第一章 第二十三部――リュウ・セレスティア外伝(3)
――ドォォォンッ!!
青銅の鐘が轟音を響かせ、大気そのものを震わせた。
その振動は胸の奥まで伝わり、俺は思わず息を呑む。つい先ほどまで闘技場を埋め尽くしていた数万人の歓声は、一瞬にして消え去った。残されたのは耳が痛くなるほどの静寂だけ。
闘技場を吹き抜ける風の音さえ、はっきりと聞こえる。
張り詰めた緊張が、この空間の隅々にまで満ちていた。
闘技場の端では、銀の鎧をまとった司会者がゆっくりと壇上へ上がる。足元に展開された魔法陣が声を増幅し、その言葉は競技場全体へと響き渡った。
「諸君! HeavLy王国魔導闘技大会へようこそ! ルールは極めて単純だ! 一方が降参するか、気絶するか、あるいは戦闘不能となった時点で決着となる! 魔法、武器の使用は自由! だが故意の殺害は重大な禁忌であり、死刑をもって裁かれる! ――さあ、自らのマナに語らせよ!!」
その瞬間、観客席が再び爆発した。
――ドォォン!!
二度目の鐘。
第一試合が幕を開けた。
◇
――レンジロウ視点
俺はゆっくりと闘技場の中央へ歩き出した。
靴底が石畳に触れるたび、細かな砂塵がふわりと舞い上がる。
目の前に立つのはカイト・ヴァル=モリ。
古びた弓はすでに構えられていた。風に揺れる茶色のポニーテール。その瞳は静かに俺を見据えている。
静かすぎる。
俺は目を細めた。
周囲の世界が、ゆっくりと速度を落としていく。
《Eye of the Mist》――発動。
動くものすべてが、俺の視界の中へ取り込まれていく。
空気の流れ。
マナの振動。
筋肉の収縮。
心臓の鼓動。
カイトの右脚がわずかに緊張した。
左へ跳ぶ。
キィン――!
魔力の矢が一直線に俺の頭部へ放たれた。
だが俺の目には。
それは湖面を滑る蜻蛉のように、ひどく遅く見えた。
わずか数センチ、首を傾ける。
ヒュッ――。
矢は頬のすぐ横を掠めていった。
次の瞬間。
バァン!!
地面を蹴る。
俺の身体は一瞬で間合いを詰めた。
◇
――カイト視点
なっ……!?
読まれた……!?
目を見開く。
速い。
予想を遥かに超えている。
こいつはただの魔法使いじゃない。
まるで――獣だ。
俺は即座に弓へ風属性のマナを流し込む。
「はぁっ!」
爆風が足元で弾ける。
身体が後方へ吹き飛ぶ。
だが。
レンジロウは、もう目の前にいた。
いつ……!?
マントの陰から銀の閃光が走る。
短剣。
ガキィン!!
マナで強化した弓で辛うじて受け止める。
衝撃で腕が痺れた。
息を整える暇もない。
彼の身体が低く回転する。
ドゴッ!!
凄まじい蹴りが胸へ突き刺さった。
肺の空気が一瞬で吐き出される。
身体が数メートル吹き飛び、闘技場を転がった。
「ぐっ……!」
口の中に鉄の味が広がる。
血。
立ち上がる前に。
影が再び現れる。
速すぎる……!
剣身が淡い蒼光を帯びる。
ザァッ――!!
肩口を斬り裂かれた。
革鎧は紙のように裂け、熱い血が腕を伝って流れ落ちる。
「降参しろ」
冷たい声。
感情がない。
慈悲もない。
俺は無理やり立ち上がる。
まだ――まだ最後の術式が……。
ドガァッ!!
膝蹴りが顔面へ直撃した。
ゴキッ。
骨の砕ける音。
鼻が潰れる。
視界が回転する。
空。
観客席。
すべてが霞んでいく。
そして――。
闇。
◇
「第一試合勝者――『霧眼』レンジロウ・フェイリン!!」
司会者の声が響き渡る。
レンジロウは静かに顔を上げた。
その視線はゆっくりと選手席へ向けられる。
まっすぐ。
俺の方へ。
◇
――リュウ・セレスティア視点
俺は唾を飲み込んだ。
あの男の視線だけで背筋が冷える。
心臓が激しく脈打ち、喉元までせり上がってくる。
カイトは担架で運び出された。
全身は傷だらけ。
石畳の上には赤い血の跡が残されていく。
俺は拳を握った。
爪が手のひらへ食い込むほど強く。
「おい……怖気づいたか?」
横から嘲笑が聞こえる。
振り向けば、魔導師の一人がにやにやと笑っていた。
「その顔、真っ青じゃねぇか。お前なんて五秒も持たねぇよ」
「はははは!」
周囲の魔導師たちも笑う。
俺は何も言わなかった。
代わりに王族席へ目を向ける。
そこには――。
エヴリンがいた。
彼女は何も言わない。
ただ、小さく頷くだけ。
だが。
そのたった一つの頷きが。
何千もの励ましの言葉よりも、ずっと力強かった。
挑まなければ。
俺はどこまで行けるのか、一生わからない。
ゆっくりと息を吸う。
◇
――三人称視点
ドォォォン!!
鐘が鳴り響く。
第二試合開始。
「エーテルの織り手」カズキ・ホシノ。
藍色のローブが静かに揺れる。
その向かいには――。
青い雷光をまとった「雷心」レン・イブキ。
バチバチッ――!
カズキが金属扇を掲げる。
一振り。
二振り。
無数の光線が六角形の紋様を描き出す。
「マナ幾何術――《光牢》」
魔法陣が展開され、一瞬でレンの退路を封じた。
しかし。
レンは笑う。
「はっ!」
身体が雷へ変わる。
ズガァッ!!
凄まじい速度。
残像を残しながら駆け抜ける。
脇差が光の檻へ叩きつけられた。
ドォォォン!!
マナが爆発する。
光が闘技場を覆う。
「遅い」
カズキが指を鳴らす。
その瞬間。
地面に無数の幾何紋様が浮かび上がった。
巨大な檻。
レンは狂気じみた笑みを浮かべる。
「オーバードライブ――《Thunder Edge》!!」
膨大な雷が刀身へ集束する。
真紅に焼ける刃。
身体を一回転。
ザァァァッ!!
光牢が真っ二つに裂けた。
だが。
カズキは待っていた。
光の槍が放たれる。
ガァァン!!
肩を貫かれる。
鮮血が宙へ舞う。
レンは膝をつき、そのまま倒れ込んだ。
「第二試合勝者――カズキ・ホシノ!!」
歓声が再び競技場を揺らす。
◇
――リュウ・セレスティア視点
俺は呆然と立ち尽くしていた。
なんだよ……。
みんな。
化け物じゃないか。
エヴリンに教わったのは、たった一日。
だけどあいつらは。
何年も鍛え続けてきた。
劣等感が胸を締めつける。
俺に勝てるのか……?
その時だった。
王族席を見る。
エヴリンはまだ俺を見つめていた。
その瞳に迷いはない。
彼女は。
本気で俺を信じている。
俺は拳を握り締めた。
ここまで来たんだ。
もう逃げない。
「第三試合!!」
司会者の声が響く。
「リュウ・セレスティア対――『影を統べる者』タケオ・クロダ!!」
俺の名前が呼ばれた。
観客席がざわめく。
「あいつ誰だ?」
「迷い込んだのか?」
「ははっ、瞬殺だろ」
背後の魔導師たちも笑う。
「負け犬だな」
「足が震えてるぞ」
「試合前に気絶するんじゃないか?」
「平民も出場できる時代か」
「はははは!」
深く息を吸う。
そして。
俺は闘技場へ足を踏み入れた。
一歩。
また一歩。
歓声も。
嘲笑も。
少しずつ遠ざかっていく。
残るのは。
自分の心臓の音だけ。
中央では。
タケオが待っていた。
異なる色を宿した両眼。
感情のない視線。
まるで。
俺がすでに死んでいる死体を見るように。
「降参しろ」
冷たい声。
「俺たちは釣り合わない。格下を相手にするほど暇じゃないんだ」
胸の奥が熱くなる。
恐怖じゃない。
怒りだ。
俺は。
ずっとこうして見下され続けるのか?
黙っていたら。
全部認めることになる。
俺は真っ直ぐにその目を見返した。
「俺は退かない。戦う。男なら始めたことを最後までやり遂げるべきだ」
声は静かだった。
だが。
覚悟だけは揺るがない。
タケオが薄く笑う。
侮蔑の笑み。
「いいだろう」
「そんなに早く死にたいならな」
――ドォォォン!!
青銅の鐘が天を裂いた。
強風が闘技場を吹き抜ける。
砂塵が二人の間を舞う。
俺はゆっくりと構えを取った。
体内のマナが両手へ流れていく。
戦いは――。
ついに始まった。
「この物語をここまで続けてこられたのは、ひとえに皆さんの応援のおかげです。もし各話を楽しんでいただけましたら、ぜひブックマークと評価をお願いします。こうした皆さんのあたたかいサポートが、次のお話を書くための大きな励みになります。この物語の旅路に寄り添ってくださり、本当にありがとうございます!」




