陽だまりの広場と、ささやかな贅沢
迷宮の転移陣を抜け、地上へ戻ると、テンペストの街は眩しいほどの陽光に包まれていた。
ASIが演算する仮想の太陽は、強すぎず弱すぎず、肌に心地よい暖かさを提供してくれる。見上げれば雲一つない青空が広がり、遠くには霊峰がおぼろげに霞んで見えた。
冒険者ギルドの換金所に顔を出すと、受付嬢が目を丸くして出迎えた。
「あら、レンさん。今日は随分とお早いお帰りですね」
「ああ。ヒカリゴケの群生ポイントを運良く見つけてね。今日はもう店じまいさ」
「ふふっ、堅実なレンさんらしいですね。……はい、ヒカリゴケとコウモリの皮膜、牙の買い取りで、銀貨2枚と銅貨8枚になります」
ジャラリと手渡された硬貨を革袋にしまう。
新しい剣を買った分は完全には取り戻せていないが、明日の生活費としては十分すぎる額だ。
ギルドを出た俺は、街の中心部にある大広場へと足を向けた。
広場は多くの人で賑わっていた。ドワーフの職人が武具の出来栄えについて大声で議論し、エルフの魔法使いが屋台の果物を品定めし、ゴブリンの子供たちが人間の子供たちと混ざって無邪気に走り回っている。
魔王リムル=テンペストが目指し、そして成し遂げた「種族の垣根を越えた共存」。
物語の完結から時間が経過したこの世界では、その理念が当たり前の日常として根付いていた。俺以外のプレイヤーが誰もいないこの世界で、高度なAIたちは争うことなく、それぞれの生を謳歌しているのだ。
振動ナイフと午後の果実
俺は広場の端にある屋台で、オークのオバチャンから「トレントの林檎」と呼ばれる大きめの果実を銅貨1枚で買い、日当たりのいいベンチに腰を下ろした。
「さて、食後のデザートといきますか」
トレントの林檎は甘くて瑞々しいが、皮が異常に硬いのが難点だ。普通のナイフでは刃が滑ってしまい、剥くのに一苦労する。
俺は腰から予備の鉄の短剣を抜き、軽く念じた。
「起動――『振動者』」
*キィン……*と、周囲の喧騒にかき消されるほどの微弱な音を立てて、ダガーの刃が震え始める。
その極小の振動を維持したまま、林檎の硬い皮に刃を当てる。
スゥッ……。
一切の抵抗なく、刃は林檎の皮を透き通るような薄さで剥き去っていく。
魔物と戦うための異能を、ただの果物ナイフとして使う。上位プレイヤーが見たら鼻で笑うだろうが、俺にとってはこのスキルの最も贅沢な使い方だった。
切り分けた果肉を口に放り込むと、濃厚な甘みと酸味が口いっぱいに弾けた。
「……うまい」
林檎を齧りながらぼんやりと広場を眺めていると、遠くの通りを、巨大な星狼に跨ったホブゴブリンの集団が駆け抜けていくのが見えた。テンペストの治安を守るゴブリンライダーたちだ。
先頭で呑気に手を振っているのは、おそらくゴブタだろう。相変わらずの間の抜けた顔だが、彼らもまた、この世界の平和を支える英雄の一部だ。
「お疲れさん、英雄殿」
俺は誰にも聞こえない声で呟き、林檎の最後の一切れを飲み込んだ。
英雄には英雄の役割があり、底辺には底辺の楽しみがある。
下層のボスが落とす伝説の武具も、世界を揺るがすような大魔法も、俺には必要ない。ただ毎朝迷宮の浅層に潜り、なまくら剣を振動させて日銭を稼ぎ、夕方には安酒を飲み、こうして陽の当たるベンチで昼寝をする。
ダガーを鞘に収め、俺はベンチに背中を預けて目を閉じた。
遠くで響く街の喧騒を子守唄代わりに、心地よい睡魔が脳を包み込んでいく。
シンギュラリティがもたらした、完璧な箱庭。
底辺冒険者の泥臭くも穏やかな午後は、静かに過ぎていった。




