第三話 暑いので涼しい話でも(後)
翌朝、仄火は例のお百姓のところまで話を聞きに行った。片手には清が描いた地図一つ。歩きながらも、とてもじゃないが何も見ずに描いたとは思えない正確さである。
清は聞いた話だけではなく、一度歩いた道のりの風景まで覚えられるのだろうか。
珍しくハクもついてきて、仄火の後を泳ぐように浮かんでいる。
「なあ、妖が現世に来るのはよほどの理由があるからだって言ったよな。今回の件、人魂にはどんな理由があると思う」
「そんなもん分からん。お前さんは一口に妖と言うが、妖にもいろいろあるんじゃよ。お前さんだって、同じ人間だからといって赤子の考えていることなど分からんじゃろう?」
「そりゃそうだけどよ。推測だよ、推測…………」
その時ふと、田の淵に立つ子供が一人、仄火を見ていることに気がついた。仄火は慌てて、さも何事もなかったかのように振る舞う。
現世でハクと連れ立って歩くことなど滅多にないので、ついハクが他の人間には見えないことを忘れそうになってしまう。
地図を見直すと、どうやら六郎の家はこの近くのようだ。仄火は子供の近くまで行って、目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
「なあ、この近くに六郎って人が住んでるだろ。今どこにいるか知ってるかい?」
子供は相変わらず不思議そうな目で仄火を見ていたが、少し離れたところで仕事をしている一人の男を指さした。
「六郎のおじさんはあそこだ」
すると向こうも気がついたようで、見慣れない仄火に向かってまっすぐに歩いてくる。歳は四十、五十くらいか。
「なんじゃあんた、芸子さんかい。こんななんもねえとこで何してんだ?」
女に間違えられるのは随分と久しぶりのことで、仄火は少し眉を顰めながら立ち上がった。背は仄火の方が六郎よりも少し高い。
さすがに男だと気がついたらしい六郎は「こりゃ悪かった、男じゃったか」とばつの悪そうな顔で言う。
「俺は仄火。人に頼まれて怪しい火の玉について調べてんだ」
「火の玉? 俺以外にもあれを見た人がおるんか?」
「ああ。それで、あんたがその火の玉を見た時のことを詳しく教えてくれねえか」
仄火が言うと、六郎は「あれは四日も前のことじゃったか」と呟く。
「ここから少し東の、町人町でのことじゃ。火の玉は表通りからは少し外れた、細い道の突き当たりで光っとった。赤くて、蝋燭の火とは比べ物にならんほど明るかったのう」
「周りに、誰か人はいなかったか?」
「おらんかった。俺は夢かと思って家まで逃げ帰ってしもうたが、道中表通りに出るまでは誰にも会わなんだ」
*
「今手に入る情報はこれだけだってのに、なんも分かんねえままじゃねえか……」
結局、六郎の話はほとんどこうの話と同じだった。まさに八方塞がりである。
六郎に話を聞いた後、仄火とハクは深川沿いに昨日こうと会った河原へと向かっていた。人魂のことが分からない以上、仄火は一旦簪探しを優先することにしたのだ。
とはいえ足取りの重い仄火の前に、ハクが後ろからするりと抜け出た。
「ここは一つ、カジュギンカで例の河原を探してみるのはどうじゃ?」
「カジュギンカで?」
「その娘が人魂に招かれてカジュギンカに入ってしまい、そこで簪を落とした。というのもあり得る話じゃろう?」
「た、確かに……」
そうだ、なぜ今までそれに気がつかなかったのだろう。「人魂が現世に出た」ということに縛られすぎて、その逆、つまりこうや六郎がカジュギンカに入った可能性を見落としていた。
どことなく得意げなハクは、まるで「お前さんが言うように『推測』してやったぞ」とでも言いたげだ。仄火が何となく悔しく思っていると、前方に例の河原が見えてきた。
「よし、カジュギンカで探そう。最悪簪だけでも見つけちまえばこっちのもんだ」
仄火が言うと、ハクは薄い笑みを浮かべて指をパチンと鳴らした。
…………それから四半刻後。仄火は誰もいない、カジュギンカの河原の真ん中で寝転がっていた。
「………………ねえじゃねえか」
ハクの推測を聞いた時にはそれが正解に違いないとまで思ったというのに、河原には簪どころか小銭一つ落ちてはいなかった。
「おかしいのう、わしの推測が外れるとは」
もしや、川に流されてどこぞに行ってしまったのかもしれん、と言うハクの横で、そうなったらいよいよ自分の知ったことではないと仄火は思う。
「……大体、金にならない話に首を突っ込んだのが間違いだったんだ。人魂も今のところ大した害もねえみたいだし、もう放っておいても……」
「人魂なんて、面白そうな話してるわね」
仄火の横で、いつの間にか女が笑っている。
短くそろえられた銀髪に、着崩された着物。笑っているがきゅっと吊り上がった目尻は強気な印象を与える。
女が気配なく傍に来ていたことに仄火は驚かなかった。名を静寂と言ったか、彼女もまた人ではなく、とある面倒な男の獏である。
「ねえ、伊波も近くにいるんだけど、会ってあげてくれない?」
「やなこった。今はいつにも増してあいつに会う気はねえんだよ」
仄火は立ち上がる。もはやここに用はない。さっさと立ち去るが吉だ。
しかしその時、静寂が「あ、」と声をあげた。
「でも、もう来ちゃったわ」
からり、という下駄の音と共に、無駄に爽やかな、それでいてよく響く声が聞こえた。
「やあ仄火! こんなところで珍しいじゃないか」
そう言って近づいてくる伊波に聞こえるように、仄火は大きくため息をつく。
「何度来ても無駄だ。俺はお前んとこの仲間になる気はねえって言ってんだろ」
「まあそれはそれとして、友に会いにくるぐらいはいいだろう? どうもその顔じゃ、困りごとでもあるようだし」
「そうそう、人魂について調べているらしいわよ」
仄火が反論する前に静寂が口にした「人魂」という言葉に、伊波はほう、と笑う。面倒な奴に知られてしまったと仄火はげんなりした。
「そういうことなら、俺のほうでも調べておこう。仲間内で情報を募れば何か分かるかもしれない」
「余計なお世話だ。人魂のことはもういいんだよ」
「カジュギンカに現れる人の魂とはまた違うのか? 一体どんな人魂なんだ?」
「それがのう、なにやら赤くて明るくて、現世でも何人か見た者がある。恐らく妖ではないかと思うんじゃが」
「おい、ハク!」
勝手に人魂のことを伊波に話すハクを仄火は睨んだが、ハクはどこ吹く風である。
「妖については、俺もまだ調べたことがないな……。まあ、何か分かったら知らせるよ」
「だからもういいって言ってんだろ。おい、聞いてんのか!?」
仄火が言うも、伊波と静寂の姿はどんどん遠ざかっていく。伊波という男は、本当に人の話を聞かない。
「俺に貸しを作ろうったって、そうはいかねえからなー!!」
その後ろ姿に向かって仄火がそう叫ぶと、ようやく伊波は振り返った。
「友のためにできることをしているだけさ! それに面白そうな話じゃないか、俺は興味あるね!!」
それだけ言って、伊波は町の向こうに消えていった。
伊波も仄火と同じく、獏の力でカジュギンカに出入りしている人間だ。彼は情報屋を集めた組合を作ろうとしているらしく、少し前から仄火のことも勧誘してくる。
仄火は情報屋の仕事で食っていければそれでいいし、他の情報屋とのやり取りでかえって面倒なことになるのも御免だ。なので断っているのだが、いかんせん伊波は人の話を聞かない。
「なんで伊波に喋ったんだよ。俺は貸しを作るのは好きじゃねえんだ、特にああいうやつには」
仄火が責めても、ハクに反省したような素振りは微塵も見られない。それどころか呆れたように仄火を見た。
「人魂の情報はもうないんじゃから、あやつに新しく持ってきてもらうしかなかろう。それにこの件から手を引いて、他に仕事があるわけでもなし」
仄火は返す言葉に詰まった。今日のハクはやたら正論を突いてくる。
確かにその通りだ、その通りなのだが……。
「伊波のやつに借りがあると思うと、眩暈がしてくるぜ……」
まったくなんなんだ今日は。ついてないにもほどがある。
頭を抱える仄火に、「お前さんも大概難儀なやつじゃのう」とハクが呟いた。
*
享保八年皐月某日明朝、城下某武家屋敷の蔵より出火。
火勢ほどなく鎮まり、死傷者なし。
なお、当夜に関し奇妙なる風聞ありしも、詳らかならず。
藤吉は息を潜めて、屋敷の壁に張りついていた。
「やはり、先ほどの魚屋が怪しいのではないか。なぜここまで迷い込んだか覚えておらぬなど、戯言に決まっておろう」
「しかし家中の者が見た、姿を消した男というのはどうする。わざわざ火が出るところを見たと申し出て来た魚屋より、その男の方がよほど怪しいではないか」
「姿を消したというのも、火事に気が動転して見間違えたのやもしれぬ。それこそ、その男が魚屋に化けているというのもあり得ることだ」
中で役人たちが、火付けの犯人について話し合っている。疑われているうちの一人である魚屋は藤吉のことだ。
藤吉は藩の御用商人の元で奉公しており、昨晩ここの近くの武家屋敷まで魚を届けに行った。だが、その帰り道の記憶が曖昧で、気がつけばこの屋敷で火事が起こるのをただ見つめていたのだ。
それを正直に話したことを、藤吉は後悔する。なぜここまで来たかはよく覚えていないなどという証言では、疑われて当然だ。
疑われているうちのもう一人、消えた男については何も知らない。が、それとは別にもう一つ、藤吉には役人に話していないことがあった。それを言おうかどうかと迷っているうちに、こうして自分が疑われている場に出くわしてしまったのだ。
どうすれば良いのか。このまま消えた男が見つからなければ、間もなくして捕まるのは藤吉かもしれない。
「そこで何をしているんです?」
「!」
藤吉は息が止まるかと思った。声を出さなかったのを褒めてやりたいぐらいだ。
声をかけてきた人物の背中を慌てて物陰に押し込み、藤吉も一緒にそこに隠れる。
役人たちには聞こえなかっただろうか。どくどくと心臓の鳴る音が体中に響いていた。藤吉は呼吸を落ち着かせて、ようやく相手の顔を見る。すると、それは見覚えのある顔だった。
「あなたは、伊波屋の若旦那の……!」
「ええ。あなたは確か、魚屋の藤吉さんでしたか」
伊波屋は大店の酒屋で、運送業も担っている。そのため藤吉も何度か出入りしたことがあった。彼はその店の跡取りである。
「ど、どうしてこんなところにいらっしゃるんで?」
「父がお世話になっている方々にご挨拶に行くというんで、ついてきたんです。何でも今朝この辺りで小火騒ぎがあったというんで、ついでに様子を見に」
「そ、そうでしたか……」
彼はまだ藤吉が疑われていることを知らないようだが、その目は何かを探るようだった。
「もしかして、なにか知っているんですか?」
彼の言葉に、藤吉はぎくりとした。自分は犯人ではない、何も隠すことはない。そう思いながら、下手に話せば犯人にされてしまうかもしれない恐怖も同時に湧き上がる。
この若旦那を信じていいものか。味方になってくれれば心強いが、そうでなければ…………。
「俺は真実を知りたいだけです。それに、もしお困りなら力になりますよ」
その言葉を聞いて、ふいに藤吉は泣きそうになってしまった。
張り詰め通しだった神経が少し緩み、ただ誰かに頼りたい、助けてほしいという気持ちになったのは、彼の目が何も企んではいないと思えたからである。
「……昨日この近くの武家屋敷に魚を届けに行ってから、帰りの記憶がないんです。気がついたらこの屋敷から火が出るのを見ていました。…………ですが、実はその前に」
藤吉は息を呑んだ。情けなくも、頬に一筋涙が伝うのを感じる。
「そ、その前に、見たんです。屋敷の前で、赤く燃える人魂を…………!」
藤吉がそう言って息を切らしている間、やはり彼は驚いてはいたが、笑うことも疑うこともなかった。その代わり、ただ何かを考えているようだった。
「…………それは、」
「若旦那ー? どちらですかー?」
その時彼の声を遮って、何人かの声がした。それを聞いた彼は焦ったように立ち上がる。
「すみません、俺はもう行かないと。藤吉さん、これを」
そう言って、彼は懐から取り出した紙切れに何かを書く。差し出された紙には、簡易な地図が記してあった。
「そこに仄火という男がいるので、探してください。彼がきっとあなたの疑いを晴らしてくれるはずだ」
では、と言って彼は先ほどの声の方角へと駆けていく。
藤吉は何が何だか分からなかったが、手元に残された地図を見つめて、強くそれを握った。




