浅層の日常、折れた鉄剣とドワーフのシチュー
目標の3匹目を追い詰め、薄暗い迷宮の壁際で相対したとき、危惧していた事態はあっさりと現実になった。
「シャアァァッ!」
「っと、これで終わりだ!」
跳躍して襲いかかってくるケイブスパイダーの毒牙を掻い潜り、腹部を下から切り裂こうと『振動者』を発動した鉄剣を振り抜く。
だが、金属疲労が限界に達していた安物の刀身は、魔物の分厚い外殻に触れた瞬間、甲高い悲鳴を上げて砕け散った。
パキィィィンッ!
「うおっ!?」
超振動の反動で破片が散弾のように飛び散り、俺の頬を薄く切り裂く。ASIが精密に演算した痛覚設定が、チリッとした熱さを脳に伝えてきた。
致命傷には至らなかったものの、スパイダーの息の根を止めるには浅い。怒り狂った八つの複眼が俺を睨みつけ、再び粘糸を吐き出そうと顎を開く。
「くそっ、やっぱりもたなかったか!」
俺は反射的に折れた剣の柄を投げつけ、怯んだ隙に腰の裏に帯びていた予備の鉄の短剣を引き抜いた。リーチは短いが、やるしかない。
「起動――『振動者』!」
キィィィィン、と今度は短い刃が微小な音を立てる。
突進してくるスパイダーの懐に文字通り泥臭く潜り込み、振動するダガーを柔らかい喉元へ全力で突き立てた。
ドスッ、という鈍い感触とともに、スパイダーはビクンと大きく跳ね、やがて光の粒子となって消えていった。
「……はぁ、はぁ……。危ねえところだった」
床に転がった毒腺と魔素結晶を拾い集めながら、俺は大きく息を吐き出した。
頬の傷は、持参していた最下級の回復薬を少し振りかければすぐに塞がる程度だ。だが、商売道具であるメイン武器を失ったのは痛い。
職人街の武具屋にて
迷宮を後にした俺は、ギルドの換金所を経由して、そのままテンペストの職人街の端にある小さな武具屋へと向かった。
店番をしているのは、筋骨隆々だが少し年老いたドワーフのNPCだ。
「親父、また剣がイカれちまった。いつものやつ、一本頼む」
「お前さん、またあの無茶な使い方をしたんだな。いくら安物でも、そんなにすぐ壊されちゃあ剣が可哀想だぜ」
AIが生成する小言と呆れ顔は、まるで本当にそこに魂があるかのように自然だ。
カウンターに銀貨を数枚並べると、親父は奥から、真新しいが装飾の一切ない、実用性だけの「なまくらな鉄剣」を無造作にドンと置いてくれた。
「毎度あり。……金が貯まったら、せめて鋼の剣にしな。少しは長持ちするぞ」
「わかってるよ。でも、今はこれで十分なんだ」
新しい剣の重みを確かめ、背中の鞘に収める。
今日の稼ぎの半分が飛んでしまったが、これでまた明日から日銭を稼げる。この自転車操業こそが、下層の宝に目が眩まないための俺なりのストッパーでもあった。
偽りのない美味
すっかり夜の帳が下りたテンペストの街。
魔石灯の柔らかな光が街路を照らす中、俺は昨日も訪れた大衆酒場の暖簾をくぐった。
「親父、エール! それと、今日はドワーフ風の煮込みを頼む!」
「おう、今日は少し奮発するじゃねえか! ちょっと待ってな!」
木のジョッキになみなみと注がれた冷たいエールを呷る。麦の香りと苦味が、乾いた喉を潤していく。
やがて運ばれてきたのは、ゴツゴツとした根菜と、ホロホロになるまで煮込まれたオーク肉のシチューだった。濃厚な香辛料の匂いが食欲を激しく刺激する。
木のスプーンで一口すくい、口に運ぶ。
熱々のシチューの旨味がじんわりと広がり、迷宮で冷えた体を芯から温めてくれた。
「……美味え」
ASIが完璧にシミュレートした味覚のデータ。だが、それが電子の海で作られた偽物であろうと構わない。
頬の痛みも、筋肉の疲労も、そしてこの飯の美味さも、今の俺にとっては紛れもない「現実」だ。
誰も傷つかない、世界を救う義務もない平和な仮想世界。
俺は英雄たちが築き上げたこの理想郷の片隅で、明日もまた、薄暗い迷宮の浅層へ潜るのだ。超音波を上げるなまくら剣を相棒にして。




