第一章 第十九部 ヴォーラ外伝(4)
「奴らへの復讐は――今、ようやく始まったのよ」
ヴェリスタの冷ややかな声が玉座の間に響き渡った。
その言葉を聞いたゼフィリオン王はしばらく沈黙し、薄暗い広間の隅に落ちる影を見つめたあと、重い吐息を漏らした。
「……近衛兵を呼べ」
王の命令からほどなくして、数名の兵士たちが木箱を抱えて姿を現した。
箱の中には干し肉、上質な小麦パン、そして澄み切った飲料水が詰められている。
「これは最初の支援だ。必要なものは持っていけ」
王は静かに言った。
「我が民はあまりにも長い間、HeavLyの圧政に苦しめられてきた。もしこれが誇りを取り戻すための道ならば、私はお前たちの背後に立とう」
ヴェリスタはわずかに頷いた。
「賢明なご決断です、陛下」
その唇に妖しい笑みが浮かぶ。
「今日という日は、強欲の城壁が崩れ始めた日として歴史に刻まれるでしょう」
◇ ◇ ◇
私たちの旅は文明の光が届かない場所へと続いた。
安全圏を越え、国境を越え、人々の営みさえ消え去った闇の領域へ。
深い霧が森を覆っていた。
折れた枝が軋む音は、まるで誰かの骨が砕けるように静寂の中へ響く。
私は震えながら歩いていた。
木々の隙間に揺れる影のひとつひとつが、獲物を狙う瞳のように見える。
今にも何かが飛び出してきそうだった。
けれどヴェリスタだけは違う。
彼女はまるで自らの庭園を散歩する女神のように、優雅な足取りで霧の中を進んでいく。
やがて私たちは荒れ果てた丘の頂へ辿り着いた。
草木もほとんど生えない広い台地。
冷たい風が吹き荒れ、その寒気は骨の奥まで突き刺さった。
思わず私は身体を抱きしめる。
「着いたわ」
月光の下、ヴェリスタが振り返る。
銀色の月明かりが彼女の横顔を幻想的に照らしていた。
「約束通りよ、ヴォーラ」
彼女は微笑む。
「世界を跪かせる力を、あなたに与えてあげる」
ゆっくりと彼女が近づいてくる。
そしてその温かな掌が、私の胸へ触れた。
次の瞬間――
熱い。
あまりにも熱い。
心臓の奥で炎が爆ぜた。
それは溶岩のように血管を駆け巡り、全身を焼き尽くしていく。
息が詰まる。
身体が燃えている。
「さあ」
ヴェリスタのサファイアの瞳が妖しく輝いた。
「今のあなたは彼らの器よ」
彼女は私の耳元で囁く。
「呼びなさい、ヴォーラ」
「『Aberrantよ、目覚めなさい』――と」
私は唇を震わせた。
「……怖い」
その言葉にヴェリスタは静かに笑う。
その吐息が耳元を撫でる。
まるで悪魔の誘惑のようだった。
「恐い?」
「どうして自分の武器を恐れる必要があるの?」
彼女の声が甘く染み込んでくる。
「家を焼いた炎を思い出しなさい」
「両親が灰になったあの光景を思い出しなさい」
「その時点で、あなたの恐怖は死んでいなければならないのよ、ヴォーラ」
彼女の指先が私の頬をなぞる。
「それとも、いつまでも部屋の隅で泣いているだけの弱い少女でいるつもり?」
甘い香りが鼻腔を満たした。
「言いなさい」
「『Aberrantよ、目覚めなさい』」
私は拳を握りしめる。
胸の奥に沈んでいた憎しみ。
怒り。
苦しみ。
すべてを吐き出すように叫んだ。
「Aberrant……目覚めろォッ!!」
――ゴゴゴゴゴゴッ!!
大地が激しく震えた。
地面に紫色の亀裂が走る。
裂け目の奥から、何かが這い上がってくる。
鋭い棘。
歪な肉体。
闇そのもののような殺気。
一体、また一体と。
異形の怪物たちが大地を割って現れた。
Aberrant。
それらは私たちの前に整列し、まるで王に忠誠を誓う軍勢のように頭を垂れていた。
私は膝から崩れ落ちる。
全身の力が抜けた。
恐ろしい。
あまりにも恐ろしい。
本で読んだ怪物など比べものにならない。
その存在だけで理性が壊れそうだった。
ヴェリスタがゆっくりとしゃがみ込む。
冷たい指先が私の顎を持ち上げた。
空虚な瞳。
感情の見えない瞳。
けれど目を逸らせない。
「怖い?」
彼女は静かに尋ねる。
そして続けた。
「明日、ゼフィリオン近郊の村で、あの官僚の子供たちが誕生日の宴を開くわ」
「彼らは笑うでしょう」
「踊るでしょう」
「あなたの苦しみの上で人生を楽しむでしょう」
ヴェリスタの瞳が冷たく細められる。
「皆殺しにしなさい」
「一人残らず」
私は息を呑んだ。
「でも……あの人たちは子供です……」
喉が震える。
「それは……あまりにも残酷じゃ……」
するとヴェリスタは静かに笑った。
美しい。
けれど背筋が凍るような笑み。
「残酷?」
「ヴォーラ、人間ほど偽善的な生き物はいないわ」
彼女は夜空を見上げる。
「彼らは自分を守るために法律を作り、それを『道徳』と呼ぶ」
「でも、あなたが飢えていた時、その道徳はどこにあった?」
「家が燃えた時、その正義はどこにいた?」
「誰一人、あなたを救わなかった」
風が吹く。
冷たい夜気が丘を通り抜ける。
「この世界は試練なの」
「上に立つ者は失う痛みを知らない」
「だから決して変わらない」
「彼らを滅ぼすことは罪ではないわ」
「それは浄化よ」
彼女はゆっくりと私へ微笑んだ。
「あなたは腐りきった者たちに終焉をもたらす天使なの」
そしてその声は、まるで闇の説法のように深く響く。
「もし罪悪感を覚えるなら、一つだけ覚えておきなさい」
「世界は彼らの死を悲しまない」
「むしろ感謝するわ」
「長年世界に刺さっていた棘を、あなたが抜き取ってくれるのだから」
彼女の瞳が私を射抜く。
「運命に従う者になる必要はない」
「あなた自身が運命になりなさい」
その言葉は呪文のように私の魂へ入り込んだ。
恐怖が少しずつ焼き尽くされていく。
代わりに胸の奥を満たしていくのは、灼熱の憎悪だった。
――そうかもしれない。
この世界は最初から私に優しくなんてなかった。
なら。
どうして私だけが優しくしなければならないのだろう。
ヴェリスタはゆっくりと立ち上がった。
その美しい笑みは、どこまでも妖しく、どこまでも恐ろしい。
まるで芸術家が最高傑作を見つけたかのような眼差しで、彼女は私を見つめていた。
「素晴らしいわ、ヴォーラ」
「その目よ」
彼女は私の手を取り、愛おしむように撫でる。
「あなたは私の最高傑作」
「ただの兵器ではない」
「真なる正義の具現そのものよ」
彼女の指先がそっと私の手を包む。
「初めてこの世界へ降り立ち、そして私はあなたを見つけた」
「完璧な魂を」
紫の月光が私たちを照らしていた。
ヴェリスタはゆっくりと微笑む。
「さあ――HeavLyに教えてあげましょう」
「『破滅』とは何かを」
私は彼女の手を強く握り返した。
生まれて初めてだった。
自分が生きる意味を見つけた気がした。
もう怖くない。
もう迷わない。
私は――覚悟を決めていた。
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