第二話 十両あったら、何をしますか?(後)
「お待たせいたしました」
仄火たちが店に戻ると、知親は宙に浮いているハクのことを眺めていた。
「聞き忘れていたが、この者はいったい…………」
「ハクと呼んで構わんぞ」
「いや、なんというかその……獏といいますか」
人間の身分など気にも留めていないのか、知親相手でもハクはいつもどおりである。それを横で見る仄火の口調にはつい焦りが滲んだ。
「なんと。ではあの夢を喰らうという妖か」
「そうじゃのう」
実際はもっと趣味の悪いものを食べているが。それはさておき、仄火はやや引き攣った愛想笑いを浮かべた。
「その、なにぶん妖ですので。多少の無礼はどうかご容赦いただきたく」
「構わぬ。そなたも畏まる必要はない。見たところ、歳もそう違わぬであろう」
「いえ、さすがにそういうわけには」
「私も一人でここに来ていることはあまり知られたくない。たとえば今、外を誰かが歩いていれば、そなたの言葉遣いだけで私が武士だと分かってしまう」
知親のいうことには確かに一理ある。かといってやはり、武士相手にそんな砕けた言葉で話すことなどできるだろうか。
仄火は知親を見た。
不思議なことにこの侍は、元は下級武士の息子だったとは思えないほどの堂々たる雰囲気を持っている。
しかし同時に、こちらに緊張感を与えない。なぜか哀しさを感じさせるような男だった。それは彼の境遇が関係しているのだろうか。
………………ああそうか。この男は、どこか俺に似ている。
ふとそんなことが脳裏をよぎって、仄火は我に返ってそれを掻き消した。何を馬鹿なことを。似ているだなんて、見当違いもいいところだ。
はあ、と仄火はため息をついた。
「……分かったよ、じゃあそういうことで」
仄火の言葉に頷く知親とは対照的に、清は聞いていて心が休まらないのか心配そうにこちらを見ている。
「そなた、名はなんという」
そう聞く知親に、そういえば名乗っていなかったことを仄火は思い出した。あっちも、よくも名前も知らない相手に青龍だなんだと話したものである。
「仄火だよ。仄かに燃えるほうの火で仄火」
「仄火か。珍しい名だな」
「気がついたらそう呼ばれてたんでな。俺は捨て子だから親もいねえし」
たとえばここで女なら、「可哀想に」とか「苦労したでしょう」とか言ってくれるところを、知親はただ無表情で「そうか」と頷くだけだった。
あまりこの侍には人情味といったものを期待しないほうがいいかもしれない。
「こっちは同居人の清。聞いたことはなんでも覚えやがるから、こいつの前であまり妙な話はしねえほうがいいぞ」
「別に仄火さんの『妙な』話なんて、俺もどうでもいいんですけどね」
澄ました顔で清は言った。妙な話とは、もちろん仄火の女遊びの話である。仄火はわざとらしく咳ばらいをして話をもとに戻した。
「ところで清、青龍については何か思い当たる節はねえのか?」
「そうですね、やっぱり有名なのは清に伝わる四神獣では? 青龍は東を守護する神で、金運や立身出世の神であるとも言われます」
「四神獣は、確かに広く信仰されているな。私も青龍と聞いて思い当たるのはそのぐらいだが、清の神と日浦家に一体どのような関係があるのか……」
呟くような知親の言葉に、清の耳は赤くなった。
「も、申し訳ありません! あなた様ほどのお方ならば当然ご存じであることを、差し出がましく……」
「謝ることはない。そなたは確かに聡いな」
「はあ、もったいないお言葉です」
すっかり顔を赤くして平伏する清を見て、自分相手とは違いすぎる態度に仄火は唖然とするばかりであった。
「まあ、とりあえずはこっちでも青龍について調べてみる。すぐに実りあることを報告できるとは限らねえけどな。とにかく長い目で見てくれ」
「分かった。だが、私も江戸に立つまではできる限り足を運ぼう。何か気がつくこともあるやもしれぬ」
店先で知親と言葉を交わしながら、仄火はそれとなく辺りを見回す。人はいない。
だが、やはり仄火が知親に気やすい口をきいているのは、はたから見ればかえって目立つのではないか。
そして、そんな仄火の心配など知りもしない知親は、相変わらず振り返ることなく颯爽と町の景色に消えていった。
*
店に戻っても、先ほどまでのことはやはり夢なのではないかと仄火は思った。下手をすればカジュギンカよりもよほど浮世離れした話である。
しかし夢ではない証拠に、そこには五両があるのだ。
仄火は床に寝転がって、小判を一枚一枚取り出して数える。
……案外、カジュギンカで調べればあっさり青龍のことが分かったりしないだろうか。
十両。
一寸先は闇とはよく言ったもので、人生は何があるか分からない。特に、仄火のような暮らし方では。
いつこんな大金がやって来るかも、いつ窮地に立たされるかも分からない。
そのときに、多少無茶をしてでも十両を手に入れておけばよかったと嘆くのは御免だ。そうなるくらいなら、やはり稼げるときに稼いでおかなければ。
仄火が金色に輝く小判を眺めていると、頭上からハクの顔が視界に入ってきた。
「お前さん、珍しく嵌められたか」
「は?」
なんのことだか分からない仄火に、ハクは続ける。
「青龍だなんだと言われて、気がつけば引き返せなくなっていることに気がついたんじゃろう? じゃが、そこであの若造は十両を出してきた。それに飛びついたお前さんは、さも『自分で依頼を受けた』ように思う」
……言われてみれば、思い当たる節は仄火にもあった。あそこで十両のことを切り出されなければ、もっと別の選択をしていたかもしれない。
「依頼を『受けた』つもりのようじゃが、本当はあの若造に『受けさせられた』のではないか?」
「………………」
つまり、青龍というわけの分からないことから話せば、俺がついその先も聞いてしまうだろうと踏んだ。
そのうえで、ことの重大さを大金でごまかしたと?
「いや、確かに頭は切れるようだったが、所詮はお坊ちゃんだろ? 情報屋相手に、そこまで考えてのことだとは思えねえけど」
「まあそうかもしれんな。しかし、それならあの若造が仄火の意識を操ったのは無意識で、ということになるのう。それは……」
仄火は、手元の五両を見つめた。
これも、十両に飛びつかせるための布石だったとしたら。それは、
「余計に質悪いじゃねえか…………」
この国のお殿様には、代々青い龍が憑いているらしい。
そして仄火はその厄介な龍と、それよりもっと厄介な人間に関わってしまったのかもしれなかった。




