浅層の日常、地中の黒ダイヤと超音波ソナー
テンペストの朝は、しとしとと降る雨の音で幕を開けた。
窓を開けると、石畳を濡らす雨の匂いと、少しひんやりとした空気が流れ込んでくる。ASIが演算する天候シミュレーションは、雨粒の落ちる不規則なリズムから、水溜まりにできる波紋の広がり方まで、一切の不自然さがない。
「今日は外での依頼はパスだな。迷宮の中なら天気は関係ないし」
硬いパンをかじりながら、俺は今日のシノギに思いを巡らせた。
雨の日は、地上の依頼が減るため浅層の迷宮が少し混み合う。魔物の奪い合い(といってもNPCの同業者たちだが)を避けるため、今日は戦闘をメインに据えない「探索」で日銭を稼ぐことにした。
向かったのは、第4階層。洞窟蜘蛛がうろつく湿った洞窟エリアだが、今日の目的は蜘蛛のケツを追いかけることではない。
狙うのは、湿った土の地中深くに眠る**「迷宮松露」**――いわゆる、ダンジョントリュフだ。
泥と振動、即席の地中レーダー
迷宮松露は、高級料理店や貴族階級のNPCに高値で売れる「黒いダイヤ」だ。
だが、完全に地中に埋まっているため目視では発見できない。普通の上位冒険者なら、高価な「探知魔法」のスクロールを使うか、テイマーが使役する嗅覚の鋭い魔犬を連れてきて掘り起こさせる。
魔法も使えず、犬に食わせるエサ代すらない底辺冒険者の俺には、どちらも縁のない話だ。
しかし、俺にはやっぱり「これ」がある。
「さて、この辺りの土が怪しいな」
蜘蛛の巣を避けながら、少し開けた土の広場に出た俺は、腰の予備ダガーを引き抜き、地面に深く突き立てた。
「起動――『振動者』」
ただし、今回は刃を高速で震わせる「切断」モードではない。
振動の振幅を大きくし、周波数を極端に低く設定する。目に見えるほどのゆっくりとした、しかし力強い振動を、ダガーを通じて地中へと送り込むのだ。
ズン……ズン……ズン……
一定の間隔で、地面に振動波を放つ。
そして俺は、ダガーの柄に耳を押し当て、手のひらと鼓膜に返ってくる「反響」に全神経を集中させた。超音波による地中探査レーダー(ソナー)の原理だ。
土だけが詰まっている場所なら、振動は真っ直ぐに吸収されていく。
岩が埋まっていれば、硬く鋭い反響が返ってくる。
そして、もし地中に「松露」のような中空でスポンジ状の塊があれば――振動波はそこで乱れ、独特の柔らかい反響をダガーの柄に伝えてくるはずだ。
「……ハズレか。次だ」
ダガーを抜き、数メートル歩いては再び地面に突き立ててパルスを打つ。
地味で根気のいる作業だ。だが、誰も思いつかない俺だけの「異能の無駄遣い」をしているこの瞬間が、たまらなく好きだった。
数十分ほど探査を続けていると、柄から伝わる反響に、微かな「歪み」を感じ取った。
「……おっ? ここ、土の下数十センチのところに、何か丸くて柔らかいものがあるぞ」
ビンゴだ。
俺が小さなシャベルを取り出し、慎重に土を掘り起こそうとした、その時だった。
「ボシュッ!」という音とともに、目の前の地面が突然盛り上がり、茶色い粘液にまみれた巨大なミミズ――「泥ミミズ(マッドワーム)」が鎌首をもたげた。
「げっ、外れクジ(魔物)も埋まってたか!」
泥ミミズは第4階層の厄介なトラップモンスターだ。地中から不意打ちを仕掛け、冒険者の足に巻きついて地中に引きずり込もうとする。
ミミズの口がガバッと開き、俺の足を飲み込もうと襲いかかってきた。
だが、俺のダガーはまだ地面に刺さったままだ。
「起動――出力最大、高周波ッ!」
ビィィィィィィンッ!!!
ダガーから放たれる振動を、低周波のパルスから、地面を微細に震わせる超高周波へと一気に切り替える。
するとどうなるか。水分を多分に含んだ洞窟の泥土に、強烈な振動が加わることで、ある物理現象が引き起こされる。
**「液状化現象」**だ。
「ギュボォッ!?」
さっきまで硬かった地面が、振動によって突如としてドロドロの液体のように崩れ落ちる。
足場(土)の抵抗を失った泥ミミズは、自らが掘った穴の中でズルズルと溺れるように沈み込み、完全に身動きが取れなくなった。
「悪いな、俺のソナーの邪魔をした罰だ」
俺は背中から真新しい鉄剣を引き抜き、泥の中で藻掻くミミズの急所へ容赦なく突き立てた。
断末魔とともにミミズはポリゴンとなって消え去り、地面の振動を止めると、液状化していた泥は再び元の硬い土へと戻った。
「さて、お宝発掘の続きといくか」
安全を確保した俺は、シャベルで慎重に土を掘り進めた。
やがて、ゴツゴツとした黒い塊が顔を出す。土を払うと、脳髄を直撃するような強烈で芳醇な香りが鼻腔をくすぐった。
「よし、迷宮松露だ。しかも結構デカいぞ」
傷をつけないように布で包み、俺はガッツポーズをした。
今日の日給は、これで十分にクリアだ。
安酒場と、不釣り合いな高級食材
夕方。雨上がりのテンペストの街は、夕日に照らされて石畳がキラキラと輝いていた。
俺は迷宮松露をギルドの換金所には持っていかず、真っ直ぐに行きつけの安酒場へと向かった。
「よお親父! 今日はすげぇお宝を持ってきたぜ!」
「おお、レンか。お宝って、底辺のお前がまたどうせ……」
カウンターに座り、布に包んだ迷宮松露をコロンと転がす。
オークの親父は、それを見た瞬間、目玉が飛び出るかというほど驚愕した顔を作った。AIの表情モデリングの豊かさに思わず笑いそうになる。
「お、おい! こりゃあ『迷宮松露』じゃねえか! しかも特大だ! 高級店に卸せば金貨1枚(約10万円)は下らねえ代物だぞ! どうしたんだこれ!」
「ちょっとした地中探知の裏技を使ってな。親父、こいつを買い取ってくれないか? さすがに金貨は払えないだろうから、銀貨10枚(約1万円)と……今日の夕飯をこいつで作ってくれるなら、それで手を打つよ」
親父はゴクリと唾を飲み込んだ。料理人としてのAIの探求心が、完全に理性を上回ったらしい。
「……よし、乗った! 銀貨10枚ならギリギリうちの金庫でも払える。お前、絶対に他の店に持ってくなよ! すぐに極上のメシを作ってやるからな!」
親父は鼻息を荒くして厨房へと消えていった。
やがて運ばれてきたのは、平民が食べるような分厚いベーコンと卵の「田舎風オムレツ」だった。だが、その上には、削りたての迷宮松露がこれでもかと贅沢にかけられている。
「さあ、食ってみろ。安酒場のメニューに高級食材をぶち込んだ、俺の特製だ!」
フォークでオムレツを切り分け、口に運ぶ。
卵の素朴な甘みとベーコンの塩気を、松露の強烈で官能的な香りが一気に包み込み、まったく別の次元の料理へと昇華させている。噛み締めるたびに、森の奥深くの静寂な香りが鼻に抜けた。
「……笑っちゃうくらい美味えな、これ」
「だろ? だが、エールにはちょっと合わねえな。今日は特別に、俺の秘蔵のワインを一杯奢ってやるよ」
木製のカップに注がれた赤ワインを傾けながら、オムレツを味わう。
銀貨10枚の臨時収入。いつもより少しだけ分厚い革袋の重み。そして、親父の嬉しそうな顔。
魔法で世界を救うこともない。誰かに称賛されることもない。
ただ地面を震わせてキノコを掘り当て、顔馴染みの店で美味い飯を食う。
「悪くない。……いや、最高の一日だな」
グラスの中で揺れる赤いワインの向こう側で、仮想世界の夜が静かに更けていった。




