第三話 暑いので涼しい話でも(前)
時は数日前、仄火が知親の依頼を受けるより少し前に遡るーーー。
人気のない河原に娘が一人、座り込んで今にも泣き出しそうに周りを見回していた。
「やっぱり、ない……」
娘は肩を落として呟く。
その時、背後から近づいてくる足音がした。彼女は振り返って、そして息を呑む。
「何か探し物か?」
その男は人ではないかのようだった。陽の光に透ける髪と肌に、女でさえも圧倒されてしまうほどの美貌。彼の存在だけが、薄暗い河原からは切り離された場所にあるようだ。
娘がつい見惚れているうちに、男は彼女の近くまでやってきた。
「こんなところで何してんだ? あんた、行商の娘さんだろ?」
「え? ……どうして、私のことを」
当然だが、娘にはこの男に会った覚えなどなかった。会っていたとしたら、こんな綺麗な人のことを忘れるはずがない。
立ち上がった娘の目を見て、男は言った。
「俺は仄火。この町で商いをやってる。まあ、商いをしてりゃいろんなことに詳しくなるもんさ。それはあんたの親父さんのところだってそうだろう?」
娘の父親はこの辺りで棒手振りをしていて、桶や器などの日用品を扱っている。
確かに仄火の言う通り、娘も幼いころから父親について回ってはさまざまなことを見聞きしたものだ。
「それで、私のことも知っていたと?」
「まあ実のところ、ちょいと見たことあったのさ。よく親父さんの手伝いをしているだろう?」
ああそれで、と娘は納得する。だからといって、仄火はその、少し見かけた程度の娘にわざわざ声をかけに来たのだろうか。
「で、何してんだ? もし困ってるなら力を貸すぜ」
「……実は先日、ここで髪飾りを落としてしまって。探しているのですが…………」
娘は正直に言った。
ざあざあと音を立てて流れる河原はさほど広くはない。しかし娘がどれだけ探しても、髪飾りは見つからないのだ。
「なるほど、道理でこんな人気のないところに。だが、本当にここで落としたのか? 別のところで落としたんじゃ」
「い、いえ! 本当にここなんです。だって……」
娘はその先を躊躇った。こんなことを話しても、信じてもらえるはずがない。
「まあ、それなら俺も手伝うよ。もうすぐ日も暮れるし、このままあんたを一人で放っておくのもなんだか心持ちがよくねえからな」
にっこりと笑う仄火に、娘はどこか違和感を覚える。
こんなに綺麗な人が、ただの親切で自分なんかに手を貸してくれるものだろうか。
ふと見ると、仄火の着物はその美貌とは裏腹に、とても立派なものとは言えなかった。
……さては探し物に協力して金を取ろうという腹積もりかもしれない。腐っても商売人の娘である。そんな手にひっかかるものか。
「結構です。私一人で探せますから」
「別に金目当てなわけじゃねえさ」
仄火の言葉にまるで心の内を見透かされたようで、娘の顔は赤くなる。
「そうまでして探すってことは、大事なものなんだろ?」
そう言って仄火の手がすっと伸び、少し乱れた娘の髪をその耳に掛け直した。娘の顔はさらに赤くなる。さっきの決まりの悪さとは、また別の理由で。
「そ、そう。母がくれた簪なの。私の十五のお祝いにって……」
そこで娘はハッと、何かを思い出したという顔で仄火を見る。
「でも日が暮れたらちゃんと帰るわ! 親も心配するし。その、だから大丈夫」
「じゃあそれまで一緒に探してやるよ。一人より二人の方がいい」
「そんな、いいわよ。どうしてそこまでしてくれるの?」
仄火は腕を組んでふむ、と考えるような仕草をした。河原の石が彼の歩みと共に音を立て、どこからか吹く柔らかい風が彼の長い髪を揺らす。
「…………そんなことも分からねえのかい? お嬢さん」
覗き込む瞳が、赤い。
その深い朱色はまるで、彼の瞳に炎が映っているかのようだ。
娘は息ができなくなって、顔を背けた。
「で、でもあなたももう帰らないと……。ここにいちゃ駄目なの」
「ここに? 何かあるのか?」
不思議そうな仄火に、娘は一歩後ずさる。
「…………あのね。信じられないかもしれないけど」
その顔はもう、赤くはなかった。
「夜になると、人魂がでるの」
*
こうというその娘は、昨夜その河原で真っ赤に燃える人魂を見たという。驚いたこうは走って逃げたが、そこで河原まではあったはずの簪がなくなっていたらしい。
しかし戻るのも恐ろしく、今日になってようやく探しに行ったが、丸一日かけても簪は見つからなかった。
「……と、いうのが仄火さんが丸一日かけて探してきた依頼ですか。俺は野菜を買ってきてくださいと頼んだはずですが」
清は「おかげで具なし汁です」と鍋の中の白い粥を椀によそった。
「べつに一日くらい野菜食わなくても死なねえよ」
その前で寝転がっている仄火の顔は不機嫌そうである。
「ったく、簪見つけてお礼の品でももらえりゃ万々歳だったのによ。こんな面倒なことになるとは思わなかったぜ。金もらわなきゃ割に合わねえ」
「とか言って、どうせ口説こうと近づいたのは仄火さんの方なんでしょ」
図星を突かれて黙る仄火だったが、「どうぞ」と置かれた汁椀と少しの漬物に体を起こした。
粥の味はほとんどないが、漬物の塩気でごまかして食べる。普段は汁物と玄米を食べているが、近頃は金になる依頼も少ないため節約しなければならない。
やはり、自分から依頼を取りにいくのはどうもよくない。人はどうしても情報を知りたいという気持ちからこの店を探し当て、わざわざ足を運ぶのだ。
その時点で、情報にいくら払うか、という天秤はある程度狂っていることが多い。だからこそ情報屋は儲かるというもの。
「清、この辺りで赤い人魂を見たっていう噂は?」
「赤い人魂…………ですか。ああ、そういえば深川沿いに住んでいるお百姓の六郎さんが火の玉を見たとか。色までは分かりませんが」
「お百姓かあ…………」
仄火はがっくりと肩を落とした。もし他にも人魂を見た者がいるなら、そっちに依頼を持ちかけて金を稼ごうかと思ったのだが。
そんな仄火の金勘定を知ってか知らずか、清はいたって冷静に話を続ける。
「というか、そのこうさんの見間違いということはないんですか? たとえば人の持つ提灯の明かりだったとかは。それならこうさんが逃げた後、提灯の持ち主が簪を拾って持ち帰ったのかもしれません」
「いや、どうも違うらしい。なんでもその人魂は五間ほど先までゆうに見渡せるぐらい明るくて、近くに人がいたなら分かったというんだ」
「…………そうなると、人ならざるものの話になってきますけど」
「カジュギンカなんてとこに出入りしてる以上、否定もできねえのが難儀だな」
仄火は遠い目をしながら粥を口に運ぶ。
「ただ、カジュギンカに現れる人の魂ってのはきまって青白い。赤い人魂ってのは一体何なんだ?」
「そりゃおそらく妖じゃろうなあ」
仄火の独り言のような言葉に、答えたのはハクだった。いつの間にか横に座っている。
ハクが突然現れるのはいつものことなので、「なんだいたのかよ」と仄火も清も特には驚かない。
「赤い火の玉の形をした妖はさまざまおるからのう。鬼火や不知火、狐火、同じ妖でもいくつか呼び名を持つこともある」
「そうだとしても、妖ってのはカジュギンカにいるもんだろ? なんで人魂は現世に出て来たんだよ」
「わしだって今こうして現世におるが…………。しかしまあ、近頃の人の世にはもう妖が入り込む隙間もほとんど無い。そこにあえてカジュギンカから出てくるとなれば、余程の理由あってのことじゃろうな」
「余程の理由、ねえ」
たとえば、河原で娘一人驚かすことが余程の理由だろうか。妖の考えることなど分からないのでなんとも言えない。それに、人魂は簪が消えたこととは関係があるのだろうか?
仄火は大きく息をつく。こんなにややこしいことが一銭の儲けにもならないなんて、という悲哀のため息である。




