第四話 馬鹿と煙はなんとやら(後)
暗闇の中、提灯の明かりを受けて小判が光り輝く。それを手に収め、時雨は笑っていた。
今朝、武家屋敷の蔵から盗んだものは、怪しまれぬよう何度かに分けて質に出すのが面倒だったのだ。それなら、金そのものを盗んでしまった方がいい。
今夜時雨が忍び込んだ両替商の屋敷は、厳重に警備されていた。しかしひとたび「あの世界」に入ってしまえば、盗み出すことは容易い。
時雨の横では、幼い少女が一人浮かない顔をしていた。少女は獏である。人には見えないものの実態はあるので、今は逃げないように両手を縄で縛られていた。
一週間ほど前、野犬に襲われたこの獏は、助けを求めて通りかかった時雨に姿を見せてしまったのである。
時雨は昔から真面目に働くことが馬鹿らしく、盗みを繰り返してきた。そこに獏を手に入れ「あの世界」に入れるようになってからは、もはや怖い物などないように感じていた。
その時、時雨は角の向こう、塀に反射する赤い光に気がついた。
またあの不気味な火の玉か、と舌打ちする。
どういうわけか、この獏を拾ってからというもの盗みを働こうとするたびに赤い火の玉が現れるようになった。時雨がここにいることを知らせるかのような火の玉のせいで、あの子供を殺し損ねたのだ。
「おい。あれは本当にてめえの仕業じゃねえんだろうな」
そう凄む時雨に、獏は怯えるように肩を縮めて首を振る。時雨は苛つきながらも、また人が来てはかなわないと人魂に背を向けて歩き出した。
が、反射する光が強くなったかと思うと、ついには角の向こうから火の玉がその姿を現す。
眩しさに思わず振り返った時雨は、目を疑った。赤い光の正体は火の玉ではなく、人が持つ提灯だったのだ。
「……そこで、何をしておいでです?」
提灯を持つ男の瞳は、火に照らされているせいか真っ赤に染まっていた。その人並み外れた美貌に一瞬止まった時雨だが、すぐに我に返ってその場から逃げ出す。
「おい!」
時雨の命令に、少女は縛られている両掌をパチリと合わせた。「あの世界」に入ると途端に雑音は止み、細い路地に入った時雨は息をつく。
危ねえ、まさか人だったとは。すっかり火の玉だと思い込んでいた。
もう少し離れたところで現世に戻ることにして、時雨はまた歩き出した。すると、その耳に足音が聞こえた気がした。それも、すぐ近くで。
時雨は振り返る。と、またその視界に眩しい赤が映り込んだ。提灯を持った男が、その先で笑う。
時雨は考えるより先に走り出していた。
どういうことだ、あの男、なぜ「この世界」にまで……!
いやそうか、この獏と同じで、あの男も人ではないのだ。
時雨は光から逃げるように提灯を投げ捨て、暗い方へと走った。随分走って、後ろから男が追いかけてこないことを確かめる。その姿が見えないことに安堵すると、時雨の背が壁にぶつかった。
「痛ってえな……!」
時雨は悪態をついて肩を抑える。暗くて分からなかったが、どうやら行き止まりのようだ。
しょうがなく時雨はもと来た道を戻ることにする。
しかし、その顔がまた何かにぶつかった。
「…………は?」
後ろだけではない。手で探ると右も左も、四方を壁で囲まれている。気が付けば少女の気配もない。一筋の光も差し込まない中、「どうなってんだ」と時雨は呟いた。
呆然としていると、壁の一面が開いて急に光が差し込んできた。眩しさに思わず目を閉じた時雨が再び瞼を開けると、箱の向こうに一人の男と、変わった格好の女が座っているのが見える。
「誰だ」と時雨が聞こうとした、その時。
「!!」
息が止まった。臓物が全て口から出そうな気がした。時雨が降り立った先は、高い高い屋根の上だったのだ。
驚いた拍子に体勢を崩して落ちそうになったが、あわやというところでその手が冠瓦を掴む。
「たっ助けてくれ! 助けてくれ!!」
時雨は屋根の上の男女に必死に叫ぶが、彼らは何も言わずに時雨を見下ろすだけだった。
その時、向こうの軒先からまた一人、人影が頭を出す。その赤い瞳は、先ほどの提灯を持った男のものだった。
「あ、ああ。ああ…………!」
もはや声にもならない悲鳴を漏らす時雨をよそに、屋根の上の男は提灯の男に笑いかけた。
「ご苦労だったね、仄火」
「全く、こんなところまで登らせやがって。俺も静寂の箱に乗せてくれりゃよかったのに」
「まあまあ。何はともかく策は成功、だろ?」
引き上げた時雨を拘束した後、仄火は辺りを見回してハクに問いかけた。
「なあ、こいつの獏は? 現世で見た時はその辺にいたぜ」
「とっくに逃げたんじゃろ。どうもこやつに無理やり使わされていたようじゃったからな。しかしこんな盗人に捕まるとは、間抜けな獏もいたもんじゃのう」
そう言ってからからと笑うハクとは対照的に、時雨は虚ろな目をしている。
「…………して、どうして俺のことが……」
時雨の呟きに、仄火と伊波は顔を見合わせた。
「だってなあ……」
結局、子供の魂に映った時雨の顔は、伊波にもどこの誰かは分からなかった。二人はどうしたものかと、一度その場で現世に戻ったのだが。
「そしたら鍛冶屋の向かいの長屋から、あんたが出てくるんだもんな。だが考えてみりゃおかしなことはねえ。子供は近くで自分を攫ったやつに見張られていたから、口がきけなかったんだ」
「あとはあなたの後をつけるだけ。すぐ盗みを働いてくれたおかげで、明日には藤吉さんの疑いも晴れるだろう」
それを聞いても時雨はわけが分からなかったが、もはや彼には聞き返す余力も残っていなかった。
「俺が帰ってお役人に突き出しとくよ。静寂、彼を番屋の近くまで運んでくれ」
「こんなやつを箱には入れたくないけど、伊波の頼みならしょうがないからね」
その時、仄火は項垂れる時雨の向こうに浮かぶ赤い人魂に気が付いた。
「ハク、あれは……」
「立役者のお出ましか。……あれは、鬼火じゃな。人の怨念が集まって成る妖じゃ」
「怨念…………」
その暖かな光は、顔もないのにこちらを見ているように仄火には思えた。もしかすると、引き起こされる負の連鎖を止めようとしていたのかもしれない。
そこでようやく思い出した仄火は、時雨の懐を漁る。
すると思った通り。仄火が取り出した簪は、鬼火と同じ赤色だった。
*
翌日。
藤吉は一昨日の晩と同じように、武家屋敷に魚を届けていた。小火騒ぎの下手人が捕まったことで、藤吉への疑いもようやく晴れたのだ。
今日は気を引き締めて帰ろう、と歩く藤吉だったが、後ろから声をかけられた。
振り返ると、そこに立つのはいかにも立派な着物を身にまとう若い侍。藤吉は慌てて頭を下げる。
「浪速屋に奉公している、藤吉というのはそなたのことか」
「は、はい。左様でございます」
「昨日の小火騒ぎで疑いをかけられたそうだな。なんでも、そこでは男が消えたと耳にしたが……」
藤吉は思わずびくりとしたが、もう自身の疑いは晴れたことを思い出してはっきりと答えた。
「そのことにつきましては、ある人に疑いを晴らしていただいて……。その方が言うにはもう奇妙なことは起こらないとのことですので、どうかご心配なく」
「………………その者は、今どこに」
「こ、この先の町人街よりもさらに向こう、小さな長屋の一角にある小間物を売る屋台で。そこでお会いしました」
「若様、そろそろお戻りに」
侍の後ろに控えていた、やせた老人が言葉を発する。「若様」という言葉に、やはり格の高い方なのだと藤吉は今さら緊張した。
「ああ。商いの邪魔をしてすまなかった」
静かな声と群青の後ろ姿を、藤吉はただ見送った。
*
さらに時は進み、そのまた数日後。
「おっ、やっと見つけた」
「…………ああ、仄火さん」
昼の街中、仄火はにっこり笑ってこうのもとへと歩く。その頭には赤い簪が艶めいていた。
「今日もつけてるんだな。見つけた甲斐があるってもんだ」
「…………」
こうの反応がやけに薄いことに引っかかりながらも、仄火は本題に入る。
「実は折り入って相談があるんだ。うちの茶碗が欠けちまってさ。もしあんたの親父さんが売ってる物で余りがあれば、一つ譲ってくれやしないか?」
「……そうやって……」
「ん?」
「そうやって色んな女の子誑してるんでしょう! 知ってるんだからね、橋向こうのゆきちゃんとは友達なんだから!」
こうは商品の茶碗を一つ掴むと、仄火にぐいと押し付ける。
「これで簪の件はおしまいよ、二度と来ないでちょうだい!」
「な、ちょっ……!」
こうによって人ごみに押し込まれた仄火は、両手を上げて必死に茶碗を守る。そうして何とか抜け出た頃には、こうの姿はすっかり見えなくなっていた。
「ってえな、めちゃくちゃしやがるぜあの女」
おそらく、ゆきさんのところにももう行けないということだろう。仄火はため息をついて手の中の茶碗を覗き込んだ。
あれから伊波には会っていない。しかし、青龍のことを調べるなら情報源は多いに越したことはないだろう。伊波の組合に入ることも、前向きに考えてみるべきかもしれない。
偶然にも青い色をした茶碗は、ただ陽の光を受けて照らされていた。




