)。
腰に手を当てて、キンキンに冷えたガラス瓶を一気に傾ける。
「んぐっ、んぐっ……ぷはぁっ!」
濃厚なミルクのコクと、爽やかな果実の甘みが、火照った体に染み渡っていく。
思わず漏れた至福の吐息。
派手な魔法バトルも、国を動かすような謀略も、俺の人生には必要ない。
下水掃除のような泥臭い仕事でも、自分の小さなスキルを駆使してやり遂げ、その報酬で風呂に入り、冷えた牛乳を飲む。
この平和すぎる完璧な仮想世界で、日給数千円の底辺生活を噛み締めること。
それこそが、俺にとっての何よりの「至高のゲーム体験」だった。




