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浅層の日常、発光苔と真新しい剣の音

翌朝。昨晩の夕食で少し贅沢をしたことと、新しい剣への出費が重なり、俺の財布は再び心許ない軽さに戻っていた。

冒険者たるもの、常に不測の事態に備えておく必要がある。今日はおとなしく、リスクを極限まで抑えた「確実な日銭稼ぎ」に徹することにした。

向かったのは、迷宮の第2階層。

第3、第4階層に比べれば魔物の脅威は格段に下がるが、その分ドロップ品の単価も安い。だが、この階層には魔物討伐とは別の、地味だが確実な収入源があった。

「よし、こんなもんかな」

薄暗い洞窟の壁面に群生する「ヒカリゴケ」を、専用の小さなヘラで丁寧に削り取り、ビンに詰めていく。

この苔は、初級の回復薬や暗闇を照らすランタンの素材として、錬金術師ギルドが常に一定の価格で買い取ってくれる。戦闘のリスクが少ない代わりに、ひたすら壁と向き合うだけの単調な労働だ。

上位の冒険者たちは見向きもしない作業だが、俺のような底辺にとっては、剣の消耗を防ぎつつ日銭を稼げる重要なシノギである。

静寂の中、岩肌から滴る水滴が水たまりに落ちる「ピチャン」という音が響く。

ただの背景にすぎない水滴ひとつとっても、ASIが演算する流体力学と環境音のシミュレーションは完璧だ。冷ややかな洞窟の空気と、湿った土の匂い。この箱庭は、どこまでも精緻で美しい。

苔をあらかた採取し終え、ビンを麻袋にしまったその時だった。

「キィィィッ!」

頭上の鍾乳石の影から、不快な羽音とともに黒い影が急降下してきた。

ジャイアントバット。大人の胴体ほどもある巨大なコウモリだ。暗闇に紛れて奇襲をかけ、鋭い牙で冒険者の血を吸う第2階層の厄介者である。

「おっと、お出ましだな」

俺は慌てることなく、昨日ドワーフの親父から買ったばかりの真新しい鉄剣を引き抜いた。

「起動――『振動者(バイブレーション)』」

キィィィィン……!

微細な振動音が、薄暗い洞窟内に反響する。

昨日までの刃こぼれだらけの剣とは違う。金属疲労のない、無垢で均質な鉄の刀身が奏でる振動音は、不純物がなく極めて澄んでいた。手に伝わってくる痺れも、どこか滑らかに感じる。

俺は姿勢を低くし、滑空してくるジャイアントバットの軌道を見極めた。

「そこだッ!」

下からすくい上げるように、振動する剣を一閃する。

硬い甲殻を持たないジャイアントバットの肉体など、超音波カッターと化したこの剣の前では、文字通り濡れた紙のようなものだ。

ズバァッ!

「ギィッ!?」

皮膜の張った右翼が、根元から綺麗な断面を見せて切断される。

バランスを崩して床に墜落し、もがくコウモリの急所へ、俺は容赦なく剣を突き立てた。光の粒子となって消え去る魔物。後には、換金アイテムである「巨大な牙」と「コウモリの皮膜」が残された。

「……おお、やっぱり新品は切れ味が違うな。振動の伝わり方が素直だ」

剣の出来に満足しながら、ドロップ品を拾い上げる。

この分なら、無理な使い方さえしなければ、しばらくはこの剣一本で食いつないでいけそうだ。

誰もいない安全地帯(セーフエリア)にて

少し歩き、魔物が出現しないように設定された小さな安全地帯の泉で休憩をとることにした。

腰に下げていた革の水袋に冷たい湧き水を汲み、喉を潤す。

ふと通路の奥に目をやると、駆け出しの装備に身を包んだ3人組のNPCパーティーが、キャーキャーと声を上げながらスライムを追いかけているのが見えた。

彼らのAIには「新米冒険者としての成長プロセス」が組み込まれており、失敗を繰り返しながら少しずつ連携を学んでいくように設計されているのだろう。

「頑張れよ、未来の英雄さんたち」

俺は誰に聞こえるでもなく、小さく呟いた。

プレイヤーは俺一人。世界を救う大義も、トップ層に上り詰める焦燥感もない。ただ、AIたちが織りなす完璧な日常風景の一部として、泥臭く今日を生きるだけ。

それが、どれほど贅沢で心地よいことか。

「さて、苔も集まったし、コウモリの皮膜も数枚手に入った。今日のノルマは達成だな」

麻袋の重みを確かめ、俺は立ち上がる。

時刻はまだ昼過ぎ。今日は早めにギルドで換金を済ませて、陽の当たる広場のベンチで昼寝でもしよう。

浅層をうろつく底辺冒険者の穏やかな一日は、こうしてまた静かに流れていくのだった。


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