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カジュギンカ  作者: 谷山
第三章
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第三十二話 天知る地知る我知る君知る(後)


 城門を潜《くぐ》ってすぐ、また青木(あおき)知孝(ともたか)の姿が見えた。今度は屋敷の前ではなかったが、彼はやはり知親(ともちか)の命で自分を探っているのかもしれない。

 千両の為替(かわせ)がない限り、知親が久世(くぜ)の横領を裁くことはできない。笹田(ささだ)屋の動きを封じた今、その為替のありかを探らせていると考えるのが自然だ。


 ならば必要以上に知孝と顔を合わせたくはない。なに、向こうも無理に聞き出してはこないだろう。そのような無礼を働けば、むしろ知孝を遠ざけるよい口実に…………。


「久世様!」


 目が合うや否や、知孝はこちらに駆けて来た。その予想外の動きに久世がぎょっとしていると、知孝は穏やかな顔で笑った。まるでいつもの久世が人前で取り繕《つくろ》うように。


「何用だ」


「久世様、きっとお困りでしょう。笹田屋が差し止めになってしまって」


「な、」


 何を言っている、本当に。この男はどういうつもりなのか。

 久世はその背丈も歳も、己とさして変わらないであろう男を唖然《あぜん》として見た。


 まさか知親は為替を諦め、久世の口から白状させて証拠としようとしているのか。そんな馬鹿げた策が…………。

 いや、裏をかえせばそれほど久世の横領を確信しているのか…………?


 この時ばかりは、久世は笑うことを選ばなかった。代わりにすっと細めた目で知孝を見る。


「開口一番にかようなことを申すか。いくら殿の使いとはいえ、無礼極まるぞ」


 すると、知孝は本当に焦ったような顔で、大袈裟(おおげさ)にその両手を胸の前で振った。


「いえいえ、私は殿の使いでは決してございません。私は久世様のお力になろうと参ったのです」


「私の?」


「ええ。きっと笹田屋が差し止めとなった理由は、久世様が何かご存じではないかと思いまして」


 そう言う知孝の言葉を、久世もまさか鵜呑《うの》みにはしない。ここで久世が認めた瞬間、知孝が息子である知親に伝えに行く可能性がある。

 久世は無表情のまま、知孝をあしらうように背を向けた。しかし知孝がその後を追う。


「お待ち下さい久世様、私は本当に…………」


「青木。これ以上の無礼は謹慎《きんしん》とするぞ」


 久世が発した一言に、知孝の声もやんだ。立ち止まった知孝に、久世は振り返ってその顔を見やる。だがなんと、不気味なことに知孝は薄く笑っていたのだ。

 なるほど、作り笑いをやめれば知親に似ていないこともない、と刹那《せつな》的に思う久世に、知孝は言った。


「構いませぬ。謹慎とまではいかずとも、すでに登城差し止めの身にございます故」


「何?」


 これには久世も聞き返さざるを得なかった。登城差し止めということは、彼は城への立ち入りを許されていないことになる。


「そのような知らせは聞いておらぬが」


「では、あちらの方々に尋ねられては如何《いかが》でしょう」


 知孝が指し示すのは、遠くに見える正門に立つ門番たちだった。

 どういうことだ、と思いながら久世は正門へと歩き出す。登城差し止めともなる不祥事があったなら、家老の久世の耳にも入っていなければならないはずだ。


 門番たちは、先ほど城を出たのにまた戻って来た久世に驚きながらも、すぐに門を開こうとした。しかし、それを手で制した久世は片方の門番に聞く。


「青木知孝、という男が登城差し止めになっているとは、真《まこと》か」


「はい。その様に仰《おお》せつかっております」


「…………そうか。では私に知らされないのは一体どういうことなのか……」


 すると聞こえていたのか、もう一人の少し歳のいった門番がこちらに駆け寄り、小さな声で言った。


「恐れながら、青木殿の登城差し止めは公《おおやけ》のものではありませぬ。私共も南門の者たちも、立川(たてかわ)様からその旨《むね》仰せつかったのでございます」



 久世が戻ると、知孝はなおそこで彼を待っていた。

 「真にございましたでしょう?」と言う知孝を無視して、久世は考える。


 青木知孝は、本当に知親の使いではないのかもしれない。何より、そうだとすれば下手すぎる。

 笹田屋のことなど話せば、より一層久世を怪しませるだけだ。知親は、何より立川勘蔵(かんぞう)がそこまで阿呆《あほう》のわけがない。


「そなたの登城差し止めは、立川殿による門番への直接の命であった。心当たりはあるのか」


 久世が聞くと、「ああ、それでしたら」と知孝はその長い睫毛《まつげ》を二、三度閉じる。


「恐らく私が殿と立川様の話を立ち聞きしたせいでありましょう。それで久世様が近々家老の座を降ろされる、と耳にしたのですが」


 それを聞いて、久世はもはや神妙な顔付きになるのを隠そうともしなかった。


 なぜ、なぜだ。なぜそこまで久世の不正を確固たるものとして見ているのか。為替以外に証拠はないはず、そもそもがばれるはずのない話だというのに……!


「…………なぜ、私の味方をしようとする。殿は、そなたの実の息子であろう」


「ええ。しかし困ったことに、殿は血縁である私どもが周りからどのような目で見られようと、もはや知ったことではないと。私がお頼み申し上げても突き放されてしまうのです」


 何を頼んだのかは、聞かなくても分かった。

 おおかた、青木家の昇進でも願い出たのであろう。別に実家の役職を上げるのはおかしな話ではない。が、知親も藩主になったばかりの状況では周りの目も厳しい。その判断は賢明と言えた。


「ならば久世様。私はあなた様にお力添えし、不正も墓までお守りいたします。ですからことが済んだ暁には是非《ぜひ》、お(・)役(・)に(・)付(・)け(・)ま(・)す(・)よ(・)う(・)取り計らい願えませぬか」


 なるほど、久世にはその言い分が分かった。そして知孝の目が権力に魅せられ、澱《よど》んでいることも。

 姉のような下手な身内より、金目当ての方が信頼できるかもしれない。それに、先ほど現実的ではないと諦めた「為替を始末する策」も、この男を巻き込めば実行可能だ。


 それがおそらく、久世にとっては大きな決め手となった。


「今は郡《こおり》方の手代《てだい》だと申しておったか」


「左様にございます」


 久世は歩き出す。なおもついて来ようとする知孝を一睨(にら)みして立ち止まらせると、また顔を背《そむ》けた。


「足高《たしだか》の制に習い、役目を果たしたなら…………。改《あらため》役ぐらいは用意してやろう」


 すでに多くの者が家へと帰ったのか、辺りに人はいない。

 久世と知孝を見下ろすのは、ただ月のみであった。


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