↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
カジュギンカ  作者: 谷山
第三章
PR
76/82

第三十八話 盤石之固にゃ一枚足りない(後)


 「マナスヨウクタラシ」


「ソユイサマスカ?」


 仄火(ほのか)は人の話し声で目を覚ました。どこからか差し込む日が眩《まぶ》しい。ここは…………。

 起き上がりたかったが、体中が痛くて思うように動かせない。


 ふと、頭の下に何かあることに気がつく。できる限り視線を上に向けて見れば、どうやらそれはシムアの足のようだ。彼女は周囲を覆っている布の隙間から、じっと外を見ている。

 ……硬い足だが、まあざらついた床よりはずっといい。シムアが気がつかないうちは枕にしていようと仄火は思ったが、次の瞬間、こちらを振り返ったシムアと目が合った。


 ぎっと目を釣り上げたシムアは、もう片方の足で仄火の頭を蹴飛ばす。仄火の頭が床にぶつかって音を立てた。


「うっ」


 ……この女、俺の顔を蹴りやがった…………!


 痛みに耐えながらも仄火は信じ難いような顔でシムアを見上げる。


 するとその音で外の人間たちが気がついたのか、布が捲《めく》られて一気に光が差し込んできた。

 急な明るさに仄火が顔を顰《しか》めると、兵は仄火の縛られた両手を掴《つか》んで外へと引き摺《ず》り出す。


「なっ…………痛《い》っってえなこの野郎!」


 人の肩の可動域には限度がある。仄火は自分の足で引き摺られる方向へと動くしかなかった。

 布から仄火の体が半分ほど出た辺りで、兵は引っ張るのをやめる。必然的に荷台にうつ伏せで伏せるような形になった仄火は、手が動かないので為《な》すすべなく転がっていた。


 外は街ではなく、まだ殆《ほとん》ど山の中のような場所だった。兵は二人。スイヒャは……見当たらない。


「へえ、変わった目の色ね」


 耳につく高い声が、仄火の頭上から降ってきた。

 仄火は足を使って上を向く。すると宙に浮かぶ声の主の姿が見えた。


 獏《ばく》だ。仄火はそう直感する。

 長い茶髪に濃い桃色の着物。手には帳簿を一つ持っている。


「誰だお前」


「いやいや、それは私が聞くことだから。ほら情報屋さん、お名前は?」


 獏はけらけらと馬鹿にしたように笑いながら、帳簿を見ている。


 名前……。仄火ははっとした。

 まさかそういうことか。


 情報屋殺しの犯人がトヤク兵だったとして、なぜ彼らが夢遊《むゆう》の組合員を狙えたのか。

 その理由はこれではないのか。この獏が何者かは分からないが、もし手に持っているのが夢遊の組合員の帳簿、もしくはその写しなら辻褄《つじつま》が合う。


 ならばそこには、仄火の名も載っているはずだ。


「……ほ、ずみ」


「穂積《ほずみ》ぃ?」


 獏は首を傾《かし》げて帳簿を捲る。

 一年前、知親《ともちか》に頼まれて変装した時についでに考えた偽名《ぎめい》だった。まさかこんなところで役に立つとは。


 夢遊に「穂積」という名の組合員がいないことを仄火が祈っていると、獏は諦めたように帳簿を閉じた。


「……うーん。どうやら、あなたは違ったみたい」


 「ざんねーん」と言って地面に降り立った獏が背を向けるのを見て、仄火は心の中で安堵《あんど》の息をついた。とりあえず、ここで殺される道は絶たれたようだ。


 しかしその時、細い指に思い切り顎《あご》を掴まれた。

 驚いて目を見開くと、いつの間にか獏が仄火を見下ろしている。


「…………なんてね。ごまかせると思った?」


 仄火は息を呑む。


 獏の目は悦《えつ》に浸《ひた》ったように細められ、まるで愚かな獲物《えもの》を仕留めたようだった。


「その目の色、思い出したわ。去年の夏、紫苑《しおん》と一緒に半夏《はんげ》を縛り付けていたわね」


「なっ、なんでそれを…………」


 仄火の脳裏《のうり》に去年の、横川家での出来事が蘇《よみがえ》る。

 半夏を倒して縛っていた時、周囲にこんな獏はいなかった。どこからか見ていたのか? それに、紫苑のことまで知っている。


「……半夏を逃したのはお前か。お前は一体、誰の獏だ」


「呑気《のんき》に質問してる場合かなあ? ……ねえ、この人やっぱり、『神の怒り』を買った情報屋みたい。そう伝えて」


 獏は仄火から離れて、一人の男にそう言った。

 その男の顔に、仄火は見覚えがある。


「お前…………」


 仄火が睨《にら》むとスイヒャはそれから目を逸《そ》らし、トヤクの兵にユマの言葉で何か伝える。するとそれを聞いた兵たちは、それぞれに武器を構えた。


 まずい、殺される。

 仄火は必死に足だけで立ち上がって逃げようと試みるも、上から肩を抑えられた。その手に噛みつこうとしてみるも、次に頭を抑えられる。


 嘘だろ。…………本当に、死ぬのか。

 足の先まで、体が冷えた。


 目の端に人の足が見えて、刀が抜かれるような音がした。

 流石に斬首《ざんしゅ》か。よかった、槍(やり)で串刺しにされるより苦しまなさそうだ。


 最期に何を思い浮かべればいいのか分からないまま、仄火は固く目を瞑《つむ》った。

 すると目の前が白くなって、記憶の奥の、奥の方で誰かが振り返る。


 一瞬の出来事だったが、彼女は笑った。


「…………大丈夫だよ、仄火」


   *


 パリンと大きな音を立てて、皿が割れた。


「あーーー!! ちょっと、何やってるんですか!?」


 呆然《ぼうぜん》と割れた皿を見るハクに、清《さやか》が血相《けっそう》を変えて飛んでくる。


「あ…………すまん、手が滑《すべ》った」


「もう、本当に気をつけてくださいよ。……うーん、これ、直りますかね」


 皿は大小の破片へとばらばらに砕《くだ》け散ってしまった。清はその一つを拾い上げて、「とりあえず集めましょう」と隅《すみ》に立てかけてある箒《ほうき》を手に取る。

 落とした張本人のハクが動かないことに文句を言おうと、清は床を掃きながら彼の顔を見上げた。しかし、その顔は焦燥《しょうそう》に満ちてハクらしくもない。


「…………ハクさん? どうしたんですか?」


「いや……何か、嫌な予感がしたんでな」


 妖(あやかし)であるハクがそんなことを言うものだから、清もつられて少し不安になってしまう。

 だが今はこの家を任されているのだからと、清はすぐに気を取り直して言った。


「心配ないですよ。きっとこの皿は、持ち主の代わりに災《わざわ》いを引き受けてくれたんです」


「持ち主、というと……」


 ハクが言うと、清は呆《あき》れたように笑った。


「貧乏暮らしでも病気一つしないし、数多《あまた》の女性に恨まれているのに未だに人情沙汰(ざた)を起こしてない。仄火さんの悪運は筋金入りです。ちょっとやそっとじゃ、あの人は死んだりしませんよ」


   *


 いつまで経《た》っても、その衝撃はやって来なかった。

 仄火が恐る恐る目を開けると、その頬にポタリと何かが落ちる。見上げると、赤い血を滴《したた》らせる槍が、剣を振り翳《かざ》していた男の胴《どう》から引き抜かれるところだった。


 槍は仄火の後ろ、布の中から伸びている。

 刺された男が声もなく崩れ落ちると、仄火を抑えていた方の兵は急いで己の武器を取り、「レタバ!」と布をめくった。


 しかし、槍が今度はその男の首を貫《つらぬ》く。


 槍を持っているのは、足だった。その足は槍を置くと、仄火の肩を蹴って横を向かせる。


「お前…………」


 やはり布の向こうにいるのは、シムア一人だった。彼女は器用に足で槍を拾い上げると、その先を仄火の両手を縛っている縄にあてる。


「え、ちょっと待てよおい……」


 まさか、と顔を青くする仄火にも構わず、シムアはもう一方の足で槍の石突《いしづき》を蹴った。

 穂先《ほさき》は縄をちぎり、勢いよく仄火の頭のすぐ後ろを通過する。反射的に、仄火は首を前へと動かした。首筋に感じた鋭《するど》い風は、すぐにぞわりとした鳥肌へと変わる。


 力を入れるとすぐに縄は緩み、ようやく両手が自由になった。するとシムアが足で槍を押し付けてくる。その意図を察した仄火は、主に恐怖と、あとは縛られていた反動でまだ上手く動かない腕で、なんとかシムアの縄も切った。

 自由となった彼女は瞬時に仄火から槍を奪い返すと、それを投げる。


 まるで弓で射られた矢のように空《くう》を切るそれは、遠くの木に突き刺さる。絡《から》め取られたのは、スイヒャの服だった。

 逃げようとしていたらしい。さっきの獏の姿はなかった。


 シムアは音を鳴らしながら首と肩を回すと、自分を縛っていた縄を手に取り、ぶんぶんと振り回しながらスイヒャの元へと荷台を降りた。


 仄火はまだ一連の出来事を飲み込めないまま、その後ろ姿を見つめる。

 足で槍を使ったり、投げて人を捕まえたり……。普通に考えて、どうやったらそんな芸当《げいとう》ができるのか。怖い。


 命の危機を逃《のが》れた安堵は確かにあったが、かといって素直に喜び切れるわけでもない仄火であった。



 シムアは荷台の奥から仄火の刀を取り出し、投げてよこした。どうやら槍もそこから足で取ったらしい。

 馬車はいつかアロで乗ったものとほとんど同じで、二頭の馬が荷台を引く仕様だ。兵士の死体を荷台の布で隠すと、シムアは仄火に向かってその馬の片方を指差した。


 仄火は首を横に振る。馬には乗れない。

 シムアはもはや遠慮なく舌打ちすると、縛ったスイヒャを立ち上がらせ、縄を解《ほど》いた。


「ゼンスメセ。シバマウデミエハモウクミバ」


 スイヒャはそれに対して、どこか卑屈《ひくつ》な目をする。


「…………シニ、リギニ。ユレペルアチュライシニミ、アロサミデレタヨリシシ」


 そう言って、シムアが馬車から離した馬の一頭に乗った。


「え、おい。いいのかよ」


 スイヒャを逃がすつもりなのだろうか。

 仄火が戸惑ったようにシムアを見るも、当然言葉は通じない。代わりにスイヒャが馬上から振り向いた。


「アロまで、私が先導します」


「……それをどうやって信じろって言うんだ」


「シムア様も大体の道知ってます。裏切れば私が殺されるだけです」


 もう一頭の馬に乗りこむシムアは、槍を片手に持っている。前を行くスイヒャを刺すことは容易《ようい》だろう。


 「それに、」とスイヒャは前を向いて言った。


「トヤクに味方したのは、生き延びるためです。アロに帰れるなら、私もアロで裁かれて家の墓葬(ほうむ)られたいです」


 スイヒャの言葉に、仄火は口を閉ざした。

 すると上から強い力で腕を引っ張られ、気がつけばシムアの後ろで馬に乗っている。初めての高さと生き物の熱に、仄火は思わずシムアの肩を掴んだ。


「タ、キハヌレタ?」


 その時、目下の木々の向こうから声と複数人の足音が聞こえた。トヤク兵だろうか。

 すると馬から離され重心を崩した荷台が、傾《かたむ》いて山の下へと落ちていく。


 シムアが手綱《たづな》を引くと馬は嘶《いなな》き、蹄《ひづめ》を鳴らした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。