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16/23

5 君の形 1 箱庭を創造しよう

5-1


 これまでの章は、比較的誰にでも、同様に当てはまる内容であったと思う。

 その人の夢がなんであれ、資本の本質や、家庭という因子を介した人生設計に対するアドバイスは、大きな差異を伴いにくい。


 ここからは、君の夢が君だけの特別なモノに成熟する、そのために必要なことを書いていこうと思う。君をどう形作るか、というテーマだ。


 私のペンネーム、玉庭ひとり。どういう経緯で当時の私がつけたのか、よく覚えていないけれど、このペンネームはとても気に入っている。

 創作の世界で、誰にも邪魔されることのない、調和のとれた私だけの箱庭。そんな願いが想起されるし、実際そんなつもりで名付けたのだと思う。

 私だけの箱庭。けれど、それは独善的に閉じた世界ではなく、他者の出入りや接触、外界の干渉をある程度制限しつつも、開かれている。

 私の分身である玉庭ひとりの成熟は、少なからず私の夢の成熟と重複するところがあり、私の夢への足がかりになっていると言える。


 君にも、君の箱庭を持って欲しい。

 それがどういう形であるかは、君自身の感覚によるところだから、私が具体的な指示や提案をすることは難しい。

 しかし、箱庭を形作る手始めに必要なことなら助言できる。


 色々なことに挑戦して、その中で君が好きだと思えること、得意だったことを、突き詰めてみよう。そして、それを介した他者との関わりの形を探そう。


 注意すべき点として、それが何であれ、君はそれを他者との比較対象にしすぎてはいけない。

 君の箱庭は夢の一助になるが、君の夢は君自身に内在する動機と成長の先にあり、他者との比較で得られる立ち位置とは性質が異なるはずだ。ゆえに、他者と君の比較ツールとして”それ”をみてしまうと、君の箱庭は世界に対して完全に開かれ、崩壊してしまう。

 絶対に比較するなとは言わない。競争心は適度に必要だ。けれど、君の箱庭はあくまでも君が理想を追求する場であって、主体である君が心得ているはずの、足るを知るの精神をある程度反映すべきだろう。


 人によってはそれの性質次第で、箱庭は閉じたままでいい、あるいは閉じているからこそ理想であると考えるかもしれない。その考えを否定はしない。

 けれど私は私の信念として、他者との関わりの窓口にしてほしいと敢えて伝えておく。

 君が納得できる十分な理由は提示できないかもしれないが、ふんわりと理由を挙げてみる。


 夢を実現した君は、おそらく孤独な存在ではないだろう。何かしらで他者との関わりがあるはずだ。それならば、紆余曲折ある人生において、何が繋がりのきっかけになるか分からないから、箱庭を媒介の候補から除外するのは勿体無い。

 箱庭で培ったもの、蓄積したもの、創造したものは、君の収入源になるかもしれない。夢と仕事は基本的にその性質を分離して考えるべきだと思うけれど、夢の要素に仕事が含まれることはある。君がそれを好きという思いが損なわれない範囲でなら、働き方の形に組み込んでみるのはアリだし、そのためにはやはり、外界に少なからず開いておく必要がある。

 要するに、人間関係、資産という、君が築くべき資本と関連しうるから、箱庭を介した他者との関わりという視点を持ってほしい、ということだ。加えて、運動が”それ”であるなら、体という資本にも影響する。


 具体的にはどんなことがあるだろう?

 玉庭ひとり名義の私の箱庭では、私は拙いながら文章を書き、作曲している。

 イラスト、料理、将棋、テニス、キャンプ、読書・・・おそらく、およそ趣味と呼べるもの全ては箱庭作りの足がかりになる。

 雑に言い換えれば「趣味を持て」が近いのだけれど、君の夢に必要な要素として提示したいがために「箱庭を創造する」と表現したわけだ。

 それに、趣味と言ってしまうと、”日常のちょっとした楽しみ”程度の感覚で”それ”を捉えてしまい、君の資本や夢に繋がるかもしれないという側面が見えなくなる。


 さて、箱庭づくりが君にもたらす重要な副次的利点を二つ、提示しておきたい。

 それは、箱庭は君の孤独を癒す、あるいは君から孤独を遠ざける鍵になる、ということ。

 そして場合によっては、人生における捉え所のないモヤモヤ、漠然とした不安を解消するための有効な手段にもなるということ。


 まず前者。現代にあって、人とのつながりは一見、君と他者との距離を近づけて見える。

 けれどそれは表面的なことであって、時代がどうであろうと、人と人との心の距離は変わらない。

 ”わたし”と”あなた”は決定的に別の人間であって、クオリアは共有されないからだ。


 自分の好きなことや嫌いなこと、喜怒哀楽、戸惑い、快感、不快。風の匂い、木漏れ日の優しさ、側を走り抜ける車の振動、クローゼットのにおいといった、君が感じたもの。

 そういった全てが君を形作っているわけだが、それらは決して誰とも共有できない。

 厳密にはある程度なら共有できるが、完全に共有されない差分は少しずつ積み重なり、その違和感は君の中で肥大しうる。


 経験、体験、認識、思想、思考・・・挙げればキリがない君を形作る全てはいつか、社会や人々の中にあって、”私は誰とも分かり合えないのではないか”という孤独感や、それゆえに”私が共有されない社会では、私は何者にもなれないのではないか”という、自己否定的発想を生じさせる可能性がある。

 現代では人との物理的、あるいは情報上の距離が近くなったが故に、君と他者の違いはより鮮明になり、君自身が”共有されない”感覚は増え、孤独感や自己否定の閾値は下がっていく。


 孤独である、という感覚は君の精神を蝕み、やがて君の体にその影響を拡大しかねない。

 その原因について、社会制度や技術の発達に責任を押し付けてもいいのかもしれないが、現実的には私や君のような一個人が社会を変えるのは殆ど不可能であるから、君が自発的に解決策を見出す必要がある。

 そしてその解決方法こそが、私の提案する箱庭づくりだ。


 箱庭は一人で創造するものであり、一見、孤独を際立たせる装置のように感じるかもしれない。

 実際最初の頃は、まだ何もない庭に寂しさを覚えたり、先の見通せない不安や焦燥を覚えることもあるだろう。

 けれどそもそも箱庭づくりは、寂しいからする訳でも、一人だからするわけでもない。等身大の君を捉え、夢へと歩かせるための創造の場だ。

 それゆえ丁寧に箱庭を整えていくことで、箱庭に一人でいることは、孤独ではなく自立なのだと気付けるだろう。

 自立。それ即ち自己承認であり、等身大の君の確立であり、他者と”君自身を共有したい”という不可能な欲求との決別である。


 孤独は他者との相対的関係の中に生まれるものであって、箱庭で”一人になる”こととは全く性質が異なる。

 誰も君を共有できない人と人との交わりにあって、穿った見方をすれば箱庭は、社会を生きる君の建前が、君のまっさらな本心とクオリアを共有できる、唯一の場と言えるかもしれない。

 それは一つの救済であろう。


 一応確認しておくけれど、箱庭で一人になることと、それを君の裁量で世界へ開くことは、孤独の観点を踏まえても矛盾しないという点について、理解してもらえているだろうか?

 結局のところ、大切なことはまず初めに、君が正しく等身大の君を認識している状態の確立なのだ。


 もう一つ、モヤモヤや不安の解消手段になる、という点。


 君はミッドライフクライシス、中年の危機、といった言葉を聞いたことだあるだろうか?

 簡単に説明するとこれは、30代から40代、仕事に慣れ自分の能力の限界も見えてくる頃、体力の衰えを実感したり、親しい人の老いや死を経験して、人生の有限性が現実味を帯びる中で、自分の人生はこのままでいいのか、そもそも一体何のために生きているのか、といった問いによる不安感だ。

 原因としては外的動機づけ(就職、昇給、昇進、結婚、子育てなど)がひと段落し、個人の受動的反応期間が終わるため、などと考えられ、これに対する解決策も書籍等で様々に紹介されている(解釈や定義が広いため、深入りしないでおく)。

 そんな中年の危機に留まらず、人生の多くの場面で生じうる、自分の人生に対する漠然とした不安の解決手段として、箱庭づくりは最適解になりうる。


 孤独との関係でも触れたが、重要な点は、クオリアを他者とは共有できないことである。

 人生に対する不安やモヤモヤは、自分と周囲の事柄との関係性の中に自分の人生を見出そうとするから、そして当人の評価を他者に委ねているから生じるのだろう。であれば、絶対にクオリアを共有できない他者や、その他者がどう思っているかを想像する”当人の中に仮設された他者”の評価は、いつまでも適正な評価を与えてくれない。

 しかし実際的には、自分の人生がうまくいっているかどうかを判断する基準、翻って、クオリアを共有できる評価者が必要なわけだ。


 ではクオリアは、本当に誰とも共有できないのだろうか? 答えはノーだ。

 君は君となら、クオリアを共有できる。


 君の価値観は時代と共に変わり、持っている技術や知識も変わるだろう。けれど、過去あるいは未来を想起して、その自分がどう思うかを今の君が想像することはできるし、逆に過去あるいは未来の君が、今の君をどう思うかも想像できるはずだ。

 君という同じ人生を生きているからこそ、価値基準の違いが生じていても、その時その時の考えに寄り添うことは可能であり、それはクオリアの共有と言って差し支えないだろう。


 箱庭づくりは、君が自律によって自立し、人生において一貫して”それ”を育む体験である。

 正しい評価者を過去と未来に据えることで、君は君の人生における今を正しく評価し、自発的な要因、動機に基づいて人生を歩めるだろう。


 君の箱庭を創造しよう。ルビを振るなら趣味を持とうになるかもしれないが、とにかく、君が好きなこと、得意なことは、世界に対して閉じていて、けれど同時に開かれてもいる君の箱庭で育むことで、いつか君の資本や夢の支えになるだろう。

 あるいは、君から孤独を遠ざける最良の舞台になり、時には、人生を迷わないための指針にもなる。

 そのためには、色々なことに挑戦しよう。苦手意識や偏見で手を出さないでいると、君の可能性はその数だけ失われてしまう。

 箱庭を彩る要素は、君の能力が及ぶ範囲でなら、幾つあってもいいのだから。

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