第三十話 草を見ずして髪を断つ(後)
そしてカジュギンカ。瑞穂城。
ヨリメを肩に乗せた春日が城門を潜ると、あちらこちらに人の魂が漂っている。そして、人そのものの気配も。
やはり城は情報屋たちの餌場であることに違いない。藤を連れてこなくてよかった。
気がつかれないよう早足で物陰から物陰へと移動し、春日は城への入り口へ向かう。
さて、一度カジュギンカに入った者の魂は消えてしまう。殿様はカジュギンカに入っていたので、その魂もやはりないはずである。
そうなると殿様の居場所を突き止めるのも難しそうだが…………。春日は廊下を進んで行く人魂に追いつき、尋ねる。
「お殿様の部屋って、どこ?」
するとふわりと透き通って広がる人魂の中に、今歩いて来た廊下が映し出された。何度か廊下を右に左に曲がるのを見て、これが部屋への行き方を示していると気づいた春日は慌ててそれを覚える。やがて殿様の部屋らしき場所に着くと、人魂はまた縮んで元の形へと戻った。
まあ、こんな秘密とも言えないようなことでは夢病も出ないだろう。春日はその先も何度かすれ違う人魂に道を聞きながら廊下を進む。
そして、とうとう殿様の部屋まで着いた。が、間の悪いことに情報屋の男が二人、部屋の前で揉めている。しょうがないので春日は隣の部屋から外に出て、反対側から行くことにした。
しかし一度庭に出て殿様の部屋を覗き込むと、さっきの情報屋たちも部屋に入ってくるではないか。春日は咄嗟に、屋根の上に身を隠した。
……はあ、間違えた。身を隠すなら縁側の下でよかったのに。ここでは外から丸見えだ。
「…………なあ、いつまで拘ってんだよ。日浦知親の養子入りの理由なんて、今さら誰も買ってくれねえよ」
「そんな話をしてるんじゃない。前まではあったんだ、日浦知親の魂。それもどっからか生えてきた木に守られてるみたいに!」
「そりゃお前、妖に化かされでもしたんだろうよ」
一体何の話だ、と春日は部屋から聞こえてくる声に耳を澄ます。するとその顔の横を、春日の真似をして屋根に伏せていたヨリメがずるりと滑り落ちていった。
「あ、馬鹿…………!」
手を伸ばすも、あと少しというところで届かない。そのまま落ちるヨリメを、春日はそれより先に縁側に着地して受け止めた。
「なんだ、お前」
そうなれば当然、部屋の中の情報屋たちと相対することになる。
「盗み聞きとは感心しないな。ここにいるってことは、お前も日浦知親の情報目当てだろう」
秘密の情報は、独占するからこそ価値がある。皆で一緒に探りましょう、とはならない。
男の一人が刀に手をかけたかと思うと、鞘からその刀身が姿を現す。
春日は反射的に後ろを見た。庭に人はいない、逃げ道はある。しかし…………。
ガッと音を立てて、相手の刀が鞘に当たる。鞘の引きが浅く、角度的に刀がつっかえているのだ。
相手は戦い慣れていない。…………なら、逃げて彼らが去るのを待つ方が面倒か。
春日はヨリメを床に下ろす。そして懐から苦無を二つ手に取って、確かめるように回した。
「ほう、やる気か」
手間取っていた男はようやく刀を抜けたようである。同じくもう一人も刀を抜いた。
が、その時、二人の足元に何かが落ちる。
ぱさりと乾いた音を立てたそれは、髪の毛だった。
「ほら、次は指? それとも耳?」
春日は二人の背後で、もう一人の髷にもスッと苦無を当てる。またぱさり、と畳の上に黒が広がった。
そして苦無を一本、二人の間に差し入れる。ちょうど、肩の上あたりに。
「…………首でもいいけど」
そう言うと、二人は固まって動かなくなってしまった。見れば小刻みに肩が震えている。
困った。首を切る気はないからさっさと逃げてほしいのだが。
春日は悩んだ末にそっと苦無を下ろし、二人の前に回り込む。すると二人は声にもならない悲鳴をあげて、転びそうになりながら一目散に部屋を出て行った。
ふう、と息をついた春日は縁側に座るヨリメを持ち上げる。
「……まったく、お前みたいなお転婆を拾って、僕もツイてないなあ」
春日が言うと、ヨリメはその大きな目をぱちぱちと見開いた。
物騒なカジュギンカとはうって変わり、現世の城は静かで平和だ。春日は縁側の下から少し顔を出し、部屋の中を覗き見た。
部屋の中に座る知親は、前会った時と同じく群青の羽織りを身につけている。すると反対側の廊下から誰かが入ってくる気配がして、春日は慌ててまた縁側の下へと身を隠した。
そして懐から藤の手紙を取り出し、ヨリメに持たせる。
「あの青い着物のお殿様に渡すんだ。分かったか」
春日は小声でそう囁いて、ヨリメの体を縁側の上へと押し上げる。ヨリメがとことこと上を歩いていく気配がした。
獏ならば、現世でも他の人間には見えない。藤がこんな策を思いつかないなんて。
…………いや、たぶん城に忍び込むなど彼女は考えもしないのだろう。やはり武家の娘だもの。
春日だってこんな隠密のようなこと、藤の頼みでなければやりたくない。そう思いながら、縁側の僅かな隙間からヨリメの動向を見守った。
*
…………なんだあれは。白昼夢だろうか。
知親はそう思いながらこちらへ歩いてくる何かを見つめた。子供のような姿をしたそれは、手紙のようなものを手に持っている。
「殿、失礼いたします」
その時、その子供の反対側から進太郎が部屋に入ってきた。何も反応がないところを見ると、彼に子供の姿は見えていないらしい。
やはり妖。子供からはハクと同じように、人ではない気配がした。
知親の側まで歩いてきた子供は、手に持った手紙をこちらに押し付けてくる。
「すまぬが、茶を持ってきてくれないか」
知親が振り向いて言うと、進太郎は一瞬面食らったもののすぐに「かしこまりました」と踵を返して廊下へもどっていった。
その姿が見えなくなってから、知親は子供の妖から手紙を受け取る。それは藤からの手紙だった。見ると、子供は既に知親に背を向けて縁側の方へと歩き出している。どこか危なっかしいその歩き姿を見ていると、縁側の下から人の頭が顔を出した。
あの顔は、仄火の仲間の。ということは子供は彼の獏だろうか。しかしなぜそんなところに、と知親が驚いている間に、子供と春日の姿は忽然と消えた。カジュギンカに戻ったのだろう。
「殿、お茶をお持ちしました」
進太郎の声に、知親は急いで手紙を懐の中へとしまう。
「ああ、ありがとう。…………遮ってしまったが、何か用があったのではないのか?」
湯呑みを知親の前に置いた進太郎は、その言葉に頷いて紙切れを取り出した。
「以前申し上げていた、家で見つけた証書です。同年の藩の帳簿にこの額の支出がなければ、父の横領の証拠になるかと」
知親が受け取ったそれらには、確かに町の両替商のもと、笹田屋に八百両が届けられたことが記されている。
「……久世に、動きはあるか」
知親が聞くと、進太郎は自信なさげに首を振る。
「長見に着いてすぐ動くと思っていましたが、中々その様子はありません。この前家に帰る時に両替商で働く丁稚にそれとなく尋ねてみたのですが、まだ父は来ていないそうです」
なぜ、久世は動かないのだろう。大金の為替など、人に見つかれば不審に思われてしまうだろうに。
「そうか、分かった。…………少し、一人にしてくれ」
はっ、と返事をして、進太郎は隣の間へと下がる。襖を閉めると、知親の群青の背中も見えなくなった。
隣の間に座って、進太郎は息をついた。一体父がなぜさっさと大金を渡してしまわないのか、それを考えていたのである。
しかし、ものの数十秒もしないうちに先ほど閉めた襖が開かれた。
「殿? どうされました?」
「……すぐに、立川を呼んでくれ」
知親の声色は切迫していた。
*
「……それは、まずいですね」
勘蔵は眉を顰めた。
昨日、知親と勘蔵の話を盗み聞きしたのが父の知孝だということはすでに話してある。
そして今、その知孝と久世が会っていたと、藤の手紙に書かれていたことを伝えたのだ。
「横領自体は、父は知らないはずだが……」
「久世殿からすれば、自分が怪しまれる理由など一つしかないでしょうな」
となると、久世が動かない理由は間違いなく、警戒しているのだ。
……どうする。警戒されたまま入り組んだ方法で金を送られれば、横領の動かぬ証拠を押さえる機を逃してしまう。いや、もうすでに……。
なんと余計なことをしてくれたのだ、と知親は目を細めた。いっそのこと久世家を探させるかとも思ったが、為替を別の場所に隠されていたら意味がない。では両替商に根回しするか。いや、久世が代わりのものを立てたら無駄になってしまう…………。
「こうなればご用差し止めしか、残る手はないかと」
「?」
先ほどまでの険しい顔とは一変し、勘蔵の瞳は力強く、迷いない。齢二十七にしてあの榊原にもその実力を認めさせる、才気あふれる家老がそこには座っている。
ご用差し止め。
それはご用商人、藩の御用達である店を「不審な点あり」として一時的に取り引きを中止する命のことを指す。
「こうなってしまえば、やむを得ません。笹田屋、ご用差し止めにございます」




