第三十一話 青天黒幕、鬼に灯(後)
「その龍は、青いのか」
唐突に、ハルイはそう聞いた。
その質問の意図は分からないが、なにせ仄火も青龍そのものを見たことはない。知親はよく青い着物を着ているが、それは関係ないだろう。
「さあ、俺も実体を見たことはないです。だからトヤクの前に出しても、ただの人間ですよ」
「じゃああれだ、まさにおあつらえ向き、と言うやつだな」
「な、何が?」
おあつらえ向き。戸惑う仄火にハルイは不敵に笑う。
「このユマで信仰されている神は、黒い龍の姿だと言われている。遥か昔には人間に憑いて、人々を導いたとも」
仄火は言葉が出なかった。
神が、黒い龍? どういうことだ、この地にいるのは青い龍だけではないのか。しかも、同じように人に憑いていた…………。
「そ、それにしたって、青龍をここに連れてくるのは無理です」
「では、他に策は?」
「それは……」
他の策など何もない。いや駄目だ、考えろ。偽の神を作ること以外に、何かないか。トヤクに「神の怒り」が間違いだと証明する方法。何か…………。
助けを求めるように仄火が伊波を見ても、向こうも同じように困り果てた顔をするだけだ。その様子を見たハルイは、ぱん、と手を叩いた。
「他に打つ手はないようだな。じゃあ何としてもその、青龍を連れて来てくれ」
仄火達に背を向けて歩き出し、ハルイは椅子に座り直す。「シムア」と彼が高らかに呼ぶと、扉が開き、城までの道のりを共にした少女が顔を出した。
「我がアロ軍の一番槍、シムアだ」
「一番槍?」
この少女が、か? そこで仄火はここに来た時、シムアの一喝に門番達が従っていたことを思い出す。武人かもしれないとは思っていたが、そんなに強いのか。
シムアは仄火と伊波の前に立った。ハルイがその奥で腕を組むのが見える。
「さあ、どっちが人質になるか選んでくれ」
「…………え」
「このまま両方帰したら、お前たち逃げるだろう。俺としても、それは困る」
仄火は横で絶句する伊波……ではなく、ハクの方を見た。
「お前の提案のせいでとんでもねえことになっちまったが。どうしてくれるんだ」
「まあまあ。青龍の力を使えば、あの若造は意識だけでカジュギンカに飛べるんじゃろ。何とかなるさ…………」
「意識だけの状態じゃ、青龍に乗っ取られるかもしれねえんだよな。その場合知親は死ぬ……って、そう言ってたのはお前だったと思うが」
ハクは明後日のほうを見て口笛を吹く。まさかこうなるとは本人も想像していなかったのだろう、その表情には珍しく焦りが見て取れた。だが、仄火も珍しくかなり怒っている。当然だ。
するとその肩を横から伊波が叩く。
「その青龍が憑いてるっていう、『高貴な方』を連れてくるのには時間がかかるのか?」
「……そうだな。そうすんなりとはいかねえ」
なにしろ藩主である。たとえ一刻でも姿を消せば城は大騒ぎだろう。
すると伊波は俯いて眉間に皺を寄せ、悩ましげに目を閉じる。
「…………その『高貴な方』が誰なのか、俺に教える気は?」
「ない」
四の五の言っている場合ではないことは、仄火も分かっている。しかし、藩主に妖が憑いていることを勝手に話すわけには行かない。
だが仄火はその後に、「…………分かってるよ」と諦めを含んだ声で呟いた。
「お前も商人の息子なんだろ。人質になって家を留守にできないことぐらい、分かってる」
「でも、それなら俺が青龍を連れて来ないと。なのに仄火にそれを教える気がないっていうなら、話にならない」
伊波の声は冷たい。そこで初めて仄火は分かった、伊波は怒っているのだ。こんな時まで何を言うのかと。
しかし仄火だって怒っている。
立派な家の奴が帰るのが当たり前なのか。俺にだって帰る家ぐらいある。商人だ何だということは当然ではないだろう。
けれど、ここで伊波と言い争ったところでそれこそ意味がない。そんな判断が下せるぐらいには、冷静なつもりだった。
「青龍を連れてくるのは、ハクにやらせる。それに俺が、ここで黒い龍とやらを見つければ、万事解決だろ」
「え?」
仄火はハルイを見た。その赤い瞳は少しも揺らがない。
「俺が人質だ。さっさと縛るなり閉じ込めるなり、好きにしやがれ」
そう言い終わるのが早いか、瞬時にシムアが仄火の片腕を掴んだ。なるほど、確かにその力は見た目以上だ。
「仄火!」
それを見て、声をあげたのは元凶であるはずのハクだった。
「こうするしかねえだろ」とわざとらしく仄火が笑ってやれば、思ったよりハクの表情は呆然としたものになった。何なんだよ、と思いながら仄火は空いている方の手でハクの襟首を掴み、引き寄せる。浮いているハクは軽い。
「いいか。知親をここに連れて来い……って言っても、まあ無理だろうけどな。しょうがねえから、俺がこの山でその『黒い龍』を見つけてきてやるよ」
「仄火、」
「とりあえず青龍よりも、清のこと頼んだぞ」
ハクは何も言わなかった。いつもの様子と違いすぎて仄火の調子までくるってしまう。まあ反省しているのなら、存分にしてほしい。
次にそばに寄って来たのは伊波だった。彼は小声でそっと仄火に耳打ちする。
「何とかして藤と春日を連れてくるから。青龍を連れて来れなくても、逃げてしまえばこっちのものだ」
「あの二人は、今は久世の見張りだろ? そっちだって、放っといたらまずい問題じゃねえか。第一、この城を突破できるわけ……」
「春日なら、やるさ」
伊波は真剣にそう言った。かと思えば、「いや、どうだろう。多分ね」と自信なさげである。
どっちなんだ、と仄火が思っていると、伊波はその眉を下げ、まるで知らない男のように感傷的な目をした。
「別に軽蔑しても構わない。俺が他人を犠牲にして商人の息子であろうとすることを。どの道俺は……。………………いや、何を言ってるんだろう、忘れてくれ。……まあ、とにかく生きててくれよ。流石に寝覚めが悪いからさ」
そう言い残して、伊波は外の見張りに連れられて部屋を去った。ハクと静寂も、それに続いて部屋を閉め出される。
部屋にはハルイとサロとシムア、そして仄火が残された。すると仄火の腕を掴んでいたシムアの手がぱっと離れ、仄火の身は突然自由になる。身構えていた仄火がハルイの方を見ると、サロが机に二人分、食事を置いているところだった。
「もう昼もとうに過ぎたんだ、腹が減ってるだろう」
皿の上からは、現世の料理とは比べ物にならないほど食欲をそそる香りがする。それが仄火の空腹を自覚させた。
招かれるまま席についた仄火は、料理には一旦手をつけずにハルイを見る。
「どういうつもりだよ。人質相手に」
「人質だからこそ、丁重にしてるんだ。ほら、毒も入ってない」
ハルイはそう言って急に仄火の皿の上の何かを手に取ると、食べてみせた。そしてハルイの皿から同じものを仄火の皿に置く。
「それに人質といえど客人だ。話でもしながらお前の仲間を待とうじゃないか」
「……何の話を?」
「何って、今まで違う世界で生きてきたんだ。話すことなんて山ほどあるだろう」
ハルイは「それに、」と付け足して、例の花が浮いた茶を一口で飲んだ。
「興味があるんだ。お前たち、情報屋に」




