第三十九話 忠ならんと欲するか、孝ならんと欲するか(後)
目付たちと家老の間で話し合いが行われ、最終的に知親が処罰の沙汰を下した。
藤の説得によって、小笠原行矩は久世家に口封じのため謂れのない罪で謹慎に処された旨を告白し、先代の借金についても証拠を提出。
久世家は改易、久世里進は流刑に処される。
そして、伊波屋によって青木知孝が横領の手助けをしたことも証言された。
当人は登城差し止めとなっていたこともあり、今回の件で追放の処分が下される。
青木知孝が以前より家族とは別居していたこと、横領の解決にその長男が一役買ったことが鑑みられ、青木家は嫡子・知信が家督を継ぎ、存続が許された。
「……さて、では笹田屋へ借りていた八百両は伊波屋からの冥加金、肩代わりと合わせて四百五十両を引いて、我が藩が負担するのは三百五十両にございます」
久世の屋敷から帰って直後、勘蔵が執務室で広げた帳簿に、知親は頷く。
「此度、伊波屋には随分と世話になってしまった」
「これでは、御用達とするのもやむを得ませんな」
勘蔵は苦笑する。しかしすぐ真剣な顔に戻って、「ところで」と切り出した。
「殿が以前から仰られていた年貢の件ですが」
「ああ、横川はなんと」
知親は今回にあたり、勘定奉行の横川にも意見を求めていた。
その妻のお松については公金を使ったという確固たる証拠がなく、お咎めなしとなっている。しかし夫である横川には間違いなくばれてしまっただろう。
勘蔵は知親の言葉に、懐から一枚の書状を出して読み上げた。
「…………家老の俸禄が一人分減ることに加え、榊原殿の節制案を巡行すれば、十分に可能であろうと」
その声は力強く、念願叶った喜色に満ちている。
「………………そうか」
知親も深く、安堵の息をついた。その時。
忙しなく廊下を歩いてくる足音がした。何事かと二人が顔を上げると、断りもなく襖が開かれる。
「殿! これは……これは、何事にございますか!!」
進太郎は見たこともないほど息を切らして、強張った顔をしていた。思わず勘蔵が刀に手を置くのを、知親は横目で捉える。
「実の父親を密告した私は、『不孝』の罪に問われなければならないはず。なのに久世家の改易のみとは。なぜ、私個人に罰を与えられないのです!」
肩で息をする進太郎は、どうしても納得がいかないらしい。
知親は勘蔵に片手で控えるよう合図をし、進太郎の方を向く。
「それは、そなたが密告などしておらぬからだ」
「何を仰いますか。私は確かに、殿に———」
「久世がなぜそなたの言葉を遮って罪を告白したのか、分からぬのか」
進太郎は目を見開いた。
久世が自白したのは、息子の口からそれを言わせないためだ。息子が「不孝」として、重い罰を受けないように。
「……っ、罪人の言葉がなんだというのです。それならば今ここで」
「では私を裁くか、進太郎。私も実の父を処罰した親不孝者に違いあるまい」
知親が静かに言うと、進太郎は押し黙った。
もとより孝行を説く口など、知親は持ち合わせてはいない。だからこそ、これが彼の決めた答えだった。
進太郎は返す言葉が見つからないのか、俯いてぐっと唇を噛む。
「……では早く、私を裁いて下さいませ。既に身分を失っていながら、不届にもこうして殿の御前で帯刀しているのですから」
進太郎はそのまま膝をついて、「さあ早く!」ともはや涙混じりの声で叫ぶ。
これには知親も些か面食らった。本当にどこまでもこの子供は武士である。
だが進太郎がこうして城の奥まで入れていることにも、やはりわけがあるのだ。
「……そなたがここにいることは罪にはならぬ故、裁くことはできぬ」
知親は懐から一枚の紙を取り出し、進太郎の前に置いた。その気配に、進太郎は目線だけを上げる。
「! これは…………」
それはあの、千両の為替だった。
とうに藩の公金にされているものとばかり思っていたのに、なぜここに。
「つまりこの金で、お前を買ったということだ」
知親が横川に意見を求めた際、はなからこの千両は手放すつもりの金として勘定から省いていた。それでも年貢の軽減は可能という見通しが立った今、この千両で知親は進太郎を買ったのである。
知親はさらに書状を一枚広げた。
「今、江戸から長見へと引き返している納橋京成だが、未だ健康な子に恵まれぬらしい。そこでそなたを養子にどうかと持ちかけたところ、よい返事が返ってきた」
「ほらここに」と知親が指す納橋からの手紙には、確かにその旨が書き記されている。
それを見た進太郎は、怒ることも忘れたのか、ただただ信じられないという顔をした。
「そんな馬鹿な、私は間違いなく罪人の息子のはず。どうやって養子など……」
言いかけて、進太郎は気がついた。
久世家が改易となり、進太郎は母と共にその実家に身を寄せている。そしてこの母方の実家というのは納橋家の分家だ。そもそも進太郎にとっては叔母にあたるお松が納橋家の分家・横川家に嫁いだことから、その縁で父親も納橋家分家の出である母との婚姻が決まったわけで……。
ならば改易となる直前、裏で進太郎の名を母方の姓に改めていたとすれば、どうだろうか。
「い、いつの間に……」
そう言いながら進太郎は気がついていた。
あの時だ。総拝の時、榊原に渡していた書状。
久世に気が付かれないよう江戸に着いてから開けるようにと知親は言っていたが、その通りなら、ちょうど少し前に開封されたはずである。
「というわけで、まだ正式ではないが納橋との話も纏まっている。ここは私の顔を立てると思って、切腹などといったようなことは考えないように」
知親は静かに告げた。
つまり進太郎にはもはや罰される道も、自ら命を断つ道も途絶えてしまったのである。
なぜそこまでして、と思いながらも進太郎の胸にもはや恨みと呼べるものはなかった。未だ久世家に残る千両の借金だけでなく、命までを助けるというのだ。
むしろここで進太郎が罰されることを望めば、その『不孝』という枷は知親本人にもかえってしまう。
ここまで恩義をかけてくれた相手にそのような行い、それこそ恥じるべし。
進太郎は頭を下げた。
「……此度のお取り計らい、まさに恐悦至極にございます。この先命尽きるまで長見に尽くし、必ずや殿のご温情に報いる次第に存じまする」
畳に落ちたのは、おそらく涙だ。
それが悔し涙なのかは進太郎にも分からない。けれど、きっとそうではない。
進太郎の言葉に頷く知親を、勘蔵は横で見ていた。
……そういえば納橋は、久世の長男——進太郎の兄にあたる男子が亡くなった時、珍しく惜しむ表情を見せていたような。
進太郎は久世の息子といっても、血縁的には納橋家とも近い。それが兄の死によって久世家の跡継ぎとなり、養子に取れなくなってしまったからだったとしたら。
納橋家は国衆の末裔、この長見に広く血縁と地縁を持つ一族。しかしそれらを纏め上げるのは想像を絶する苦労だ。
納橋京成が飛び抜けて利発な進太郎に、目を付けていたとしたら。
……なるほど、此度の話は納橋家にも都合のいい話だったということか。
しかも、と勘蔵は知親から頭を下げる進太郎へと視線を移す。
……将来進太郎が納橋家を継げば、この件で日浦家との従属関係は覆ることがない。日浦家は納橋家の血縁地縁を味方につけ、長見の地盤はより強固なものとなる…………。
……なんとも、末恐ろしいお方だ。
勘蔵の視線に気がついたのか、知親がゆっくりとこちらを向いた。
「殿。では納橋殿が長見にお着きになるまでに、私の方でも年貢軽減の草案を書き出しておきます」
久世家の屋敷の後始末や伊波屋との取引など、他にもやることは山積みだ。
意気込んで言う勘蔵に、知親も「頼む」と返事をした。
「……だが立川、明日は登城せずともよい。執務は屋敷で執り行ってほしい」
「………………………………はい?」




